
長田道(ながた みち)
近畿大学メディカルサポートセンター講師
専門:臨床心理学、カウンセリング
学生相談のほか、特別支援教育士としてADHD等の研究・指導実践も行なっています。
日本心理臨床学会/日本学生相談学会/日本箱庭療法学会/日本LD学会/日本精神分析学会 所属
「勉強が苦手」とは違う? 学習障害(LD)ってなんだろう
Aさん
今日はよろしくお願いします。僕は、以前
ADHD(注意欠如・多動症)の記事にも参加したフリーのWebディレクターなんですが、実は「読み書き」の方も結構クセがありまして、「もしかしてLDでは?」と疑っています。子どもの頃から国語の授業が苦痛で仕方なかったんです。特に、縦書きの文が読めなくて。
Aさん(写真左)は40代のフリーのWebディレクター。
ADHDの診断を受けており、服薬経験もある。
長田
よろしくお願いします。大学でもAさんのように「自分はLDかも?」と相談に来る学生はいますよ。ただ、ADHDほどネットで話題になることが少ないので、自分がそうだと気付いていないケースも多いですね。「勉強が苦手なだけ」「自分の努力が足りない」と思い込んでいることがほとんどです。
Aさん
僕もずっとそう思っていました。でも、大人になってから「どうやらこれは、ほかの人とは違うらしいぞ」と気付いたんです。ところで、そもそも学習障害(LD)ってどういうものなんですか? 勉強ができないこととは違うんですか?
長田
LDは単に「勉強が苦手」というのとは少し違いますね。一言で言うなら、脳機能の影響で勉強に必要な能力に支障が出ている状態です。 文部科学省の定義では、全般的に知的発達に遅れはないけれど、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」といった特定の能力の習得や使用に、著しい困難を示す状態を指します。
Aさん
なるほど。全体的に学力が低いわけではなくて、「読むのだけが極端に苦手」とか「計算だけがどうしてもできない」というように、能力に凸凹があるイメージですね。
長田
そうです。LDは、よく「本人の努力不足」や「親の育て方のせい」などと誤解されがちですが、それが原因ではありません。ADHDやASD(自閉症スペクトラム障害)と同じ発達障害の一つで、脳の中の情報処理の仕方が、大多数の人とは少し異なっていることにあると考えられています。
LD(学習障害)は、発達障害の一つで、「読む・書く・計算する」など特定の学習領域に困難が生じる状態を指す。
長田
先ほど挙げた6つの能力のうち、特に「読み・書き・計算」のつまずきに関しては、その特性を表す名前がついています。例えば、読むのが苦手なタイプは「読字障害(ディスレクシア)」、書くのが苦手なタイプは「書字障害(ディスグラフィア)」、算数や計算が苦手なタイプは「算数障害(ディスカリキュリア)」と呼ばれています。ただ、これらはきっぱり分かれるものではなく、グラデーションのように重なっていることも多いですよ。
Aさん
僕の場合、企画を考えたり喋ったりするのは得意なんですが、それを文字にする段階でバグが起きるんです。僕はADHDもあるんですが、LDとADHDはセットになっていることもあるんですか?
長田
どちらも持っていることは珍しくありません。ADHDは「不注意や多動性」が特徴ですが、その不注意さが原因で「文字を追い続けられない」というケースもありますし、純粋にLDの特性として「文字の形を捉えられない」というケースもあります。これらが重なり合って、学習の困難さが強くなっている学生さんもよく見かけますね。
LD当事者の困難①【読む】縦書きは「迷路」。行が勝手にワープする?
Aさん
「縦書き」は僕の最大の敵です。縦書きの本を読むと、いま読んでいる行がどこなのか分からなくなるんです。
長田
それはLDの中でも、読むことが苦手な「読字障害(ディスレクシア)」の症状の一つといえますね。視線がスムーズに動かせなかったり、視覚的な情報の処理が追いつかなかったりして、行を飛ばしてしまうといわれています。
Aさん
まさにそうです! 「行が迷子」状態で、子どもの頃は国語の教科書を音読させられるのが恐怖でした。みんながどこを読んでいるのかを目で追えないし、自分が読む番になっても、同じ行を何度も読んでしまったり、隣の行にワープしてしまったりして、話の内容が全く頭に入ってこないんです。
長田
文字自体は読めているのに、文章としてつながらない感覚でしょうか?
