2023.11.24
海外でも話題になった奈良の「高速餅つき」、30年続ける中谷堂社長の人生【突撃!近大人社長】
- Kindai Picks編集部
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「高速餅つき」のパフォーマンスで毎日人だかりができる奈良のよもぎ餅専門店「中谷堂(なかたにどう)」。高速で餅をつく理由は? お餅屋を始めたきっかけは? 「突撃!近大人社長」第20回目は、30年以上もお餅と向き合う株式会社きた山中谷堂の中谷 充男社長に、経済学部 総合経済政策学科1年生の保手濱 蓮さんがインタビューを行いました。
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お店の前には毎日人だかりが! みなさんおいしいよもぎ餅を楽しみに待っています
中谷堂は近鉄奈良駅を出て約5分の場所にあるお餅屋さんです。
「日本一おいしくて早い!」をモットーに、よもぎの風味と餡の甘味、そしてもちもちの食感を存分に楽しめるよもぎ餅を販売しています。「高速餅つき」の知名度の高まりからメディアでの取材が増え、国内はもちろん海外からも大人気。店頭には毎日お店の中が見えなくなるほど人だかりができます。
お餅つきは社長自ら!ほぼ毎日店頭に立っています
その人気もあり、現在は1日に約3,000個のよもぎ餅を作って販売しているそうです。
できたてのよもぎ餅はやわらかく、引っ張れば引っ張るほど伸びます。中にはこだわりのつぶあんがギッシリ。毎日多くの人が並ぶのも頷ける味です。
「パフォーマンスではなく、おいしくするために高速でお餅をついているだけ」「お餅ってこんな風に作るんだ、と知ってもらえたらうれしい」と話す中谷社長、いったいどんな人物なのでしょうか?
奈良県吉野郡上北山村出身。1985年近畿大学商経学部商学科(現:経営学部商学科)卒業。1992年、29歳の時に中谷堂を開業。「高速餅つき」で有名。『TVチャンピオン』の「全国もちつき王選手権」で2回優勝。
合格したから入学した近畿大学。「コワモテ」が多そうでビビっていた?
少し緊張気味の保手濱さんを優しく迎え入れてくれる中谷社長
近畿大学の経済学部 総合経済政策学科1年生の保手濱 蓮(ほてはま れん)と申します。本日はよろしくお願いいたします。
商経学部商学科(現:経営学部商学科)卒の中谷 充男です。よろしくお願いします。
まず、中谷社長はなぜ近畿大学に進学されたんですか?
まあ、合格したからかな(笑)。当時の自分の学力や、学びたいことが合致していたのが近大でした。
入学前の近大にはどのようなイメージがありましたか?
私が学生だった当時は応援団や武道系の部活動が盛んで、「コワモテ」の人が多い大学というイメージがありましたね。少し厳しいのかな、大丈夫かなと考えていました。
実際に入学してからはどうでしたか?
確かに応援団など体育会系の学生がたくさんいて、新入生へのサークル勧誘なんかも盛んでした。
やっぱりちょっと怖そうな……(笑)
まあ、ただそれは見た目だけで、みんな良い人。入学してからは楽しいことが多かったですよ。良い友達もできましたし。
今でも大学時代のお友達と会ったりするんですか?
和泉市の副市長の森吉 豊(もりよし ゆたか)さんは今でも仲良くて、よく食事に行きますよ。彼は農学部で、学部は違ったんだけど、アルバイト先で仲良くなって。当時、スイミングスクールで水泳のコーチのアルバイトをしてたんです。
右から2番目が中谷社長、その左隣が和泉市の副市長 森吉さん。
そうなんですね! 他に大学の思い出はありますか?
当時はいろいろな授業を受けていました。貿易実務、銀行論、国際観光政策。あとはフランス語なんかも履修したり。いっぱい本を買わされたことが記憶に残っています(笑)
授業によっては参考書がたくさん必要ですよね(笑)
一番印象に残ってるのは「証券論」。株にまつわる書籍を出版している教授が担当で、授業と言っても自分の株の話ばっかり。でもその体験談がすごく面白くて。社会人になってから株を買いました。
授業が印象的で、挑戦するきっかけになったんですね。
そうですね。結局損してしまいましたけれど(笑)。あの先生の話がなければ株は始めていなかったかもしれません。
父親の会社を継ぎたい。その想いからダブルスクールで掴み取った建設業界への就職
卒業後は現在のような飲食店や小売・販売などの職に就かれたのでしょうか?
いえ、最初は建設業界で働き始めました。父親が建設関係の会社を経営しており、いずれ後を継ぐつもりでした。だから大学の学部も商経学部を選んだんです。
将来を意識した進路だったんですね。
だから、4年生からは大学に加え、建築関係の専門学校の建設学科 土木科に同時に通っていたんです。
専門学校と大学の両立は大変ではありませんでしたか?
大学の単位は1〜3年生でほとんど取れていたんです。成績は良いとは言えなかったけれど(笑)。だから最後の1年間は学校に行く必要がなく、時間に余裕がありました。
内定が出るまで大変ではありませんでしたか?
