2023.10.27
日本一のホワイト企業!? 1万5千人の健康経営に取り組むSCSK・當麻社長が見据える新しい働き方とは【突撃!近大人社長】
- Kindai Picks編集部
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ビジネスに必要なITサービスからBPOに至るまで、フルラインアップで提供するSCSK株式会社は、2011年に住商情報システム株式会社(旧:住商コンピューターサービス株式会社)と株式会社CSKが合併し、誕生しました。長らく健康経営に取り組み、従業員満足度が90.6%、有給消化率も91.8%(18.0日)と「ホワイト企業」と呼べる環境を作り上げています。「突撃!近大人社長」第19回目は、2022年4月に社長に就任した當麻社長に生物理工学部の学生がインタビューしました。
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生物理工学部 食品安全工学科4年生の江川 華穂さん。東京都江東区の豊洲フロントにあるSCSK株式会社にやってきました。
SCSK株式会社は、50年以上にわたり、ビジネスに必要なITサービスからBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)※に至るまでフルラインアップで提供し、さまざまな企業の課題を解決し続けています。
※BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング):企業活動における業務プロセスの一部を一括して受託するサービス
近大OBである當麻 隆昭社長は、2022年4月に同社の社長に就任しました。
SCSK株式会社の売上高はなんと4,459億円!※
※2023年3月期連結の数値。
クライアント数は約8,000社にもなり、製造業、流通業、金融業、通信・運輸業の4つの業界が顧客の約80%を占めています。
従業員数は2023年3月末時点で、グループ全体で、1万5,328人。それだけ多くの社員を抱えながら、2023年には経済産業省と東京証券取引所が健康経営に取り組む上場企業を選ぶ「健康経営銘柄」に、9年連続で選ばれました。
残業時間も2010年度には月平均が27時間だったところ、2022年度に22時間00分までダウンさせるなど、社員が働きやすい環境整備に力を入れています。
偉そうですみません。今田 美桜さんのポーズを真似しました。
また2022年には今田 美桜さんを起用したTVCMとして、第1弾の「Suits編」と第2弾「Whisper篇」を制作し、今年新たに第3弾の「名刺篇」、第4弾の「デスクワーク篇」を公開しました。初めてのCM制作ながら会社の認知度アップはもちろん、社員やその家族から「うれしい」と好評だったそうです。
約1万5,000人もの社員だけでなく「社員とその家族も幸せにしたい」と語る當麻社長、いったいどんな人物なのでしょうか……?
男子だらけの学生生活! 野球がきっかけで進学し、高校・大学を近大で過ごす
「SCSKは、ITを軸としたお客様や社会との共創による、さまざまな業種・業界や社会の課題解決にむけた新たな挑戦に取り組んでいます。」
1965年2月17日生まれ、58歳。大阪府出身。近畿大学理工学部 経営工学科(現在は廃止)卒。1987年4月住商コンピューターサービス(現SCSK)に入社。2013年執行役員、2016年上席執行役員、2018年常務執行役員 製造・通信システム事業部門長、2020年人事・総務グループ、人材開発グループ分掌役員、2022年執行役員 社長 最高執行責任者。現在、代表取締役 執行役員 社長。
當麻社長は住商情報システム株式会社(当時は住商コンピューターサービス株式会社)に入社するまで、どんな学生生活を送っていましたか?
私は近畿大学附属高等学校に通っていて、高校から大学までの7年間を近大の敷地で過ごしています。中学まで野球をしていたことから、高校は甲子園に出るほど強豪校だった近大附属に進学しようかなと。当時の野球部には豊田監督という有名な方がいて、憧れていました。
では、高校時代は野球に打ち込まれたのですか?
いえ、当時は体格がまだ小さかったこと、強豪校で野球を続けるか迷いが生まれたことで、野球部には入りませんでした。それに私が在籍していた「医薬進学コース」はクラブ活動が禁止で、どちらにせよ入れなかったんです。
勉強に集中されたんですね。
そうですね。特に医薬進学コースは1,040人のうち、上位40人しか入れないクラスだったんです。当時は男子と女子で校舎が分かれていて男子校のような環境だったんですが、校則も厳しくて、髪型は必ず丸坊主にするというルールがあったんです。
全員ですか?
全員です。長さも規定の2〜3ミリから少しでも伸びたら生活指導に呼ばれるほど。全員が詰め襟を着て、坊主で席に座る。カラス軍団のように真っ黒でした(笑)
坊主に詰め襟の高校生時代(左が當麻社長)
すごい光景ですね(笑)
厳しい生活に耐えながら、丸坊主の友人たちと勉強に勤しむ高校生活でした。
そこから近大に進学されたんですよね。なぜ理工学部 経営工学科に進学したんですか?
