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2023.10.06

【落語家・柳家風柳師匠】下積み15年。二刀流の落語を携えた真打登場。「寄席のオータニサン」ここに在り。

Kindai Picks編集部

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2022年、晴れて真打昇進を果たされた落語家・柳家風柳師匠。2023年には令和4年度国立演芸場「花形演芸大賞」銀賞を受賞し、落語界の「オータニサン」としてご活躍されています。今回は風柳師匠の学生時代のエピソードから下積み時代のお話、そして今後の展望について伺います。

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柳家 風柳(やなぎや ふうりゅう)
落語家。大阪府枚方市出身。1998年(平成10年)に近畿大学商経学部(現・経営学部)卒業後、鈴々舎馬風に入門、「鈴々舎やえ馬」として前座で活動後、二ツ目昇進とともに「鈴々舎八ゑ馬」に改名。2022年3月21日に真打に昇進し「柳家風柳」として活動を始める。2023年3月、令和4年度国立演芸場「花形演芸大賞」銀賞を受賞、本名である大谷 亮になぞらえ「寄席のオータニサン」を目指し、江戸落語と上方落語の二刀流に挑戦中。



「師匠」と呼ばれるまでの長い下積み時代




――本日はよろしくお願いいたします。まずは、簡単に師匠のご経歴をお伺いできますでしょうか。

風柳:平成10年に近畿大学の商経学部経営学科を卒業しました。その後、尼崎の楽器店に就職したり、お笑い芸人を目指したりと、さまざまな経験を積み重ねました。紆余曲折の末、2007年の2月に噺家として鈴々舎馬風に入門しました。入門後は、15年にわたる下積みの時期を経て、2022年の3月に真打に昇進し、「柳家風柳」として活動させていただいています。


真打昇進記者会見時の写真

――真打というのは落語界でも最高の力量を持つとみなされる肩書きと聞いています。ここまで来られるのにどんな歩みがあったのでしょうか。

風柳:我々江戸落語の世界には階級制度があるという話をご存知でしょうか。まず師匠に弟子にとってもらった後、半年から1年ぐらいの「見習い」の期間を経て「前座」となるのですが、そこからは365日ほぼ休みなしの修行期間が始まります。私の一門はまず朝に師匠の下へ行き、掃除、買い物などの身の回りのお世話をして、そこから寄席に行き、出番の師匠方へお茶出し、着物のお世話、舞台転換、出囃子の太鼓などの修行です。

それを大体3年から5年こなすと「二ツ目」に昇進します。それまでは修行期間で、二ツ目になってようやく「落語家」と呼ばれ独り立ちいたします。そこから落語の修業をして、大体10年ぐらい経っていよいよ「真打」に昇進することができます。真打となりますと、はじめに呼んでいただいたように、周りからは「師匠」と呼ばれ、弟子を取ることもできるようになります。


二ツ目時代、高砂部屋で落語をしている写真

――ここまで長い下積み期間を重ねると、相当なご苦労があったのではないでしょうか。

風柳:とにかく前座がきつい、本当にきつかったです。しかも入門したのは、まあ私が悪いのですが、周りよりも年齢を重ねてからでした。遅く入った分、体力的にもきついし、ある程度の社会性を持ってしまっていたことで、落語界のルールになじむために、いっぺん自分の常識を全部取っ払ってルールを受け入れなきゃいけなかった……それがなかなか難しかったですね。

しかも、私が前座を務めていた当時は3年で二ツ目に昇進することができたはずなんですが、ちょうど昇進が見えていた年に私が所属する落語協会で前座の期間を延ばす方針になり、そこから1年伸ばされそれが一番きつかったです。例えるならフルマラソンのゴール直前に「ゴールテープを10km先で伸ばします」って宣言されたようなものでしたから(笑)


YouTube寄席

――そこまで大変な思いをされていたのなら、それ以上の苦労はもうなかったのではないでしょうか。

風柳:いや、コロナ禍での制限下の方がきつかったですね。あの制限下だと、生の演芸は全否定。緊急事態宣言、客席の密、飛沫の問題もありましたし、寄席のメインのご年配のお客様の足が遠のいてしまいました。楽屋のお茶出しも感染予防対策で紙コップになり、ベテランの師匠方がお茶入り紙コップを持っていたので、病院の検尿みたいでしたよ(笑)。

