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近大人

2025.11.13

祝 「鳥貴族」創業の地での営業継続決定! 創業者の大倉忠司社長と青木繁則社長の東大阪から世界へ向けての挑戦

Kindai Picks編集部

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オリジナル記事
鳥貴族
起業
インタビュー

創業40周年を迎えた人気焼鳥居酒屋チェーン「鳥貴族」。 海外進出も積極的に行い、いまや直営店・フランチャイズ店合わせて国内663店舗、海外に20店舗、合わせて683店舗(※2025年9月現在)を展開中の居酒屋チェーンです。楽しい飲み会のお店に選ぶ人も多いですよね。 そんな「鳥貴族」は近畿大学近くの「俊徳道」駅前からスタートしたのをご存知でしょうか?これは近大生と何か関係があるに違いない! と、「鳥貴族」創業者の大倉忠司社長と近大法学部出身で創業当時はアルバイトとして働き、今や社長となった青木繁則社長にお話を伺いました。 聞き手は近畿大学実学社会起業イノベーション学位プログラムの学生で、株式会社やるかやらんか代表取締役の西奈槻さんです。

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青木繁則社長(左)・大倉忠司社長(中央)・西奈槻さん(右)

大倉忠司社長
大倉忠司さん

鳥貴族 創業者
株式会社エターナルホスピタリティグループ 代表取締役社長 CEO

1985年に起業し東大阪市内に「鳥貴族」1号店を開店。全国に数百店舗を構える焼鳥チェーンへと成長した。現在では海外展開に力をいれ、アメリカ・台湾・韓国・香港・中国・上海に出店している。



青木繁則さん
青木繁則さん

株式会社エターナルホスピタリティジャパン 代表取締役社長

1987年に近畿大学法学部法律学科を卒業。在学中にアルバイトとして「鳥貴族」で働き始め、卒業と同時に入社。以後、大倉社長とともに「鳥貴族」の成長を支えた立役者。


≫鳥貴族 公式サイトはこちら


〈聞き手〉
西 奈槻さん
西奈槻さん

株式会社やるかやらんか 代表取締役

農学部3年生だった2020年、コロナ禍をきっかけにならまちの隠れ家・麻婆豆腐ラーメン専門店『すするか、すすらんか。』を開業、2021年には近畿大学内で2店舗目を経営。その翌年には株式会社やるかやらんかを設立。現在、近畿大学実学社会起業イノベーション学位プログラム2年生。


≫株式会社やるかやらんか 公式サイトはこちら
≫Kindai Picksの西さんの記事はこちら


東大阪から世界へ!

大倉社長と青木社長にお話を聞いた場所は「鳥貴族」の創業の地「俊徳道駅」のすぐ近くに復活オープン した「鳥貴族1号店」の2階にある「鳥貴族記念館」。

鳥貴族1号店外観
鳥貴族1号店外観

鳥貴族の「この街から、世界へ」。という鳥貴族の創業の精神と、挑戦と成長の軌跡を見ることができます。鳥貴族の歩みがわかる年表や、創業当時のメニュー、ノベルティグッズなどを展示しています。
「鳥貴族1号店」・「鳥貴族記念館」は当初2025年10月31日までの期間限定のオープンでしたが、多くのお客様にもご来店いただき、継続して営業をすることが決定しました。

西さんが鳥貴族記念館でお二人を待っていると、「こんにちは」とすらっと背の高い、ひと際目立つ紳士が現れました。鳥貴族の創業者、大倉忠司社長です。
その後ろからはニコニコと笑顔を絶やさない温かさがにじみ出ている青木繁則社長が入っていらっしゃいました。それでは対談スタートです!

鳥貴族記念館
鳥貴族記念館では創業40周年の歴史を知ることができる

「うぬぼれ中」の書やノベルティグッズ
大倉社長が自ら書いた「うぬぼれ中」の書やノベルティグッズが並ぶ

年表を見て思い出話をする大倉社長と青木社長
年表を見て思い出話をする大倉社長と青木社長

大先輩に前のめりでお話を聞く西さん
大先輩に前のめりでお話を聞く西さん


鳥貴族が開業した40年前。当時の近大の様子は?

