2020.09.30
「近大マグロの、父と母。」第9回 不可能を可能に
- Kindai Picks編集部
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小芝風花さん主演ドラマ「TUNAガール」の監督・脚本をつとめた安田真奈氏が、近大マグロ誕生に至る養殖研究について、原田輝雄教授(故人)と、かをる夫人の素敵なエピソードを交えながらご紹介します。
連載記事
▼第1回 原田氏、近大水研へ
▼第2回 海を耕したくても
▼第3回 養殖の父&白浜の母
▼第4回 ブリの子守
▼第5回 夫婦で突進
▼第6回 究極の養殖魚
▼第7回 傷つきやすいダイヤ
▼第8回 魚飼いのプライド
▼第9回 不可能を可能に
▼最終回 マグロの嫁入り
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変わらぬ夫婦
学会の表彰や皇室からの見学といった名誉が続いても、原田輝雄氏は生活サイクルも皆への態度も以前通り。あまりにも変化がないので、妻のかをるさんは周囲から「奥さんわかってます?立派な受賞なんですよ、ご主人はすごい先生なんですよ!」と言われたそうです。「まぁ変わった人だから何でもやるだろうな、と思ったくらいねぇ。主人も『皆のおかげだ、自分一人の受賞じゃない』と言ってたし。それよりも、無頓着で驚くことの方が多かったわ。電車でお昼を食べようとしたら箸がなかったんだけど、『旅館でもらった歯ブラシが二本あるから箸にするよ。お前はボールペンでどうだ。』なんて言うのよ?食事の気分が台無しよねぇ。もちろん私は、車内販売を待ってお箸をいただいたわ。」
たまに夫婦で遠出するのは、研究所メンバーの結婚式でした。しかしそれも、瀬戸内海の島で仲人をして、翌日には京都で仲人をして、移動の車中は学会資料を執筆して…と、大忙しの仕事モード。かをるさん自身も市場の注文受付などを担っていたので、夫婦の会話はほぼ仕事の話だったそうです。
「娘二人がだいぶ大きくなるまで、狭い監理所に住んでたから、会話は筒抜けだったわ。後々、『お父さんもお母さんも常に忙しくて仕事の話しかしない。進路の相談もろくにできなかった。』って言われたわね。確かにあまり世話を焼いてあげられなかった。でも二人とも、マジメでシッカリ勉強する子に育ってくれたの。主人の血なんでしょうねぇ。」
奄美のマグロ
串本のクロマグロの産卵が見られなくなったため、原田氏は新たな研究基地を探し始めました。すると、ある大学職員の故郷・奄美大島から誘致の話が持ち上がりました。奄美大島の瀬戸内町の海岸は、冬季でも最低水温が20℃とあたたかく、台風の通り道ではあるものの、リアス式地形で水深が深く穏やか。クロマグロの産卵にも、他の魚種の養殖にも良い環境であると推察されました。実際、奄美はクロマグロの産卵にも成育にも適しており、現在では重要な養殖拠点。串本では、1.2m、30㎏ほどの出荷サイズに育つまで約三年かかりますが、奄美では約二年で育つのです。しかし…、原田氏は奄美のマグロを見ることができませんでした。具体的な候補地も決まり、いよいよ奄美実験場開設に向けて動き出した矢先、急逝されたのです。水産研究所奄美実験場陸上施設(飼育棟)
突然の喪失
1991年(平成3年)6月27日。原田氏は、研究所でNHKの取材打合せをしている最中に、突然倒れました。毎日早朝から深夜まで働き、「いつ寝てるんだ」と皆が首をかしげるほどのハードワーカー。その上、国内外の出張も増えており、疲労が蓄積していたのかもしれません。かをるさんは、当時の混乱を振り返ります。「水槽の魚を見ながら説明をしている時に、脳梗塞でね…。倒れて二日後に亡くなったの。65歳だったわ。本当に急なことで、私はもちろん、みんなも驚いた。引継ぎもなかったし、大変だったわね…。」
クロマグロの研究チームだった岡田貴彦氏(現 水産養殖種苗センター長)も、当時のショックが忘れられないとのこと。
「すぐにでも見舞いにかけつけたかったです。でも大勢で押しかけるわけにもいかず、色んな魚の産卵期で現場を離れるのも難しく…。『先生が喜ばれるのは、しっかり魚の世話をすることだ。』そう自分に言い聞かせて、お会いしたい気持ちをグッとこらえました。亡くなられてからは、まるで研究所の灯りが消えたようで…。これから、誰の背中を追って、誰のために働けばいいんだろうと…。」
カリスマリーダーの喪失は、水産研究所にとって非常に大きな打撃でした。
亡くなる3日前の原田氏(職場の打ち上げ会場にて)
命の喜び