どちらかというと、スムーズに決まったかな。当時はバブルの真っ最中。さらに建築業界の人手不足もあり、山のように求人が張り出されていたんです。
業務はどのようなことを担当していたのでしょうか。
現場監督ですね。現場には毎回3〜4人のチームで入り、その一番下の見習いとして働きながら学んでいました。最近は働き方改革の流れで長時間労働は減りつつありますが、当時は朝から晩まで働こうという時代。休みは月に1〜2回あれば十分で、働き詰めでしたね。
大変ですね……。辛くありませんでしたか?
労働時間は長かったですが、先輩や取引先の人たちが良い人ばかりだったんです。毎日のようにご馳走してもらっていました(笑)
大変な毎日でも、人間関係が良いと乗り切れそうです。
人に恵まれましたね。そうして現場監督の仕事を3年続けて退職。その後、生まれ故郷の奈良県吉野郡上北山村に戻りました。
1日で作るお餅は3,000個! 始まりはまちおこしで振る舞われた地元のお餅だった
お店に移動しました。実際にお餅を作るところを見学しながらお話を聞きます
建設会社を退職してから、何がきっかけでお餅屋を始めることになったんですか?
「まちおこし」です。
まちおこし?
地方では桜まつりや紅葉まつりといったお祭りが定期的にあります。上北山村ではまちおこしの一環として、青年団がお祭りでお餅つきをしていました。それが近所の人から観光客まで「おいしい」と好評で。青年団の一員としてお餅つきを続けている内に「これは仕事になるのでは」と思ったのがきっかけです。
お米は「佐賀県産」のひよくもち米、「北海道十勝産」の中でも上質な小豆、国産きな粉、「愛媛県宇和島産」のよもぎの新芽など、厳選された材料からつくられる中谷堂のよもぎ餅。
よもぎ餅を専門に販売されているのはなぜでしょう? 魅力があれば教えてください。
家庭でお母さんやおばあちゃんが作ってくれた、素朴な味を再現したかったからですね。私自身も小さい頃から慣れ親しんでいる味ですし、何より「おいしいから」。
保手濱くん初めての食レポ。笑顔で「いただきます!」
「うわ、めっちゃおいしい」とお餅を噛み締めます
よもぎ餅は1日何個くらい作るんですか?
1日3,000個ぐらいですね。
3,000個! それくらい作るとなると、社長は働き詰めになるのではないでしょうか。
そうですね、かなり働いていますね。
1日のスケジュールを教えてください。
お店に行くのは朝の7:30。そこからお餅つきの段取りをして、少しひと休みをしてから11:00まで、お店の用意やお餅つきをします。そして11:00からはずーっとお餅をつき続けますね。
何時頃までですか?
平日はだいたい15:30ぐらい。週末はもっと長くて17:00〜18:00までお餅をついている日もあります。そこから19:30頃に閉店ですね。
その生活を30年近く続けているんですね。
そうですね。ただこのお餅つきは私の生まれ育った上北山村の伝統ですから、始めたのは小学生からです。お餅つきの経験年数はもう50年くらいになるのではないでしょうか。
毎日欠かさず、お餅つきに関わる。すごいですね。
人間だからたまに休む日もありますけどね(笑)。もうずっとお餅をついています。
高速餅つきはパフォーマンスではない。上北山村の伝統的なつき方だった
高速餅つき、間近で見学するとすごい迫力です……!
中谷堂といえば店頭で行われる高速のお餅つきが有名ですが、どうして高速でついているんですか?
私の故郷ではこの高速餅つきが普通のつき方だからです。
これが通常のつき方なんですか?
私が生まれ育った上北山村の、特に小橡(ことち)地区というところは昔からこのお餅つきをしています。すべての地域ではありませんが、生まれ育った場所の伝統的なつき方がこのお餅つきなんです。
小橡地区の人はなぜ高速でお餅をつくようになったのでしょうか?
おいしさを出すためですね。お餅は冷めてしまったものをついてもおいしくはなりません。熱い内につくことが重要。そのためにお米を潰して、すぐに臼と杵でつく。餅米の温度が低くなるとデンプンが絡みにくくなり、すぐに切れてしまうんです。よく伸びるお餅にするには、熱々の状態でつくことが必須です。
中谷堂のお餅、ものすごーく伸びます。
食材の特徴を考えて、なんですね。
私の故郷である上北山村は山奥にあり、冬は氷点下になることもあるほど寒いです。気温が低いと、その分お餅が冷めるスピードも早い。餅つきが行われる時期にお餅が冷めないように考えた、先人の知恵ではないかとも言われています。
本当に考え尽くされていますね。
そうですね。中谷堂の餅つきを見たり、よもぎ餅を食べたりして初めて知る人も多いかと思います。だから私たちのお餅つきがきっかけで「お餅つきってこういう風にやるんだ」と真剣に見てくれたら非常にうれしい。
確かに僕も初めて知りました。
お客さんに渡してからも、まだまだ伸びます
どうしても珍しいし、写真や動画映えもするので見世物のようになるのもわかりますが、手を叩いて大笑いされるのはあまり好きではありません。私は大道芸人ではなく、あくまでもおいしいお餅を作ることを目的にやっていますから。
パフォーマンスや集客というよりは、おいしいお餅を作るための方法として、地元の伝統を継承していたんですね。
むしろ、私にとっては高速餅つきが普通の方法なんです。
TVチャンピオンにも2回出演! 実は優勝はギリギリだった?
