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研究・教育

2026.02.24

ノーベル化学賞受賞 北川進教授との特別座談会〜近大教員時代に見つけた「孔のある化合物」が研究の原点

Kindai Picks編集部

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ノーベル化学賞
北川進
MOF

2025年のノーベル化学賞を受賞された京都大学理事・副学長の北川進先生は、1979年から13年間、近畿大学理工学部で教鞭をとられていました。今回、受賞対象となった「金属有機構造体(MOF)の開発」のきっかけが近畿大学の教員時代にあったとのお話を受け、北川先生と恩師や教え子、共同研究者といった北川先生にゆかりのある近大教員たちが東大阪キャンパスに集い、ノーベル賞受賞につながる研究の裏側や近大在籍当時の思い出を語り合いました。

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北川進教授
北川 進(きたがわ すすむ)
京都大学 理事・副学長
近畿大理工学部助手、助教授を経て、東京都立大理学部教授、京大工学研究科教授、京大物質―細胞統合システム拠点 拠点長・教授を歴任。2017年から京大高等研究院特別教授、24年から京大理事・副学長。25年に「金属有機構造体(MOF)の開発と応用研究」で、ノーベル化学賞を共同受賞。

宗像惠教授
宗像 惠(むなかた めぐむ)
近畿大学 名誉教授
近畿大理工学部講師、助教授を経て、近畿大理工学部教授、岡崎国立共同研究機構 分子科学研究所 客員教授、近畿大副学長・理事・リゾンセンター長を歴任。1992年「日本化学会 学術賞」受賞、04年 「錯体化学会賞」受賞。 北川先生を助手として近畿大に迎え入れた元上司。

前川雅彦教授
前川 雅彦(まえかわ まさひこ)
近畿大学理工学研究所 所長・教授
ガス状小分子(オレフィン、カルボニル、ヒドリドなど)が付加した金属錯体や配位高分子の合成、構造および機能に関する研究を行う。
近畿大学理工学部生・院生時代に、北川先生から指導を受ける。
教員情報詳細

杉本 邦久教授
杉本 邦久(すぎもと くにひさ)
近畿大学理工学部 教授
京都大高等研究院 客員教授、理化学研究所 客員研究員を兼任。
新機能を持った無機化合物を合成し、その本質を先端的な計測・解析手法によって解明する研究を行う。
近畿大学理工学部生時代に北川先生と出会い、現在は共同研究も行っている。
教員情報詳細

近大生の何気ない一言が、ノーベル賞受賞のきっかけに

ノーベル賞座談会

司会
本日は近畿大学の特別企画として、京都大学理事・副学長の北川進特別教授との対談をお届けします。
北川教授、北川教授の近大教員時代の恩師である宗像惠名誉教授、北川教授の近大教員時代の学生で現在、理工学総合研究所所長の前川雅彦教授、同じく学生で現在は共同研究者である理工学部理学科化学コースの杉本邦久教授にお越しいただいています。どうぞよろしくお願いします。

北川先生、ノーベル賞受賞おめでとうございます。ノーベル賞受賞発表から2カ月半、授賞式から2週間がたちました。今までバタバタな日々だったと思うのですが、あらためて今のご心境はいかがでしょうか?

北川先生

北川先生
北川先生
とにかく忙しくなりました。これまでは半日単位で予定が埋まっていましたが、今では1時間以内の単位でびっしりスケジュールが埋まっています。

司会
北川先生のノーベル賞の受賞対象となったのは「MOF(Metal-Organic Frameworks、金属有機構造体)の開発」です。MOFは二酸化炭素(CO₂)やメタンなどの気体を貯蔵、放出でき、次世代材料として実用化が進んでいます。きっかけとなった研究は近大時代にあったとのことですが、その時のエピソードを教えていただけますか。

