2023.05.21
発売から13年…年間1500万個売れる大阪土産「月化粧」を生んだ青木松風庵社長の型破り経営論【突撃!近大人社長】
- Kindai Picks編集部
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大阪土産として人気の「みるく饅頭 月化粧」。2010年の販売開始からわずか12年で累計売上個数1億個を突破し、大阪土産の新定番として大ヒットした理由は? 「突撃!近大人社長」第16回目は、株式会社 青木松風庵の青木 一郎社長に、国際学部3年生の神田 陽菜さんがインタビューしました。
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「月化粧ファクトリー」内のお店屋さん体験スポットで撮影。
年間1,500万個以上売れているという、大阪土産として有名なお菓子「みるく饅頭 月化粧」。手土産として買ったり、もらったことがある……という方も多いのではないでしょうか?
今や「大阪土産の定番」として広く認知されていますが、発売開始は2010年5月。販売翌年の2011年から3年連続で、国際品質評価機関「モンドセレクション」の金賞を受賞し、さらに2014年から現在までモンドセレクション最高金賞を連続受賞。発売開始からわずか12年で、累計売上個数1億個を突破しました。
「みるく饅頭 月化粧」の販売個数推移
1984年(昭和59年)〜2022年(令和4年)の販売個数推移。
月化粧を製造・販売している「青木松風庵」は、大阪府泉南に本社を構える1984年に創業の和菓子の名店。2014年に33歳の若さで代表取締役に就任した、現社長の青木 一郎さんは近畿大学理工学部のOBです。
大阪府阪南市にある「月化粧ファクトリー」。
月化粧が大阪土産の新定番として大ヒットした理由は?
今回は2020年に完成した「月化粧ファクトリー」の工場見学をしながら、「月化粧」の誕生秘話や、近畿大学在学中の思い出、現在構想中のアイデアなどについて伺いました。
製造工程が間近で見られる工場は、焼きたて月化粧のプレゼントも!
1980年生まれ。2005年近畿大学 理工学部 経営工学科(現在は廃止)卒業後、青木松風庵に取締役として入社。ハタダへ出向。2009年天平庵常務取締役に就任(兼任)。2014年4月より青木松風庵・天平庵代表取締役社長に就任。
青木社長、よろしくお願いします! すごくきれいな工場でびっくりです。
ありがとうございます。こちらは2020年7月にオープンした、まだ新しい施設なんです。工場見学の他にも、ご家族でご参加いただける和菓子作り教室やケーキ作り教室なども不定期で開催しています。2022年の10月には工場見学来場者が累計15万人を突破しました。
すごい。もはや大阪の観光名所ですね! 月化粧の人気の理由を教えてください。どうしてあんなに美味しいんですか……?
それは、工場案内をしながらご説明しますね。
包餡、焼成、冷却、包装、箱詰めの流れを見学できる見学通路。
窓から、製造の様子が見られるんですね。レーンとの距離が近い!
まずは生地の中に餡を包む「包餡」という工程。ここでは2台のラインを使って、1時間に7200個の月化粧が製造できます。職人さんの手作業だと1時間に300個が限界だった包餡作業も、この工場だとレーン1台につき約12倍のスピードで行えるんですよ。
間近で工場のレーンが見れる。
そんなにたくさん……! 見てるだけで楽しいです!
月化粧のみるく餡のベースとなる白餡は、北海道産の「白金時」と「大手亡」という二種類のいんげん豆のブレンドでできています。こだわりの豆を炊いた白餡に、さらにバターと卵黄、ミルクの風味豊かな練乳を加えて完成します。
北海道産「大手亡」。
練乳が入っているんですね。月化粧の美味しさの秘密はその原材料の違いなんでしょうか?
そうですね。お土産菓子や大量生産のお菓子は、コストを落とすために安い外国産の原材料を使うことが多いですが、月化粧は国産の原材料を使用しています。素材や味にこだわり続けた結果、お客様に愛されるお菓子になったんじゃないかなと思います。
続いて、「焼成」と「冷却」。きれいな焼き色がつくよう、その日の気温や湿度に合わせて焼成温度も毎日微調整しています。
流れに沿ってどんどん焼き色がついていくんですね……。
8543平方メートルの敷地に最先端の機械を導入して新築したので、莫大な建築費用がかかりました。弊社の歴史上、最大の投資額でしたね(笑)。
そんなに……!
