2026.03.04
異界や呪物への“誤解”を解く!民俗学的視点からあぶり出す、人がうまく生きるための“心の技術”とは

- Kindai Picks編集部
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テレビアニメやゲームなどで頻繁にテーマとして取り上げられる「異界」や「呪物」。一見すると妖怪や化け物といった存在を想起させる言葉ですが、民俗学的な視点からとらえると、そこには往年の人々の苦悩や祈りが込められていることが分かります。今回は近畿大学OBで、大阪歴史博物館の学芸員として民俗学を調査・研究する俵和馬さんにインタビュー。誤解に満ちた言葉のリアルについて、詳しく語ってもらいました。
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展覧会は「異界のあらわれ」「怪異と幻想」「祈りと願い」「生と死」の4部構成で行われた
その謎を解き明かすべく訪ねたのは、大阪歴史博物館で学芸員を務める文芸学部出身の俵和馬さん。「民俗漫談家」を名乗り、2023年に特別企画展「異界彷徨 ―怪異・祈り・生と死―」を手がけた俵さんは、異界や呪物を単なる恐怖の対象ではなく、人が生きるための「心の技術」であると分析します。現代のホラーブームの底流にある、日本人の精神性に迫りました。

異界ってどんなところ? その源泉は人の心にあった

――俵さんは「異界展」の企画に携わられました。まず最初に聞きたいのですが、そもそも異界とはどのような概念なのでしょうか?
異界に向けられるおどろおどろしい印象を解くための展覧会でもあったのですが、シンプルにいえば私たちがいるところとは異なる世界のことを指します。この世に対するあの世がもっとも分かりやすい例ですが、実はその定義はもっと広い。家の中に対する外、自分の住む村に対する隣村も、「異界」の範疇に入ってきます。いずれも普段いるところに比べて分からないことが多い世界というのが共通点です。
――意外と私たちの身近にあるものなんですね。
必ずしもオカルト的な意味に限定されるものではなくて、「知らない」「理解できない」という分析軸が重要です。ちなみに異界という言葉が一般化したのは1970年代に入ってからで、比較的最近のことなんです。
――そんなに最近のこととは。これまた意外です。

文化人類学者で『異界と日本人』などの著作がある小松和彦先生の功績が大きいと思います。先生は構造主義的なアプローチで自分たちが知らない場所、すなわち異界について分析しました。文献や伝承をひも解くと、妖怪や幽霊が出現するのは異界との「境界」である例が多く見られます。古く日本人は未知なる世界に近い「不安定」な場所に、人知を超えた存在が現れると考えたのです。橋や玄関は、内と外を分ける境界の分かりやすい例ですね。玄関にお札を置く風習があるのも、そこが異界との境界と考えられてきたからです。
――知らないことをうまく飲み込むために、異界という概念が生み出されたと。
そうですね。とにかく理解できないことは怖い。ただ、民俗学をやっている身からすると、妖怪や幽霊そのものにはあまり惹かれないんですよ(笑)。むしろ怪異や民間信仰が生み出される構造にこそ興味がありますね。
民家の軒先に設置された魔除けを目的としたアワビの貝殻
――構造ですか。
はい。たとえば、近畿大学のある東大阪市内にも分かりやすい例がありますよ。
Osaka Metroの長田駅近くにある西堤神社には、地域を荒らしていた伝説上の大蛇の鱗をまつる「鱗殿」があります。このあたりは低湿地帯である一方で、瀬戸内海式気候なので雨が少なく、人々はたびたび祠から御祭神の水神と鱗を取り出して雨乞いをしていました。つまり、長田をはじめとする大阪の気象条件から、人々の行動をうながす構造が見えてくるわけです。

