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2021.08.04

「柏原市の風景45年間つくってんねん」カタシモワイナリー髙井社長のアクセル全開人生【突撃!近大人社長】

Kindai Picks編集部

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オリジナル記事
OB・OG
カタシモワイナリー
髙井利洋
社長訪問
突撃近大人社長

日本で初めてぶどうが植えられたともいわれる、大阪府柏原市。この街に、そのルーツを受け継ぐ創業100年企業があります。カタシモワインフード株式会社。G20大阪サミットでは、ここの「カタシモワイン」が提供されるなど、日本ワイン業界の台風の目となっています。「突撃!近大社長」第3回目は、近大OBであり、カタシモワイナリーの4代目社長の髙井利洋社長に、農学部 農業生産科学科4年生の福滿 仁さんがお話をうかがいました。終始金言が大炸裂する本インタビュー、学生も社会人も必読です!

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農学部 農業生産科学科 花卉園芸学専攻 4年生の福滿 仁(ふくみつ じん)さん

1914年創業のカタシモワインフードは、古民家が多く残る柏原市太平寺地区にあります。

種無しブドウの代表的品種であるデラウェア。その生産量が全国3位の柏原市ですが、年々農家が減少し、ぶどう畑は住宅地へと変化していく時代にあります。そうした中、近大OB社長の髙井利洋さんは、一度は就職をしたのちに25歳で家業を継ぎました。

髙井社長は、地域とともに栄え、生きていく「コミュニティワイナリー」を展開。フランスやアメリカのワインコンテストでは金賞を立て続けに受賞。そして2019年に開かれたG20大阪サミットでは7種類のワインを提供。現在では、大阪府を中心に年間25万本強のワインを販売するワイナリーに成長しています。

70歳を迎えた髙井社長は、経営を5代目・娘の麻記子さんへと譲ります。そして、「これからの風景をつくるんや」と太平寺地区や畑をかけまわる日々。そんな髙井社長と、半日をともに過ごしてみました。いったいどんな人物なのでしょうか?


日本ワインのDNAは大阪にあり?!




髙井 利洋(たかい としひろ)
1951年生まれ。近畿大学理工学部卒業後、兵庫県神戸市の製造業の会社を経て25歳でカタシモワイナリーに就職。1996年に社長就任。大阪ワイナリー協会会長、関西ワイナリー協会会長、西日本ワイナリー協会会長。ブドウ畑の経営面積は3.5ha、委託面積は20ha。2016年度6次産業化優良事例表彰 農林水産大臣賞受賞。



福滿仁

近畿大学 農学部 4年生の福滿と申します。本日はよろしくお願いします。





髙井社長

よく来たね。カタシモワインフード株式会社代表の髙井です。わしは1974年に理工学部を卒業したから、48年先輩ということやな! 4年生ってことは、もう就職は決まっているの?





福滿仁

はい! 農家さんを支える仕事に就く予定です。





髙井社長

その心は?





福滿仁

農家という選択肢もふくめて、2年生の時から高知県四万十町などで農業実習をしてきました。その中で、農家の収入を増やす手伝いをしたいと思うようになったんです。







髙井社長

わしも一度は神戸の企業に就職したんや。会社勤めは楽しかったで。神戸のまちも好きやったし、給料は全部使いきってた。でもだんだんと、人生の半分を人のために生きてる感じがしてな。





福滿仁

その話も後ほど聞かせてください! ぼくは生まれも育ちも大阪なんですけど、ワインのイメージがなかったです。大阪でもワインをつくっているんですね。





髙井社長

そうやねん! そこが面白くてな。今、日本のぶどう生産といえば山梨県がトップです。ワイン産地としてのイメージも高い。けれど、日本ワインのDNAがここにあるんじゃないかと、わしは考えているんや。





福滿仁

どういうことでしょう。





髙井社長

1928年~1935年の間に、5回も大阪府がぶどう生産量のトップに輝いたことがある。そして、柏原市には119軒もの醸造所があったんや。さらにな、「そもそも、柏原のぶどうってなんであんの?いつからつくられているの?」と柏原のワインづくりの歴史を色々と調べたんよ。そうしたら、金脈にぶつかったんだよね。





福滿仁

金脈……?





髙井社長

実は、柏原市では今から1400年以上前にぶどうを育てていたことがわかってな。日本で初めてぶどうを育てた土地である可能性が出てきたんや。







福滿仁

日本初……! すごいですね。もう、畑見に行きたくなりました!





髙井社長

よし、まずは現場や! 結構けわしいところを登るけど、行けるか?





福滿仁

はい!





世界中でここにしかないワインをつくる





福滿仁

ここではどんなぶどうが育てられているんですか?





