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2025.08.09

新卒で万博のマルタ館副館長に?幸運を手繰り寄せた、堀木千歌さんの話

Kindai Picks編集部

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大阪・関西万博
マルタ
パビリオン
オリジナル記事

今回話を伺ったのは、近大からも約40名の学生ボランティアが参加する大阪・関西万博2025のマルタパビリオンで副館長を務める堀木千歌さん。今年3月に近大を卒業したばかりの彼女は、とある女性との不思議な巡り合わせから、大手企業の内定を辞退し万博で働く決意をしたそうです。どのような経緯で働くことになったのか、そして日々どんな業務をこなしているのか、気になることを色々聞いてきました!

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180°運命が変わったマルタ人女性との出会い

堀木千歌さん
堀木千歌
高校卒業後、専門学校の編入学コースを経て、近畿大学経営学部経営学科に3年次編入。在学中は、自費でアイルランドとマルタへの語学留学を経験。ゼミ活動では企業と連携したプロジェクトマネジメントを学び、リーダーとしてまとめ役を務める。その後、就職が決まっていた大手企業の内定を辞退し、大阪・関西万博2025のマルタパビリオンでチームリーダーとして勤務することに。日々の頑張りが認められ、5月中旬に副館長に昇格。

――今日はよろしくお願いします!堀木さんは在学中、どの学部で学んでいたのですか?

専門学校で2年間勉強したのち、経営学部経営学科に3年次編入しました。母が長年花屋で働いていて、私はそんな母の姿を見て育ったんです。「将来は自分で花屋を起業・経営し、母に“自分の花屋”をプレゼントしたい」と強く思ったことをきっかけに、実践的かつ実学的に経営を学べる経営学部経営学科を選びました。

――3回生のとき近大に編入されたんですね。学生時代はどのように過ごしていたんですか?

編入後は3回生と4回生の間で休学し、アイルランドとマルタに合計8ヶ月留学しました。

――どうしてアイルランドとマルタへ?少しニッチな国ではありますよね。

どちらも日本人が少ない英語圏の国なんです。元々書道をしていて、日本人が少ないからこそ書道でコミュニケーションが取れるチャンスがあるのかなと思い、あえてニッチな国を選びました。同じヨーロッパの島国ですし、文化の比較などもしやすいのかなと。

――編入後、割と早い段階で休学されたということですよね。どんな思いで留学を決めたんですか?

専門学校で過ごした2年間は、編入試験のためにずっと勉強していて。元々シャイな性格で、留学するまで海外に行ったこともなかったのですが、近大への編入をきっかけに挑戦したい気持ちが芽生えました。近大に合格したことが人生で一番嬉しくて、それが自分の自信につながったのかなと。3年次編入の場合、単位認定される近大のプログラムでの留学が難しく、休学して自費で留学することを決断しました。それに、3年の後期にはすぐに就活が始まってしまうので、できるだけ早く決めなきゃというのもあって。「学生のうちに海外に行くべき」という教授たちのアドバイスにも背中を押されました。

――堀木さんの留学に対して、親御さんはどんな反応をされてましたか?

最初は「ありえへん。誰がお金を出すと思ってるの?」という感じでした。なので、アルバイトをして資金を貯めて、エージェントも自分で決めて留学しました。


笑顔で語る堀木さん

――大変な思いをしてでも留学に行きたかったんですね。留学先ではどのように過ごしていたんですか?

アイルランドとマルタの語学学校に通っていました。当初は1ヶ月ずつ滞在する予定でしたが、マルタの語学学校で「インターンシップをしてみないか」とオファーを受けて、合計8ヶ月間滞在することになりました。ストリート書道をしたり体験イベントを企画したり、自分なりに活動していた私の姿を見て声を掛けてくれたみたいです。

結果的には3回生と4回生の間の1年間休学をし、4回生から復学しました。就職活動は休学中の12月頃から始めたのですが苦戦しまして。60社近く受けて4回生の秋まで頑張った結果、「東芝」から内定をいただきました。

――めちゃくちゃ大手企業……。就職活動もすごく努力されたんですね。

内定をいただいた2週間後くらいに、大阪・京橋のワークスペース『QUINTBRIDGE』でマルタの方を招いてのビジネスセミナーがあって、ゼミの先輩に誘われて行ってみたんです。そこで出会ったのが、現在マルタパビリオンの副代表を務めているジョセフィンさんでした。彼女に、私がマルタに留学していたこと、マルタで働いた経験があることをお話しました。

そして翌日、ジョセフィンさんが大阪・関西万博でのマルタパビリオン学生ボランティアの募集セミナーを近大で行うということで、私も参加したんです。そのセミナーには200名の学生が参加していたのですが、彼女に呼ばれて急遽登壇することになりまして。マルタの魅力や留学時の取り組みなど、マルタにまつわるスピーチを即興でさせていただきました。

