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雑学・コラム

2025.12.17

ローマ字表記をヘボン式に改定。「si」→「shi」、「hu」→「fu」へ。そもそもローマ字はいつ、どうやってできた?

Kindai Picks編集部

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オリジナル記事
ローマ字
日本語
ヘボン式

普段何気なく使っているローマ字ですが、そのつづり方に関する国の目安が約70年ぶりに改定されます(2025年12月22日内閣告示の見込み)。1954年に内閣告示された「訓令式」から、現在、一般に広く使われている「ヘボン式」へ変わるというのです。ローマ字はクレジットカードや駅名看板、道路の案内標識などにも使われています。そこで、なぜ改定が行われるのか、そもそもローマ字とはいったいなんなのかといった疑問を、近畿大学文芸学部文学科日本文学専攻の深澤愛准教授に伺いました。

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深澤愛
深澤 愛(フカザワ アイ)
文芸学部 文学科日本文学専攻 准教授
専門:日本語史
近代日本の書き言葉に関する研究を行っています。以前は日本語書記体系における片仮名の歴史的展開を研究対象としていました。近年は文体の歴史、特にジェンダーと書記言語との関わりに関心を持っています。

教員情報詳細


「ヘボン式」になって、何が変わるの?

深澤先生

ーーまず、今回の改定で何が変わるのか教えてください。

深澤先生
深澤先生
端的に言えば、1954年に内閣告示された「ローマ字のつづり方」の第1表、いわゆる「訓令式」のローマ字と、第2表の「ヘボン式」が融合したような形になります。

ローマ字のつづり方 文化庁「ローマ字のつづり方 第1表・第2表」 (1954年内閣告示)より

深澤先生
深澤先生
たとえば、サ行の「si」は「shi」に、タ行の「ti」は「chi」、「tu」は「tsu」に、ハ行の「hu」が「fu」になります。
五十音図に含まれない音の表記も変わります。ザ行の「zi」は「ji」に、シャ行の「sya」は「sha」に、チャ行の「tya」は「cha」に変わったのです。


訓令式からヘボン式へ

改定ローマ字のつづり方文化庁「改定ローマ字のつづり方(答申)」 (2025年)より

深澤先生
深澤先生
長音(のばす音)の表現も少し変わります。たとえば「Tôkyô」といった、長音の母音の上に符号「^(サーカムフレックス)」をつける表記はあまり見かけなくなりましたが、引き続き、符号をつけて表記する方法が採用されました。ただし長音符号は「^」の代わりに「¯(マクロン)」を使います。公共の看板などに広く使われているためです。また、符号をつけなくてものばす音であることがわかるようにするため「kaasan(母さん)」のように、母音の字を並べて書いてもよいことになりました。


ーー「のばす音」といえば、ドジャースの大谷翔平選手はユニフォームに「OHTANI」と記載していますが、これは何式・・?

深澤先生
深澤先生
実は、「OHTANI」という表記はヘボン式でも訓令式でもありません。「おおたに」を国のつづり方にならえば、「ŌTANI」もしくは「OOTANI」になりますが、人名や地名、団体名に関しては、当事者の意思を尊重するというのが今回の改定の姿勢です。 日本語では、たとえば「おばさん」と「おばあさん」では意味が変わり、音の長さが重要ですが、英語ではそれほど重要ではありません。「東京」を「Tokyo」と表記したりしますよね。ですから、「おおたに」をアメリカ人に理解しやすいよう表記するだけなら「OTANI」で問題ないのですが、「おお」と読むのだと直観的にわかってもらおうとして「OH」になったのかもしれません。王貞治さんのユニフォームも「OH」でしたよね。


実生活に影響は・・ほとんどない!?

ーーいま生活の中で実際に使っているのは「ヘボン式」で、「訓令式」は、ほとんど見かけませんね。

深澤先生
深澤先生
そうですね。道路標識や駅名看板などは、ヘボン式がほとんど。パスポートもヘボン式ローマ字で表記することが旅券法で定められています。ローマ字を訓令式で習う小学校三年生の教科書には、ヘボン式の表記についても書かれており、ヘボン式はこれまでも広く受け入れられていました。今回の改定は、国の目安を実態に合わせていこうということでしょう。

道路標識

ーーそういえば、パソコンのローマ字入力では「ち」を「ti」と打っています。もしかして、これは使えなくなるのでしょうか?

