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キャンパスライフ

2020.08.04

愛を込めて「キッチンカロリー」に花束を。53年、近大生の胃と心を満たしてきた名物食堂が閉店(店内360度映像付)

Kindai Picks編集部

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オリジナル記事
キッチンカロリー
近大通り
OB・OG

53年間に渡って近畿大学生たちを見守り続けてきた洋食店「キッチンカロリー」が2020年8月31日、ついにその歴史に幕を閉じます。ボリューム満点の洋食を安く食べられることから、特に体育会系の学生たちがこぞって通ってきた洋食店です。お店を営むのは、椎林要治さん・晴子さんご夫婦。かつて常連として通い詰めたOBの方々も集まり、ご飯を食べながら歴史を振り返りました。

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近畿大学・東大阪キャンパスのすぐそば「キッチンカロリー」は2020年8月31日に閉店してしまいます。御年80歳を迎えた椎林要治さん・晴子さんご夫婦がついに、「引退」することになったのです。


左から椎林晴子さん・要治さん

学生時代にお腹いっぱい食べたり、先輩におごってもらったり、練習終わりに至福のひと時を過ごしたり……。と、多くの近大生たちの思いが詰まった「キッチンカロリー」。

そんな名物店の閉店を聞きつけた近畿大学の應援團(現応援部)とアメフト部の皆さんが大集合。「キッチンカロリー」名物のガチャ鉄板焼きやポークカロリーを食べながら、ご夫婦の53年間とOBの皆さんの懐かしい思い出を一緒に振り返らせていただきました。

動画を360度回転させて、懐かしい店内の様子をお楽しみください。(スマートフォンの場合は動画のタイトル部分「キッチンカロリー店内360度映像」をタッチしてYouTubeのページにてご覧ください)


親友の弟に触発されて、大学卒業後飲食の世界へ


――とうとう、あと1ヶ月になりましたね。要治さんはなぜ、キッチンカロリーをオープンしたんですか?

要治さん:もともとは、飲食店をやるなんて思っていなかった。明治大学の学生時代、本当にお金が無くて、ずっと腹を空かしていて。そんなときに、大学の近くにあった安くてお腹いっぱい食べられる食堂に毎日通っていたんや。それが、「キッチンカロリー」。実は、「キッチンカロリー」はこの食堂から継がせていただいた名前なんやで。


左写真・手前と右写真・左が要治さん。昔はコック帽とコック服でキッチンに立っていたそう。昭和42年に撮影

――なるほど! 実は東西に「キッチンカロリー」があるのですね。

要治さん:そう。でも学生時代は通っていただけで、そのまま卒業して関西に帰ってきてん。卒業後は税理士事務所で働いていたけど、ぜんぜん飯が食えへんくて。結局1年で辞めてしまった。「何して食べていけばいいんやろう」と、悩んでいたときに親友の弟が調理学校へ通い始めて、彼に「なんで料理人やねん」と、聞いたら調理人になりたい理由をしっかり話してくれた。やりがいもありそうやしこの食糧難の時代に、学生たちが腹いっぱい食べられる店を作りたいって思い立ったのが25歳の時やったかな。それで、腹くくって家出同然で「キッチンカロリー」に飛びこんでいったんや。


マスター、おやっさん、お父さん……近大生からはさまざまな呼び名で呼ばれる

――また東京に戻ったんですね。

要治さん:飛びこんだのはいいけど、最初は「大卒がフライパンをふれるか!」って拒否されてもうてね。でも、「どうしてもやりたいので、どうかお願いします」って、辛抱強く頼み込んでなんとか入れてもらえた。周りは15歳〜21歳の若い子ばかりで、自分は25歳。飲食の世界は、一日でも先に入ったら年下の人でも先輩やからね。毎日一生懸命メモして、教えを守って、残業は全部引き受けて、365日中一日たりとも休まなかった。それこそ、お正月も帰らんと、ずっと修行してな。そうやって2年間必死に修行して、いよいよ独立しようとしたときに「キッチンカロリーの名前を受け継がせて欲しい」ってオーナーに頼んだら、快く受け入れてくれて。


お店を手作業でリフォーム。そのまま53年



昭和43年、近大通りに生まれたキッチンカロリー。実は手作業でリフォームしたそう

――それで、近大通りに「キッチンカロリー」が生まれたんですね!

要治さん:当時はみんなお金がないけど「カロリー」つけたいだろうから、いい名前だと思って。今は痩せたい子ばっかやから、逆やけどな(笑)。
それで、物件探しをして。お座敷麻雀だったこの店を買い取って、親父に手伝ってもらって手作業でリフォームした。今はDIYいうんやろ?

