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2020.09.23

近大OBの元大相撲力士が語る、近畿大学相撲部の強さの秘訣とは

Kindai Picks編集部

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2020年9月13日から大相撲の秋場所が開催されています。近畿大学相撲部は角界に多くの名力士を輩出してきた名門。現在でも幕内の番付には朝乃山・宝富士・德勝龍・志摩ノ海と、なんと4人もの力士が。近畿大学相撲部の強さの秘訣とは。そして部を支えてきた故伊東勝人前監督の教えとは。近畿大学相撲部のOB・元大相撲力士の上林さんが解説します。

元大相撲力士が紹介する近畿大学相撲部




Kindai Picks読者の皆さん、はじめまして。近畿大学相撲部のOB、上林義之(かんばやし よしゆき)と申します。私は2018年まで大相撲の世界で「大岩戸(おおいわと)」という四股名で力士として相撲を取っていました。現在はABEMAの大相撲解説などの仕事で相撲に関わっています。


現役時代の私です。

近畿大学相撲部は、大学内でもっとも古い歴史を持つ部活のひとつです。そして近畿大学は、大相撲の世界に数多くの名力士を輩出してきた名門大学なのです。高砂親方(元大関朝潮)や伊勢ケ濱親方(元63代横綱旭富士)など、いま力士の育成にあたる親方たちも、近畿大学相撲部の出身です。

大相撲に所属する力士約650人のなかで、4人に1人しかたどり着けない「幕内」と呼ばれる番付にいる力士たち。その幕内にいま、大関朝乃山を筆頭に宝富士・德勝龍・志摩ノ海と、なんと4人もの近畿大学相撲部出身の力士が在籍しているんです。


2019年に大相撲夏場所で初優勝を果たした朝乃山。

三役経験無しの優勝は58年ぶりの快挙!近大卒の大相撲力士・朝乃山が語る、学生時代と今

9月13日から九月場所が開催されています。角界を席巻してきた強豪校・近畿大学相撲部の歴史はどういったものなのか? どうしてこんなに強いのか? 知るともっと相撲が身近に思えるお話がたくさんあります。

近大相撲部OBであり、元大相撲力士の私が近畿大学相撲部や大相撲を知る一歩として、お話をさせていただければと思います。


寮生活! ブレザー着用必須! 100年近く続く近大相撲部の掟




近畿大学相撲部の歴史は今年で95年。近畿大学は、1925年創立の「大阪専門学校」と、1943年創立の「大阪理工科大学」を母体としており、相撲部は、この大阪専門学校の時代から続いています。約100年ものあいだ続いてきた、歴史ある名門なのです。

しかし「相撲部があるのは知っているけど、実際に部員に会ったことがないなあ」という学生の方、卒業生の方も少なくありません。それは、相撲部が近畿大学にある部活のなかでも、かなり特殊なカリキュラムを組んでいるからです。

相撲部は水泳部や陸上部と同じくスポーツ推薦枠で入学してきた学生ばかりです。スポーツ推薦で入学した学生たちは、法学部・経営学部・工学部・産業理工学部・短期大学部のどこかに所属します。私は、商経学部(現・経営学部)に所属していました。

そして、日中は練習に打ち込み、授業は夕方〜夜間におこなわれます。つまり基本的にスポーツ推薦の学生以外とあまり関わりを持たないんです。

しかも近畿大学の相撲部の特徴として、全員が寮生活必須です。いま現在、全国にある大学相撲部で寮生活を実施しているところは沢山ありますが、私の知っている限り朝に稽古するのは近畿大学と東洋大学くらいではないでしょうか。午前中に稽古をして、お昼を食べて、昼寝をして(寝ることも稽古のひとつ!)、午後からは授業へ、そんな生活をしております。

一般学生との唯一の接点は、教員免許取得のための授業。私も地理・歴史の教員免許を取得しているのですが、教職関係の授業に限り稽古を途中で上がらせてもらい受講していました。



そしてこれも近大相撲部の伝統なのですが、学校に行くときはブレザーの着用が義務付けられています。教職の授業ではずいぶん珍しがられたのを覚えています。皆さんも、学内でやたらとガタイがよくて、スポーツ刈りで、どんなときもブレザーを着用している男子学生がいたら、それは近大相撲部の学生なんだなと思ってください。