深澤先生
深澤先生
いいえ、引き続き使えます。今回改定されたローマ字のつづり方と、情報機器のローマ字入力は別ものだと答申にはっきり書かれているので、今後発売されるパソコンやスマホなどの変換機能に制限が出るようなことも全くありません。


ーー安心しました。すでに社会には「ヘボン式」が浸透しているのに、なぜ、今さら国の目安を変えるのでしょうか。

深澤先生
深澤先生
今回「改定ローマ字のつづり方」の答申案をまとめたのは文化審議会。文部科学大臣や文化庁長官の諮問を受けた機関です。文化庁では、ローマ字だけではなく、仮名遣いや常用漢字などの指針を示しています。「これが正解だ」というわけではなく、混乱が生じにくいように、よりどころにできるガイドラインのような位置づけですね。

これまで約70年も国の目安が変わらずにきたのは、影響がそれほど大きくなかったからでしょう。私の名前も「Fukazawa(深澤)」で、小学校の特に訓令式で習った「Hu」が「Fu」とも書けるのかという、その程度のことでした。

ところが、インターネットが普及し、特にここ10年くらいで世界中の情報が一気に入ってくるようになり、SNSなどで、さまざまな団体や個人が世界に日本文化を発信する機会も増えましたよね。でも音とともに発信しようとするとき、たとえば「花鳥風月」をどうローマ字で表記するか、目安がないと際限なく表記が出てきてしまいます。個人が最初から考えるより、目安があったほうがわかりやすいですし、読む方にとっても混乱が減ります。


日本人も無意識に使い分けていた「s」と「sh」の発音

深澤先生

ーーヘボン式が主流になると、海外の人はどう見るのでしょう?

深澤先生
深澤先生
ヘボン式の表記は、英語を母語とする人の耳に聞こえている音の表記に近いので、日本語が理解しやすくなるでしょう。たとえば、英語圏の人が訓令式の「si」を読むと、「sea」に近い発音になります。一方、ヘボン式の「shi」は「she」に近いですから、訓令式の表記では、少々混乱を与えていたかもしれません。


ーー日本語をしゃべる人間にとっては、「si」も「shi」も同じ「し」ですが、英語を母語とする人には、違って聞こえるんですね。

深澤先生
深澤先生
それが、単純に「日本人には違いがわからない」とは言えないんです。少し専門的な話になりますが、頭の中にある言葉の音(言語音)と、口をついて出てくる言葉の音は違い、実は日本語を母語とする人も、「さ」「す」「せ」「そ」を発音するときの子音には「s」、「し」を発音するときの子音には「sh」というように、口をついて出てくる音では無意識に使い分けているんです。頭の中では「おなじサ行の子音だ」と思っているのですが。

もっとわかりやすい例をあげましょう。「難波」を英語の発音に近い表記にすると「Nanba」ではなく「Namba」です。「近大」は「Kindai」。それではためしに「なんば」と言ってみてください。唇はくっつきますか?

ーー難波(なんば)……くっつきます。

深澤先生
深澤先生
では次に、「きんだい」と言ってみてください。唇はくっつきますか?


ーー近大(きんだい)……くっつかないです!

深澤先生
深澤先生
「m」は唇をつけないと発音できませんが、「n」はつけなくても発音できます。私たちは無意識に、「難波」「本町」などb、m、pの前の「ん」を、「m」と発音しているのです。頭の中では「m」も「n」も同じ「ん」の音だと思っているにもかかわらず、です。

私たち人間は、生まれてから6カ月までぐらいまでは、すべての音が違って聞こえていて、言語の聞き分けもできているんです。成長するにつれて周囲で話される言葉で運用されない音は抜けていくのですが、まったく消えてしまうわけではありません。「ん」を発音するときに出てくる「m」と「n」のように、聞き分けられないけれど無意識のうちに発音し分けている、といった音も中にはあるんです。

なんば駅看板 大阪メトロ なんば駅の駅名看板

ーー今回の改定で、「難波」の表記は「Namba」に変わらないのですか?