北川先生
北川先生
今でも鮮明に覚えています。当時、作った試料の分子のネットワーク構造を調べるため、いろいろな角度からX線を照射して得られる構造データを集めていました。データ点数は2000~3000点に及びます。近大には計算機やそれを解析するプログラムがなかったので、これらのデータは京大の大型計算機センターの大型計算機を使い解析する必要がありました。計算機へのデータ入力作業に非常に時間がかかり、3000~4000枚の紙のデータを10~15分間かけて読み込ませることを繰り返していました。朝6時に家を出て8時に京大に着くと何回も入力作業ができるのですが、お昼くらいになると同じように大型計算機を使うための学生や教員の列ができていました。それこそ2025年開催の大阪・関西万博のパビリオンに並ぶ大行列のようなものでした。構造解析のシミュレーションの計算が終わるまでに2時間くらいの空き時間があり、とても時間がかかったのを覚えています。

司会
構造解析を手伝っていた研究室の学生が結晶を見て「孔が空いていますよ」というひと言がMOF研究の大きな一歩になったとお聞きしましたが。

座談会

北川先生
北川先生
当時、計算機での分析を手伝ってくれたのが松山君です。長い待ち時間の間に、松山君は途中まで計算して出た結果を基に結晶の構造を紙に書き、結晶に孔が空いていることを指摘してくれました。今振り返ると、発見の秘訣は研究室があまりリッチでないことなのかも知れませんね。代わりに充分な時間が必要で、時間がある時に良い発想が浮かぶような気がします。もし研究室がリッチであれば新しい装置を買い、多くのデータが取れるかもしれません。ですが、そのデータを取るために時間に追われて考える時間がなくなったかもしれません。そういう意味では良い環境だったと思います。

北川進教授 近大教員時代の北川先生

宗像先生
宗像
北川先生にはあまり良い環境を提供できなくて申し訳ないという思いでした。

前川先生
前川
当時の近大の化学系の研究室はせまくて汚く、北川先生もいらっしゃった時にはびっくりしていましたね。北川先生は実験室の中の一角をパーテーションで囲った場所に机を置いていました。決して恵まれた環境ではなかったと思います。

座談会

司会
恵まれたとは言えない環境下で小さいけれども重要な研究が芽吹いていたのですね。ところで孔を見つけた学生さんは発見者の一人として論文に名を連ねたのでしょうか。

北川先生
北川先生
そこは非常に歯がゆい問題です。発見に至った研究テーマを実施していたのは谷村君という学生。この時にMOFの結晶を作った谷村君は論文の共著者となっているのですが、松山君は実験のお手伝いという位置づけだったので論文には名前が載りませんでした。この論文には谷村君と宗像先生と私の名前しか載りませんでした。そういう意味では松山君は歴史に名前が残らなかった。解析を手伝っただけでは名前は載せないという著者規定でしたから。

司会
この時の発見がMOFの分野を作る大きな一歩となりましたね。

北川先生
北川先生
この時の実験データを解析し論文を作成して投稿して米国化学会の雑誌に1992年に発表しました。この論文は私がMOFにのめり込む端緒となった記念すべき論文です。その後、ゲスト分子を除いても壊れない細孔を持つMOFの合成に成功し、酸素、窒素、メタンを可逆的に取り込むものを世界で初めて合成し、まさにMOFが役立つ材料であることを実証しました。

今回、この分子ネットワーク構造のネクタイを作って持ってきました。京都は西陣織の技術があります。このネットワーク構造を芸術系大学の教員と協力してデザインしました。このネクタイはどの角度からでも立体的に見えます。2025年12月のスウェーデン・ストックホルムでのノーベル賞の授賞式にもこのネクタイを着けて参加し講演しました。今日は恩師である宗像先生にこのネクタイをプレゼントするために持参しました。どうぞお受け取りください。