西さん
西さん
本日はありがとうございます。大先輩である大倉社長と青木社長に若手経営者の立場でお話を伺っていきます。よろしくお願いします。

大倉社長
大倉社長
よろしくお願いします。

青木社長
青木社長
よろしくお願いします。

西さん
西さん
創業40周年を迎えて、SNSもSUPER EIGHTの大倉忠義さんとコラボしてバズっていますね。

大倉社長
大倉社長
息子の力を借りて!(笑)

創業当時のお話をする大倉社長
創業当時のお話をする大倉社長

≫鳥貴族創業40周年特別サイトはこちら

西さん
西さん
青木社長は創業当時は近大生で、鳥貴族でアルバイトをされていたそうですね。

青木社長
青木社長
鳥貴族には創業してから1年後にアルバイトとして働き始めました。
その前に、大倉さんが店長として働いていた焼鳥屋でアルバイトをしていたんですが、そこを辞めたタイミングでお声かけしていただき、鳥貴族で働くようになったんです。

西さん
西さん
大倉社長から見て、青木社長はどんな学生さんだったんですか?

大倉社長
大倉社長
長崎県の五島列島から出てきて「僕は絶対社長になる!」とよく言ってましたね。
で、実際に今、鳥貴族を運営する株式会社エターナルホスピタリティジャパンの社長になっていますからね。(笑)

青木社長
青木社長
40年かかりましたけどね!(笑)

西さん
西さん
40年前の近大ってどんな雰囲気だったんですか?

青木社長
青木社長
当時は男子の割合が多くて、応援団が有名でしたね。大学内は体育会系の学生が幅を利かせていましてね、声をかけられるのが嫌で嫌で仕方なかったですね。
長瀬からの「親不孝通り」(近大通り)を歩いていると、突然「うちに入らへんか?」って言われて部室に連れていかれて、名前を書かされたこともあります。同じ寮のウエイトリフティング部の先輩に相談して助けてもらいました。
あと、大学の指定の寮が凄かった。3畳一間でそのうち1畳分が物置なので実質2畳の部屋で、風呂なしで共同のトイレと炊事場だったので、今思うとすごい所で暮らしていましたね。
半年ほどで寮を出て、引っ越し屋さんや交通調査員などのアルバイトをして部屋を借りていました。そして大倉さんが働いていた焼鳥屋さんでも働くようになったんです。

大倉社長
大倉社長
私が焼鳥を教えてもらった師匠の店ですね。だから私たちは兄弟弟子になるんです。

近大に通っていた頃の話をする青木社長
近大に通っていた頃の話をする青木社長


当時、俊徳道はパッとしない街でした・・・。

西さん
西さん
40周年で1号店の復活。本当にここにあったんだなと驚いています。
なぜ俊徳道に店を出そうと思ったんですか?

大倉社長
大倉社長
本当は八尾に出したかったんです。いつもは車で八尾に物件を探しに行ってたんですけど、気分転換で電車で行こうと歩いていたら、地元(俊徳道)の商店街に「貸店舗」が出てたんです。不動産屋さんに電話をしたら、耳を疑うような家賃の安さで、当時でも相場の3分の1ほどやったんです。10坪で4万3千円!もう一度聞きなおしましたからね。
でも当時は俊徳道駅周辺は何もなく、パッとしない 街だったんです。私は地元なのに駅前商店街の居酒屋には行ったことがなかったし、若い子が来るような場所ではなかったんです。

青木社長
青木社長
僕も俊徳道駅は使ったことなかったですね。

西さん
西さん
でも俊徳道に店を決めたんですよね。

大倉社長
大倉社長
家賃に惚れてしまってね。(笑)
一番最初、お店は私と2人の近大生のバイトでオープンしたんです。そのうちの1人は今も鳥貴族のフランチャイズのオーナーをしています。青木君はその1年後にバイトで働きに来ることになりました。前の焼鳥屋さんを辞めたと聞いたので、「うちで働いてみないか?」と誘ってみたら、ふたつ返事でOKと言ってくれたんです。
鳥貴族1号店は近大生に囲まれてスタートしました。

現在の近鉄俊徳道駅と駅前の様子
創業店があった俊徳道駅のロータリーの一番端のマンホール


なんじゃこりゃ?これが焼鳥屋の名前か?看板も黄色いし。

西さん
西さん
なんで「鳥貴族」って名前にしたんですか?