私も、YouTubeなどオンラインも活用しましたが、目の前にお客様がいらっしゃらないとただの大きめの独り言みたいで(笑)。なかなか慣れずやりにくかったんですが、それでも落語をするためには、何かしらのことを自分たちで新しく考えてやっていかないといけなかったわけです。
もちろん、新しい落語の届け方として、今でもそのような場所で積極的に活動している方もいます。良い捉え方をするならば、コロナ禍で試行錯誤したお陰で、初心者の方向けのコンテンツなど落語に興味を持ってもらえる場が増えたかもしれませんね。


めくるめく落語の世界




――師匠が落語の世界を志したきっかけは何だったのでしょうか。

風柳:はじめは落語家ではなく「お笑い芸人になろう」と東京に出てきました。そこでライブのためのネタ探しに寄席に通い、古典落語を聴いていたんですけど、実は落語ってすっごい発想ばかりで、今のお笑いにも通ずるものがいっぱい出てくるんです。そこから落語を聴くのが好きになり、特にですが五代目柳家小さん師匠の落語を聴き、落語家になりたいという思いを持ち始めていました。

そしたらある日、テレビで私の後の師匠となる鈴々舎馬風が古典落語をやっている姿が目に映ったんです。師匠は、普段は寄席や落語会で漫談の爆笑派で有名だったのですが、古典落語をそのままに噺す、その姿がとにかくかっこよくて……。

実は師匠の馬風のさらに師匠が先ほどお話しした、五代目小さんでして、師匠馬風が古典落語を噺すとそっくりになるんですよ。「あ、この人から全てを教わりたい」と弟子入りするきっかけとなりました。


馬風師匠との写真

――そして、馬風師匠から落語を教わってきたのですね。

風柳:いや、それが落語は何も教わってないんです(笑)。師匠は「教えることなんか何もない、自分で盗んでくるもんだ」という教えで、何一つ教わった覚えがないんです。見習いや前座の時にはずっと師匠や先輩の姿を見て、二ツ目でもひたすら体得を繰り返していました。今思うと、師匠の芸は師匠の風貌や性格があってこそのものなんで、弟子が同じように喋ってもウケないことが分かっていたのでしょう。私も、師匠の芸をまねして大すべりしてからようやく気付いたんですが(笑)。

――それが今や「寄席のオータニサン」を目指して二刀流に挑んでいるほどになっておられますね。

風柳:あれは会見で言ってしまったことが始まりだったんですよ。で、みんながそれを取り上げてくれて「こりゃ二刀流を前面に出してやらなあかんな」となってしまって。そこから当初予定してたネタも全部変えて、各寄席、上方落語と江戸落語のネタを用意するようになりました。ただ、上方落語と江戸落語の両方やるって大変で、やったことあります(笑)?あの時「寄席のオータニサン」なんて言わんかったらよかったと何度か思ってしまいました(笑)



――上方落語と江戸落語はどこが違うのですか。

風柳:前提として言葉が違います。また、滑稽噺(こっけいばなし)と言われるような笑える噺のほとんどは元々上方落語から来てまして、逆に人情噺なんかは江戸落語が多いですね。上方落語は古くは外で行われていた経緯もあって、派手で陽気で喋りも流暢なんです。表を歩くお客さんも引き込むように、とにかく楽しくて聴きやすい喋り、エンターテイメントの要素もあると思います。
逆に江戸落語は削ぎ落す文化で、人が聴いてくれる室内で落語をしてきたので、できるだけ邪魔なものは削いでお客さんに噺の世界に入ってもらうことを大事にしてます。余計な台詞やギャグ、動きなんかでお客さんを現実に引き戻してしまうことがないように、言葉数を減らして間をたっぷり取って、こちらはお芝居に近いとも言えますね。ただ、これは私の主観ですし、今はいろんな噺家が様々なやり方をしておりますので、上方落語と江戸落語の違いを一概に言うのも難しいです。


近畿大学の思い出、予言に翻弄された学生時代



大学時代の写真(一番右が当時の風柳師匠)

――近畿大学を選ばれた経緯を教えてください。

風柳:一言で言うと、じいちゃんのためなんです。おかんが裏でじいちゃんに嘘をついて、「孫は頭がいいから将来は心配ない、大学に行くから大丈夫」なんて言ってたらしくて。そしたらちょうど進路決める時期にじいちゃんが病気になってしまい、病室でも「合格通知が見たい」って言っていたみたいで、そこから大慌てで大学に進学することにしました。まあ案の定落ちてしまい、じいちゃんに報告に行ったら悲しそうな顔をして、その三日後には亡くなってしまいました。じいちゃんの弔いで浪人も決めたんですが、当時は大学受験なんてできるほどの学力はなく、模試の判定も最低ランクでした。
ただ、近畿大学の入学試験はマークシートやったんですよ。今は制度が変わってるかもしれませんが、数学は数Ⅰだけで受けられる。一年間だけでもそこに絞って勉強すれば、英語も国語もマークシートやし、いけるかもって思って受けたら通ったんです。それが近大に入ったきっかけと経緯ですね。