深澤先生
深澤先生
今回は変更されません。「ん」は全て「n」と表記するのが目安です。実際の駅名や道路標識はb、m、pの前の撥音に「m」を使うのが一般的になり、発音に近い「Namba(難波)」や「Nippombashi(日本橋)」などがすでに採用されていますが、これらのつづり方が十分に定着しているとは言い難く、日本語を主に用いる人にとって聞き分けたり書き分けたりすることが難しいので、できるだけ複雑にならないようにとの考えです。


ーーつまり、今回の「改定ローマ字のつづり方」も「これが正解」というわけではなく、あくまでもローマ字を表記する際のよりどころということですね。

改定ローマ字のつづり方 文化審議会「改定ローマ字のつづり方(答申)」


ローマ字は、400年前からあった!?

ーーそもそもローマ字とはどういうものなのでしょうか。

深澤先生
深澤先生
ローマ字は、日本語を母語としない人にも伝わるように、アルファベットを使って日本語を表記するものです。ですから基本は、日本語の発音を、できるだけわかりやすく外国人(日本語を母語としない人)に伝えるために作られています。


ーーということは、ローマ字が使われるようになったのは、鎖国が解かれた明治維新以降でしょうか?それとも戦後でしょうか?

深澤先生
深澤先生
それが、歴史はもっと古いんです。今回話題になっているのは明治時代に作られたローマ字がルーツですが、ローマ字を「アルファベットで日本語を表記したもの」とするならば、1592年に刊行された『天草版平家物語』や、1603年に刊行された『日葡辞書(にっぽじしょ)』も、ローマ字が用いられた本です。
『日葡辞書』は、日本語をポルトガル(葡萄牙)語で解説したもので、『天草版平家物語』は、日本人修道士の不干ハビアンが編纂したものです。どちらも、ポルトガル語などを母語とするキリスト教の宣教師が日本で布教活動する際、日本語を勉強するために使われました。
こうした書物(キリシタン文献、キリシタン資料)は、現在数十種が確認されています。ただ、中には世界にたった1冊だけが残っているという本もあり、キリシタンへの弾圧の影響をうかがわせます。


ーーそこから何百年もの間、ローマ字は使われていたのですか?

深澤先生
深澤先生
いいえ。江戸時代になって鎖国政策がとられると、外国語で書かれた日本語の辞書は不要になり、ローマ字のような文字も廃れます。
今回の改定で話題になっているローマ字のルーツは、鎖国が解かれた後の明治時代のもので、外国人に向けてというより、日本語を母語とする者、つまり日本人が、自分達の言葉をどの文字で書いたらいいのかという議論がスタートです。
この時代には教育が公のものとなりましたから、国語教育において、漢字は何文字学ばせるかとか、仮名文字は何を学ばせるとか、最初から考えなければなりませんでした。漢字を学ぶのは大変なので、漢字を廃止して代わりの文字を使ったほうがよいのではないかと議論になったとき、ひらがなやカタカナだけでなく、ローマ字も候補にあげられたんです。もし本当にローマ字が採用されれば、今ごろ文を全てローマ字で書いていたかもしれませんね。仮名も漢字も千年以上の歴史があるものですから、廃止にはなりませんでしたけれど。


ローマ字を作ったのは誰?

ーーでは、現在の基礎になるローマ字を提案したのは、どういった人たちなのでしょうか?

深澤先生
深澤先生
ローマ字を提案したのは、「羅馬字会(ローマじかい)」です。社会学者であり教育者でもある外山正一が中心となって明治18年に創立されました。
明治時代になると、突然さまざまな国との交流が活発になり、多くの人が戸惑いました。外山正一はそれに先んじた幕末にアメリカ留学をしていたので、外国人との交流や英語に長けていたはずです。
また、『A Romanized Japanese Reader(ローマ字日本語読本)』の著者で、イギリス人のバジル・ホール・チェンバレンも提唱者の一人です。チェンバレンは日本研究者として有名で、現在、朝の連続テレビ小説で取り上げられているラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とも親交がありました。
英語になじみがある人と英語が母語の人が提唱したので、日本語を英語の発音とスペリングを意識したつづり方で表記する案が出されたのでしょう。


ーーところで、「ヘボン式」という名称の由来はなんなのでしょう?