髙井社長

全部で約40種類のぶどうを育てているんや。中には80年以上の古木もたくさん植わっている。1913年に植えたデラウェア、仏教とともにシルクロードを通ってやってきた品種である紫、日本ワインの父といわれる川上善兵衛から分けてもらったマスカット・べーリーA……。



※川上善兵衛:日本有数の豪雪地帯である新潟県上越市にて、1890年に岩の原葡萄園を開園。生涯に10311回もの品種交雑を行い、日本ワインの代表品種22種類を世に送り出した。


福滿仁

すごいですね……!





農園では、マスカットベーリーAがたわわに実をつけていた


髙井社長

それから、わしもハイブリッド(交雑)品種もつくってる。たとえば、大阪の野生の山ぶどうとヨーロッパ産のぶどうをハイブリッドしたり。





福滿仁

植物の交雑は1回行うだけでもなかなか大変だと思います。





髙井社長

新しい品種が生まれる確率は、1%未満ともいわれとるな。わしも今、いろんなぶどうをかけ合わせて、育て方を実験してるところ。あくまで泥臭くつくるんや。それが大阪らしいやろ?





福滿仁

どうしてそんなに交雑を?





髙井社長

みんな、飲んだことないもん、飲みたいやろ。それと、ぶどうの品種にはトレンドがあって、かならず入れ替わる。これから温暖化が進むと、現在とはまったく違うワイン地図が展開されるはず。





福滿仁

ワイン地図?





髙井社長

今のワイン界はフランスをはじめ、ヨーロッパを頂点にあるんや。けれど10、20年後には、世界各地で、「ここに来ないと飲めない」個性豊かなワインが求められていくと思う。その時、「日本の大阪の柏原市にはすごいワインがあるらしい」と、世界中から人が訪れるようにするんや。





福滿仁

……! スケールが大きすぎる!




(髙井社長の電話が鳴る)




髙井社長

福滿くん、ちょっと待ってな。警察署からや。柏原警察署の評議員もしてんねん。「もしもーし!」





福滿仁

け、警察?! 70歳の方がこんなに忙しいとは思わなかった。





髙井社長

お待たせ。わし、いろいろやってんねん(笑) で……この木の話しようか。100年の古木なんやけど、どこが生きている幹かわかる?





福滿仁

こ、ここ?







髙井社長

残念! ここや! 判断するポイントは、木の表面温度。生きている幹は水を吸い上げるから、温度が低くなるんや。





福滿仁

なるほど! 大学の授業でも色々と学んできたんですけど、現場だからこそ学べることもたくさんあるんですね。現地に来て、見て、触れて。





髙井社長

今はパソコンがあるからつい頭で考えて、シミュレーションして、わかったような気になりがちやけど、頭で考えすぎんと、まずはやってみるんや。誰もせーへんことをするのよ。どんなことも一度自分でやって、その結果を自分の目で確かめる。ワインづくりは、毎日自分で実験することばかりなんよ。







福滿仁

髙井社長! なんかこの辺りの土、しょうがみたいな香りがします。





髙井社長

そうそう。ここはカタシモのひやしあめの原料で使った、しょうがくずを土にすき込んでいる。他には、ぶどうくずも入れているよ。それぞれを好む土壌菌があってな、そうして土が変わることで、ぶどうの香りが変わってくると思うんや。たとえば、マンゴーの香りがするデラウェアもつくれるんやで。こういうことは全部化学やな。



※ひやしあめ:麦芽水飴をお湯で溶いて、生姜の絞り汁を加えて冷やした飲みもの。関西では、夏の定番ドリンクの一つ。


福滿仁

そういえば、カタシモワイナリーは有機農法を採用していますよね。その理由をうかがいたいです。





髙井社長

自分たちが誇れるワインをつくりたいからやな。従業員みんなが「カタシモワインつくってます」と、誇りを持って言えるワインをつくれたほうがええやろ。なんせ、わしも毎日飲んでいるし、一生の仕事やし。だから、除草剤も使わない。





雑草も、除草剤を使わず草刈機で手入れしてるという。


福滿仁

なるほど。





髙井社長

人間の原理を持ち込むのではなく、自然の原理を活用して土壌を育てていきたい。そこで「ナギナタガヤ」っていう植物を植えたんや。ナギナタガヤは、一定の大きさに成長すると、地面に倒れこんで他の雑草が生えにくくしてくれるし、肥料にもなるんや。





福滿仁

有機農法を用いる時のネックは、手入れの手間が増えることですよね。そこで、植物の力をうまく使うってことか……。







髙井社長

もちろん、人の手も借りてるんやで。たとえば、この防草シートは農業資材メーカーが試験的に設置をしたもの。先方にとっては、ぶどう栽培への有効性や改善点を知ることに役立つし、カタシモワイナリーにとっては、雑草を刈る手間が省ける。こうして、お互いが経済活動の中で利益を生んでいくことが大事なんや。この他にも、大阪ガスさんが気温計を設置したり、毎日放送さんのブドウ畑があったり……毎年470人ものボランティアさんが来てくれるねん。