厳しい掟と基礎練習が強い相撲選手を育てる




ここまですでに、近大相撲部って厳しいなあと感じたかもしれませんね。実際、とても厳しいです。とくに1年生は、稽古場の掃除や寮での食事の準備、先輩方の世話など稽古以外でもやることがいっぱい。そう、相撲部の日々の食事は、1年生が持ち回りで「ちゃんこ番」をするのです。部員全員、30人前の食事を短時間でつくらなければいけません。

1年生だった当時、ある日あまりに練習が厳しくてうっかり授業で寝入ってしまったのです。気づいたら授業が終わって他の学生はみんないなかった。しかもその日の私はちゃんこ番。調理をするちゃんこ番の他に、配膳や皿洗いを担当するサポート役の学生がもうひとりいるのですが「やばい、サポート役の学生に全部押しつけちゃってる!」と慌てて起きたら、なんと、そのサポート役の学生も教室で寝てたんです(笑)。あの時はふたりして焦りました……。

寮生活は自分の時間というものは(とくに1年生は)ほとんどないに等しいのですが、これは大相撲の部屋でも一緒。番付が下の力士が、上の力士の世話をしなければなりません。近大相撲部は、学生のうちから大相撲の部屋と似たような生活スタイルを築くので、卒業後に力士としてプロの道へ進んだときに、いちはやく順応できるというメリットがあります。



そして、近大相撲部の強さの秘訣はなんといっても練習にあります。近大相撲部は、他の大学では類を見ないほど基礎練習に打ち込みます。片足を高く上げてバランスを保ち、力強く足を地面に叩き下ろす四股(しこ)の動作。砂地の土俵上をすべらず自由自在に動くすり足。丸太にバンバン手で突く動作を繰り返すテッポウという稽古など。選手同士で相撲を取り合う時間は、じつは練習全体のなかではそれほど多くないんです。

じっくりとおこなう基礎練習は、見た目には地味ですが確実に選手の身体を強く育てていきます。聞いたことがあるかもしれませんが、力士はただ太っているのではなく、かなり筋肉質。力士同士のぶつかりで生じる衝撃はトラックと同程度にもなります(脂肪はその衝撃吸収材でもあるんです)。衝撃に負けないようにするには太い幹のような体幹と、しなやかな筋肉を持たなければなりません。

そしてやはり伝統的な四股によって育った筋肉と、いわゆる現代的なウエイトトレーニングで育った筋肉とは質が違うんです。相撲に詳しい人が選手のお尻を見るとなんとなくわかってしまうんですよね。


近大相撲部のレジェンド・故伊東監督の存在




そして、近畿大学の相撲部を語るに避けて通れないのが、近大相撲部で長らく監督であった伊東勝人さんの存在です。伊東監督は1991年・全日本相撲選手権大会でアマチュア横綱になった近大相撲部のOBでもあります。2001年から母校の監督に就任し、いままでに多くの選手を育て上げてきました。

徹底的なまでの基礎練習。近大相撲部の強さの根幹をつくったのはこの伊東監督です。私が学生の頃から指導いただいていたのですが、四股の動作だけでも、緩急をつけた3~4パターンを教えてくれました。地味できつい練習ですが、やはり1年たつごとに身体が目に見えて強くなる。それを身をもって教わりました。

とはいえ、旧来のやり方だけに固執していては時代に取り残されますし、強い選手を生み出し続けられません。伊東監督は、非常に柔軟なものの考え方をお持ちでした。相撲の世界以外からもどんどんトレーニング法を取り入れていたんです。

おそらく前日にテレビで見てひらめいたのでしょうが、ピンポン玉を左右変則に投げ、それを反復横飛びで追いかけて手で拾わせてきたり、地面に4つのマス目をつくって、そのなかをすばやくジャンプして移動させたり。あれは明らかに格闘技のトレーニングでした。ただ結果として、普段使わない筋肉を使うことで、全体の強化につながりました。