安全で安心なお菓子を作り続けるための大きな投資となりました。包装の前に、金属探知機はもちろんAI搭載のカメラで撮影して、変形や汚れ、異物混入がないか一つひとつ精密にチェックしています。
こちらが焼きたての月化粧です。どうぞ召し上がってみてください!
嬉しい! いただきます。まだ温かいですね。
工場見学に訪れていただいたお客様には、皆さんに焼きたての月化粧を召し上がっていただいてます。この焼きたて月化粧は、工場見学時のみお土産として購入することも可能です。
あっ! 焼きたてだから、生地がサクッとしています。いつも食べているものと違う食感! 中の餡も、温もりが残っていてやわらかい……。何個でも食べられそう。すごく美味しいです!
おまけで出品したら、まさかのモンドセレクション受賞? 商品開発の裏側
月化粧の製造で使われる、通常の何倍もの大きさの調理器具と共に写真撮影が可能。
どうやって商品開発をしているんでしょうか?
弊社は「商品開発部」というものがないんです。常時100種類以上のお菓子を販売して、年間30種類ぐらい新しい商品を開発するんですが、所属部署や担当業務に関わらず、働いている仲間が誰でも新商品を提案することができます。
えっ!そうなんですか? 確かに、いろんな視点のアイデアが集まりそうですね。
商品提案会議であがってきた商品企画を、各店の店長が「売りたいかどうか」で判断。半数以上が「売りたい」と判断した場合、商品化されます。商品になったら、最初の1ヶ月間の売り上げの2パーセントを「開発賞」として作った人たちに渡す……という仕組みです。
あとは、現会長である父が現役で開発しています。工場ではなく、会長専用のお菓子作りに専念できる作業場を作るほど、父は根っからお菓子作りが大好きなんですよ。
まさに職人……!
求肥で白餡といちごを包んだいちご大福「おしゃれ」も父の代表作で、創業3年目から販売を続けるベストセラー商品です。「関東で、大福餅と粒餡のいちご大福というお菓子が流行しているらしい」と聞いた父が、「関西版のいちご大福を作ろう」と開発しました。
「白餡を使ったいちご大福」は父が考案したものなんですよ。いちごの風味を際立たせるため白餡を使い、いちごが透ける美しい見た目のために求肥を採用しました。
最近フルーツ大福が流行っていますが、これもお父様のアイデアだったんですね! 商品名もユニークです。
まだ試作段階のときに、知人に試食をお願いしたところ「おしゃれなお菓子やね」と言われたのを、そのまま商品名に採用したそうです。
月化粧は2010年発売なんですよね。もっと歴史が古いと思っていました。どういったきっかけで月化粧は誕生したんでしょうか?
昔から、先代の社長である私の父親には「大阪土産の代表になるようなお菓子を作りたい」という想いがありました。大阪は「食の都」と言われているのに、「お菓子」の土産物の選択肢が少なかったんですよね。
確かに、たこ焼きや豚まんは思い浮かびますが、大阪を代表するお菓子って、昔はおこしくらいだったのかもしれないですね。
お子様からご年配の方まで、誰もがもらって嬉しい、新しい大阪土産のお菓子を作ろうと考案したのが「月化粧」なんです。
モンドセレクションも最初から狙っていたんですか?
いえ、モンドセレクションを受賞したのは偶然なんです。実は、モンドセレクションを狙っていたのは「木の実ひろい」というお菓子で……。出品の際にモンドセレクションの運営から「せっかくだから、和菓子も出品したら?」と言われ、おまけとして一緒に出品した月化粧の方が、まさかの金賞を受賞してしまったんです(笑)
そうだったんですね!