西堤神社の空池に建立された鱗殿
――なるほど。天に向かって祈りを捧げるという行為は、異界とのコミュニケーションを図っているようにも思えますね。
疫病や災害をもたらす怨霊をまつって平和を祈る御霊信仰からも分かるように、異界の住人と呼ばれる人たちは、古くから雨を降らせるような超人間的な力を持つとされてきました。人の力ではどうにもならないことを祈るのは、ごく自然なことなんです。
――味方につけると強いというか、それだけの力を持つと考えられていたわけですね。
日本人的な心理構造といえるかもしれません。キリスト教は一神教なので、たとえば一般的な動物が聖なる力を持っているとは考えにくい。先ほどの鱗殿も、もとは村を荒らしていた大蛇の鱗をまつっていますからね。
――確かに、日本には八百万の神様がいるとも考えられています。
そうです。我々と同じ喜怒哀楽を持った魂が万物に宿ると考えるアニミズムが影響していると思います。感情があるととらえれば、相手が認めるような行動を取れば味方をしてもらえるという思考も成り立ちますからね。異界は人の心の持ちようから生じるものなんです。
呪物や呪術は怖くない! 実は身近な祈りのあり方

――呪物や呪術については民俗学的にどのように位置づけられるのでしょうか?
やはりこちらも呪物を使って人を呪い殺すとか、まがまがしい方向で解釈されがちですが、必ずしもそうとは限りません。鱗殿での雨乞いも呪術ですし、その際に使われる鱗は呪物です。
――異界や神様とコンタクトを取るための術が呪術、そこで用いられる道具が呪物ということですか?
はい。呪術とは広い意味でのまじないなんです。呪物はまじないに使われる道具ということですね。呪術の目的は呪殺である場合もあれば、疫病退散や火除けというケースもあります。子どものころ、靴を飛ばして天気を占ったじゃないですか。あれだって立派な呪術、つまりまじないなんです。
――ということは靴が呪物ということになりますね。急に呪術が身近なものに感じられてきました。
何も特別なものではないですね。もう一つ例をあげるとすると、節分の豆まきにしてもいえることで、あれは季節の変わり目という「時間的な境界」に現れる魔物を追っ払う呪術です。
――時間や季節にも境界が見出されると。
夕方に妖怪が出るとされるのも同じ理屈です。昼と夜の中間という宙ぶらりんな時間帯は、こちらの世界とあちらの世界がまじわる「汽水域」のように考えられてきました。ここに人々は不安を感じ、さまざまな呪術を駆使して対抗手段としていたんです。
――呪術は「安心して生きるために編み出された知恵」ともいえそうですね。

コロナ禍が明けて最初に開催された少彦名神社の神農祭。毎年11月に病除けを祈願する
そうですね。呪術は優れた「心の技術」だと思います。繰り返しになりますが、人は理由が分からないことが何より不安なものです。ウイルスの流行や地震にしたって、いまだったら科学的に説明がつくじゃないですか。とはいえ、前近代はそうした理解のしようがなかった。だから、人々は異界の住人の仕業と解釈することで自分自身を納得させていたんです。そのうえでまじないを使って災厄が降りかからないように対策していたと。
――エビデンスと予防法がほしかったというわけですね。
あとは神様への感謝を表す場合もありますね。お正月には鏡餅を供えるじゃないですか。あれだって、もとは年神さまにその年の米の収穫を感謝してお供えするためのものなんです。いまでこそするっと年中行事の中に入り込んでいますけど、起源をたどれば民俗的な目的意識が働いていた。効果のあるなしにかかわらず、まさに習慣としてしみ込んでいたからこそ、現代にまで残る風習になっているんです。

ヒイラギのトゲとイワシの臭気で鬼を追い払う節分のヤイカガシ
――無意識のうちにやっていることにも祈りや願いが込められていたと。
だから、呪術はごく普通の人の営みともいえるんです。それを実行する私たち自身も呪術師ですよ。節分に鬼を追い出すなんて、もはや陰陽師じゃないですか(笑)
“異なる世界”やまじないの時代的な移り変わり