ゼミの合宿で(2列目中央のピンク色のシャツが當麻社長)
もともと数学が得意だったこと、ITの知識を幅広く学べることに魅力を感じました。ただ理工学部は男性が多い学部でしたので、私の記憶では同期の女性は数百人中7人ほどしかおらず、大学でも男子だらけの生活になりました(笑)。だからよくあるキラキラとした、楽しいキャンパスライフはほとんどありませんでしたね。
昔はそんなに女性が少なかったんですね……。サークルには入られていましたか?
サークルには入っていませんでしたが、当時興味があったサーフィンに打ち込みました。18歳から始めて、40代半ばまで続けたほど。単位は3年生でほとんど取得し終わったので、4年生からはアルバイトを頑張っていましたよ。
近大の同級生とサーフィン(右が當麻社長)
何のアルバイトをしていたんですか?
大阪の上本町と天王寺にある都ホテルチェーンで働き、結婚披露宴や宴会パーティーの給仕や運営を担当していました。当時の経験は今も生きています。
と、言いますと……?
チームとして結婚披露宴の運営を仕切る業務が、仕事でのプロジェクト運営に似ています。披露宴は2時間半という限られた時間ですべての工程を終わらせなければなりません。料理を出すタイミング、おいしい状態で提供するための調理タイミング、スピーチの長さなど、スムーズに運営するにはどうすべきか、チームをまとめながら考えた経験が役立っています。
結婚式で失敗はできませんもんね。
結婚式はお客様にとって一生に一度の大事なイベント。その中で最高のサービスを提供できるように試行錯誤して、実際に感動してもらえることに喜びとやりがいを感じていました。
「お客様に最高のサービスを届ける」という部分は御社の姿勢にも通ずるものがありますね。
あとは大学通りも思い出深いですね。長瀬駅から大学の正門まで一直線にある道で、いろいろなお店があるんですよね。ゲームセンターや麻雀屋など。当時、そこに當里家(あたりや)という有名な食堂があったんですが、そこの息子は高校の同級生なんです。親子だから当たり前だけれど、息子の高瀬くんとお母さんが本当にそっくりで(笑)
それに當里家(あたりや)の當は、私の名字「當麻」と同じ字。「當」のような旧字体を使ってることが珍しくて印象深かったし、縁を感じていました。
「向いているかも」発展途上だった1980年代のコンピューター業界でシステムエンジニアに
当時を思い出しながら話す當麻社長。私の質問一つひとつに丁寧に回答してくれました。
大学を卒業されてからシステムエンジニアになったと聞いていますが、最初から希望職種だったんですか?
いえ、実はシステムエンジニアになるつもりはありませんでした。
え! そうなんですか? そもそも就職活動はどのように進められたんですか?
理工学部経営工学科ではプログラミング演習があったこともあり、所属している学生の進路はメーカー、もしくはコンピューター業界が多かったです。とはいえ、私が入社した1987年はまだパソコンが普及していません。新しい時代の流れに乗ってチャレンジしたい人はコンピューター業界、安定かつ学んだことを活かしたい人はメーカーと、二手にわかれていた印象があります。
當麻社長はなぜコンピューター業界という新しい道を選ばれたんですか?
「自分に向いているかも」と感じたからですね。まず、学生時代に生産管理のゼミを選択しており、「工場におけるFA(ファクトリーオートメーション)」という論文を書いていたんです。
ファクトリーオートメーションとはどういうものですか?
生産工程の自動化を図るシステムです。当時はコンピューターが普及し始めたばかりで、工場での作業も現代ほど便利ではありませんでした。より効率的に作業しながら、ミスを減らして品質を保つシステム作りを研究していました。
80年代といってもまだまだコンピューターは一般的ではない時代ですよね。具体的に現代のコンピューターとどのような違いがありますか?
コンピューターを使うには、プログラミング言語を機械語になおす「コンパイル」という作業が必要です。今は一瞬で完了するところ、当時は2時間かかっていました。
大変ですね……!