――えっ!手作りなんですか?建築の知識があったわけではないですよね?


平成15年の生駒祭にて、應援團が掲げる大学旗とキッチンカロリー

要治さん:全くの素人やで。でも、お金がなかったからなあ。キッチンカロリーの看板も自分でつけたし、柱も抜いたし、壁板もつけたし全部作った。ちょっとでも、ええ店に見えるようにペンキ塗ったりしてな。でも、長年やっているといろんなとこがあかんなってくるし、途中で改装ってのも考えたんやけど、うちのお客さんは味のある店が好きな人が多くてなあ。気づいたら53年経ってしもてたわ。

晴子さん:OBの子なんかは、久しぶりに遊びに来たときに「当時のまんまやなぁ!」って懐かしがってくれるからいいわよねえ。オープンしてから椅子と机以外なーんにも変わってへんからね。


平成16年当時、キッチンカロリーによく通っていた学生たちと晴子さん

――キッチンカロリーには、オープン当初から近畿大学の運動部の皆さんがこぞって通ったと聞いています。

要治さん:学生に使ってもらうには、運動部を捕まえたらいいと東京の「キッチンカロリー」で学んでいたので、最初は水泳部の子らを捕まえたら合宿で使ってもらえるようなってね。それから、ハンドボール部、アメフト部……と、贔屓にしてくれる部活がどんどん増えていって。多いときは1日に3つのクラブの合宿が重なって、30分で前の団体のご飯を下げて次の団体分を用意して……って、もうてんてこまいなときもあったね。

晴子さん:安くて量が多いから、学生さんたちも毎日通ってくれて、みんなよくご飯を食べてくれたなぁ。今はこの周りに飲食店もたくさんできて、学生さんの足が少し遠のいたけど、OBの皆さんがいまだに通ってくれたり、顔を見せに来てくれるのが嬉しいね。

――そういえば、2017年、近畿大学と吉本興業の共催で、東大阪キャンパスにて行われた「近大版 吉本新喜劇」では、キッチンカロリーが舞台になっていましたよね。

要治さん:そう! 大阪人にとって新喜劇は特別やからね、あれは嬉しかったなぁ。キッチンカロリーそっくりそのまんま、新喜劇の舞台になって。本当は見に行きたかったけど、営業があったから行けなかったんやけどなあ。今でもその新喜劇を取り上げてくれた新聞の切り抜きは、記念に飾ってんねん。



平成29年のホームカミングデー 近大版 吉本新喜劇では、キッチンカロリーを舞台にいつもの喜劇が繰り広げられた


儲からなかったけど、宝があった


――お店の閉店はいつ頃決められたんですか?

要治さん:二人でいけるところまでは店を続けようと決めていたんやけどね、数年前からそろそろ潮時かな……とは、思っててん。で、今年の頭に家族会議をして、自分たちももう体力に限界がきているなと。9月1日オープンだから、8月31日にちょうど53年。そこで区切りをつけて、閉めようって決めた。本当は8月になってから公表しようと思っていたんやけど、晴子がうっかり口を滑らしてしまったんや。

晴子さん:いいじゃない!近大さんがOBの皆さんにメールを流してくれたり、Twitterでも言ってくれたし、そのおかげでみんなが会いに来てくれたんやから。北海道や熊本からも手紙をもらったんよ。全国のOBの皆さんから「寂しい」って言ってもらえて、こうやって思ってもらえることが何よりの宝。うちはね、儲からなかったけど、それ以上の宝があったんやなあって。


「私は口から生まれたようなもんやからね!」と笑う晴子さん

――お二人だからこそ、残せた宝ですね。

要治さん:せやなぁ。閉めることに全く、悔いはない。うちに通ってくれた子たちに会える場所がなくなるのは寂しいけどなぁ。近くを通ったら、最後に食べに来てもらえたら嬉しいねえ。

晴子さん:最後に寄せ書きをしてもらえるノートを作ったのよ。OBの皆さんはカロリーに来たら書いていってねって。こうやって書いてもらえるのが、本当に幸せやからね。


「忙しくて出していないときもあるから、お店に来たら声かけて!」と晴子さん。OBの皆さんは、ここで懐かしい出会いがあるかも


應援團といえばここ。脈々と受け継がれた場所


学生時代はもちろん、今でも「キッチンカロリー」に定期的に通う應援團(現応援部)とアメフト部OBの皆さんが到着。皆さんが、当時座っていた席に座り、思い出のメニューを注文していきます。

最初にお話を伺うのは、應援團OBの居川誠一郎さん・長谷川慎哉さんとチアリーダー部OBの平川拓夢さん・岡野将伍さん。


左手前から居川誠一郎さん(53歳/商経学部卒)、長谷川慎哉さん(54歳/商経学部卒)、平川拓夢さん(24歳/経営学部卒)、岡野将伍さん(23歳/理工学部卒)。

――皆さんはよくキッチンカロリーに来ていましたか?