Aさん
はい、そうです。文字の塊が、意味のある言葉ではなくて「模様」や「デザイン」に見えてくるんです。ゲシュタルト崩壊したあとの文字みたいな。だから学生時代の読書感想文は、漫画版が出ている課題図書を探して、漫画でストーリーを把握してから書いてました。あるいは映画版を見るとか。
長田
絵や映像といった視覚情報の助けを借りて理解を補うというのは、うまい対処法だと思います。
Aさん
どうしても縦書きの文章を読まなければいけないときには、工夫をしています。本に挟んでいるしおりやページの端を使って、いま読んでいる行以外を隠しながら読むとうまく読めるんです。紙の本でしかできない方法ですが。
長田
それは「リーディングスリット」や「リーディングトラッカー」と呼ばれる支援ツールと同じ原理ですね。余計な情報が目に入らないようにすることで、目の前の行に集中しやすくして、読む方法です。最近はタブレットで、縦書きの電子書籍を横書きに変換して表示できるアプリもありますし、自分に合った見え方を探すのが一番の対策ですね。ちなみに、Aさんは横書きの文章も読みづらいですか?
リーディングスリット。読みたい行に集中できる仕組みになっている。
Aさん
横書きはまだマシですね。視線の移動がシンプルだからかもしれません。あと、これは意外かもしれませんが、英語の方が読みやすいんです。英語って単語と単語の間にスペースがあるじゃないですか。あれがあるおかげで、「ここまでが一つの言葉だ」と認識できるので、読むのはつらくないんです。
長田
一般的には英語圏の方が、文字と音のルールが複雑なためLDの発覚率が高いと言われるんですが、Aさんの場合は「視覚的な区切り」が重要なんですね。
読字障害(ディスレクシア)の人の見え方の例
Aさん
まさにその「区切り」の問題で、僕は特にカタカナが苦手です。ただの記号の羅列に見えてしまって……。例えば服屋でよく見かける「コットンクルーネックセーター」とか、その昔、企業で大規模なリストラ(人員削減)が行われた時にニュースなどで目にした「リストラリスト」とか、何回読んでもどこで区切ればいいのかさっぱり分かりません(笑)。
長田
なるほど。それらは一見するとLDの傾向がない人でも読みづらい単語ですが、Aさんの場合は、文字の羅列の中から「意味のまとまり」を見つけ出すのが苦手なため、余計に読みづらく感じてしまうのでしょう。漢字なら「意味」があるから形を覚えられるけど、カタカナやひらがなは「音」を表す記号でしかないから、認識しづらい可能性があります。
LD当事者の困難②【書く】文字が勝手に「入れ替わってる~~~」テレコになる言葉
Aさん
書いたりキーボードで入力したりすることも苦手です。例えば、「入れ替わる、逆になる」という意味で使われる「テレコ」という言葉をキーボードで打とうとすると、頭では「テ・レ・コ」だと分かっているのに、指が勝手に「レテコ」と動いてしまい、打ち間違いが発生するんです。こういう打ち間違いは日常茶飯事ですね。
長田
それは、脳内で音と文字を変換する機能の誤作動みたいなものですね。「読む力(インプット)」と「書く力(アウトプット)」は脳の違う場所を使うので、「読めるけど書けない」「分かっているのに手が違う動きをする」ということが起こります。これはLDの中の書字障害(ディスグラフィア)の特性の一つです。
Aさん
誤字・脱字は僕にとっての神ツール「ChatGPT」を使うという工夫で乗り切っています。僕、書くのは苦手なんですけど、喋るのは得意なんです。でも、喋ったことを文字に起こそうとすると、誤字だらけになるし、助詞(てにをは)がおかしくなってしまいます。だから、頭の中にある散らかったアイデアを、とりあえず音声や箇条書きでChatGPTに全部入力するんです。
長田
なるほど、それでAI(人工知能)であるChatGPTに「清書」を任せるわけですね。
Aさん
そうです! 「これをいい感じのビジネスメールにして」や「企画書の構成案にまとめて」とお願いすると、きれいな日本語になって返ってきます。自分でゼロから文章を組み立てようとすると1時間はかかる作業が、AIを使えば5分で終わります。出来上がった文章を読んでチェックすることは、横書きなら可能なので、このやり方を見つけてから、仕事の効率が劇的に上がりました。
長田
それはAIの素晴らしい活用法ですね! ただ、これを読んでいる学生のみなさんには一点だけ注意してほしいことがあります。レポートや課題で、AIが作った文章をそのまま「自分が書いたもの」として提出してしまうと、それは不正行為とみなされてしまう可能性があります。
Aさん