原田氏は、研究者であり、経営者であり、教育者でした。「水産学は、生産と研究を行ってこそ、真の教育ができる。また、水産業として経営が成り立っていなければ、漁業関係者や養殖業者の見本にならない。」
そう考えていたので、「冷凍の餌は安い時に大量に仕入れるんだ。」「明日はシケで近海モノが獲れない、養殖魚に高値がつくはずだ。」といった日々の細かな運営から、大規模な事業拡大や実験場の新設まで、幅広く目配りしました。こうしたマルチな感覚は誰もが継承できるものではありませんが、「魚に教えてもらう」という基本姿勢は、研究所メンバーに完全に浸透していました。
ブリの採卵に同行した村田修氏(現 近畿大学名誉教授)は、現在の学生に、「魚に教えてもらう」を地道に伝えています。
近畿大学名誉教授 村田修氏
「原田先生の言う通り、毎日丁寧に観察していれば、どの魚が弱っているかわかるんです。泳ぐ姿や、光や音にどう反射するか、水中の上の方にいるのか、下にいるのか、餌を喜んで食べるか。私が『明日あの魚は死ぬな』と言うと、本当に翌日死ぬ。すると学生たちは学ぶわけです。なるほど観察は大事だな、『魚に教えてもらう』とはこういうことか、と。」
村田氏は、原田氏が「とにかく卵が大事だ」と何度も言い、採れると心底喜んでいた姿が印象的だった、と語ります。
「生き物を育てて研究する喜びは、体験しないとわかりません。卵が採れて喜ぶ。元気に餌を食べる姿をみて喜ぶ。喜びがあるから、苦労があっても研究を続けられる。しかし最近は、卵が採れても感動が薄い。技術が進んだ証ですが、やはり水産を学ぶ若者には、命あるものを育てる喜びをかみしめてほしいですね。それから、魚と同じくらい人も大切にしてほしい。養殖魚は、飼育だけでなく、餌や魚病対策など、多くの部署の努力と連携があって初めて育つものですから。」
魚に教わる。命を尊ぶ。皆の働きに感謝する。原田氏の教えは、養殖の礎として脈々と引き継がれているのです。
不可能を可能に
所長を引き継いだのは、熊井英水氏(現 近畿大学理事・名誉教授)でした。クロマグロについては、稚魚の捕獲などに苦労したので、研究に特別な思い入れがありました。しかし産卵がないまま11年が経過し、経営負担も増大。大学を訪れ、二代目総長・世耕政隆氏に現状報告と研究継続の相談をしました。すると返ってきたのは、思いがけない励ましの言葉でした。「生き物だから、簡単にいかなくて当然でしょう。長い目で見てはどうですか。」
ドキュメンタリー「海を耕す者たち」出演中の近畿大学理事・名誉教授 熊井英水氏 (C)吉本興業/NTTぷらら
この時熊井氏は、トップの判断の重みを痛感すると同時に、初代総長・世耕弘一氏のある言葉を鮮烈に思い出したそうです。熊井氏は、20代で水産研究所浦神実験場の立ち上げを任命された際、初代総長に昆布の養殖を勧められました。とっさに「昆布は北海道など寒い地方でないと難しいです」と断ったところ、後日、初代総長から封書が届きました。中身は、「瀬戸内海で昆布の養殖の試験をはじめた」という新聞記事。驚いた熊井氏は「若気の至りで軽率なことを申し上げました」と平謝りしました。すると初代総長から「不可能を可能にすることが研究ではないか。」と声をかけられ、その言葉は熊井氏の心に深く刻まれたのでした。
今一度、不可能を可能にする研究に打ち込もう。原田先生の遺志を継いで、クロマグロの完全養殖を必ず実現させよう。そんな熊井氏の決意と皆の努力が天に届いたのか…、1994年(平成6年)7月、クロマグロが、12年ぶりに産卵しました。
(最終回に続く)
■小芝風花主演、近大マグロをアツく育てる青春ドラマ「TUNAガール」
(ひかりTV、大阪チャンネル配信中)
(ネットフリックス世界配信中[英語字幕])
・「TUNAガール」サイト
・予告編
(C) 吉本興業/NTTぷらら
■教授・学生のインタビュードキュメンタリー「海を耕す者たち~近大マグロの歴史と未来~」も同時配信中
この記事を書いた人
安田真奈(監督・脚本家)
大学映画サークルで8㎜映画を撮り始め、メーカー勤務の後、2006年、上野樹里×沢田研二の電器屋親子映画「幸福(しあわせ)のスイッチ」監督・脚本で劇場デビュー。同作品で第16回日本映画批評家大賞 特別女性監督賞、第2回おおさかシネマフェスティバル 脚本賞を受賞。2017年「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」、2019年「TUNAガール」監督・脚本の他、NHKドラマ「やさしい花」(文化庁芸術祭参加)脚本担当など、参加作品多数。
公式サイト
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