2020.10.07
「近大マグロの、父と母。」最終回 マグロの嫁入り
- Kindai Picks編集部
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小芝風花さん主演ドラマ「TUNAガール」の監督・脚本をつとめた安田真奈氏が、近大マグロ誕生に至る養殖研究について、原田輝雄教授(故人)と、かをる夫人の素敵なエピソードを交えながらご紹介します。
連載記事
▼第1回 原田氏、近大水研へ
▼第2回 海を耕したくても
▼第3回 養殖の父&白浜の母
▼第4回 ブリの子守
▼第5回 夫婦で突進
▼第6回 究極の養殖魚
▼第7回 傷つきやすいダイヤ
▼第8回 魚飼いのプライド
▼第9回 不可能を可能に
▼最終回 マグロの嫁入り
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ほとんど家族
「近大マグロは、原田夫妻のご苦労無しには、決して実現できなかった。」本コラムは、そう語る方があまりに多かったことからスタートしました。原田輝雄氏は、ブリの完全養殖やクロマグロの人工ふ化など、「不可能を可能に」して、国内外から「養殖の父」と呼ばれた稀代の研究者。妻のかをるさんは、研究・経営・教育に奔走する原田氏を支え、学生たちにも「白浜の母」と慕われた名サポーター。生前、原田氏は「学生たちは我が子のようだ。」と語ったそうですが、かをるさんは原田氏が亡くなって30年近く経つ現在も、元学生たちと我が子同然の交流を続けています。
「いろんな学生がいたわねぇ。お腹がすいて餌用の魚を焼いて食べちゃう子、お金を貸したらパチンコですっちゃう子、『みんなにバレないようにコッソリ焼いてください!』ってお肉を持ってくる子…。寮で飼ってた猫を病院に連れて行って、『出世払いね』なんて言いながら治療代の一万円を出してあげたら、海外勤務を経て30年後に返しに来た子もいたわ。『あの頃の先生と奥さんの支えがあったから、今の自分があります…』って、涙ぐみながらね。素直な子、やんちゃな子、マジメな子…、みんな今でもうちによく来るのよ。正月なんか勝手にゾロゾロあがりこんで、飲んで食べてしゃべって酔いつぶれて…、ほとんど家族よねぇ。」
インタビューを受ける原田かをるさん
魚は死をもって抗議する
「養殖を行うからには、天然資源を減らさずにすむ『完全養殖』を目指さねばならない。」そんな原田氏の想いを継いでクロマグロの研究は継続しましたが、人工ふ化させた稚魚が育って次世代を産む「完全養殖」はなかなか実現しませんでした。大きな原因として、致死率の高さがありました。産卵は初夏のみ、卵は直径わずか1㎜サイズ。ふ化して30数日、陸上水槽で飼育し、5~7㎝に成長した頃、海上イケスに「沖出し」します。かなりの成長スピードですが、その間、驚くほど簡単に死ぬのです。泳ぐ力が弱いために、表面張力に負けて水面に張り付いてしまう「浮上死」。浮袋が発達する前に、水槽の底のわずかな汚れに引っかかってしまう「沈降死」。成長差と食欲からおきる「共食い」…。ふ化から沖出しまで、マダイは少なくとも約60%が生き残りますが、クロマグロは平均して5%、研究当初はなんと0.07%という少なさでした。また、成長しても皮膚が弱いため、荒波でイケス網に体が擦れると傷から菌が入って死んでしまいます。最も研究メンバーを悩ませた死因は、「衝突死」です。昼間は元気なのに、朝、イケスを覗くと、骨折するほどの勢いでイケス網にぶつかって死んでいるのです。
「魚はモノを言わない。死をもって抗議するんだよ。」
原田氏の言葉を思い起こしながら、皆で原因を探りました。しかしなぜ猛突進するのか、なかなかわかりませんでした。
餌を食べる近大マグロ
逆転の発想
原因は、停電の夜に判明しました。電気が復活して部屋の灯りを付けた瞬間、水槽のクロマグロが大暴れ。光に過敏な体質だったのです。夜のイケスでの衝突死は、海岸沿いを通る自動車のヘッドライトに驚いたためでした。研究メンバーは、イケスを大きくしたり、正方形から八角形、円形に変えたりして、衝突ダメージを減らす形状を探りました。最終的に解決したのは、逆転の発想です。夜中に照明をつけて明るさを保ち、ヘッドライトで驚かずにすむ環境を整えたのです。完全養殖実現まで、絶対にあきらめない。原田氏の遺志を継承した研究チームの努力が実り…、2002年(平成14年)6月、人工ふ化から育てた成魚が産卵。不可能と言われ続けたクロマグロの完全養殖が、世界で初めて実現しました。
2002年(平成14年)7月5日、「世界初クロマグロの完全養殖達成」発表の記者会見
カリスマの素顔