思わぬモンドセレクション金賞受賞をうけ、社内では「もしかしたら、月化粧は大阪土産として大成するんじゃないか?」という話になりました。「みんなで月化粧を育てよう!」と。モンドセレクション受賞後、飛躍的にのびた月化粧の売り上げを利益として会社に残すのではなく、すべて月化粧のPR資金に費やしました。大平サブローさんを起用したテレビCMを打ち出したのも、この頃です。
月化粧CM2018「リトルサブロー」編「リトル納得」編
今も放送されている、関西圏ではお馴染みのCMですね。
放送当初、和菓子業界では「あんなに広告を出して大丈夫なのか?」と批判的な意見が多くあがりました。 和菓子は1個当たりの利益がさほど大きくない商品なので「高額なテレビCMを制作するのは採算が合わない」というのが、業界の通念だったんです。でも、あのテレビCMのおかげで、知名度が一気に向上したんです。
すごくインパクトのあるCMなので、一度見たら忘れられません。
館内には、お菓子の神として崇敬される和歌山県海南市の「橘本神社」から分祀された神社が。
企業コンサルタントの方には「CMだけ打っても、本社を大阪市内にうつさないと泉州土産で終わってしまう。絶対に大阪土産にはなれませんよ」と言われました。でも、先代の父親が「長年、この地で商いを行ってきたから、泉州以外に拠点をうつしたくない。CMだけ制作する」と決めた結果、月化粧は大阪土産として皆さんに認知していただけるようになりました。
専門家の意見を退けてのCM放送だったんですね!
コンサルを専門に行われている方々は、成功事例をまとめて提案してくださいますが、それは悪く言えば「セオリー通り」の考え方になってしまいます。やはり、「批判されてもいい」ぐらいの覚悟でインパクトのあることをして、「ダメだったらまた考え直そう」という気持ちで商売しないと、他に埋没してしまいますからね。
一時は中退も考えた、社長の学生時代の思い出とは?
工場見学後、カフェスペースにて青木松風庵のお菓子をいただきました。
青木社長が会社を継がれた経緯について、教えていただけますか?
私は幼少期からお店の手伝いをしていたので、幼稚園児の頃には「将来の夢はお菓子屋さんです!」と、お誕生日会などで発表していました。小学生の頃も、友達を家に招待すると親がお店からいろんなお菓子を持ってきてくれて、みんなが喜んでくれるのが嬉しくって……。
私も青木社長みたいな友達がほしかったです(笑)。大学では理工学部に在籍されてたんですよね。
はい。今はない「経営工学科」という学科です。文系科目が苦手で、理系の学科に進学したかったんです。会社を継ぐつもりだったので、「経営工学科」って理系なのに経営学べるんかな……みたいなノリで選びました。実際は、どちらかというとプログラミングとかシステムの勉強をしていましたね。今の仕事では直接的に関係はありませんが(笑)
近畿大学を選んだ理由は?
実は、自分では近大以外の大学に進学するつもりでしたが、父親に「絶対近畿大学の方がいい」と勧められました。「関西随一の学生数を誇る近畿大学なら、社会人になってからも絶対にどこかで母校を介した繋がりができるから」という理由でした。当時、自分は大学のスケールメリットに気づいてなかったんですけど、社会人になってみると近大OBの繋がりがたくさんできて、父親が言っていたとおりでした。
学生時代にイタリア旅行に行った時。
私は学生生活をエンジョイしすぎて、私は3年生のときに2留して、大学に6年通ったんです。楽しい思い出もたくさんあるんですが、留年が決まったときは「大学を辞めたい」と父親に相談したこともありました。でも、「何年かかってもいいから卒業しろ」と止められて。
それはなぜでしょう……?
私は「留年するぐらいなら、早く社会に出た方がいい」と考えてたんですが、父親は「何年かかっても、ちゃんと卒業したら卒業生になれるから」と。結果的に、これもまた父親の助言通りで、卒業生だからこそ現在も近大OBが揃う経営者の集まりに出席できているんですよね。こうやって今、取材をうけているのも卒業したからこそです。当時は反発しましたが、今では父親に感謝しています。
学生時代の思い出のお店とか、ありますか?
西門の近くの「焼マン」によく行きました。
今年2月に、キャンパスの中に2号店ができたんですよ!
卒業アルバムの写真。
へー! そうなんや。当時はとにかくどこの飲食店も人がいっぱいで、大賑わいでした。だから、友達の家に食べ物を持ち込んで食べることも多かったです。私の家から近大まで2時間近くかかったけど、近大の近くに下宿している友達の家に入り浸っていましたね。
大学生らしいエピソードですね。
朝、学校に行く前に友達を起こしてあげようと下宿先に寄って、自分もそのまま寝ちゃって遅刻したり……(笑)
近畿大学の学生とコラボしたお菓子も販売されていたんですよね?