大倉社長
大倉社長
創業の時から全国展開を目標にしていました。当時、焼鳥と言えば「やきとり大吉」が凄くて、関西を中心に全国200店舗以上も展開していたし、また「やきとり大吉」を真似るお店も出てきて、あの雰囲気の店がすごく多かったんです。「やきとり大吉」の客層は中高年層でしたが、私は若者、特に女性にも利用してもらえる店舗にしたいと考えていたので、しゃれた名前をと思い、パッと浮かんだのが『貴族』やったんです。お客様を“貴族扱い”、つまり“大切にできる”意味もあるなと思い、この名前にしました。

西さん
西さん
すばらしいですね!!

大倉社長
大倉社長
ありがとうございます!西さんに褒められた!成功しそうや!(笑)

西さん
西さん
もう成功してます!!!(笑)

笑いが絶えない対談
笑いが絶えない対談

西さん
西さん
青木社長は、「鳥貴族」って屋号を聞いた時どう思いましたか?

青木社長
青木社長
焼鳥屋の屋号とは思えなかったですね。店のロゴも独特で「なんじゃこりゃ?」って思っていました。看板も黄色いしね。

大倉社長
大倉社長
黄色にしたのは、色に関する本を読んでたら、人間工学的にハッと注目する色は黄色と赤色って書いていたんです。外資系の飲食店の看板は黄色と赤色が多いし、信号も「赤は止まれ」、「黄色は注意」にも使われてると。「よし!黄色と赤でいこう!」と決めたんです。流通しているフォントよりもパッと目を引く字にしたくて、ロゴは自分でデザインしました。出来上がったら中華料理屋さんに間違われるんではないか?と心配にもなりましたけど。(笑)でも当時の居酒屋ではありえない看板になりました。

鳥貴族ロゴ

青木社長
青木社長
制服も新しさがありました。居酒屋は法被っていうのが当たり前だったんで、Тシャツにエプロンってあり得なかったんですよ。これも若者向けの意識ですよね。

大倉社長
大倉社長
法被や作務衣は新鮮さがないなあと思っていましたからね。
私が当時25歳で、バイトが大学生たちだったので、徐々に若い男性も女性も来てくれるようになりました。

鳥貴族の制服
鳥貴族の制服はTシャツにエプロン。当時では珍しい服装で営業をしていた

鳥貴族のTシャツ
鳥貴族記念館にはTシャツがずらり


最初の転換点!全品250円均一は不景気に強かった!!

大倉社長
大倉社長
若いお客様が来てくれるようになったきっかけの一つはやはり「全品250円均一」でしたね。オープンから1年ほどたった時に始めたんですが、当時はそんな均一価格が珍しかったこともあると思います。どんどん近大生も来てくれるようになりました。
嬉しかったんですが、一つ困ったのが・・・近大の柔道部がよく来てくれるようになったことですね…。

西さん
西さん
まさか暴れるんですか?!

大倉社長
大倉社長
いえ、めちゃくちゃ食べるので焼くのが追いつかないんです(笑)。
他にもウエイトリフティング部の学生さんも常連さんで、そんな子たちが5人も来たら途端に追いつかなくなりました。
困ったことはそれくらいで、近大生はすごく礼儀正しくて、飲み方もいい印象ですね。
当時は学生さんが来たらあえて上からしゃべるんですよ。だんだん弟分みたいにしていきました。(笑)「この焼鳥、あっちのお客様に出してきて。」とか、忙しくなってきたら他のお客様のを先に出すんです。「マスターまだ?」って言われても「もう出してよかったん?」とかね。そうすると僕らには甘えてくれてる、特別扱いされてるって喜ぶんですよ。

大倉社長
当時の近大生にとって兄貴分みたいな存在だった大倉社長

西さん
西さん
250円均一のアイデアはどこから生まれたんですか?