深澤先生
深澤先生
羅馬字会の提案したローマ字は、アメリカ人宣教師のジェームス・カーティス・ヘボンが中心になって作った和英辞典の『和英語林集成』第3版で、日本語の見出し語を示すのに使われました。そこで「ヘボン式」と呼ばれるんです。

和英語林集成 J.C.ヘボン著『和英語林集成』第3版(1886年)の復刻縮刷版、『和英語林集成 (講談社学術文庫 477)』(1980年、講談社)

ーーでは、羅馬字会が提唱したローマ字はヘボン式だったのですね。それなのになぜ、訓令式のつづり方が当時の主流になったのでしょう。

深澤先生
深澤先生
実は、明治時代に使われていたローマ字は、さまざまなものがありました。その中で「日本式」と呼ばれていたものが、訓令式の前身です。
日本式を考案したのは物理学者の田中舘愛橘で、五十音図に基づいた表記法でした。日本人は5つの母音と10の子音の組み合わせで音節を理解していますから、ローマ字も五十音図にあてはめるのが合理的です。日本式ローマ字には、「kwa」や「gwa」といった、現代の私たちには読みにくい表記もあり、それぞれ戦前に使われていた「くわ」「ぐわ」という仮名づかいに対応していました。「くわ」「ぐわ」が本来表していた「くゎ」「ぐゎ」という発音は、江戸時代にはすでに廃れて「か」「が」と同じ発音になっていたようですが、たとえば「観音」は古くは「くゎんのん」と発音されていたんです。
でも、いろいろなローマ字が入り乱れていては混乱するので、1954年に「ローマ字のつづり方」が内閣告示されました。訓令式表記は第1表に記され、第2表にヘボン式の表記が記されていますから、ヘボン式を完全否定するのではなく、ローマ字で発信しようとする人のために、ローマ字表記のよりどころを作ろうという主旨だったと思います。


ローマ字の起源に想いを馳せて

深澤先生

ーーローマ字は先人たちが長い歴史の中で工夫して作りあげてきたんですね。

深澤先生
深澤先生
漢字、ひらがな、カタカナを持つ日本が、ローマ字という表記を新たに持ったのは、外国人とコミュニケートするための工夫です。他の言語と接点がない限り生まれないものですから、ローマ字表記があるということ自体が、日本語が他言語と接点をもっていた証であり、漢字や仮名とはまた違う日本語の姿をローマ字が映してくれています。 たとえば、1592年に刊行された『天草版平家物語』では、「平家」を「FEIQE」と表記しています。これは当時の日本人が「平家」を「ふぇいけ」と発音していたからだと考えられます。ローマ字を見れば、その当時の日本語の発音が見えてくるのです。
今回の改定をきっかけに、日本語のおもしろさにも気づいてもらえたらうれしいですね。


取材を終えて

生活の中で、ローマ字を使う機会はそんなにはありません。クレジットカードの名義人を入力するときや、海外の友人に手紙を送るときに、固有名詞をローマ字に変換するときくらいでしょうか。でも、もしかしたら、遠い未来の日本人がそれを見て、「21世紀の日本では、この単語をこんな風に発音していたのだな」と驚くかもしれません。これからは、「日本語を映す鏡」としてのローマ字を意識しようと思いました。

参考
文化審議会「改訂ローマ字のつづり方(答申)」
天草版平家物語

この記事を書いた人
上江洲 規子
神話や伝説が好きで、古代史や民俗学の観点からの執筆が得意です。学校案内や社内報などで、若い人からお話を聞く機会が多く、若者の文化を知りたいと心がけているのですが、私的なやりとりでは、おばさん構文です。


取材・執筆 上江洲 規子
編集 アール・プランニング

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