宗像先生
宗像
ありがとうございます。

北川先生

宗像先生

北川先生の素顔 未来志向の研究姿勢

北川教授

司会
ノーベル賞授賞式の講演に関連し、北川先生がノーベル財団にMOFの試料を寄贈されたと伺いました。この試料の提供に前川先生が協力したとお聞きしましたが。

前川先生
前川
2025年11月上旬に北川先生からメールで「近大時代に作製したMOFの結晶の試料をノーベル財団に寄贈するので作ってほしい」と依頼されました。ストックホルムへの出発までに間に合わせるため、10日ほどで試料を作製し、北川先生に直接届けました。依頼された銅の1価錯体のMOFは北川先生のMOF研究の出発点になっています。作れる人が限られ、さらに近大にゆかりがある人ということで私に依頼がありました。北川先生にとって思い入れがある試料であり、そこに携われたことは光栄だと思っています。

寄贈したMOF
ノーベル財団に寄贈したMOF / 北川先生(左)と前川先生(右)

司会
北川先生のお人柄についても触れたいと思います。前川先生は北川先生の近大時代の研究室の学生だったとのことですが、何か思い出になることはありますか?

前川先生
前川
私は学部の4年生の時に宗像先生の研究室を希望し配属され、そこで助手だった北川先生の指導を受けました。北川先生とは11歳離れていて、いわば年の離れたお兄さん。めったに怒らず、放任主義で聞きに行けば教えてくれるという感じでした。実験が終わって夜10時ごろに帰ろうと東大阪キャンパスの門をくぐったところでばったり北川先生や宗像先生に会い、「飲みにいくぞ」と言われそのまま居酒屋に行ったこともありました。研究室が体育会系のノリだった気がします。 

前川教授

北川教授と前川教授
前川先生の学生時代 飲み会の席にて 北川先生(左)と前川先生(右)

宗像先生
宗像
そういえば近大の化学科(現 理学科化学コース)内でソフトボール大会を開催していました。北川先生もそのソフトボール大会に出てホームラン打っていましたね。

司会
北川先生はその時のことを覚えていらっしゃいますか。

北川先生
北川先生
覚えていますが、あまり良くない思い出ですね。私は基本左利きなのですが、野球でのスタイルは左投げで右打ちという最悪のスタイルでした。左投げでは守れるポジションが少なく、右バッターなので相手ピッチャーを威圧できません。あまり正統ではないスタイルで、役に立たなかったような気がします。私は中学時代にバレーボールをずっとやっていました。大きなボールの扱いは得意でしたが、小さいボールはあまり好きではなかったですね。

宗像先生、北川先生、前川先生
近大教員時代の北川先生  左から、宗像先生、北川先生、前川先生

司会
杉本先生にもお聞きします。杉本先生が大学1年生の時に北川先生も在籍されていたとのことですが、何か北川先生との思い出はありますでしょうか。

杉本先生
杉本
私は近大1年生の時だけ北川先生と同じキャンパスにいてお見かけしたことはありましたが、お話ししたことはありません。大学院の博士課程の修了時に当時京大にいらっしゃった北川先生の研究室へ入ろうと日本学術振興会の特別研究員に応募したのですが、選考に落ちてしまいました。その後、近大で博士号を取った後にX線構造解析関連の製品の製造販売を手がける株式会社リガクに入社し、X線構造解析に関わる仕事に就きました。仕事の関係で北川先生の研究室に出入りするようになり、そこでX線構造解析について北川先生とお話させていただくようになりました。その後、北川先生の紹介で2008年から大型放射光施設「SPring-8」のX線のビームライン担当の仕事を得ました。

座談会

司会
今でも北川先生と共同研究をされているとお聞きしています。

杉本先生
杉本
私は結晶の構造解析を専門にしています。北川先生から「試料の構造を早く解いてくれ」とよく言われました。モチベーションが高まるのは北川先生よりも先に結晶の構造が分かるということです。構造解析を専門にしていて、とても楽しめていると思います。