江戸時代の黄表紙『江戸生艶気樺焼』より、虫除け祈願のお札を描いた一節
――ここまでの俵さんの話を聞いて、ずいぶん見方が変わってきました。ちなみに異界や呪術の考えはいつごろに生まれたものですか?
心の動きによるものなので断定はできませんが、ヒトの脳が大きくなって想像力が豊かになったときには生まれていたかもしれませんね。例を挙げるなら、古代の埋葬では遺体の胸に石を抱かせるケースがあった。あれは死者が起き上がってくるかもしれないという恐怖心に由来するものですから。
――なるほど、死という概念が定まりきっていなかったがゆえの行動なんですね。
そうです。ただ、時代が下って江戸時代の後期ともなると、妖怪の存在や呪術の効果は半ば信じられないようになっていました。これには徳川吉宗が『諸国産物帖』の編纂(へんさん)を命じて、諸大名に日本全国の動植物を記録させたことが強く影響していると思います。いわば博物学の走りともいえる出来事で、そこから科学的な思考が広まるようになりました。
――分からないことが分かるようになって、異界や呪物に注がれる眼差しも変わっていったと。
ただ、おもしろいことに文化13年(1816)には浜松歌国という人が『願懸重宝記(がんかけちょうほうき)』という書物を刊行しています。これは、いわば大阪におけるパワースポットのガイドブックのようなものです。

目神八幡のご利益について紹介するページ
たとえば、北野の目神八幡が取り上げられています。目の病気をした人が参拝して、回復すれば八幡神の眷属※(けんぞく)であるハトの土人形を奉納してお礼参りをします。
※眷属:神や仏に仕え、付き従う者
――この場合は土人形が呪物ですね。
ところが、興味深いのは八幡神と眼病平癒がくっついてしまっている点なんです。そもそも八幡神は軍神で、目の病気とは関係がない。これはどうやら零細の宗教者が自らの売り込みのために、そういったご利益があるという話を新たに創作したものだと、民俗学者の宮田登先生は説いています。
――かなり商魂たくましい話です。
大阪という大都市はストレスも多いから、人々もこのような本に救いを求めたのかもしれません。遊び半分な部分もあったでしょうけれど、いまでいうパワースポットブームと構造的には共通している感覚でしょうね。
かつて社の下に白い蛇が住んでいたと伝わり、商売繁盛や芸事の上達などを願う人が参拝する白龍大神
――人間って変わらないものだなと思いました。かたや民間信仰として根強いものは生活に組み込まれ続けていると。
そして、お正月や節分にいまも私たちを動かしているんです。これこそまさに民俗そのものだと思いますよ。人の生み出した「ソフトパワー」の働かない世界は、簡素でおもしろみのないものだと思いますね。すがるものがなければ、人間の生活は成立しないかもしれません。心の技術を生み出した先人の歴史には重みがありますね。
人々の暮らす環境に触れて分かる祈りの形

――話は変わりますが、民俗学の調査がどのように行われているかを聞きたいです。
聞き取り調査をはじめとしたフィールドワークが中心ですね。たとえば近大の文芸学部では、いまも継続的に和歌山県紀美野町の人々の暮らしぶりを調査していて、僕も学生時代に参加していました。地元の人に聞き取りをしていると、ふとした瞬間に異界や呪物に関する話題がポロッと出てくることもある。実際、ある猟師の人からは猟に出かける前に必ず立ち寄る立岩大明神という神社があることを教えられて。
――どんな神社なんですか?
雪が降る貴志川のど真ん中で存在感を放つ立岩大明神奇岩信仰に基づく神社です。その名の通り、川の真ん中に巨大な岩がそそり立っているんですが、伝承では岩はもともと横たわっていた。そこに空海を高野山に導いたと伝わる狩場明神という神様が現れて念じたら、岩が立ち上がったというんです。
――いかにも神秘的なエピソードです。
実はそれだけではなくて、この伝承からは環境的な背景が見えてくるんです。というのも、紀美野町のあたりは古くからイノシシに田畑を荒らされてきました。岩が立ち上がったことで、イノシシがそこを登れなくなって射止めやすくなったと。そこから類推すると、この一帯では獣害が顕著だったことが構造的に読み取れますよね。
――信仰の構造に環境要因が反映されているんですね。
はい。狩猟の安全を願うのはもちろんですが、猟師さんは「イノシシも気の毒」という話をしていました。あの感覚はアニミズムだと思いましたね。わなを仕掛けるにせよ、銃で撃つにせよ、イノシシが本当に苦しいか、悲しいかは分からない。それでも魂があると考えるから、畏敬の念を込めて神様に仕事をするうえでの誓いを立てるわけです。

