2021.10.01
“22歳で負債20億”からの大躍進!KPG加藤社長の巻き込み型経営術【突撃!近大人社長】
- Kindai Picks編集部
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うどん専門店「麺匠の心つくし つるとんたん」をはじめ、フードサービスやリゾートホテルなど、さまざまなレジャー事業を展開する「カトープレジャーグループ」。今では売り上げ約220億円を樹立する一大企業ですが、現社長が弱冠22歳で会社を継いだ際は、なんと20億円の負債を抱えていたそう。「突撃!近大人社長」第6回目は、カトープレジャーグループの代表取締役兼CEO・加藤友康さんの経営理念やこれまでの軌跡、現在構想中の事業計画など、経営学部商学科3年生の田中 瞳さんがインタビューしました。
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在大阪ルーマニア名誉領事館でもあるカトープレジャーグループ大阪本社。
現社長の父が創業した「加藤商事株式会社」を前身とし、現在では「スモールラグジュアリー」とよばれる小規模高級宿泊施設の展開や、「麺匠の心つくし つるとんたん」をはじめとした、さまざまなジャンルのレストラン経営などを行う「カトープレジャーグループ」。
実父である前社長の早逝により、若干22歳の若さでグループ会社の社長に就任した代表取締役兼CEOの加藤友康社長は、近畿大学の卒業生です。
在学中は音楽に没頭し、プロミュージシャンを夢見ていたという加藤社長。カトープレジャーグループを一代で年商規模220億円、総従業員数約3500人※の企業に成長させた敏腕経営者は、一体どんな人物なのでしょうか?
※年商及び総従業員数は2019年3月時点
弱冠22歳で20億円の負債を抱えた会社を継承した加藤社長
1965年大阪生まれ。1987年商経学部(現:経営学部)卒業。ホテル、レストラン、ラグジュアリーリゾート、公共リゾート、スパ、エンターテインメントなど総合的なレジャー事業開発を基幹コンセプトに、多岐にわたるプロデュースワークを行う企業、カトープレジャーグループの代表取締役兼CEOを務める。 大学在学中から家業に携わり、22歳の時に父親の急逝により事業を承継し、代表取締役に就任。2020年8月在大阪ルーマニア名誉領事に就任。著書『世界一楽しい仕事をしよう!』(ワニブックス)など。
本日はよろしくお願いします。さっそくですが、加藤社長が会社を継がれた経緯について、お聞かせいただけますか?
僕の父が、前身である加藤商事(現 株式会社ケー・エキスプレス)という複数法人のグループ会社を経営していたんですが、父は僕が幼い頃から病気がちで、入退院を繰り返していたんです。僕が大学に入る頃に「いつ亡くなるかわからない」という状態になり、そのまま早逝してしまいました。
それで、突然社長に? 元々、会社を継ぐという覚悟はあったんでしょうか?
いや、僕は5人兄弟の3男坊だったので、自分が会社を継ぐとは思っていなかったんです。ずっと、プロのミュージシャンを目指していましたから。
まずはテラスをご案内していただき、「近大マスク」を着用してインタビュー。
音楽をされていたんですね。
はい。父がレコードレーベルも運営していたので、それが影響したのか、小学生の頃からドラムに熱中して、中学生の頃からロックバンドを組んでいました。音楽関係の繋がりで、高校時代からコンサートの運営に携わるイベンターみたいなこともしていましたし、大学卒業後は大手音楽事務所からプロデビューの話もいただいていたんです。しかし、父親の体調が急激に悪くなって「会社を任せたい」と相談されまして。22歳の時でした。
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プロデビューと家業の跡継ぎですか!? それは、究極の選択ですよね……。
左はロックバンドのドラマーとして活動していた10代の加藤社長。右は世界最高峰のドラマーとして有名なスティーヴ・ガッド氏と。
まあ、音楽業界の厳しさはよく知っていたので、音楽の道に進んでも稼げないだろうとわかっていたんです。それでも、「音楽」をとるか「家業」をとるかは、ずいぶん悩み苦しみましたね。やっぱり「父が残した会社を潰すわけにはいかない」と、家業を継ぐことを決心しましたが……当時、会社は20億の負債を抱えていまして。
あの……私は今20歳なんですが、22歳で「20億の負債を抱えた会社の社長になる」なんて想像がつきません。会社を継がれたあと、どうやって事業を再生したか教えていただけますか?