お客様先でコンパイル作業をしていたので、バグやエラーを出すとまた2時間の作業。だから深夜まで残業が続くほど労働環境は悪く、「キツい」「帰れない」「給料が安い」の新3K※と言われる時代があったんです。コンピューターの処理能力そのものが生産性を下げる状態でした。
※新3K:土木作業における「3K」(キツい、汚い、危険)になぞらえ、IT業界において過酷な労働を余儀なくされていたシステムエンジニアなどの職種に対して、「キツい」「帰れない」「給料が安い」の新3Kと表現した。「キツい」「厳しい」「帰れない」などのバージョン違いもあり、さらに「結婚できない」「心を病む」「休暇がとれない」などの項目を加えて「7K」と形容する場合もある。
今の便利さからは考えられないですね……。
生産性が低く、まだまだ新しい業界に飛び込むのは勇気が必要でした。でもそれ以上に近大で勉強したことを活かせるかなと思い、コンピューター業界を選びました。
挑戦ですね。
また当時、コンピューター業界は他の業界より採用活動が早く、適性試験も業界独特の試験だったんです。私はその結果が良くて「自分にはこの業界が向いているのかも」「システムエンジニアと相性が良いのでは?」と確信し、新卒で住商コンピューターサービスに入社することを決めました。
そこでシステムエンジニアとしてのキャリアが始まったんですね。
はい。入社してからはゼミや論文の勉強内容から、生産管理などのシステム開発を得意とするFA課に配属されました。
具体的に、どのような業務を担当するのでしょうか?
素材開発研究におけるデータを分析する業務に従事していました。素材には引張・衝撃・硬さなど耐久性を確認するテストがあり、そのデータを集めて分析し、研究者に提示する。今だったらAIで行うところを、当時は人力で行っていました。
さっそくハードな業務内容……。大変ではなかったですか?
大変でしたね。ただ近大のゼミで生産管理を学んだことがきっかけでシステム開発に携わるようになり、知識も身に付けることができた。それがすごく面白かったし、良い経験になったと感じています。
目指していたのは社長ではなく部長? 役職が上がるにつれて開けた社長という仕事
當麻社長は入社当時から社長を目指していたんですか?
まったく目指していませんでした(笑)。CSKを創業した大川 功(おおかわ いさお)元社長や、合併当時の住商情報システム株式会社の中井戸 信英(なかいど のぶひで)元社長などが経営者として傑出していたため、自分が先人の立ち位置につけるとは思いもしませんでした。
「社長になりたい!」という野心もなかったんですか?
はい、私は入社した時「部長になれたら良いな」くらいにしか思っていませんでした。
部長には憧れていたんですね。
新入社員から見ると、部長という役職は憧れの存在に感じるものです。実績がないと選ばれませんし、まずは部長を目指そうかなと。
実際に部長になられてどうでしたか?
当たり前ですが、想像以上に大変でした。課長や本部長などさまざまな人と連携が必要ですし、常に働いている感覚。自分が下から見ていた部長のイメージが180°変わりました。
當麻社長は本部長理事として2011年の合併にも関わられていますよね。
2009〜2010年にかけて、会社を1つにするために経営理念の再構築プロジェクトが立ち上がり、そこに参加していました。
合併は大変でしたか?
CSKは営業力が強くて、パワーと勢いのある会社。対して、住商情報システム株式会社は住友商事が親会社にある、安定的で堅実な社風の会社。毛色の異なる会社の合併だったので、業界内では「絶対にうまくいかない」と言われていました(笑)。でも合併してみると、この業界の中ではもっとも成功した合併だと言われています。
成功のポイントは何だったのでしょう?
1年以上前から準備をしっかりと進めたことですね。加えて、当時の社長がお互いをリスペクトしながら進めたこと。その人自身の経営者の資質やリーダーシップが成功の要因だったと感じます。
そこから現在の「夢ある未来を、共に創る」という、価値共創をベースにした経営理念が生まれたんですね。
経営理念の構築プロジェクトに携わったことは非常に良い経験でした。
オフィスにはトロフィーや賞状がずらり! 合併後も経営は順調で、さまざまな賞を受賞しています。
そこから社長を目指そうと思ったのは何かきっかけがあったのでしょうか?
部長に就任すると次は役員になりたいと思い、そのステップの積み重ねで今があります。「社長になりたいから今これを頑張ろう!」と逆算したというより、与えられた仕事やポジションを1つずつ積み重ねる中で社長という道が開けた感覚があります。
社長就任が決まった時は、どんなお気持ちでしたか?
覚悟を決めるしかなかったですね。役職が上がって社長という道が見え始めた頃、次の社長候補者として社内外の人と面談をする機会がありました。その中でどういう会社にしたいのか、この会社をどう導きたいのか、熱意がないと具体的には語れません。しっかりと自分の口で語るためにも、覚悟が必要でした。
そこから同年の12月に内示をいただいてから社長就任までの4ヶ月間で責任の重さをひしひしと感じながら、どういう経営をするのか、どんな会社を作るのか、じっくりと考えました。
社長就任までの準備期間が大変だったんですね。
そうですね、部長時代に大変だと思うことはたくさんありましたが、今に比べたら大したことありません(笑)
9年連続で健康経営銘柄に選出! 従業員満足度が90.6%になるまでの取り組み
SCSK株式会社のデータを見た時に、従業員の残業の少なさや有給取得率が目に留まりました。昔は過酷な労働環境だったとお聞きしましたが、健康経営にはいつから取り組まれたのでしょうか?