大倉社長
大倉社長
実は当時、長瀬駅の駅前に炉端焼き屋さんがあって、そこが230円均一だったんです。
それが衝撃的ですべて同じ値段なの!って。それからその店のファンになりまして、将来自分がお店を持った時、均一価格にしたら絶対に人気が出るやろなとずっと温めていたんです。すぐにできなかったのは、原価率計算できないじゃないですか。
当時でも仕入れ価格の3割を乗せるのが飲食店の基本なので最初はようせんかったんです。でも開店から1年間ずっと赤字で、このままだと潰れるとなった時にエイヤー!とやれたのが正直なところですね。でも最初は1店舗だけの仕入れだったので原価率が高くて厳しくて。徐々に売上が上がり粗利益が出てきたことで回るようになり、そこから2店舗3店舗と店を出すたびに仕入れコストが下がるので、利益がしっかり出てきましたね。

青木社長
青木社長
均一価格にしてから、お客さんが増えていったのが嬉しかったですね。元々150円、200円、300円の3プライスだったのが250円均一になり、計算がしやすくなったんで楽になりました。(笑)

起死回生の経営アイデアに興味津々な西さん
起死回生の経営アイデアに興味津々

西さん
西さん
手ごたえを感じるようになってからはどうしていったんですか?

大倉社長
大倉社長
利益を自分たちだけでとるのではなく、その分お客様にも還元しようと、メガジョッキのドリンクや貴族焼きなどの喜んでいただける商品開発をしていきました。
「これも250円か!」とびっくりしてもらえるメニューを作るのも大事なんです!
その反面、「これが250円か…」っていうのもある。メリハリがあるとお客様は喜んでいただけるんですね。

西さん
西さん
そこは原価調整ですもんね。

大倉社長と青木社長

大倉社長
大倉社長
1990年代初めにバブルがはじけたんです。当社は5店舗目を出した頃でした。それまでは物件の保証金も家賃も高くて出店できる場所もほとんどなかったんです。しかしバブル崩壊後は保証金で約5分の1、家賃は約2分の1になったんです。やっと出店しやすくなり、鳥貴族のビジネスモデルに合致しだしたのを確信したので、私は現場に出るのを卒業して、出店攻勢をかける事に専念していきました。


大倉社長と一緒に歩んでいく青木社長の覚悟

西さん
西さん
鳥貴族のこのような流れを、青木社長はどんな気持ちで見ていたんですか?

青木社長
青木社長
実はアルバイト時代に大倉さんからいろんな話を聞いていたんです。ダイエーの中内功さんの話やマクドナルドの藤田田さんの話を。大倉さんと一緒に仕事をしていくと何か面白いことがあるんじゃないのかなって思って見ていましたね。
そのまま鳥貴族に就職することにしました。新卒採用第1号です。(笑)

大倉社長
大倉社長
今やったら不採用やな!(笑)

青木社長
青木社長
ええ?! (笑)

驚く青木社長

西さん
西さん
ええ?!(笑)
大倉社長は、なぜダイエー中内さんやマクドナルドの藤田さんの話をしてたんですか?

大倉社長
大倉社長
22歳の時に独立する前に働いていた焼鳥店の社長から「大倉君、一緒に大きな焼鳥チェーン店を作っていこうよ。」って誘われたんです。「将来は大チェーンの専務か…これは勉強せなあかん!」と思って、急に経営に関する本を読み漁ったり、経営者のセミナーに行ったりして、知識をつけて行ったんです。それを青木君らに話して共有して、将来の夢を語って、説得して、騙してね!(笑)

西さん
西さん
騙してって!それも経営戦略ですよね。

大倉社長
大倉社長
いえ洗脳です。(笑)とにかくビッグマウスでしたね。(笑)

大倉社長

西さん
西さん
お二人は辞めようと思ったり、立ち止まったりしたことはないんですか?

青木社長
青木社長
あります。自分のテンションが下向きだった時期があって、お店の売り上げが低迷していくと「自分は役に立てていないな。」って思う時があったんです。その時はもう辞めた方が良いかなと思ったこともありました。

大倉社長
大倉社長
彼のモチベーションが下がってる時期はわかっていました。現場を離れてバックオフィスの業務につきたがっていたことも。でもそれを叶えてあげることができずに、もうちょっと頑張ってくれと、説得して引き留めていました。

西さん
西さん
大倉社長はどうですか?