事業を継いで2年後に「つるとんたん」を開業したんですが、元々父親が「本家さぬき」という別のうどん屋をやっていたんです。僕が継いだ当初はめちゃくちゃな店で、スタッフが食器割っても平気な顔してたり、給料日になると麻雀に行って帰ってこなかったり、お客さまに怒られるのが日常茶飯事でした(笑)
えーー! 今の「つるとんたん」からは、想像もつきません。
1989年にリニューアルした「麺匠の心つくし つるとんたん」宗右衛門町店。
ある意味、そんな状態だったからこそ死ぬ気で行動できたのかもしれません。当時、なんの経営ノウハウもない僕でも、「これじゃダメだ」ということがすぐわかりましたから(笑)。それで、まずは父の故郷でもある、うどんの本場・香川県まで出向いて1日15食うどんを食べに行って……。
1日15食ですか!?
お金がなかったから、1日で行きたいお店全部まわるしかなかったんです(笑)。本当に何もわからないからこそ、誰かに教えてもらうのではなく、自分の目と足で確かめるしかない。そうすると、だんだん人気のある店がどういうお店なのかわかってくる。でも、それを真似するのではなく「こういう店が流行っているということは、この場所にこんな店があったら喜ばれるんじゃないか?」って考えていったんです。今でいう「業態開発」なんですけど、そうやって自分の方程式を20代で編み出しました。
すごい! そこから、社長の大躍進が始まったんですね。
24歳の加藤社長(左)と弟の加藤誠三朗氏(右)。
いやいや、最初からうまくいったわけではないですよ。当時はまだ会社の信用もなかったので、人材募集ができなくて。とにかくスタッフを集めるのに苦労しました。まずは近畿大学の友人を引き入れて、その友人のお母さんにも働いてもらって、それでも足りないので、ランチの出前を届けにきた他店の配達員を「うちで働かない?」って引き抜いたりして。
そんなスカウトの仕方はじめて聞きました(笑)
必死だったからね。常に「誰か働ける人いないの?」って状態で。
とにかく周りにいる人を集めていったんですね。
だから、今の財務の責任者には、僕の幼稚園から近畿大学卒業まで一緒の同級生がいるんです。信頼しているので、印鑑もすべて彼に預けてます。他にも「こんな人いるけど、紹介してあげようか?」と、周りの人たちに助けてもらいました。それだけでなく、「こないだ加藤さんのお店行ったけど、サービス悪かったよ」とか「そんな考え方じゃダメじゃない?」って、叱ってくれる人もいました。
社長室には、お世話になった先輩や仲間との思い出の写真がたくさん飾られている。
それって、本当に社長のことを思って伝えてくれている助言ですよね。
どうして僕の周りに親身な人が多かったかというと、これはやはり、父親のおかげだったと思います。「いい人」だったんです、僕の父親。健康管理だとか、会社の売り上げが振るわなかっただとか、経営者としてはダメなところもあったかもしれませんが「あなたのお父さんにお世話になったことは、一生忘れない」という人もいるぐらい、面倒見のいい人でした。
24歳で断言した「次代のエポックを作る」生き方
僕は、24歳の時に「生き方」を決めたんです。「総合的なレジャー事業開発の実現を基幹コンセプトに、お客さまの喜びを第一に、次代のエポックとなる事業をプロデュースするサービスビジネスのプロ集団になる」って。当時は恥ずかしながら「コンセプト」っていう言葉すら知らなかったんですけど、それが今でいう「コーポレート・アイデンティティ」ですね。
「つるとんたん」を開業した時にそこまでイメージしていたんですね。
イメージしていたというより、そう決めたんです。周りの反応は「次代のエポックを作るってなんのことだよ!?」って感じでしたし、銀行からお金を借りるときもそう説明したら……「え? あんた、うどん屋だろ!?」って言われましたけど(笑)
そうですよね(笑)
「真心ある人間として、義に徹し、恩に報い、社会に貢献することを誓います」「お客様とお取引先様に、感謝と笑顔をもって接します」「常に改革する心を持ち、やりがいのある仕事、働きがいのある会社を実現」っていうのがKPGマインドという、我が社の社是のようなものなんですけど、全部言葉にしたことで、それに共感してくれる仲間が集まったんです。
そこから、どうやってホテル経営などの事業を広げていったんでしょうか?
最初の目標は、年商30億円を達成することだったんですが、その目標は30歳をすぎたころに達成できました。知らない間に達成していたんですけど。そこからホテル事業に手を出したのは、すべて人の紹介です。僕は会社の宣伝もしないし、会社を大きくするつもりもなかったので。
そうなんですか!?