福滿仁

ワインづくりを通して、いろんなコミュニティも生まれているんですね。





髙井社長

大消費の時代は終わったんや。これからは小さな巨人が集まって、みんなで力をあわせ、みんなでノウハウや技術を分ける時代。「手伝ってあげる」とか「ワインを買ってもらう」じゃなくて、「一緒につくる」ことが大事やと思ってる。さっき言うた、毎日放送さんは、農家の高齢化に伴い耕作放棄された700坪の農地を「MBSぶどう畑」と名づけて剪定から収穫までをしてる。そうして、このぶどう畑で一緒に汗をかくことで、色々な人にこの土地の“菌”が全身に刷り込まれていくっていうことやな(笑)





福滿仁

すごいですね。圧倒されます。





「ワインだけやない、柏原の風景つくってるんや!」





髙井社長

昔は山の上までぜーんぶ、ぶどう畑やった。でも、今は小規模のぶどう農家で食べていくことは大変だから、多くの家に跡継ぎがおらん。農家が高齢になって、引退して、宅地になる。風景が変わっていくねん。つい数年前も、あるぶどう畑が宅地になって、建売住宅が16軒建つという話を聞いたんや……。





福滿仁

それでどうなったんですか?





髙井社長

慌てて持ち主に話して、「売られるのは困る! この風景が変わってしまうから!」と。それで、買うたんよ。その畑にもたくさんの貴重な古木が植わっていたんや。福滿くん、これは大事なことやから覚えといてな。風景は人が時間とともにつくる。その時間だけは、お金で買われへんのよ。





福滿仁

お金で買えないものがある。





髙井社長

せやから、わしは風景つくるんや。ワインだけやない、風景つくってるんや。







福滿仁

大阪にもこんな歴史あるまち並みがあったんですね。落ち着くなあ。





髙井社長

せやろ? けれどな、ぶどう畑がどんどん住宅になっていく一方で、柏原市の人口は年々減少しているんや。1995年には8万人いた人口が、2050年には3万人を下回るという予測があって……。20年後、このあたりはどうなると思う?





福滿仁

……ゴーストタウンになる?







髙井社長

そう。せやから、美味しいワインをつくるだけでは片手落ちやねん。わし、特に、この通りの風景だけはなんとしても残したいねん。この通り沿いで売りに出る物件があると聞いては、一旦わしが買い取って、この地域の価値をわかる人につなぐ。そういうこともやってきたんやけど、個人でできることには限界がある。





福滿仁

どうされたんですか?





髙井社長

ここで、近大OBのつながりが活きるんや。2009年には、道路整備のための事業として、大阪府の「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業」っていうのがあってんけど、これに仲間たちと応募してな。結果、ここの太平寺地区がモデル地区に選定されたんや。仕事ってのは、人とのつながり次第で、無限に広がっていくねん。その時その時に出会った人と「こいつはおもろいな」って思い合うことが、次につながるねん。





この仕事を始めるまでの背景と思い





福滿仁

髙井社長は、どうしてそんなに思いが強いんでしょうか? その背景をうかがいたいです。





髙井社長

おっしゃ、なんでも聞いてや。





福滿仁

まず、近大を選んだきっかけは?





髙井社長

これはな、第一志望の学校に、落ちてしまってな! 滑り止めやったんや(笑) けど、入ったからには学部長賞を狙おうと思ってな。家業を手伝いながら、1日も休まず出席したね。それでも届かんかったけど。1位と2位では全然違うんや。ワインの世界にも言えることやけど、僕にとっては、金賞になることが大事なんや。





福滿仁

すごいなあ、学生時代から志が高かったんですね! そんな髙井社長が、どんな大学生活を過ごしていたかが気になります? 近大に入って、良かったなと思うことはありますか?





髙井社長

一番の幸せは、嫁と出会えたこと! 大学2年生の時に出会ってから、人生の優先順位が変わったな。1番が彼女とのデート。2番が家のこと、3番が学校のことになった。福滿くん、パートナー選びは、迷ったらあかんよ。





福滿仁

わ、わかりました!(笑) では、家業を継いだきっかけはなんですか?





髙井社長

きっかけは、祖父が亡くなったこと。当時はすでに醸造所(ワイナリー)が3軒まで減っていたけれど、祖父が一生懸命ブドウ畑を守ってきたんや。その風景を残さなあかんと思って、25歳の時に継いだな。







福滿仁

迷いはなかったですか?





髙井社長

うーんと迷ったよ。しかも最初は、ワインが全然売れなくて。めっちゃ大変だったんや。会社員時代は毎月決まった給与が振り込まれるやろ。でも今度は、100%自分で稼がないとあかん。当時は毎月赤字で、大変やった。





福滿仁

そこから、どうやって今につながるんですか?