北川先生
北川先生
我々の分野は実験室で使う機器に加え、大型放射光施設「SPring-8」の大型装置をよく使っていました。杉本さんは近大を出てからリガク、SPring-8、ドイツのマックスプランク研究所などに籍を置き、京大でもどんどん仕事を進めてくれました。X線結晶構造解析で必要な試料の結晶はある程度の大きさがないと良いデータが取れません。目の前に結晶があってもその結晶が小さければ構造が分からないというジレンマがありました。それに対し、SPring-8の装置を使えば、結晶の構造解析の精度を格段に上げられる。杉本さんはその仕事を受け持ち共同研究してくれました。

司会
杉本先生から見た北川先生の研究の姿勢はいかがでしょうか。

杉本教授

杉本先生
杉本
北川先生の研究室のスタッフや学生がSPring-8に来ていたので、実験を手伝いっていました。MOFの研究では試料を作ってその試料にガスを吸わせ、その状態を調べます。北川先生はガスが入ったMOFの状態を実験の証拠として出すことにこだわっておられました。MOFのどの場所にガスが入り込み、どのような機構で機能が発現するかを追求されていたようです。
北川先生は常に研究対象がどのような化学に位置付けられるのかという視点を気にしておられました。実験に関して細かいことはおっしゃられなかったのですが、ある成果を踏まえて「次に何をやりたいか」という未来志向であったように思います。MOFの構造解析では「結晶のこういうところが見られへんかな」と、実現が難しい夢物語のようなことを言われた覚えもありますね。

研究環境に苦心 夜通しの実験も

宗像教授と北川教授


司会
北川先生が近大で教鞭をとることになったのは宗像先生の熱心な働きかけがあったとお聞きしています。その時のエピソードを教えていただけますか?

宗像先生
宗像
北川先生と初めて出会ったのは、北川先生が京大大学院博士課程3年生の時だったと思います。錯塩化学討論会(後、錯体化学討論会と名称変更)の会場で発表した講演者に鋭い質問をしている学生がいました。「あの若者は誰?」と近くの人に聞いてみると、京大の北川君という若者だと知りました。「こんな人と一緒に研究できたらいいな」と思い、北川先生が当時所属していた研究室のリーダーであった米澤貞次郎教授の研究室を訪問し、「北川先生を近畿大学の助手として迎えたいのですが」とお願いしました。米澤先生の研究分野は理論化学でしたので「私の研究室は実験系ですが大丈夫ですか」とお聞きしたところ、「うちの学生は理論も実験もできるように育てているから大丈夫」と言われたのを覚えています。

北川先生
北川先生
私がいた京大の米澤研では錯体化学はやっていませんでした。その時に私はポルフィリン錯体の研究をやっていたので、助教授だった森島先生に錯塩化学討論会で「発表してみたい」と言ったら「行ってこい。批判され立ち往生しても知らんぞ。米澤研の名前を汚すような事はしないように」と言われました。学会前日の晩に会場近くのホテルに泊まったのですが、自分のデータを完全に解釈、整理しきれておらず、なるようになると居直り酒を飲んで寝たのを覚えています。
京大では教員を名前の後ろに「先生」ではなく、「さん」付けで呼ぶ環境で、当時の学生は私も含め生意気でした。一方、錯塩化学討論会では先生方が偉そうな感じで発表や質問をしていました。生意気だった私は自分の前の発表を聞いた時の質疑応答で、発表した先生に「分子のオービタル(軌道)が間違っています」と指摘しました。その次の発表が自分の番だったので、名前を呼ばれステージに上がった際に会場がざわめていましたね。

司会
異分野の研究に動じずに挑戦したことが、その後の人生を大きく変えることになったわけですね。

北川教授と杉本教授

北川先生
北川先生
自分の研究室の学生にも「今とは違う分野に行きなさい」と言っています。狭い分野に閉じずに視野を広げるという意味でも重要だと思います。そして、他分野の人に知ってもらえることは大きいと思います。