たしかにそうですね。ラクをするために使うのではなく、あくまで自分の考えをまとめるための壁打ち相手やサポート役として使うのが大事ですね。
長田
その通りです。下書きを作るのにAIの力を借りるのはよいですが、最終的には自分の言葉で書くようにしましょう。LDの支援において重要なのは、苦手なことを根性で克服するのではなく、道具や工夫で代替することです。視力の低い人が眼鏡やコンタクトレンズを使うように、書くのが苦手な人がAIを使う。それは決してズルではなく、正当な合理的配慮といえます。
LD当事者の困難③【聞く】J-POPの歌詞は「音」にしか聞こえない
Aさん
「読む」「書く」ときて、最後は「聞く」ですが、これも地味に困っています。雑音がある場所だと、人の話が全然聞き取れないんです。
長田
通常、私たちの脳は騒がしいパーティ会場のような場所でも、自分の名前や興味のある会話だけをピックアップして聞き取る機能を持っています(カクテルパーティ効果)。でも、この機能がうまく働かないと、空調の音、隣の席の話し声、BGM、そして目の前の人の声が、すべて同じボリュームで脳に入り込み、聞き取りづらくなってしまいます。
Aさん
まさにそれです! 全部の音が「主役」として主張してくるから、脳が整理できずにパンクしちゃうんですよ。仕事の打ち合わせをカフェでやるときなどは、話を聞くだけで疲れ果ててしまいます(笑)。これは音楽を聴くときも同じで、僕、J-POPの歌詞が全く頭に入ってこないんです。
Aさん
音としては聞こえているんですが、意味のある言葉として認識できないんです。ボーカルの声も、ギターやドラムと同じ楽器の一部として聞こえてきます。だから、知人から「この歌詞、泣けるよね〜」と言われても、「え、そんな歌詞だったっけ?」みたいになって、全然共感できません。テクノやインストゥルメンタルのように、歌詞がない曲の方が落ち着きます。歌詞の意味を追わなくていいから、リラックスした状態で音楽を楽しめるんです。
長田
音を聞き取る力(聴力)には問題がないものの、耳から入った音の情報を、脳内でうまく処理できていない状態かもしれませんね。そうなると聞くことに集中してしまい、打ち合わせでメモを取るのが大変じゃないですか?
Aさん
はい、昔は必死にメモを取ろうとして失敗していました。聞きながら書くなんて、そんなマルチタスクできませんから(笑)。今はもう開き直って、周りの人に「僕、口頭で言われると忘れちゃうんで、あとでチャットやメールで送っていただいてもいいですか?」とお願いするようにしてます。大事なことを忘れて信頼をなくすくらいなら、めんどくさいやつだと思われているほうがよっぽどましです(笑)
「大事なことを忘れて信頼をなくすくらいなら、図々しいと思われたほうがマシ」と話すAさん。
長田
「必要なサポートを周囲に伝える」というのは、すごく大事なスキルです。自分の特性を理解して、「こうしてくれたらパフォーマンスが出せます」と説明できること。これを「セルフアドボカシー(自己権利擁護)」と言うんですが、社会で生きていく上で一番の武器になります。
Aさん
セルフアドボカシー、ですか。カタカナで書かれたら読めなさそうな言葉ですね(笑)。
長田
言葉は難しいですが、要は「自分と相手をつなぐこと」だと思ってください。「察してほしい」と待つのではなく、「私はここが苦手なので、代わりにこのツールを使わせてください」と自分で環境を整えにいくアクションのことです。就活中の学生が話していたのですが、最近は発達障害の人などに向けて合理的配慮をしてくれる会社が増えているそうです。そのこと自体はありがたいのですが、会社から「どんなサポートをすればいいですか?」と聞かれて、返答に困ってしまうことがあるそうです。そういったタイミングで、自分に必要なサポートをうまく伝えられるといいですね。
Aさん
会議中でも分からないことがあったら、「すみません、今の話はこういう理解で合っていますか?」と、その場で確認するようにしました。昔は「話を聞いてなかったのか!」と怒られるのが怖くて、分からないことがあっても黙っていたんですが、後になって「全然違う!」となる方が迷惑をかけるんだなということを理解しまして。「確認させてください」という姿勢を見せれば、相手も「この人は丁寧に確認する人なんだな」と思ってくれますし、むしろ信頼につながることも分かりました。
長田
素晴らしいですね。「分からないことを分からないままにしない」というのは、LDに限らず全ての仕事において重要なことです。それに、口頭で伝えるだけでなく文字情報でも共有するというのは、誰にとってもミスを減らせる方法ですからね。
【計算する】【推論する】が苦手だとどうなる?