完全養殖の成功を、原田先生に是非見届けていただきたかった。そんな声が、研究所では何度も聞かれました。氏を懐かしむエピソードは、尽きることがありません。原田氏は、毎日ブルーのジャージに黒ぶち眼鏡、麦わら帽子。時にジャージは裏返し。好物はウナギのかば焼きにアイスクリーム、あんぱん、かっぱえびせん、UCCコーヒー。夜中の2時まで仕事をしても、翌日は早朝出勤するハードワーカー。ピリピリすることはめったになく、笑顔で気さくでマイペース。一方的な指示はせず、自由にディスカッションさせる包容力。しかし持論を展開する時は熱が入り、意見を貫き通す芯の強さも。研究の話になると止まらなくて、披露宴で延々25分。とはいえ饒舌なわけでもなく、講義はいつもボソボソ口調。学生日誌の誤字脱字まで丁寧に指導するけど、整理が苦手で、机はいつも書類の山。見かねた事務員が掃除すると、「ダメだよ捨てちゃ!」と、ゴミ箱から箸袋を引っ張り出してメモを確認。ソフトボール大会では活躍できず、「運動なら原田先生に勝てる!」と皆が大喜び。顔のアザを心配されると「奥さんに殴られたんだよ。」と軽口をたたき、かをるさんに「もう!自転車で橋の欄干にぶつかったんでしょ!」とプンプン怒られる…。研究・経営・教育をマルチにこなすカリスマ性と、人情味あふれるキャラクター。それが、亡くなられて約30年たつ現在も、尊敬と愛惜の念を集め続ける理由かもしれません。
近大マグロ(親魚)と原田輝雄氏
マグロの嫁入り
近大マグロの出荷には、一尾ずつ、「あなたは近畿大学水産研究所の養殖課程を優秀な成績で卒業されお客様にご満足いただけるよう立派に成長したことをここに証します」と書かれた卒業証書が添えられます。レストラン近畿大学水産研究所(グランフロント大阪・銀座・グランスタ東京)でも、マグロの刺身に名刺大の卒業証書が添えられ、「大卒のマグロや!」とお客様が盛り上がる声が聞かれます。近大マグロと選抜鮮魚のお造り盛り
こうしたマグロを人に見立てる演出は、あながち冗談ではありません。研究所の方々は、「あの子はよぉ食べる。あの子はちょっと元気がない。」と、マグロを子どものように呼びます。そして、「丹念に育てたマグロを出荷するときは、箱入り娘を嫁に出すような気持ち」と語ります。これもまた、魚を愛し、大切に育んだ原田スピリッツの継承なのでしょう。
近大マグロの研究開始から成功まで、32年。しかし、原田氏が白浜に着任し、かをるさんが嫁ぎ、夫婦そろって重い網をあげ、生臭い餌を切り、夜通しハマチの耐久性実験をした養殖黎明期から数えれば、約半世紀。そして完全養殖成功も決してゴールではなく、研究は、さらなる高みを目指して今も継続しているのです。
かつて重かった網は、丈夫で軽い化学繊維の網になりました。「生餌の魚も天然資源だ、餌の研究を。」という原田氏の号令から、安全性と栄養に配慮した配合飼料が開発されました。仔魚期の餌であるワムシも飼育され、ワムシの餌となるクロレラも培養され、「餌の餌から育てる」徹底した生産体制となりました。さらには、大豆を使った配合飼料で「マグロをベジタリアンにする」研究も進んでいます。また、原田氏が開発した「薬を使わない」魚病・寄生虫対策は、ますます薬を使わない方向で進化中。優良魚種をかけあわせて成長の速い魚をつくる技術は、バイオテクノロジーの側面からも研究されるようになりました。黎明期から昨今に至る養殖研究を振り返ると、夫妻の言葉が改めて胸に沁みます。
「険しい道と緩やかな道があって二者択一の時は、必ず険しい方を行くんだ。誰も進んだことのない道の方が、苦労は多いけど面白いじゃないか。」
「普通の人が仕事を100するとしたら、主人は150も200も頑張りたい人。だから私が少しでも役に立てたら、と思ったの。それにね、主人はすごく変わってて、要領がよくないのよ。私がそばにいてあげなきゃ、と思ったわ。」
広い視野と高い目標を持ち、研究に邁進した原田氏。夫を信じ、支えつづけたかをるさん。研究の姿勢から、そして生きる姿勢から、我々が学べることは実に多くあるのではないでしょうか…?
来たる10月10日は「マグロの日」。今度マグロを見かけたら、是非、想いを馳せてみてください。
養殖の魚が食卓にあがるには、昭和から平成を経て令和に至る、多くの人々の努力があったことを。
そしてその背景には、近大マグロの父と母の、厳しくも楽しい、突進の日々があったことを。
(終わり)
■小芝風花主演、近大マグロをアツく育てる青春ドラマ「TUNAガール」
(ひかりTV、大阪チャンネル配信中)
(ネットフリックス世界配信中[英語字幕])
・「TUNAガール」サイト
・予告編
(C) 吉本興業/NTTぷらら
■教授・学生のインタビュードキュメンタリー「海を耕す者たち~近大マグロの歴史と未来~」も同時配信中
この記事を書いた人
安田真奈(監督・脚本家)
大学映画サークルで8㎜映画を撮り始め、メーカー勤務の後、2006年、上野樹里×沢田研二の電器屋親子映画「幸福(しあわせ)のスイッチ」監督・脚本で劇場デビュー。同作品で第16回日本映画批評家大賞 特別女性監督賞、第2回おおさかシネマフェスティバル 脚本賞を受賞。2017年「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」、2019年「TUNAガール」監督・脚本の他、NHKドラマ「やさしい花」(文化庁芸術祭参加)脚本担当など、参加作品多数。
公式サイト
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