司会
近大での研究環境はいかがでしたか。総合大学として医学部の施設を使えたので研究を進めることができたとのエピソードもあるようですが。

北川先生
北川先生
普通の研究をするという意味では近大の研究環境がどの程度なのかは分かりません。ですが元々京大で物理化学系の研究室だったので、錯体化学をやる上で当時の近大の環境は良くなかったと思います。錯体に光を当てて電子構造を調べる装置がありましたが、データを記録するためのレコーダーが寿命でガタガタと動いていたので、学会発表ではノイズを平滑化するために、平均的な線を引いていました(現在ではあり得ないことですが)。研究環境は良くなかったかもしれませんが、私たち研究者の意気は高く、オリジナルな研究をしようという姿勢が維持できていたと思います。

西ドイツでの学会
西ドイツでの国際学会に参加した宗像先生(左)と北川先生(右)(1987年)

錯体化学討論会会場にて 錯体化学討論会会場にて 前川先生(左)、北川先生(左から2人目)、宗像先生(右)

宗像先生
宗像
近大には大型測定装置がなく、医学部に核磁気共鳴装置(NMR)を借りに行くなど非常に苦労しました。

北川先生
北川先生
NMRを使った実験は夜から始まりました。夕飯を食べた後に調整を始め、装置が安定するまでに4~5時間かかりました。朝方になってようやくきちんとしたデータが取れるような状態でしたね。夜ずっと実験をして、朝の9時頃に帰るような生活でした。

座談会

杉本先生
杉本
当時の国立大学では研究室単位でNMRを所有するような研究室があったようですが、近大の学生だった当時の私はそのような裕福な研究室があるとは知りませんでした。ですが、今は国立大学でも研究環境が厳しくなっています。最近では地方の国立大学の教員に「研究環境は近大の方が良いですね」と言われたことがあります。

近大教員として留学 アメリカでの研究が大きな学びに

座談会

宗像先生
宗像
北川先生のようなエリートにこんな厳しい環境で本当に耐えてもらったなと思っています。一方、北川先生に評価してもらえる近大の制度として海外への短期留学制度「在学研究制度」があったと思います。北川先生には米テキサスA&M大学のアルバート・コットン教授の研究室に留学してもらいました。

北川先生
北川先生
私はこの留学制度の第1号でした。宗像先生から12月ごろに留学制度の応募の連絡を受けたのですが、3カ月後の翌年2月が締め切り。妻は教員のため、そう簡単に海外についていくことはできません。米国での研究は良い機会だったので、ぱっと渡米を決め1年間単身赴任しました。家庭には限りなく迷惑をかけたと思っています。

座談会

司会
米国での研究生活はご自身の研究姿勢にどのように影響しましたか。

北川先生
北川先生
今までの方法では溶液に溶かした試料をNMRで分析していましたが、コットン教授の研究室では液体中に溶けているものを結晶化し固体の構造を調べることを徹底していました。コットン先生からは常に「この試料は結晶化したのか」と聞かれ、学術の徹底した実証主義を学びました。

宗像先生
宗像
帰国後の北川先生は渡米前と比べ大きく変わっていました。研究の幅が広くなっていましたね。

北川先生
北川先生
コットン研究室では「週に60時間働け」「プロは2度失敗しない」「出た結果は必ず論文にしろ」の3つの語録がありました。特に「プロは2度失敗しない」という語録は身をもって体感しました。ある論文を書き上げて、原稿をコットン先生に見せたところ「面白い」と言われ、その時に多くの指摘を受けました。当時はコットン先生の英語があまり聞き取れず「どうせこんなことを言っとるんやろ」と思って、さっさと修正し原稿を持って行ったところ、烈火のごとく怒られました。後にコットン語録の話を研究室の人から聞き「2度目の失敗をしていたのだな」と気付きました。