文部科学省の定義では、LDの困難が現れる能力として「計算する」「推論する」も挙げられています。それらは一体どんな状況なのか、教えていただきました。
◎「計算する」ことの困難
単に計算ミスが多いのではなく、「数の概念」そのものを捉えるのが難しいのが特徴です。例えば、
「3と7、どっちが大きいか分からない」「3割引と言われても、いくら安くなっているのか実感が湧かない」「財布から小銭をどう出せばいいか瞬時に判断できず、常にお札で払ってしまう」といった困りごとがあります。
◎「推論する」ことの困難
「推論」とは、既にある情報から、新しい結論を導き出す力のこと。「AだからBになるだろう」という因果関係の理解や、物事の要約などが該当します。国語の授業で「この時の主人公の気持ちを答えなさい」と言われても、想像が難しいため、「書いていないから分かるわけがない」となってしまいます。また、計画(段取り)を立てるのも苦手で、「大体こんな感じで」という曖昧な指示を受けると、具体的な行動を推測して組み立てられず、フリーズしてしまうことがあります。板書やノートのまとめも苦手な傾向があり、例えば黒板の文字を写す際、「今日は晴れです」という文を、「き・よ・う・は…」と一文字ずつバラバラに認識してしまうため、単語のまとまりとして処理できず、書くのが極端に遅れたり、意味を理解しながら書くことができなかったりします。
これらもツールで解決が可能な時代に
計算が苦手なら「電卓」や「スマホのカメラ計算機能」を使えばいいですし、推論や要約が苦手なら、Aさんのように、AIに整理してもらうのも有効です。「自分の脳には、その機能が標準装備されていないだけ」と割り切り、外部のツールを拡張機能として使うのが、LDと共に生きるための一つの解決法になるでしょう。
「AIなどのツールは、自分の拡張機能だと思って使っていきましょう」
【まとめ】苦手は工夫で補い、得意を活かして生きていく
Aさん
こうやって話していると、LDと向き合うことは「自分の取扱説明書を作る」作業に近いなと感じます。
長田
LDについてはAさんのように「自分の脳にはこういうクセがあるんだ」と知って、対処法を工夫することが、現状では一番の解決法といわれています。「できない自分はダメな人間だ」と責めるのではなく、「どうやったらできるようになるか」という方向に目を向けられるといいですね。
Aさん
たしかに僕も「なんでみんなができることができないんだろう」と落ち込んだ時期がありました。でも「これは脳の特性のせいだ」と割り切ってからはラクになりました。「できないことは機械や人に任せて、自分の得意なことで勝負しよう」という考えに切り替えられて、前よりも楽しく生きられるようになった気がします。
長田
それが大切です。もしも「自分もそうかも?」「うちの子も……?」と思い当たることがあったら、まずは学校の先生やスクールカウンセラー、発達障害者支援センターなどの専門機関に相談してみてください。そして、周りの人に「自分はこういうのが苦手だから、こうしてもらえると助かる」と伝える練習もしてみましょう。苦手なことがある一方で、得意なこともあるはずです。ぜひご自身の「得意」に目を向けてください。
Aさん
僕の場合、文字の意味にとらわれず、記号として認識できる分、文字を入れ込んだデザインが得意です。ほかの人が思いつかないような発想ができることを大事にしていきたいです。それ以外にも僕が苦手だけれど別の人ができることはその人にお願いをして、僕は比較的得意な喋りや企画で恩返しをする。そんな「ギブ・アンド・テイク」で今後も乗り切りたいと思います!
長田
完璧な人間なんていませんからね。凸凹があってもいい。その凸凹をどう埋めるか、あるいはどう活かすか。大学や社会も、そういう多様なあり方を受け入れる場所であってほしいと思います。
文:山本尚恵
イラスト:にしむらみう
企画・編集:
人間編集部