居川さん:ほんまに毎日来ていたね。僕は1年生の時、先輩らのお使いでやって来て、おっちゃんとおばちゃんに「あんたが今年の一年か」って言われて。ちょっとビクビクしながらでき上がりを待つ間にコーラを出してもらったのが思い出に残っていて。当時は、幹部にならないと「キッチンカロリー」には堂々と入れなかった。下級生のときは、ちょっとのぞいて誰もいなくて、こっそり入ったら先輩に見つかって、どやされたもんですよ。ほんまに思い出の場所やねえ。

平川さん:僕は普段は学内でご飯を食べることが多かったんですよね。だから、自分にとってのキッチンカロリーは「先輩が連れてきてくれる場所」でしたね。いつもご馳走してくれるんですよ。

――なるほど、時代とともに形を変えながらも、應援團・応援部にとっては大事な場所なんですね。

長谷川さん:昔は、應援團の飯どころといえばキッチンカロリーでした。脈々と受け継がれていますね。卒業してからもここにきたら誰かに会うし、先輩と来たりもする。俺らも当時のマスターの年齢になったんですね。年取ったなあ。


53年間キッチンに立ち続けた要治さん

ーー学生時代のキッチンカロリーはどんなお店でした?

居川さん:我々が学生のときはマスターのお父さんとお母さんもお店を手伝っていたんですよ。お母さんはじっと座ってお会計していて、いつもお釣りを渡すときに「はい、30万円です」って真顔で言うんですよ。それが冗談なのか、なんなのかわからなくておもろかったなあ。

――ユニークなお母さんだったんですね! お店の閉店を聞いたとき、どんなお気持ちでしたか?

長谷川さん:ほんまに驚きましたね。今でも月に1回は必ず来る場所やし、無くなるのは本当に寂しいですね。閉めるって聞いたとき、應援團の若いのを修行させようかと思ったんですよ(笑)近大生にとって大事な店やから守らなあかんやろって。本気でやりたいやつおらんか? って聞いたりもしました。


「のどいっぱい」までご飯を食べていた思い出



左手前から、夏山純也さん(47歳/商経学部卒)、谷本浩一さん(48歳/文芸学部卒)、岡田善行さん(60歳/商経学部卒)、木村正人さん(58歳/商経学部卒)、中山一郎さん(49歳/商経学部)、大城健一さん(52歳/商経学部卒)。

次にお話を伺ったのは、アメフト部OBの夏山純也さん・谷本浩一さん・岡田善行さん・木村正人さん・中山一郎さん・大城健一さん。

何やら、当時増量のために食べさせられたという「ピラミッド盛り」のご飯を注文しているようです。


ご飯が山盛りになって登場! この形は…?

夏山さん:キッチンカロリーは、いつも監督が連れて来てくれる場所なんです。当時は、これを最低3杯くらい食べていましたよ。増量のために、お腹いっぱいじゃなくて文字通り「のどいっぱい」まで食べさせられました(笑)

――さすがアメフト部……。監督はトレーニングとしてキッチンカロリーを使われていたんですね!

岡田さん食べさせられた、じゃなくて食べさせていただいたやろ(笑)。ご飯がてんこ盛りやのに安いのはありがたかったね。俺らみたいな体育会系は、普通に食べていたらお金が続かないからねえ。どこの大学にも一つはないといけないね、こういうところ

――いつも練習終わりに来ていたんですか?

中山さん:そうやね。夜の辛い練習乗り切ったあとにカロリーに来れるってのが、ほんまに幸せやったなあ。あ、プライベートと監督で来るときは別物やで。好きなものを好きな量でおいしく食べれるときは幸せやったね。で、体重測定で増量してない部員は強制連行でカロリーに連れて行っていただいていた(笑)。それも今思えばいい思い出です。

谷本さん:昔はドラカツ(ドライカツカレー)をおかずにご飯を食べろ!とか言われていたなぁ。今、こうして食べるとめちゃくちゃおいしいんやけど、当時食べさせられた辛い思い出のほうが大きいかも……(笑)。


ドライカレーにカツをトッピングし、さらにカレーをオンしたドライカツカレー。通称は「ドラカツ」

――青春ですねえ。いつも何を頼んでいました?