大倉社長
大倉社長
私はありませんね。全国チェーンを目指すっていう夢を語って、みんなを巻き込んだわけですし、特に青木君は近大からそのまま就職してくれて、その覚悟を見たわけですから、私にはすごく責任があります。立ち止まれないし諦めることはできなかったですね。

社長たちの話を聞く西さん""


海外で1500店舗!国内で2000店舗が目標?!

西さん
西さん
これからの目標を聞かせてください。

大倉社長
大倉社長
私はグループ全体のCEOで、青木君は日本の鳥貴族のトップなので、核になってる国内の事業を拡げて、どんどん稼いでいただいて、その利益を海外進出に使わせていただきたい。(笑)
昨年で一気にグローバルに振りぬけたので、2030年には海外事業の売り上げが国内を抜くぐらいになりたいですね。
2030年は国内で1500店舗超え、海外でも1500店舗が目標です。
それでこそ真のグローバルカンパニーかなと。

西さん
西さん
すごい数ですね!日本国内ではどうですか?

青木社長
青木社長
国内は2030年には、直営とフランチャイズ合わせて1000店舗、将来的には2000店舗を出すつもりですよ!

西さん
西さん
2000店?! 実際に出すところはあるんですか?

青木社長
青木社長
地方のポテンシャルはすごいし、店舗サイズを小さくしたりしたら出せる所はまだまだあります!

西さん
西さん
焼鳥以外の新業態も考えておられますか?

大倉社長
大倉社長
考えてはいますが、2030年までは焼鳥で当面の目標を目指します。それ以降は海外で行ける業態を加えていく予定です。
あ、近大の学食に店舗をだせないですかね?(笑)

西さん
西さん
いいですね!みんな喜びますよ!あ、でもお酒が出せないです。

大倉社長
大倉社長
お酒を出さなくても、食事だけでも勝負ができるモデルが見えてきてますから。(笑)実際海外では外食はフードとアルコールは9:1くらいで提供しています。
居酒屋文化があるのは日本と韓国くらいです。

西さん
西さん
では学食でも行けますね。大学に推薦しておきます。(笑)

大倉社長
大倉社長
実はね、さらに大きな目標があるんです。それは火星に出店すること。

西さん
西さん
火星?!

大倉社長
大倉社長
はい(笑)
だから、火星の画を飾って目標にしています。


場所を変えて、鳥貴族1号店(俊徳店)のカウンターでお話を伺いました!そこではなんと!大倉社長自ら焼鳥を焼いてくださいました!!

創業当時の様にカウンターに立つ大倉社長
創業当時の様にカウンターに立つ大倉社長

焼鳥を焼く大倉社長
「久々に焼くわ、緊張するな」と言いながら焼鳥を焼く。その目は真剣。

西さん
西さん
大倉社長が焼いてくださるんですか!

大倉社長
大倉社長
せっかくなんで。創業店ではこんな感じに立って、焼いて、近大生と話をしていました。

西さん
西さん
なんか贅沢すぎて恐縮です。


日本食は海外に出せる立派なブランドだ!

西さん
西さん
鳥貴族は飲食業界を牽引していく立場ですが、10年後の飲食業界はどうなっていると思われますか?

大倉社長
大倉社長
日本食はブランドとして確立していますから、今以上に需要が出て、海外進出する企業も増えるでしょう。日本食は輸出産業のトップになる可能性がありますよね。

青木社長
青木社長
日本は毎年、中核都市1つ分の人口が減ってるんです。だから10年後は人と人のつながりを強く濃くしていかないといけない。そんな中でビジネスのチャンスを捕えたらまだまだ行けるだろうとみています。

焼鳥を焼く大倉社長

西さん
西さん
僕自身、近大で学生がラーメン店を出店するプロジェクトに関わっているんですが、将来海外でラーメン屋を出したいという学生が増えているんですよ。海外で日本食のお店を出すことについて、価値をどう伝えるか僕自身も悩んでいまして。大倉社長はどうお考えですか?

大倉社長
大倉社長
鳥貴族が海外で活躍することで日本食が世界のブランドになり、日本食ってすごいんだなと影響を与えていきたいと思います。その為の人財は大事で、現地での人財育成もしなければなりません。海外でも適応できる人財を育成する教育システムが必要ですね。

西さん
西さん
海外に出てみて何か気づいた事ってありますか?