――急な登壇にスピーチ。行動力がすごいですね。

偶然はこれでは終わらず、翌日、当時アルバイトをしていた関西国際空港でマルタに帰国するジョセフィンにばったり会い、3日連続で偶然出会うというミラクルを感じました。


マルタ館クルーの集合写真
マルタ館クルーの集合写真。右が堀木さん、左から3番目が副代表のジョセフィンさん。

――不思議なご縁があるものですね。

まさにミラクルな3日間でした。その後、卒業が間近に迫った4年生の1月頃に大学の廊下を歩いていると、またもジョセフィンさんにお会いしまして。大阪・関西万博でのマルタパビリオン学生ボランティアに参加が決まった40名の学生に向けた事前セミナーで来校しているとのことでした。「とりあえず聞いて行きなよ」と彼女に勧められるがまま私も一番後ろの席に座って参加したんですが、彼女が話すマルタパビリオンのコンセプトや建物へのこだわり、業務内容などを聞いているうち、「私もやってみたい」という気持ちが0から100に動いてしまって。セミナー終了後、「私は内定を辞退してここで働きたいです」と誰にも相談せずジョセフィンさんに伝えました。


マルタパビリオンの外観壁面
マルタパビリオンの外観。壁面には古代遺跡やマルタの風景、伝統的なタイルの柄などの映像を投影している。

――セミナーの中で心を動かされるお話があったんですか?

「Catch the Wave, Catch the Opportunity」というジョセフィンさんの言葉です。マルタパビリオンが機会を創出するだけじゃなく、働く皆さんが色んな機会をゲットしてほしいと。楽しいことばかりだと人生はつまらなくなってしまう、色んな波があるから人生は面白い、と。その言葉が胸に刺さって一気に吸い込まれてしまいました。

3日連続でジョセフィンさんに遭遇するという不思議な巡り合わせもあり、「この方と一緒に働きたい」「マルタという国に恩返しがしたい」と強く思うようになりました。マルタへの留学経験は、私の人生を大きく変える出来事でした。帰国後も、マルタでお世話になった方々に対して何らかの形で恩返しがしたいという気持ちを抱き続けており、今回のパビリオンでの活動が、その第一歩になると感じています。

――その後はどのように話が進んでいったんですか?

ジョセフィンさんにマルタパビリオンで働きたいと伝えると、「大切なことだからよく考えて。だけどもし来てくれるなら、あなたをチームリーダーとして雇いたい」と言っていただきました。ありがたいことに、彼女も私との巡り合わせを感じてくれたみたいで、一緒に働きたいと思ってくださったようでした。私の心はすでに決まっていましたが、それを母に話すと猛反対を受けました。

――親御さんからすると青天の霹靂ですよね。娘が安定した生活が保障されている大手企業の内定を辞退して、半年間限定の万博に勤務することになるなんて。

その時点では給与や福利厚生などの契約条件もわからない状態だったので、心配もあったんだと思います。母に反対されたことをジョセフィンさんに話すと、彼女が母と直接お話する機会を設けてくださって。彼女と母、私の3人で3時間ほど話した末にようやく母にも納得してもらえて、卒業後の3月からマルタパビリオンでの勤務がスタートしました。


マルタと日本の甲冑と写る堀木さん
1862年に日本がマルタに寄贈した甲冑(右)と、1610年頃に制作されたマルタ騎士団の甲冑(左)の展示と共に。

――きっと熱意が伝わったんですね。マルタパビリオンでの普段の業務内容も教えてください。

メディア対応、イベント企画、VIPアテンダント、スタッフのビザ申請、スタッフ採用、学生ボランティアのトレーニングなど、幅広い業務に携わっています。マルタ人のスタッフさんを関空まで迎えに行ってアパートに案内したり、ときにはアパートの管理もこなします。


マルタの伝統的な女性の衣服「オネッラ」を現代アートに落とし込んだ作品
マルタの伝統的な女性の衣服「オネッラ」を現代アートに落とし込んだ作品。

――1日の業務の流れってどんな感じなんですか?

とある1日を例に挙げるなら、9時前に出勤してオープン準備。その後、要人の方をアテンドして食事のセッティング。取材対応をして館内を巡回し、翌日から始まるイベントの準備。毎日やることが違うので、バタバタしていますがとっても刺激的です。

――初めてのことばかりだと思いますが、そこに対する不安はなかったんですか?

正直なところ、最初は本当に不安でした。私は社会人経験もないですし、VIP対応があるとも聞いていたので、果たして私にその役目が務まるのだろうかと。だけど、できないならできないなりに精一杯やるしかないと考えて、私なりに全力投球してきました。


新石器時代の坐像
「母なる女性」「豊穣の女神」などと呼ばれる新石器時代の坐像。儀式に使われていたと推測されている。

――堀木さんはチームリーダーとして採用されて、現在は副館長を任されています。どのような経緯があったのですか?

万博の開幕後、5月ごろにジョセフィンさんがマルタに一時帰国するタイミングがありまして、日本に戻ってきた際、「チームリーダーから副館長に昇給したよ」と伝えてくれました。マルタパビリオンで幅広い業務をこなす中での頑張りを評価し、昇給を掛け合ってくれたそうです。業務内容は今までと変わりませんが、副館長の名前に恥じない仕事をしたいと考えています。


工芸品などの展示
工芸品などを展示するコーナー。近くに設置されたQRコードを読み込むと、オンラインショップで買い物もできる。


ゼミ活動や書道の経験が今に生きている

堀木さん

――働く中で苦労したことなどはありますか?