――近畿大学でのエピソードなどはありますか。

風柳:私は不真面目な学生でして。というのも、当時の商経学部はめちゃくちゃ学生が多く、だから全員がまともに来たら教室に入れないくらいの人数になってました。もちろんゼミだって全員が希望に受かるもんでもなくて。だから大学から足が遠のいていくのも自然とというか……(笑)。しかも私が子供の頃は「1999年に世界が滅びる」ノストラダムスの大予言が流行して恥ずかしながらそれを信じていたんです。これはやりたいことは今のうちに全部やっとかなあかんと思って、あれやってこれやって、と勉強以外のことに忙しかった学生生活でした。



――今だから笑い話にできることなんかもありますか。

風柳:とにかく世界が滅びるんやからやりたいことをやりきろう、というスタンスで生きていたんです。でも結局世界は滅びんかったんですよ(笑)。そこで得たのは喪失感「ええ? これからも生きてくの? やりたいことしかやってきてない。今更どうしよう」という感情やったんです。その時はいろんな童話が身に染みてきて、「アリとキリギリス」とか「浦島太郎」とか。リアル浦島太郎は悲惨ですよ(笑)。散々遊んで真っ当な社会に戻って来ても、周りは若く輝いて見える、自分だけ只々年を取ってしまった感覚、玉手箱を開けた感覚です。

笑い話というか教訓にしてほしいです。でもその時のことを思うと今はいいことしかないです。地球滅びると思っていましたからね(笑)。こうして生きて、家庭も持てて落語も続けさせてもらっています。賞を頂いたり、こうやってインタビューまでしてもらったりとか……ほんまに滅びんでよかった。

――逆に学生時代にもっとやっておけばよかったなぁというようなことはありますか。

風柳:完全に勉強です(笑)。落語家は社会的にはフリーランスなのでこう見えて経営の知識が必要なんです。特にコロナ禍では補助金申請をする関係で、売り上げの確定申告やら帳簿やらいろいろなものが必要になり、あの頃はYouTubeを見ながら一生懸命経営の勉強をしました。本当に大学でしておけばよかったなと思いながら……。経営の勉強をしておけば、もっとやりようがあったんちゃうかな、と思う場面も思い返せばいくつもありました。


「卒業してよかった」と思える大学に




――この記事をご覧いただく学生、その保護者の方や卒業生へメッセージをお願いします。

風柳:今大学に通われている方々は、本当に勉強しておいたほうがいいと思います。これは誰もが言うことですし、きっと自分が学生の時は気付けないことでもありますが。ただ、やっぱり勉強して損になることなんてどのジャンルに進むことになってもないと思います。それは芸人として落語をやっている今でも思うことですし「勉強は絶対しといてください」と強く言いたいですね。

また、今は近大が有名となり、ある種のブランドとして認められてきているので、卒業生がもっと近大卒を誇りに持ってまとまれるようなものがあればいいと思います。校友会の方々が色々動いてくださっているので、この様な活動ももっとうまくいってほしいです。たまに近大以外の校友会にも呼ばれて落語をやらせてもらうことがあるんですが、その中でも、まとまりがあり、卒業生が母校に誇りを持てている大学にはやはり憧れます。今は近大のイメージがかなりよくなっていますので、次は卒業した方が「近大卒でよかったな」と卒業後も誇りに思えるような大学になってほしいですね。もちろんそのために落語を使って協力できることがあるならぜひ協力させていただきたいですし、卒業生としても、下の世代のために何かしら動いていく必要があるな、とも感じています。

――最後に師匠の今後の展望を。

風柳:近大に呼ばれることです(笑)。入学式、卒業式と言わず、近大サミットや、花見会、何でも構いません。近大の校友会からは、落語の後ろ幕を作っていただいたり、いろいろ有難いことをやっていただいて非常に感謝をしておりますが、やはり近大からなにかオファーをもらうことが、卒業生としても落語家としても一番の夢です。
ぜひ「寄席のオータニサン」へメジャー級のお仕事をお待ちしております。

取材・文:笑屋株式会社
写真:鈴木智博
企画・編集:近畿大学校友会

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