大倉社長
大倉社長
意外と鳥貴族には海外に適した人財が多かった事ですね。現地の文化を受け入れられて、どんどん発信していける人財が、海外で活躍できると考えています。
実は、現在の海外戦略を進めている当社の小吹雄一郎(CFO兼CSO)が「鳥貴族はハードが強いというのはわかっていましたが、ソフトも強いですよね。海外に行ってくれてる社員は現地のパートナーにも認めてもらえるような人財が多いですし、そういう人財が育つ社風ですよね。」と言ってくれてるんです。嬉しいですね。

西さん
西さん
鳥貴族に入社したら海外で活躍できる場がありますね。

大倉社長
大倉社長
そしてより醸成されます(笑)


若い人たちへのメッセージ

西さん
西さん
最後に学生や若い起業家に向けてメッセージをお願いします。

大倉社長
大倉社長
「挑戦するリスクより、挑戦しないリスクの方が大きい」というのをいつも伝えさせてもらっています。アニマルスピリッツをもって挑戦しましょう!

青木社長
青木社長
勉強も大事だけど、社会経験としてアルバイトでいろんな経験をしてほしいです。一番近い社会への接点ですしね。

大倉社長
大倉社長
西さんからは?

西さん
西さん
僕ですか?!
僕は大学生という時間を謳歌するのも大事だと思いますけど、社会に出るこの4年間で準備するのも挑戦するのも、早ければ早い方が良いと思っています。とにかく視野を広げる活動をやっていってほしいですね。


東大阪への想い

西さん
西さん
最後に東大阪への想いをお聞かせください。

青木社長
青木社長
元々五島列島から出てきて、圧倒的に大阪にいる方が長くなりましたから、第2の故郷というか、もう第1の故郷ですね。

大倉社長
大倉社長
生まれ育った街だから何か貢献出来たらいいなという想いが強くあります。ふと立ち返る時に、原点になった俊徳道や布施に来ることがあります。特に1号店のあった所に行くと、「ここまで来たんだな」と思うし、その反面「まだまだだな!」と自分自身に言い聞かせています。


対談を終えて・・・

大倉社長と青木社長のオーラに圧倒されました。
大倉社長の大きな夢に惚れた青木社長。大倉社長は若い時の「ビッグマウス」に巻き込んでしまったとおっしゃっていましたが、実現していく実行力の凄さと、お互いを信頼しあっているお二人の関係が素敵でした。
今でもすごい結果を出しているのに、さらに上へ行こうとしている姿がかっこいい。鳥貴族さんが僕たちに背中を見せてくれてるなと思いました。

ちなみに大倉社長の創業時の“推しメニュー”は鶏の首の部分の「ネック」だそうで、骨が付いたまま串を刺してトウモロコシの様にして食べていたそうです。残念ながら今はないメニューで現在は「貴族焼のタレ」がイチオシ! 
青木社長の当時の“推しメニュー”は「ひざ軟骨」。こちらも今はありません。現在は「かわたれ」がイチオシなんだそうです。


【鳥貴族1号店(俊徳店)】
住所 大阪府東大阪市永和一丁目26-22 1階
営業時間:日曜日~木曜日 17時~22時
金・土・祝前日 17時~23時  
※ご利用は2時間制(L.O.は終了20分前まで)
※ご予約は承っておりません

【鳥貴族記念館】
住所 大阪府東大阪市永和一丁目26-22 2階
開館時間:木~日曜日 15時~19時 
第1部:15:00~ 第2部:16:00~ 第3部:17:00~ 第4部:18:00~
※予約制となりますので事前にご予約の上ご来館ください。
※各部の定員は最大10名様までとなります。
休館日:月~水曜日、年末年始、その他臨時に定める日
入館料:無料
詳しくは 鳥貴族記念館サイトにてご確認ください
https://map.torikizoku.co.jp/detail/100000/


この記事を書いた人
徳田 博丸
脚本家、放送作家。吉本新喜劇の脚本、演出を20年務め、放送メディア、CMなど多数制作に携わる。ハリウッドの演技手法で芸能人や一般向けの表現指導を行い数々の経営者などを指導。沖縄の伝統芸能の普及と子どもたちの食支援の「みらいチケット」事業にも参加協力している。


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