座談会

前川先生
前川
コットン研から帰られた北川先生は大きく変わったように思いました。北川先生からは「頭が悪くても手足を動かせば、頭の良い研究者にも勝てる」と、多くの実験をするよう言われました。他の大学では年間1~2個の試料を作って実験するような研究でも、近大の研究室では年間100個くらいの試料を作って実験していたと思います。人より多くの試料を作って実験し、論文に書くというコットン研の教えを実践していました。当時X線結晶構造解析で1個の結晶データが出れば、それだけで論文が1本書けました。NMRでの実験では年間1本くらいだったのが、X線結晶構造解析では年間5本といっぺんに論文数が増えたような気がします。研究が論文として発刊された時にはお祝いとして近くの居酒屋に行き、研究室のみんなで舟盛りの刺し身を食べた記憶があります。

北川先生から若い研究者たちへメッセージ

北川進教授

司会
近大を含め、これからの若い人へのメッセージをお願いできますでしょうか。

北川先生
北川先生
興味を持ったことや面白いと思ったことを徹底して挑戦してほしいと思います。またダイバーシティー(多様性)が重要なテーマで、いろんな人と付き合い、もまれることが重要です。そこで重要なことは海外の文化(日常生活、庶民、エリートの思考、研究者の発想や実行方法、協働の仕方)を学ぶことです。海外では日本のやり方とは大きく異なります。どういう判断や研究分野の背景にあって研究を進めるかを知ることは大切です。これは語学以上の財産になります。若い人は海外に行ってどんどんもまれて欲しいと思います。

司会
こうした若い研究者が次々と出てくるために必要なことは何でしょうか。

北川先生
北川先生
海外に行って研さんを積んだ研究者がのびのびと研究できる場をつくるべきだと思います。近年では博士研究員(ポスドク)の後に、助教のポジションを得ても有期雇用のため、3~5年で契約が切られたり、違う研究機関に移らざるを得ない事態が頻繁に起きています。准教授のポジションでも同様に起こっています。じっくり研究できるような、少なくとも10年くらい一つのポジションで研究に打ち込める環境を整えるべきでしょう。また日本で学んだ若い学生が海外に行ったら帰ってこないのではないかとの意見もあるかもしれません。ですが帰ってくる人がいてもいいし、帰ってこなくてもいいではありませんか。日本人が世界で活躍することが重要だと思います。あまりせこいことを言わないで、日本人はどんどん海外に出るべきでしょう。

宗像先生
宗像
海外に出ることで新しい知識を得て視野を広げられることは大きいと思います。1949年に日本人として初めてノーベル賞を受賞された湯川秀樹先生も同様のことをおっしゃっていますね。

座談会

司会
基礎研究の重要性はノーベル賞受賞の際に必ず取り上げられる話題です。国に対して何か要望はありますか。

北川先生
北川先生
研究するにはお金がかかります。大学での研究費には基盤的経費と競争的研究費があります。何に使ってもいいという基盤的経費が20~40年前には結構な額が支給されました。当時は、物価も安く自由な発想で研究できました。だが今の研究者は基盤的経費の支給が減り、物価が高く、とてもやりくりできません。研究者は研究費を稼ぐために苦労しています。国は戦略的研究費を増額して即、役立つ応用研究を推し進めていますが、非常に大きな額で4~5年以内に結果を出し評価を受けなければなりません。そうすると若い人は研究結果を出すことが第一になり、毎日結果に追われることになります。そうならないためには基盤的経費や科学研究費助成事業(科研費)を増やすことが重要です。基礎研究と応用研究などと言われますが、何もないところから知を生み出す基礎研究は20~30年後に国を潤わせる知の創造につながります。もし自分の名前を残したいと考えている政治家の皆さんには、基盤的経費や科研費などを増額し、20~30年後に自分の名前を残してほしいと思います。

ノーベル賞座談会

写真:株式会社glassy
取材・文:KindaiPicks編集部
編集:アール・プランニング

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