はじめまして! もうすぐ還暦を迎える、おっさんライターの吉村智樹と申します。いやぁ、まさか自分が無意識に
「ハラスメントする側」に立っているとは思ってもみませんでした。
ある日、突然「ハラスメント」の加害者となったおっさんライター
「ハラスメント」とは、相手を不快にさせたり、苦痛を与えたりするなど、肉体的にも精神的にも人間としての尊厳を侵害する行為のことです。
そして今、さまざまなハラスメントが社会問題になっています。
たとえば――
- 性的ないやがらせをする「セクハラ」(セクシュアルハラスメント)
- 自らの権力や組織内での立場を利用し、いじめやいやがらせをする「パワハラ」(パワーハラスメント)
- 妊娠・出産・育児をする女性に不当な扱いやいやがらせをする「マタハラ」(マタニティハラスメント)
- 企業に対して利用者が理不尽なクレームをつける「カスハラ」(カスタマーハラスメント)
……などなど。
これまで多くの人が我慢してきた迷惑行為が近年、「このまま放置していてはダメなんじゃないの?」と、解決すべき社会課題として浮かび上がってきたのです。
「ハラスメント、許せんな! 自分は誰かにハラスメントする人間にだけはならないでおこう」
そう誓い、気をつけて生活してきたつもりでした。ところが! 自分がよもや「○○ハラ」をするハラ族の一員だったとは。それが、今回のテーマとなる
「マルハラ」です。
「マルハラ」とは、LINEなどのチャットの文末に「。」(マル/句点)を打って文章を硬くさせ、受信した側が、送信者からの「威圧感」や「距離感」、「怒り」を感じてしまうというもの。
かくいう私は、マルのヘビーユーザー。もともと私のLINEの返信は「短文すぎて素っ気なくて冷たい」と評判が悪かったのですが、まさか、怖がられていたとは……。
加えて今回の編集の方からも、「返信が『承りました。』だけなのに、わざわざケツにマルをつけている人なんてはじめて見ましたよ」と珍獣扱い。
だって、マルをつけるのが長年のクセになりすぎていて、それが当たり前だと思っていたんだもの。
LINEの文末にマルをつけて怖がらせていただなんて……
実際に若者たちはチャットの文末のマルをどう感じているのか。マルはなぜハラスメントとまで呼ばれるほどに嫌われるようになってきたのか。それを知りたくて、私は近畿大学東大阪キャンパスを訪れました。
そして、近大生4人と、文芸学部で日本語史を教えている深澤 愛先生をお招きし、このたび「マルは果たしてマル? それともバツ?」に関する座談会を開催しました。
どんな意見がでるのかどきどきします!
チャットの文末がマルだと冷たく感じる
深澤 愛(ふかざわ あい)先生
近畿大学 文芸学部 文学科日本文学専攻 総合文化研究科 准教授 博士(文学)。
日本語史を専門とし、近代日本の「書き言葉」に関する調査を行っている。近年は文体の歴史、特にジェンダーと書記言語との関わりの研究を深めている。
教員情報詳細
佐々木 英美さん
国際学部 国際学科 グローバル専攻 4年生
21歳。
橋元 淳人さん
文芸学部文学科 日本文学専攻言語・文学コース 4年生
21歳。広報室直轄学生団体に所属。
宍戸 一輝さん
経営学部 商学科 マーケティング戦略コース 4年生。
21歳。
日野 莉里さん
国際学部 国際学部国際学科グローバル専攻3年生。
20歳。
前半では若い世代の「マル」の認識や文章の書き方、記事後半では「マル」の歴史を先生に解説していただきました!
吉村智樹
本日はお集りいただき、まことにありがとうございます! さっそくですが、皆さんはLINEなどチャットの文末にマルがついていると気になりますか?