健康経営への取り組みは2012年、中井戸元社長が声をあげて始まりました。コンパイルに2時間もかかっていた時代に比べると生産性はアップしましたが、業界的にも「残業するのが当たり前」になってしまっていたんです。働く人が心身の健康を保ち、仕事にやりがいを持ち、最高のパフォーマンスを発揮してこそ、お客様の喜びと感動に繋がる最高のサービスを提供できる、という信念に基づいて、中井戸元社長が「健康経営に取り組まないといけない」と力を入れたことがきっかけです。
最初はどんなことに取り組んだんですか?
残業の削減です。ただ当時は残業代によって給料が増えるなど、生活していくうえで重要な部分でもありました。社員からしたら生産性が上がってもお給料が減るデメリットもあるので、それでは改革が進みません。そこで生産性を上げて残業を減らした分、ボーナスで還元する仕組みを作りました。
おぉ!
それが、2013年からスタートしました、当社の働き方改革の特徴的施策である「スマートワーク・チャレンジ20」です。毎月の平均残業時間を20時間以下にし、有給休暇も20日(100%)取得するという施策です。2010年は27時間だった残業時間は2014年には18時間に、有給休暇取得日数も12日から19.2日になりました。会社全体で働きやすい職場づくりに取り組み、健康増進や自己成長の機会創出に努めてきました。
また、さらなる健康増進施策の1つとして、2015年に「健康わくわくマイレージ」という施策を開始しました。健康に関する指標を数値化し、その数値に応じてインセンティブを付与するというものです。
どういう項目が対象なんですか?
例えばウォーキングや睡眠といった日常生活の項目と、年に数回の歯科検診や感染症対策などです。さらに健康診断の数値もポイント化し、この3つのカテゴリーの合計ポイントからボーナスの金額を決定します。
ウォーキングの有無や睡眠時間などはどうやって把握するんですか?
それぞれがスマホのアプリを活用するなど工夫をしていますが、希望する社員には睡眠習慣などを計測できるウェアラブルデバイスを配布しています。社員の健康状態に対するポイントはプラスしかないのですが、役員の場合は健康状態が経営にも影響するという考えから、健康状態が悪い役員はポイントがマイナスになるという仕組みもありました。健康状態を可視化すると、マイナス30万ポイントにもなる役員もいましたよ(笑)
マイナス30万ポイントはすごいですね。
働き方改革によって「日経Smart Work大賞2020 人材活用力部門」を受賞しています。
特に卒煙支援・受動喫煙防止には力を入れていて、2010年から禁煙施策を実施しています。2013年には就業中の喫煙禁止、2016年には懇親会などにおける受動喫煙防止を就業規則に定めました。健康わくわくマイレージでも「喫煙習慣がないこと」がポイント対象になるんですよ。その結果、2012年に25.7%だった当社の喫煙率は、2022年に13.9%まで下がりました。
そうして健康を維持するとどんどん給料が上がるということですよね。それはうれしいシステムですね。
その積み重ねが、9年連続「健康経営銘柄」として選定される結果になりました。8年連続までは3社あったのですが、9年連続は当社のみです。
「9年連続選定は当社だけ!」とうれしそうに話す當麻社長。
日本一のホワイト企業と言えますね。
まあ、そういうことですね(笑)。その功績によって経済産業省から表彰イベントに招待されて代表スピーチをしたり、厚生労働省から健康わくわくマイレージに対して「厚生労働大臣 最優秀賞」をいただいたり。そこから認知度が高まり、就活生の人気企業ランキングに名が上がるなど、良い影響を生んでいます。
女性の登用にも積極的で、2023年時点で女性役員およびライン管理職は92名を突破しました。
SCSKはリモートワークやフレックスタイム制も早くから取り入れていますよね。
2007年に、育児や介護などの個別の事情を抱えながらでも社員が働き続けられるように在宅勤務細則を制定し、合併を機会に、2012年から働き方の柔軟性を高める目的でフレックスタイム制を全社に適用しました。また、2016年からは全員が「いつでもどこでも働ける」新しい働き方を目指して「どこでもWORK」を開始しました。東京オリンピック時にオフィスが会場に近いこともあり、都からリモートワークを推奨するような要請も出ていましたが、どこでもWORKの実績のおかげでスムーズにリモートワーク対応ができました。今後も、時代や環境の変化に合わせて、リモートワークやフレックスタイム制など、取組みを進化させていきたいと考えます。
IT化で変化するお客様のニーズ。良い危機感を持ちながら応えられるIT人材になろう
近年はIT化が進む一方で、2030年には最大で約79万人のIT人材が不足すると言われています※。実際どう思われますか?