プロデューサーとして「こんな体験を実現させたい」というプレゼンテーションはしますけど、計画して営業をかけているわけではないんです。僕の夢に共感してくれた人が「加藤さん、こんなのどうですか?」って自然に話を持ってきてくれました。
「木々が薫り、光がゆれる、境界のない森のリゾート」をコンセプトに、富士山と共に河口湖の自然と溶け合う「ふふ 河口湖」のロビー。
社長が夢を語ることで、色んなことが実現していくんですね……。
スモールラグジュアリーリゾート「ふふ」シリーズも僕が語った夢に賛同してくださった、日本トップクラスのデベロッパーにパートナーになっていただいています。とてもありがたいことです。レストランでもホテルでもそうですが、僕は必ず、まずは「お客さまが喜ぶこと」を先に考えるんです。「こんなものは今まで日本になかったし、絶対喜ばれる」という構想をまず作って、数字は後で計算します。もちろん、夢とソロバンのバランスは崩さないようにはしますけどね。
社長のお話を聞いているだけで、ワクワクします。
「ふふ」は、僕が絶対に妥協しないで進めていこうと決めたシリーズ展開です。すべての事業開発はチームで作り上げていくものですが、ある程度はプロデューサーに独裁的な采配があって、その人の思いが強く表れるからこそ、いいものができると僕は考えています。私たちの仕事には高名な建築家の先生や、有名企業も多数関わっていますが、僕は仕事上でゆずれない部分は、誰に対しても「ここは僕に任せていただけますか?」ということをはじめに必ずお約束していただいてます。
プロデュース業務に対し、強いこだわりを持ってらっしゃるんですね。
大手ホテルチェーンの経営するホテルだと、ベースになるモデルをひとつ作ってそれを全国展開していくので、日本全国どこの店舗も似た作りになっていることが多いと思います。でも、僕はそういうやり方は絶対にしません。その土地がもつ「地の力」を生かしたホテルや旅館、さらにはレストランを作ることにこだわっています。クリエイティブもオペレーションも、全部その土地に合わせて変えます。
そこまでこだわり抜くってすごく大変なことですよね。ちなみに、「地の力」とは、具体的にどういうことでしょうか?
「ふふ 河口湖」コンセプトムービーより。すべての部屋が富士山を望むスイートルーム。部屋の中には、富士山溶岩を敷いたオープンエアーの「天然温泉」が……。
その土地の名産を食材に採用するのはもちろん、例えば、昨年の6月に開業した「ふふ 奈良」だと、薬膳料理や薬湯の要素を宿に取り入れています。これはこのプロジェクトチームでリサーチして、仏教にまつわる奈良の歴史に辿り着いたからですね。2022年初頭に開業予定の「ふふ 箱根」でも、箱根の地に合った仕組みとして、草木や岩石を素材にしたインテリアなどを作っています。私の思い描いたものを形にするためにクリエイティブメンバーに頑張ってもらっていますが、なかなか大変な作業になっていますね(笑)
岩石をインテリアに!? すごい発想……!
あと、僕の経営ノウハウで「ブランディングスケール」っていう、勝手に作った言葉があるんですけど。これは、逆に「広げちゃダメ」というリスクマネジメントなんです。いつも、最初から展開するスケールを決めてるんです。
今年8月2日にオープンした「つるとんたん UDON NOODLE Brasserie 軽井沢」は、ボタニカルな装飾を取り入れ、うどん屋の概念を覆すリゾート地ならではの空間に。
どういうことですか?
広げすぎると価値も下がりますし、クオリティが維持できないからです。「つるとんたん」は現在、国内で14店舗を展開していますが、これ以上増やすつもりはありません。そして、コンセプトも内装もメニューも店舗によって変えています。「なぜあえて手間やお金のかかる方法を選ぶのか?」と思われそうですが、流行り廃りの激しい飲食業界の中で、僕が32年間つるとんたんを運営できているのは、そういったこだわりのおかげだと確信しているんです。
五感に響く「感動レベル」に達しているかどうか
加藤社長の著書『世界一楽しい仕事をしよう!』の帯には、世界的経営コンサルタントの大前研一氏の推薦文として「多くのエリート経営者が左脳型であるのに対して、加藤さんは右脳が発達している」と書かれている。
社長はご自身で音楽をされていた経緯もありますし、クリエイティブやエンターテインメント性も大切にされているのでしょうか?書籍の帯に「右脳が発達している」というコメントもありますが……。
僕は、弊社が運営する「中之島 LOVE CENTRAL」のサポーターでもある、DREAMS COME TRUEさんのライブによく行くんですが、会場で涙する人の姿をよく見かけます。そういうとき、エンターテインメントのもつ力は絶大だと実感します。「つるとんたん」にも1日何千人ものお客様が来てくださいますが、うどんが美味しいからといって、泣いてる人はひとりもいませんからね(笑)。我々も、インテリアやメニューのアイデアを練る際に、五感に響くかどうかを意識して、それが感動のレベルに達しているかどうかを大事にしています。
大前研一さんとのコラボレーションによって生まれた「ATAMI せかいえ」。コンセプトムービーにも五感に響く感動が……。
今は世界的に大変な時勢ですが、コロナ禍での影響も大きいのではないでしょうか?