佐々木英美
気になります。マルがついていると、「これはどういう感情?」と不安になりますね。普段はやさしいのに、違う人みたいだと感じます。
橋元淳人
親世代の人からの返信だと「目上の人だと、そういうもんか」とわかるけれど、同年代との日常的な会話のなかでマルがついていたら、僕も冷たさを感じますね。あと「今、不機嫌なのかな」と心配してしまいます。
吉村智樹
私は常にマルをつけるので、完全にマルハラしてる側ですね……。怖がらせてしまって、すみません……。
佐々木英美
いいえ、さすがにハラスメントだとまでは思っていませんよ!
宍戸一輝
僕もハラスメントだとは思いません。上下関係がある場合だとしょうがないし、むしろ丁寧な印象を受けます。
皆さんのやさしさに救われました
吉村智樹
ありがとうございます。ほっとしました。泣きそうです。
宍戸一輝
ただ、対等な関係の相手に「。」を使われたら、「距離を置かれた?」「怒らせた?」と悩んでしまうかも。
吉村智樹
なるほど。マルに対して、心地よい印象がないのは間違いなさそうですね。
日野莉里
そうですね。私もハラスメントだとは思わないけれど、相手によっては「冷たいな」って思います。
宍戸一輝
とはいえ、僕は同世代からマルがついてるメールをもらった経験自体がほとんどないんです。目上の人とLINEのやりとりをする機会もあんまりないですし。
そもそも同年代にマルをつける人はいないと語る
吉村智樹
お話をうかがっていると、お友だちとのやりとりでマルをつけるケースが基本的に「ない」んですね。
佐々木英美
ないです、ないです。目上の人に対してや、かしこまった場ではマルをつける場合はありますが、仲がいい人どうしではないですね。
宍戸一輝
周りでマルを使っている人は、父方の祖母くらいです。母方の祖父母は、最初はマルを使っていたのですが、絵文字に馴れてからは使わなくなりました。
吉村智樹
文末のマルってそんなにレアケースだったんですか(冷や汗)。知らなかった……。
今どきの若い人の文章コミュニケーションのなかでは、そもそもマルをつけること自体がレアケースだと知って言葉を失う
ビックリマークを使う場合は色や本数に心を配る
「マルは果たしてマルか? それともバツか?」で座談会は白熱する
吉村智樹
じゃ、じゃあ皆さんは、文末にはなにもつけないのですか?
宍戸一輝
なんにもつけないと、それはそれで冷たいと思われるので、僕は「!」(ビックリマーク/エクスクラメーションマーク/感嘆符)をつける場合が多いです。以前、後輩からの質問に答えたあとに、「そうですか」とだけ返信されたときがあったんです。あれは「もしかして機嫌を損ねちゃったのかな」と焦りました。そういう経験もあって、つとめてビックリマークを打つようになりました。
佐々木英美
私もビックリマークですね。ビックリマークをつけ忘れたら、あとで「!」だけ送ります。
吉村智樹
ええ! ビックリマークだけをあとで送るんですか。それははじめて知りました。
佐々木英美
送らないと、冷たい人だと思われるかもしれないから。
ビックリマークをつけ忘れたら、冷たい人だと思われないように、あとでビックリマーク単体で送る
橋元淳人
ただ、ビックリマークが赤いと、それはそれで怖いです。
日野莉里
色と、ビックリマークの本数も気にします。あんまりたくさん打つと「ウザがられるかも」と思って、3本くらいに減らすとか。
職場の先輩から届いた連絡事項。重要事項を表すために赤いビックリマークを選んでいると頭では理解していても、やっぱり怖いという意見が(※体験談をもとに編集部で画像を作成しています)
佐々木英美
「1個上の先輩」とか微妙に上下関係があると、難しいですよね。「ビックリマーク、何本にしようか」とか悩む。
吉村智樹
ビックリマークの色や本数にも気をつかわないといけないんですね。
書き言葉に感情を乗せる「新言文一致体」
学生たちのチャットのやり取りに深澤先生も興味津々
吉村智樹
深澤先生、チャットの文末のマルの捉え方に対するジェネレーションギャップは、なぜ生まれたのでしょうか。
深澤先生
小さいときからLINEやSNSが身近にある世代と、そうでない世代との、符号に対する感覚の違いが背景にあるでしょうね。LINEやSNSが身近にある世代は、コミュニケーションを取るうえで言葉に感情を乗せたり、情報だけではなく身振りや表情までも文字に乗せて伝えたりすることをとても重要視しているんです。
深澤先生
そうなんです。だから「。」(マル)のように、それ自体は区切りの意味しかない符号にも、「感情」を読み取ろうとしてしまうようです。無理に会話を切ろうとしているように捉えられて、「怖い」「冷たい」と感じてしまうのだと思います。
「。」(マル)は無理に会話を切ろうとしているように伝わるのではと深澤先生は分析する
吉村智樹
ああ……私はマルを文章の切れ目を表すためにしか使っていませんでした。知らず知らず威圧感を与えてしまっていたんですね。
深澤先生
SNSやLINEのやり取りはスピード感やリズム感が伴い、文字であっても「話し言葉」に近くなっていきます。それなのにマルで切ってしまうと、「もう話したくない」と誤解されるのではないでしょうか。
吉村智樹
チャットやメールに感情を乗せていく表現は、過去にはなかったのですか?