2023年1月に、近畿大学東大阪キャンパスの生協コンビ二限定で「月化粧の餡はさんじゃいました」という商品を販売していました。もともと、Z世代に和菓子の魅力を知ってもらうことを目的とした共同開発だったんですが、学生さん独自の視点が面白かったです。
青木社長としては、学生とコラボすることでどういった発見がありましたか?
「はさんじゃいました」と名づけるネーミングセンスに驚きました。弊社の商品も「おしゃれ」を筆頭に、同業他社さんから「ネーミングが斬新」と言われることが多いんですが、そんな私たちから見ても斬新でした。あと、やはり学生の皆さんはSNSを巧みに利用されますね。学生さんに、SNSを用いてZ世代のアンケートを取っていただき、すごく有益なデータが得られました。
「赤字が続けば、自分は辞任する」。決死の覚悟で挑み収めた、コロナ後の業績V字回復
お菓子の売り上げなど、2020年から感染流行が始まった新型コロナウイルスの影響はありましたか?
弊社のお菓子の売り上げも15%落ち込んで、創業以来初めて赤字を出してしまいました。この由々しき事態をうけて、コロナの流行が始まった次の年の新年会で、全社員を前に「今期も含め、2期連続赤字になったら社長と専務は辞任」と宣言しました。
えっ!? みんなの前で、いきなりですか!?
はい(笑)。専務は私の妹なんですが、新年会の挨拶の15分前に「こういう挨拶をするから」とはじめて説明し、そのまま宣言しました。「コロナのせいで売り上げが下がるのは仕方ない」という妥協の気持ちがあると、3期も4期も連続で赤字を出してしまうかもしれない。そんな事態は絶対避けたかったんです。2021年に業績はV字回復しました。
すごい! V字回復の要因はなんだったんでしょうか?
コロナをきっかけに売れ筋商品が変化したことに着目し、売れるお菓子の製造や商品開発に尽力したのが、業績回復の決め手になりました。今まで主戦力だったお土産商品や焼き菓子よりも、生菓子の売り上げが上がったんです。
弊社では年間通じて100種類以上のお菓子を製造していたので、コロナによって売れなくなった商品のマイナス分を、他の商品でカバーすることができたんです。弊社が月化粧一品だけの会社だったら、売り上げ回復は実現できなかったと思います。
2年後には大阪で「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」が開催予定ですよね。青木松風庵では、なにか万博に向けて計画を立てたりされていますか?
ブースの出展などは今のところ考えていませんが、もしお菓子関連でご協力できることがあれば、なんでもお話に乗る気持ちでいます。あとは、万博専用パッケージの月化粧なども製造したいですね。いろんな国の人たちに月化粧の存在を知っていただき、万博後に「そういえば、日本の大阪で食べたあのお菓子、美味しかったな」という声が海外から聞こえるように、万博に合わせた月化粧の宣伝方法を模索したいと考えています。
最後に、大学生や若い世代に向けてメッセージをお願いします。
今の学生さんって、私たちの時代と比べてすごく真面目な方が多い印象です。採用説明会でも、内定が決まっている学生さんに「学生生活の最後に、なにを勉強すれば働く際に役に立ちますか?」とよく聞かれますが、仕事や勉強は社会人になった後でもできます。だからこそ、学生時代はそのときしかできないことを、存分に楽しんでほしいです。卒業旅行など、大人になってからも懐かしさに浸ることができる思い出を作ることに一生懸命になればいいと思います。
青木社長、ありがとうございました!
対談を終えた神田さんの感想は?
とても明るく、気さくな青木社長のおかげで、楽しくお話させていただきました! 経営に対する熱意を持ちつつも、従業員の皆さんが気持ちよく働ける環境を常に試行錯誤されるような細やかな一面もあり、多くの方の信頼を集めるお人柄がよく伝わってきました。
今回のインタビューを通して「やると決めたら、批判覚悟で思いっきりやる」という青木社長の持論に、特に感銘をうけました。私も青木社長を見習って「新しいことを始める覚悟」を、自ら生み出せる人間になりたいです!
取材・文:トミモトリエ/渡辺あや
写真:西島本元
編集:人間編集部
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