俵さんが紀美野町の猟師から見せられたというイノシシの下顎
――それも呪術の一種といえそうです。
立岩は神様の住む場所だから、異界であるともいえますね。人が生業を営む現場にも、とらえ方次第で異界は生じる。そこにはアニミズムにも通ずる日本人的な「自然観」が息づいていると考えています。
――やはり人の心が果たす役割が大きいんですね。
民俗学は人を対象にしないことにははじまらない学問ですから。異界や呪術を取り扱うにしても、それらを通した地域理解にまで話がおよばないといけないと思います。
――そこに民俗学のおもしろさがありそうです。
そうですね。地域や人を複合的な視点から見つめることで、郷土史の理解がより深まります。地元の人という「先生」に文字に残らない伝承を教われば、狩猟がどれだけ危険を伴うものだったか、害虫の大量発生がいかに住民を苦しめたかといった地域問題が見えてくる。文書化されていない昔話や伝説をひも解けば、災害や飢饉を記録した古文書の内容とリンクしている神様がいることもままあるんです。
近大に学んだ“行動派学芸員”の眼差しの先にあるもの

寝屋川市内にまつられる野神(のがみ)。「農神」が転訛したものとされ、五穀豊穣をつかさどる
――ところで、俵さんが民俗学を学ぼうと考えたきっかけはなんですか?
もともとは理系志望で、動物の研究をしたいと考えていました。ただ、数学がべらぼうに苦手で(笑)。大学の進学先を思案していたとき、民俗学を専門とし、のちに私の指導教員となる近畿大学文芸学部の藤井弘章先生が、ウミガメの利用や信仰を研究していることを知ったのがターニングポイントになりました。
――文系の学問であっても、動物を研究対象にできると。
環境民俗学というアプローチですね。僕の場合、最初は山村におけるイノシシと人とのかかわりを研究するところから民俗学に入っていきました。生業としての狩猟や食べ方にも関心があったし、現地を聞き取りをする中から、先ほどのイノシシを倒すうえでの信仰も明らかになって、どっぷりハマっていきました。
――「公式記録」ではない伝承が歴史に厚みを加えてくれるんですね。
地域の歴史が重層的に見えてきますね。その意味で近大における民俗学研究が、実地調査を重んじる王道的なものだったことの意味は小さくないと思います。泊まり込みでの聞き取り調査をはじめ、実習系の授業の数々はいまでも自分の血肉になっています。だからこそ、フィールドやそこに暮らす人に何かしらの還元をしていくというのが、学芸員としての目標ですね。
――還元というと、どのような活動をされていますか?
現実的な問題として、博物館の収蔵庫は全国的にパンク状態で、なかなか新規の収蔵品を受け入れるのが難しくなっています。それでも寄贈の依頼があれば電話で断ることなく、必ず現地に足を運ぶ。そして、その民具などが地域にとってどれだけ重要なものかを住民の方に説明し、モノや地域文化の希少性を伝えることで現地保存という選択肢も提供しています。
――行動派学芸員ですね。
一般に博物館や学芸員の務めは、資料収集・保存、調査研究、展示、教育普及といわれていますが、僕は体の動く限り現場に出ていきたい。学者先生にならず、フラットな関係性で民俗学的なお返しをすることが使命だと考えています。
――学芸員という立場にとどまらず、現場との関係性を大切にされていてすてきです。最後に、民俗学を志す人にメッセージをお願いします。
民俗学を含めた人文学の世界は、あらゆる興味関心が研究対象になりえます。だから、早いうちから気になる物事にはどんどん首を突っ込んでいてほしいですね。そうすれば自分の視点も豊かになりますから。学問というとハードルが高く感じられるかもしれませんが、身構えずに引き出しを増やしておいてほしいです。

俵さんの話から明らかになったのは、異界や呪物は実はとても身近なもので、それが時代の変遷を経てもなお受け継がれているという事実でした。心の技術という言葉は、人々がよりよく生きる術として超人間的な世界に思いを託していたことを端的に表しています。異界にしても、呪物にしても、決しておどろおどろしいだけのものではありません。民俗学があらゆる事物を対象にするように、より幅広い視点を持つことの大切さが分かる取材でした。
取材・文:関根デッカオ
写真:平野明
写真提供:俵和馬
企画・編集:人間編集舎
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