髙井社長

売り方を変えたんや。最初のうちは、百貨店や酒販店にとにかく営業しては、返品される。その繰り返しやった。ワインの味も、ずっとフランスワインを真似したようなもので。せやけど、どこまでいっても本物になれへん。新世界と呼ばれるチリやオーストラリアでは、広大な土地で、より安価にワインを醸造していてな。スケールも値段も、勝負にならへん。





福滿仁

おいしいだけでは、売れないんですね。





髙井社長

そう。そういう中で、自分のブランドを考えるようになった。先祖たちがどんなことをやってきて、自分はいかに上塗りしていくか。これまでの100年を、もう100年続けていくには、って。それで、地域とともに栄え、生きていく「コミュニティワイナリー」に行き着いたのよ。

【おすすめ】100年後に柏原のワイナリーを新しい世界遺産にしたいんや! 「カタシモワイナリー」高井利洋さんに聞く、ブドウ畑とまちづくり






福滿仁

なるほど。そしてそのことが、2019年のG20大阪サミットにもつながったんですね!





髙井社長

そう。日本生まれのぶどう品種「紫」をはじめとするさまざまなぶどうを用いた7種類のワインが、各国首脳に提供されたんや。それでカタシモワイナリーは一気に注目されるようになったね。まあ、まぐれやったかもしれへんけどな(笑)








「このまま一生かっとばすんや!」自分の人生をアクセル全開で楽しむこと





福滿仁

今は、経営を娘の麻記子さんに継いでいますよね。





髙井社長

カタシモワイナリーは、その理念を継いでくれる人がいたら、M&Aも選択肢の一つだと思っていたんや。でも、会社勤めをしていた娘が継いでくれるとは思わんかった。今は一緒に机を並べているけど、継ぐことに決めた理由は聞いたことがないな。





福滿仁

今日は、社長のあつい思いにふれる一日だったんですけども、社長のその思いは、どうやって伝えていったんですか?





髙井社長

うーん、日頃から共有することかなあと思うんやけど、押し付けることはしないねん。継いでからは娘の技量の話やし、ぼくがあれこれ口出しするものじゃないな、と。たとえ親子であれ、娘の人生は他人の人生やないの。ほっとこうよ、って思う。





福滿仁

意外です。





髙井社長

結局な、わしは自分の人生をアクセル全開で楽しんでるだけやねん。わしは、この風景を残すことが絶対何かにつながると信じてる。だからわしは、明日も明後日も風景をつくる。不法投棄のゴミを片付けてな、全部ぶどう畑にするねん。ほんで、大阪のシェフたちが無料で集まれるチャレンジレストランをつくってな、あべのハルカスを見下ろせるデッキをつくってな。このままかっとばして、死に逃げするんや!







福滿仁

最後に、近大生へアドバイスをお願いします。





髙井社長

百聞は一見にしかず、という言葉があるやろ。理解できても、実感できてへんとあかんのや。知識ばかり増やしたらあかんで。自分で経験するんや。「知っていること」と「やっていること」は雲泥の差やからな。





福滿仁

経験してみても、うまくいかないことがあると思います。失敗は、してもいいですか?





髙井社長

失敗はないんや! 今、目の前に2つの道があるとするやろ。左右どちらへ進んでも失敗はないんや。自分が左へ進みたいと思ったら、人のことをは気にせんと、自分の信念を貫いてごらん。「やっぱり右にしておけばよかったな」と思うこともある。でもな、左の道を一生懸命歩いたらいいんや。また新しい道が見えてくる。その姿を誰かが必ず見ているから。





福滿仁

卒業を前に勇気をもらえた一日でした。髙井社長、今日はどうもありがとうございました!







対談を終えた福滿さんの感想は?

事前に質問を色々と考えていたんですが、いざ取材がはじまると、髙井社長のパワーに終始圧倒されっぱなしの一日でした。

髙井社長は現在70歳。今後は一体何を成してしていくのだろう……? 50年近くも離れた先輩の未来が気になりました。僕はあんな風になれるかな……とも思いながら、ちょっと悔しくなっています。でも、このまま負けてられへんなという気持ちです。

そしてこの日、最後にお土産として、人生で初めてワインを買いました。家に帰ってから飲んでみると、色々な味が重なって口の中に押し寄せてきました。まだワインの味はよくわからないけれど……。そうそう、社長は、これからまた新しい畑をつくるそうです。「いつでも来てや」と言ってくれたので、僕は草刈りをしに行こうと思います。そして、髙井社長に「福滿くん、やるやんか!」と一泡吹かせたい! そう思っています。




取材・文・写真:大越はじめ
企画・編集:人間編集部

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