正直、新型コロナの影響で我々の業界は今、先の読めない苦境のときを迎えています。50年以上生きてきて、こんな世界になるなんて夢にも思いませんでした。僕は会社を継いだ時、人生の指針とともに「事業がダメになったら死のう」ということも決めていたんです。お金を借りるとき、銀行にもそう伝えていました。「事業が失敗したら、腹を切ってお詫びします」って。辛かったけど、死にたくなかったから力がみなぎったのも事実です。会社を継いでから数年は、2週間寝ないで仕事して、1時間気絶して、目が覚めたらまた仕事するという生活をしていました。信号待ちで止まる数分すら「ちょっと休める」と感じるくらいに(笑)。
考えられない世界です……。でも、そうやって辛い経験を乗り越えた加藤社長だからこそ、今も挫けることなく気丈でいられるんでしょうか?
幸い僕はまだ50代で、気力も体力もあります。もし15年後にこの現象が起きていたら、頑張れなかったかもしれない。それに、20代の頃と比べたらさまざまな経営ノウハウを身につけてきました。だから、もう一度あの時のように頑張ろう……と決めて「コロナが収束するまで役員報酬はなし。社長としての給料は1円もいらない」と宣言しました。なので、この1年半は収入0円です。正直、収束にここまで時間がかかると思っていなかったので、今はちょっとだけ後悔しています(笑)
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社長室の一角にあるドラムセット。今でもリフレッシュや何か集中したいときにドラムをたたいている。
この大変な時勢の中で、なにか心掛けていることはありますか?
今、経営者はみんな悩んでいます。僕だってそうです。でも、悩んでばかりだと辛いだけなので、今はタイトすぎないスケジュールで働くようにしています。あと、体力と気力の維持は絶対に必要になってくるので「ジムに年間120回行く」「100日間禁酒する」など、健康維持の面ではストイックな生活を送っています。
自信を持って「自分の意見を言い切ること」が大事
最後に、大学生や若い世代の人たちに向けて、メッセージをいただけますか?
私はコロナで辛い今の毎日を、人生のいい修行だと思っています。「この時期を乗り切れると、絶対に力がつくぞ」と、後継者にも伝えていますね。例えば、プロジェクトのリーダーには「この未曾有の事態の中で、リーダーを任せてもらえるなんてすごいことだよ」と声をかけてあげたいです。勉強でも就活でも悲観的にならず、いい経験と思ってなんでもチャレンジすればいいんです。自分の人生は他の誰でもない、自分が主人公なんだから。ずっと「しんどいな」「辛いな」と思っていたら、自分が挫けてしまうだけですよね。人生にそんな暇はありません。
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私は今、このコロナ禍でオープンキャンパスのプロジェクトのリーダーを任されているんですが、なかなかポジティブになれず周りをまとめることができなくて悩んでいます……。
やはり、なにかのトップを務めるというのはとても難しいことです。でも、自分の行動で周りがギクシャクするかもしれないけど、周りに申し訳なく思って萎縮するのではなく、やらないよりはやって後悔する方が僕はいいと思います。
確かに、仲間をまとめるという悩みがあることすら、幸せなのかもしれません。
弊社でも、プロジェクトを任せている人の中には、なんでもこじんまりとソツなくまとめようとするタイプの人もいます。そういう人には「そんなやり方、今どき流行んないよ」って言ってますね。自分の意見を言い切るというのはつまり、自分に自信があることの証明にもなるんですよ。さらに僕はスタッフに「なにかひとつ失敗したところで会社が潰れるわけじゃないから、好きにやって」ということもよくいいます。失敗を恐れるより、失敗してもいいから色んなことにどんどん挑戦してほしいです。
加藤社長、本日はありがとうございました!
対談を終えた田中さんの感想は?
22歳の頃に社是を確立し、そこからずっと信念を曲げずにここまで歩んでこられた軌跡が本当に素晴らしかったです。お話になる過去のエピソードからは、並々ならぬ努力があったことがひしひしと伝わってきて、加藤社長は努力を大切にされる方なのだなと強く感じました。飲食、宿泊施設とさまざまな事業を展開されていますが、その土地のオリジナリティを忘れないというところに細やかなこだわりを感じました。ホテルを訪れるお客様が、全国どこへいってもまったく違う楽しみを得られるのはもちろんですが、お話を聞いていて、加藤社長の作るリゾートは、その土地に暮らす方々の誇りにもなっているんだろうなと思いました。
コロナ禍でネガティブになりがちな毎日ですが「何事も、もっとポジティブに考えないといけないよ」というお言葉をいただいて、ハッとしました。インタビューはたったの2時間でしたが、とにかく感銘を受ける言葉が多く、私にとってすごく貴重な時間となりました。改めまして、加藤社長、ありがとうございました!
取材:トミモトリエ
文:トミモトリエ/渡辺あや
写真:大越はじめ
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