深澤先生
過去には90年代くらいからインターネット上で広まった顔文字があります。
吉村智樹
顔文字は現在も脈々と使われ続けていますね。
佐々木英美
よく使います。「(*`・ω・)ゞリョッ!!」とか。
吉村智樹
「リョッ!!」って「了解」って意味ですよね。それはギリギリ知っています(苦笑)
日野莉里
顔文字は子どものころからずっと使っていますね。ちょっと懐かしい感じがするので、わざと使う場合があります。
レトロな雰囲気がある顔文字を「あえて使う」場合も
吉村智樹
深澤先生、インターネットが普及する以前にはこういった運動はなかったのでしょうか。
深澤先生
もっと古く辿っていくと、70年代から80年代にかけて「話し言葉のような書き言葉」が若い世代のあいだで流行しました。「すご〜い」というふうに「〜」をつけて言葉を伸ばしたり、「困っちゃった!」みたいにビックリマークをつけてみたり、音声に近い書き言葉。当時は斬新だったんです。
吉村智樹
「昔はどうしていたんだ」ってくらい一般化していますね。
深澤先生
日本語学者の佐竹秀雄さんがそれを「新言文一致体」と名づけました。そんな「新言文一致体」がSNSによって一気に花開いたのではないでしょうか。その開花した状態をデフォルトで経験しているのが、現在の若者なのだと考えます。
深澤先生
言葉に感情を乗せるためにビックリマークだったり、顔文字だったり、スタンプだったり、それを使うことが当たり前の文化なんですね。
吉村智樹
70年代に生まれた「新言文一致体」が現代の若者たちによってさらに進化したのですね。
絵文字や顔文字が登場しはじめたガラケー時代はまだメール文のTPOなどが確立されていなかったため、業務連絡などにも絵文字や顔文字が乱立していた(※体験談をもとに編集部で画像を作成しています)
吉村智樹
私はそれが当り前ではなかった時代に育ったから、はじめは顔文字にも戸惑いました。女性からのメールの文末にハートマークが打たれていて、「どうしよう。私、既婚者なんだけど……」って知人に相談したこともあったんです。
一同:わはははは!