中山さんドラカツ派とガチャ(ガチャ鉄板焼)派と分かれていたなあ。特にガチャのスパゲティは、できるだけ早く食べないと腹にめちゃくちゃくるから気をつけなあかんのですよ。いい、思い出やねえ。

――お! ピラミッドご飯完食ですね。すごい!

晴子さん:もう、なくなりました?もっとご飯入れてきましょか?

夏山さん:ありがとうございます!でも、大丈夫です!

(一同笑い)


カロリーがあったから、お腹いっぱい健康に過ごせた


最後にお話を伺うのは、かつて應援團の団長を務められた福井昌勝さん・廣畑徹さん。副団長を務められた、竹田顕さん。


左から竹田顕さん(55歳/商経学部卒)、廣畑徹さん(63歳/理工学部卒)、福井昌勝さん(75歳/法学部卒)。

――やはり、閉店してしまうのは寂しいですよね。

福井さん:キッチンカロリーは俺が団長やった時にオープンしたんや。最後やから、おやっさんに会わなあかんなと思ってきたんやけど、やっぱり昔のままやね。ここを含めて、当時お店は何十軒もあったけど、残ったのはここだけ

――当時の皆さんは毎日「キッチンカロリー」に?

廣畑さん:ほんまに毎日来ていたね。迷惑もたくさんかけた。1年〜2年はOBが食べ終わるまで立って待っていなきゃいけなかったから、應援團おったら他の学生さんは入れなかったり(笑)。懐かしいね。

――應援團ならではのエピソードですね。皆さんは◯◯派ってありましたか?

竹田さん:俺はSハン(特製ハンバーグ定食)派だったね。普段はガチャを食うてたんやけどお金に余裕があったらSハンにしていた。Sハンは100円高かったらね。ご褒美で。


特別な日に食べるのがSハン。ハンバーグと目玉焼き、スパゲティが乗ってボリュームたっぷり。

廣畑さん:俺はガチャ派だったね。昔は忙しいのに「二日酔いやろ」ってアロエを刻んで食べさせてくれることもあった。53年もおやっさん体よう保ったなあ。


たっぷりの野菜をカレー味で炒めてスパゲッティを添えたキッチンカロリー名物・ガチャ鉄板焼

――皆さん色々思い出があるんですね……!もし良ければ、オープン時から見守り続けてきた福井さんからメッセージお願いします。

福井さん:僕らはみんな苦学生で、貧乏だった。キッチンカロリーがあったから、お腹いっぱい健康に過ごせたね。おやっさんが53年間健康でいてくれたおかげ。本当に、ありがとうって気持ちでいっぱいですね。


53年間、本当にお疲れさまでした。



應援團OBから花束をプレゼント


思わずタオルで目頭を抑えた要治さん。思いが溢れます。

今回のインタビューで印象に残ったのは、OBの皆さんが来たときに晴子さんと要治さんが見せた弾けるような笑顔でした。そして、さらに驚いたのが晴子さんと要治さんは、近大OB全員の名前を覚えていたこと。

きっと、日々ご飯を食べに来る当時の近大生たちを自分の子どものように思い、本当に愛を込めてご飯を振舞っていたのではないでしょうか。親元を離れて頑張る学生の皆さんに、このキッチンカロリーのご飯がどれだけ染み渡ったのだろうか……と、感慨深い思いでいっぱいになりました。


最後は、元團長の廣畑さんによる近大應援團伝統の舞で締めた

53年間ずっと、変わらないメニューを届け続けたお二人。キッチンカロリーはその歴史に幕を下ろします。けれども、きっとOBの皆さんの心の中で残り続けるはずです。目には見えないけれど、価値のある「宝」を残したお二人の素晴らしさは、本当に計り知れません。

キッチンカロリーの閉店まで、あと少し。全国のOBの皆さん、最後に要治さんと晴子さんに会いに行ってください。要治さんと晴子さん、53年間本当にお疲れさまでした。


-続き-


追記

8月31日、ついにキッチンカロリーは閉店を迎えました。
最終日は、これまでお世話になった近大生たちが大集合。たくさんの花束がお店に届きました。


店頭で花束贈呈式を行いました


涙を堪えて話す椎林夫妻

何度も何度も「感謝の気持ちを申し上げます」と話した椎林夫妻。2人で駆け抜けた53年間は、苦しいことも大変なこともあったと思います。それでも毎日笑顔で美味しいご飯を振る舞って、近大生たちの青春の時間を見守り続けてくださり、ありがとうございました。また、いつかどこかで。
(2020.9.09 追記)


取材・文:小田切萌
写真:納谷ロマン/吉間完次
企画・編集:人間編集部

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