※出典:経済産業省 商務情報政策局 情報処理振興課「参考資料(IT人材育成の状況等について)」
現在もものすごく不足していますね(笑)
どうしたら解決するんでしょう。
今まではたくさんの人が重厚長大産業(重化学工業等の産業)の企業に就職していましたが、AIの登場によってものづくりの自動化も始まっています。ITというよりソフトに配置転換をし、ITと人の力をうまく両立する必要があると感じます。
具体的にはどう両立させるのでしょうか?
自動化できるところはITに任せて、我々は人にしかできないことに注力する。お客様のDX(デジタルトランスフォーメーション)※を推進するためにお客様のビジネスをデザイン・コンサルティングをしたり、IT活用のインフラを整えたりするなど、ビジネスの上流フェーズを人が担当する形です。
※DX(デジタルトランスフォーメーション):企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズをもとに、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること
時代の流れに合わせて担当業務を変化させるんですね。
技術の進歩によって、お客様への貢献価値がますます変わるはず。お客様のニーズに応えるためにも、我々が絶えず変革しないと会社として成長せず、勝ち続けることもできません。変革の中でしっかりと危機感も持ちながら、常に新しい先進技術を取り入れて、我々がどういうところで世の中に貢献していくのか、これからどんな会社を目指すのかはしっかりと考えていきたいですね。
近畿大学も情報学部を新設し、IT人材の育成に取り組んでいます。
近畿大学は幅広い専門家を教授や准教授に招いていますし、サイバーセキュリティといった安心・安全な社会を作るうえで重要な部分にも取り組まれていますよね。実は情報学部 情報学科の柏崎 礼生(かしわざき ひろき)准教授には、当社の顧問を担当してもらった経験があります。
情報学部ではe-Sportsの分野でも、優秀な人材の輩出に力を入れており、実際にゲームが好きで入学した学生もいます。スマホでUberを使ったりゲームをしたり、私たちも身近なところでITにたくさん触れているんだなと感じます。
今の大学生はデジタルネイティブ世代なので、AIなどITを絡めた発想は当たり前にできますよね。今後、そういう世代が会社に入ってくれると思うと楽しみです。
ITスキルと同じくらい重要な「人間らしさ」を、人との触れ合いで磨いてほしい
最後に、学生へのメッセージをお願いします。
世の中の課題を明らかにするのはITの力であり、解決の糸口となるのもITだと考えています。豊かな社会を作るためにITは必要。だからこそ、学生さんにはITの大きな可能性に対してどんどんチャレンジしてほしいです。
とはいえ、ITがどんどん進化していく中で、私は「人間らしさ」がより大事になるとも考えています。他人の感情を感じ取ったり、自分の感情をコントロールしたりする「EQ」は、人との触れ合いでしか磨けません。リモート化する便利な世の中ですが、アルバイトやサークル活動などリアルでもさまざまな人と関わり、人間らしさを同時に磨いてください。
ちなみに、當麻社長はどんな人間になりたいですか? 憧れている人がいれば教えてください。
今、自分の人生を振り返ると、音楽家になりたいですね。楽器を扱えるわけではありませんが、音楽は人に感動を与えたり、幸せな気持ちにしたりできますよね。人を感動させられるアーティストは素敵で素晴らしい。人の心に触れて、感動を与える存在になりたいと思います。
対談を終えた江川さんの感想は?
インタビューを通して、社員だけでなくその家族など周りの人の幸せまで考えて経営をする、當麻社長の人情の厚さと利他の心に深く感銘を受けました。特に「今憧れている人はいますか?」という質問に対する「人に感動を与えたり、幸せにできる音楽家です」という返答からも、常に周りの人を幸せにしようとする一貫した姿勢が見えました。
「人間力の重要性」や「社長就任までの覚悟」など、社会人になる前に役立つお話も聞けて、自身の世界がさらに広がったと感じます。
あらためて、貴重な機会をいただき心から感謝申し上げます。
取材:トミモトリエ
文:森木あゆみ
写真:中山文子
編集:人間編集部
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