吉村智樹
あのハートマーク、単なるマルの代わりだったんですね。
女性からのハートマークにどきどきしていたが、単なる句点の代用で、恋愛感情など微塵もなかったと知る
「長文」「敬語」「標準語」からも生じる威圧感
アルバイト先の店長からグループに届いたLINE。PCメールなど長文に慣れた世代ゆえ、センテンスで区切って送信しないため長文になりがち(※体験談をもとに編集部で画像を作成しています)
吉村智樹
私は「文章の短さ」も評判が悪いんです。返信に10文字を超える場合がめったにないのですが、長文の方がいいでしょうか。
佐々木英美
短すぎるのもよくないですが、私は長文のLINEも苦手です。威圧的に感じますね。
宍戸一輝
僕も長文は抵抗感があります。同級生から絵文字や「!」「…」「?」などが一切ない長文が届くと、意図や感情が読めなくて怖いと感じてしまいます。
同級生から淡々としたメッセージが届くと「感情が読めなくて怖い」と感じる
日野莉里
私も長文は苦手です。LINEって普通のメールと違ってチャット的に会話を楽しむものだから、一人が一方的にバーッと喋っていたら、しんどいなって思う。お母さんからの長文LINEに「圧力」を感じて指摘したら、その日からだんだん文字数が減っていって、今はもう同じ世代くらいの短さになりました。
橋元淳人
逆にうちの親類はLINEが誰に対しても業務連絡だけってくらい短くて、淡々としています。最近はやりとりもだいぶん柔らかくなったけれど、はじめはかたかったです。お互い敬語でした。
「業務連絡っぽかった」というLINEに自分も短文で返信していたそう
吉村智樹
私も敬語で文字を打ってしまうのですが、敬語も威圧感があるようですね。
橋元淳人
敬語もそうですし、標準語にもそれを感じます。関西弁で話している人から標準語のLINEが来たら、自分がなにか距離を取られるような行動をしてしまったのかと不安になりますね。
佐々木英美
私は逆に関西出身ではないので、地元の友だちにLINEするときは関西弁が出ないように心がけています。
宍戸一輝
それはやっぱり、深澤先生がおっしゃってた「書き言葉」と「話し言葉」の違いなんでしょうね。
深澤先生
LINEのように話し言葉に近いツールだと、マルを使ったり標準語だったり、しっかりした文章がフィットしないのでしょう。そこがハラスメントとまで呼ばれる原因になっているのではないでしょうか。
LINEのように会話をするツールだと、しっかりした文章は違和感を生むのではないかと推察する
「相手を傷つけない」ために生まれたチャットルール
吉村智樹
皆さんのお話をうかがって、「相手を思いやる気持ちが過剰なのでは?」という印象も受けたのですが。
日野莉里
う~ん、LINEなど文章だけだと感情が読み取れないし、こちらの気持ちも間違って伝わってしまう、勘違いされる危険性があるから、「相手がどう受け取るか」を常に意識しているんだと思います。ビックリマークやかわいい絵文字を使って、「丸く」伝えたいという部分はありますね。
佐々木英美
たとえば「わかった」だけだと、「了解!」なのか、それとも「はいはい、わかったわかった」なのかが伝わらない。違うニュアンスで受け取られてしまう場合もあります。「怒ってないよー」って気持ちを、ちゃんと届けたい。
日野莉里
喧嘩したあとだと、特に気をつけますよね。
佐々木英美
逆に言うと、喧嘩しているときはあえてマルをつける(笑)。そうすれば、怒ってるって伝わるから。
当たり前に使っていた「。」が、怒りを表現するときに使われるなんて!
吉村智樹
私が知らないうちに、新しい気づかいの世界が生まれているんですね。深澤先生もお感じになりますか。
深澤先生
コミュニケーションを取るうえで「相手を傷つけないようにする」という考え方が強く根づいているように思います。ひいては自分も傷つかないように、学生どうしがとても気をつかっているのを私も日常的に感じます。
吉村智樹
そうなんですね。自分は心配りが足りてなかったな。そこまでまったく考えていなかった。反省です。マルが人を傷つけているのならば、さすがに今後LINEで使うのは控えようと思います。
なんと昭和生まれ。意外と浅かった「マル」の歴史
吉村智樹
そもそもマルには、どのような歴史があるのでしょう。
深澤先生