伊東監督は、在学中も卒業後も、多くの選手からあつい信頼を得ていました。厳しさのなかにも思いやりがあって、私も、大相撲の力士になってもよく相談に乗っていただきました。

選手からの信頼の理由は、伊東監督が、選手ひとりひとりの個性を尊重して育成に励んでくれていたから。決して「俺のやり方に合わせろ」といったようなことはしませんでした。

私は高校時代、いわゆる押し相撲のスタイルを取っていて、「まわしを掴んで投げるスタイルの伊東監督のやり方とは合わないんじゃないか?」と言われたことがあります。しかし伊東監督は押し相撲の私の個性を認めてくれたうえで、さまざまな戦い方も応用的に教えてくださった。おかげで結果的に自分の武器が増えたんです。

伊東監督は選手の個性を活かして伸ばす分、勝利には貪欲でした。試合に負けるとそれはそれは厳しく叱られたものです。

大相撲界には「3年先の稽古」という標榜があります。明日の勝負ではなく、3年先の勝負に勝てるための稽古を心がけよ……という意味合いの言葉です。私は、昔ならいざ知らず、現代においてこの指導法は古いと感じています。3年先のために、ただ毎日厳しい稽古を課せられるのではなく、若いうちから勝負の機会を何度も与えて、勝利の経験をたくさん積ませた方がいい。そのためには、選手それぞれの得意なスタイルを「勝てる相撲」に昇華させることが近道です。

おそらく伊東監督も同じ考え方だったのだと思います。選手がいかに試合で結果を出すかを常に考えていたので、決してムダな指導はしませんでした。しっかりした基礎練習と、他のスポーツの要素も取り入れた身体強化、そして選手の個性を活かした育て方……。今日の近大相撲部の強さの根底には、伊東勝人イズムがあるのです。


大黒柱の急逝と混乱を乗り越え、近大相撲部にいま望むこと




近大相撲部の大黒柱的存在であった伊東監督は、今年の1月に亡くなりました。急逝でした。伊藤監督がちょうど所用で東京に滞在していた時でした。

「伊東さんが亡くなった」という知らせは現役・OBに関わらず多くの近大相撲部関係者に衝撃を与えました。もちろん角界全体にとってもその衝撃は大きく、八角理事長(元61代横綱北勝海)も哀悼のコメントを出しています。亡くなった時、監督は55歳。いまはまだ指導にあたるけれど、5年先を見据えて後継者の育成や情報の引き継ぎなどをおこなっていかなければ……と考えていた矢先の死。大きな混乱と悲しみのなかで、稽古を続けていかなければならない選手たちの姿には本当に心が痛みました。

4月、伊東監督の遺志を継ぐかたちで阿部新監督が就任。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大による自粛で、選手たちは満足に稽古ができない日々が続きました。11月には大学生相撲の大会がありますが、選手の皆さんにはやはりそこで優勝してほしいですね。稽古が満足にできていないのはどこの大学でも同じ。伊東監督がいなくなっても「やっぱり近大相撲部は強いな」と周囲を圧倒してくれるような躍進を期待します。



そして大相撲界は、現在、九月場所が開催中です。伊東監督が急逝した頃にちょうどおこなわれていた令和2年一月場所では、德勝龍がまるで現役時代の伊東監督が乗り移ったかのように快進撃を続け、見事に優勝を果たしました。「監督が一緒に戦ってくれた」と男泣きした優勝インタビュー、志摩ノ海を従えての優勝パレードでは監督の遺影を高々と掲げていた姿が忘れられません。

現在、幕内で活躍する近大相撲部OBの4人にも、一層の活躍を期待せざるを得ません。大きな逆境のなかでも己を鍛錬し、勝ちを掴みにいってほしいと思います。

この記事をきっかけに近大相撲部に、そして大相撲に少しでも興味を持ってくれたなら、残りわずかではありますが、九月場所を皆さんぜひチェックしてみてください。厳しい掟と伝統のなかで育まれた力士たちの力強さをテレビでもネットでも触れてもらえたらなと思います。


(おわり)


取材・文:平山靖子
写真:藤原慶
企画・編集:人間編集部

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