マルタや万博のスタッフさん、日本人の学生さんといいチームを作るのは、言語の壁や文化の違いがあって大変でした。微妙なニュアンスの違いで思うようにコミュニケーションが取れないこともあって。そんな中でも、できるだけ密にコミュニケーションを取ることで、マルタパビリオンのみんながハッピーに過ごせるよう工夫しています。

――ちなみにですが、これまでに大人数をまとめた経験はあったのですか?

経営学部のゼミ活動の中で、企業と連携したプロジェクトマネジメントを学んでいて、そこでリーダーを務めていました。小さなタスクを計画的に管理して、最終的に大きなプロジェクトの達成につなげるという手法です。私は留学時にストリート書道をしたのですが、その目標を達成するために、場所探し、ワークショップ、集客のための発信など、さまざまなプロセスを考えて達成までの道筋を明確化し実現につなげました。そんな大学時代の経験も、今に生きているのかなと思います。

――ストリート書道!とっても興味深いです。もう少し詳しくお話を聞かせてください。

語学学校でワークショップやレッスンを行いながら書道のライセンスを取得して、ストリートでの書道パフォーマンスを達成しました。海外の方の名前を漢字に置き換えたり、好きな言葉を書いたり、留学中は書道を通じて400名以上の方と関わることができました。明確なプランもないままスーツケースに書道道具と浴衣だけを詰め込んで、体当たりで取り組んだのですが、自分が得意とする書道をコミュニケーションツールの一つとして生かすことができました。


書を持つ語学学校のクラスメイト

書を持つ語学学校のクラスメイト
語学学校のクラスメイトに書をプレゼント。

また、語学学校のインターン生として働く業務の一つに毎日のイベント企画がありまして、浴衣を着たり折り紙をしたり、寿司の文化を伝えたりする「ジャパニーズナイト」というイベントを開催していました。最初は参加者が少なかったのですが、最終的には50名の学生さんに参加していただきとても嬉しかったです。


ストリート書道の様子
ストリート書道の様子。多くの人が堀木さんを見守っています。


書道ワークショップの様子
書道の楽しさを伝えるワークショップ。


折り紙の様子
生徒たちが真剣に折り紙と向き合う「ジャパニーズナイト」のワンシーン。


将来は、日本とマルタの架け渡しになりたい

笑顔で語る堀木さん

――万博が始まって3ヶ月ほど経ちますが、ご自身の成長を感じる部分はありますか?

色んな経験をして“強くなった”と感じています。最初は「いいパビリオンを作らなければ」という使命感から、完璧を求めてしまっていたんです。だけど、思うようにいかないこともたくさんあって、常にフレキシブルにいるためには、完璧にこだわらずできることを全力でやるべきなんだなと。柔軟性を大切に、余白を持って日々の業務をこなす大切さを学びました。


マルタパビリオンの近大スタッフたちと堀木さん
左から、近大卒業生のフルタイムスタッフ、堀木さん、現役近大生のボランティアスタッフ、インターンシップ中の現役近大生。

――万博の閉幕後はどうするか決めてらっしゃるんですか?

まだしっかりは決めてないですが、マルタで働きたいと考えています。良くも悪くもノープランなので、色んな可能性があるって感じですね。当初は万博閉幕後、秋入社で元々内定していた「東芝」に就職しようかとも考えたんですが、そうするとこの半年間で生まれた可能性を閉ざしてしまうことになるのかなと。もちろんリスクはありますが、あえてその道を絶ったことで、自分の可能性を広げてみることにしました。

――自分の可能性を信じる道を選んだと。具体的にマルタでやりたいことはありますか?

日本とマルタの架け渡しになりたいなと。マルタは観光業がメインなので、双方の行き来につながる産業を増やしていきたい。マルタの強みが詰まったこのパビリオンで、私自身もマルタの歴史や産業、文化を学び、将来の糧にできればと考えています。


マルタパビリオンのカフェで働くシェフと堀木さん
マルタパビリオンのカフェで働くシェフと一緒に記念撮影。

――堀木さんの今後がとっても楽しみです。最後に、大学生だった当時の自分にどんな言葉を掛けてあげたいですか?

やりたいことがあれば、まっすぐに突っ走ってほしい。可能性の振り幅を自分で決めず、常に心のドアをオープンにして、色んな人とつながって色んなことを学んでねと。視野を広くすることで、無限の可能性が広がっていると思います。

――興味深いお話をたくさんありがとうございました!


ツナ、オリーブ、ケッパーのフトゥーラ
ユネスコ無形文化遺産にも登録されているマルタの伝統的なパンを使用。ツナ、オリーブ、ケッパーのフトゥーラ 1,800円



マルタの伝統的なおやつ。


この記事を書いた人
取材・文:六車 優花
写真:山元裕人

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