テレビやYouTubeなど、本当にいろいろなメディアから取材を受けていますよね。知名度が上がったのはいつ頃ですか?
開店から10年目くらいですかね。お店を始めてから今が32年目だから、22年くらい前。とあるテレビ局が取材をしてくれて、放送がさらに取材を呼び込んで、どんどん話題になりました。
中谷社長はテレビ東京系列で放送されていた『TVチャンピオン』の全国もちつき王選手権に出演されていますよね。
2005年と2006年の2回出演しました。中谷堂が有名になって少し経った頃ですね。お正月に全国から餅つきの名人が集まって、お餅をつくスピードを競ったり、ついた餅の伸び具合を競ったり。お餅つきをしながら障害物競走をするという種目もありました(笑)
餅つきをしながら障害物競走(笑)
バラエティ番組ということもあり、参加前は面白おかしくお餅をつく大会かなと思っていたんです。でもいざ始まってみると、とんでもなく真剣勝負。
でも中谷堂は早さなら負けないんじゃないですか?
それは負けるはずがない。「任せろ」という気持ちで挑みました。ただ他のチームも全国から集まった凄腕ばかりで大苦戦(笑)
意外です......! でも、その状況でも2回連続で優勝されていますよね。
なんとか優勝しました。
すごいですね。
店内には取材時の写真がずらり。タレントさんからお笑い芸人さんまでバラエティ豊か!
優勝できて良かったです。負けていたら今、堂々とお餅をつけません(笑)
現在も社長自らお餅をつき続けていますが、体力面などで辞めたいと思ったことはないんですか?
年齢を重ねると当然体力は落ちますから、辛いときもあります。それでも80歳ぐらいまでは店頭でお餅をつき続けたい。そう考えています。
学生へメッセージ。楽しいことを一生けん命追求すればいつか仕事になる
「餅」と書かれた背中にも、溢れるお餅への想いが感じられる。かっこいい。
人生で一番苦労したことはなんですか?
苦労知らずやからなあ。
かっこいい(笑)
仕事は大変なこともありますけれど、苦労と感じたことはありません。
ずっと楽しいという感覚ですか?
そうですね。それでいうと、何かひとつ興味のあることをとことんやっているからかもしれない。
と、言いますと……?
「まちおこし」でお餅つきが商売になるかもと始めたのが創業のきっかけですが、それは地域の青年団でのお餅つきが楽しかったから。最初に就職した建設業界も「父親の会社を継ぎたい」という気持ちがあった。建設会社は退職しましたが、大学生活の最後の1年と、新卒から3年間は建設のことだけ考えて、勉強や仕事に励みました。中谷堂を始めてからは、ずっとお餅のこと。
確かに、興味のある特定のことをずっと追求されていますね。
もちろん大変なこともありましたが、そのときに興味のあることにチャレンジしているからこそ「楽しい」「これをやりたい」という感覚が苦労を上回って、続けられたのかもしれない。だから学生さんも興味のあることをひとつ、やってみれば良いと思いますね。そして一生けん命取り組むこと。
突き詰める、ですね。僕も今ベンチャー企業でインターンシップをしているのですが、応募のきっかけは「やってみたい」という小さな興味でした。将来やりたいことや進路はまだまだ探し中ですが、惹かれたことに挑戦したので充実感があります。
良いですね。まだ1年生だし、これからも一生けん命頑張ってほしい。
チャレンジの一環として中谷堂のお餅つきを体験した保手濱くん
中谷社長は今、お餅以外で興味や関心を持っていることはありますか?
おかき作り。
おかきですか?
はい。今はまだ仕事というより趣味に近い。いろいろと試行錯誤しながら、その過程を楽しんでいます。一心不乱にやり続ければ、新たな道につながるかなと考えています。
そのおかきをいつか食べてみたいです。中谷社長、ありがとうございました!
対談を終えた保手濱くんの感想は?
実際に私もインターンシップに熱中しているので「興味のあることをとことんやってみる」という言葉が響きました。何よりも中谷社長が自分自身の好きなことを現在も突き詰めているから、説得力がありました。ベースに「楽しい」という感覚があるからこそ、何十年も続くお店作りができているのかなとも感じます。また高速餅つきが集客を意識したものではなく、中谷社長の地元の伝統的なつき方ということには驚きました。「おいしいお餅を作るには?」と、ここでもお餅を追求する中谷社長の姿勢が垣間見えた気がします。
私も残りの大学生活はやりたいことをとことん追求しようと思いました。中谷社長、お忙しい中ありがとうございました!
取材:トミモトリエ
文:森木あゆみ
写真:西島本元
動画:ニシキドアヤト
編集:人間編集部
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