マルの前にまず文章の区切りを表記したと確認される日本最古のものは奈良時代の書物です。漢文(古典中国語)が日本に渡来し、読み解くために区切ったのがはじまりだとされています。ただ、当時は原文のどこで文章が区切られているのかをわかりやすく書き記したものであり、現在の句読点のように「自分で書きながら打つ」「相手に自分の文章の区切りを伝えるため」のものではありませんでした。
吉村智樹
書き手が文章を書きながら区切るのは、もっとあとなのですね。
深澤先生
室町時代から江戸時代だと言われています。室町~江戸と時代に幅があるため、区切り符号を使う場合は、形も使うタイミングも今のものとはかなり違うことが多かったようです。
深澤先生
そうして明治時代、西洋の言葉が広まり、カンマやピリオドが伝わります。この流れを受け、「日本にも新しい符号が必要なんじゃないか」という動きになり、現在の句読点に近しいものが生まれたと考えられます。明治20年代ころから文筆家たちがこぞって句読点を使いはじめました。ただ、このころは符号の定義がまだなく、作家たちが思い思い、好きなように使っていたんです。
吉村智樹
なんと、現在の句読点の原点は外国語なんですか。
深澤先生
一般の人たちが句読点を知った大きな機会は教科書です。1906年(明治39年)に文部省(現:文部科学省)が国定教科書の基準として「句読法案」を制定し、句読点の使い方をはじめて公に示しました。それでもまだ社会には広まらず、新聞すら句読点を使用する・しないはまちまちでした。
吉村智樹
明治時代でもまだ句読点の用法が定まっていないのですか。句読点の歴史は想像していた以上に浅いですね。
原型ができたのは明治時代? マルの誕生の歴史に一同驚く
深澤先生
教科書や小説では句読点を使うのが一般的になっていましたが、ジャンルを問わずあらゆる文章に「文章に句読点を使うのが当たり前」になったのは実は昭和の戦後です。1952年(昭和27年)に内閣が公用文の表記の改善を目的として「公用文作成の要領」を各省庁へ通達したのがはじまりだとされています。
吉村智樹
えー! 昭和ですか! 句読点ってそんなに最近のものなのですか。
深澤先生
そうなんです。句読点を使いはじめたのは比較的近い時期からですし、そこに感情を乗せるようになったのもごく最近。歴史は浅いんです。
吉村智樹
そうだったのか……。ということはLINEで相手に威圧感を与えないようにマルを使わなかったり、相手を傷つけないように顔文字やビックリマークでやさしい印象になるようつとめたりするムーブメントは、古代から脈々と続く言葉の変化の過渡期だと言えますね。とはいえ、気になるのはメッセンジャーアプリやチャット以外での使用です。マルを打たない習慣は、学校のレポートなどにも波及しているのでしょうか。
深澤先生
いやぁ、少なくとも私が読んできたレポートで、句読点をつけなかったり、絵文字だったり、そういう経験は一度もないですね。「LINEでマルがついていると怖い」と言っている1年生でも、レポートはしっかり句読点を打っています。
吉村智樹
ツールや目的によって器用に使い分けているんですね。それもまた新しい文化ですよね。今日は若者たちが「マル」をどう受け止めているのか、チャットの文末にこめられた想いについて知ることができました。目からウロコが落ちまくりです。本日はありがとうございました。
皆さん、本日はありがとうございました!
マルハラではなく「新言文一致体の進化過程」なのでは
昭和になって広く知られるようになった、意外にも歴史が浅い句読点。「チャットの文末をマルで締められると怖い」という感覚も、句読点の意味合いが揺れ続け、進化している証拠なのだと私は感じました。書き言葉に話し言葉をミックスしていったのが「新言文一致体」ならば、今、さらに顔文字や絵文字で感情を乗せてゆく「シン・言文一致体」が生まれているのだと言えるでしょう。
もはやコミュニケーションの方法として欠かせないものとなったメッセンジャーやチャットツールですが、使う世代によっては表現方法が異なります。その点を理解しつつ、誰も傷つかないよう、誰にとってもハラスメントにならぬよう、相手を思いやった書き方をこころがけたいものです。
今回の取材をきっかけに、私もLINEでマルを省いたり、顔文字を使ったりしはじめました。怖さ、軽減されてますか……?
この記事を書いた人
吉村智樹
1965年生まれ。Webや紙媒体でのライティングのほか、朝日放送『LIFE 夢のカタチ』など、関西ローカル番組を制作する放送作家としても活動している。
編集:
人間編集部