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2023.10.06

【七尾市・茶谷義隆市長】国税局で働きながら近大で法律を学んだ経験を糧に、市長として故郷の活性化に奮闘

Kindai Picks編集部

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石川県七尾市長の茶谷義隆さんは、高校卒業後、国税局職員として勤務しながら近畿大学で法律を学びました。学生時代に第一子が誕生し、奥様と協力して仕事と勉強、育児に励んだそうです。このとき学んだ法律の知識が現在の仕事に活きていると語る茶谷さんは、七尾市長として地域活性化など町の課題に取り組んでいます。
そして茶谷さんが何よりも大切にしているのは、人との縁や友人とのつながりです。地元である七尾税務署に配属された茶谷さんは、「お金や安定より、地域の仲間を大事にしたい」と国税局を退職し、税理士として地域に貢献しながら、市長への道を歩み始めました。茶谷さんの七尾市にかける想いを伺いました。

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茶谷 義隆(ちゃたに よしたか)
1965年石川県七尾市出身。1984年金沢国税局総務部採用。大阪国税局勤務中に近畿大学法学部法律学科に入学。仕事と勉強を両立し1990年(平成2年)卒業。2013年金沢国税局退職。その後、税理士事務所所長、北陸税理士会理事、株式会社七尾クリエイト代表取締役を歴任。2020年七尾市長に就任。



仕事・大学・子育て。三足のわらじを履いて勉学に励んだ学生時代


――茶谷様は近畿大学には働きながら通われていたと伺いました。仕事をしながら進学したきっかけを教えてください。

茶谷:進学を考えた理由は大きく二つありまして、高校を卒業後、金沢国税局に採用され、税務大学校で一年間研修を受けていた際に、法律に興味を覚え、もっと深く学びたいという気持ちが芽生えたというのが進学を考えた一番の理由です。
また、地元の高校の友人の多くが大学に進学していたので、自分も大学に行きたい、という思いもありました。
研修が終わった後、地元での配属を希望していたのですが、東大阪で勤務をすることになりまして、通いやすい場所にあったということもあり、近畿大学の夜間部に進学することになりました。

――どのような学生生活でしたか?

茶谷:税務署で働きながら夜間部に通っていましたので、いつも仕事が終わってから授業に出席していました。夜間部ということもあり、クラスの仲間も仕事をしている人が大半で、社会人慣れしている方と接することが多かったですね。話題も仕事に関わることが中心だったように思います。一般の学生さん同士のコミュニケーションとは、少し違うイメージかもしれません。

ただ、せっかく親しくなっても国税局職員は国の倫理規程により、「納税者」とのお付き合いが制限されています。そのため卒業後は学友との交流が無くなってしまったのが、非常に残念です。


学生時代のことを語る茶谷さん

――仕事と勉強の両立は大変ではありませんでしたか?

茶谷:やはり大変でしたね。仕事はなかなか定時には終わらないので、周りの皆さんが残業している中、「大学に行ってきます」と抜けさせていただくのは、少し後ろめたい気持ちもありました。また、授業が終わるのが21時半頃で、自宅に着くのが23時半くらいです。

私は21歳で結婚して在学中に子供が生まれまして、帰宅後に食事とお風呂を済ませてから子どもの世話をしたり、夜泣きしたら起きていってあやしたりと、睡眠時間が削られることもよくありました。仕事と勉強と子育てをしながら、という生活でしたね。当時は妻も、勤務地は異なりますが同じ国税局で働いていたので、お互い助け合いながら育児や家事をしていました。今となったら良い思い出ですね。

――近大で学んだことは仕事に役立ちましたか?

茶谷:近大で身に付けた法律の知識は、これまでも現在も仕事をする上で、大きな財産になっています。
おそらく税務大学校に行かずにストレートに大学に行っていたら、法律に対してもさほど興味が湧かず、そこまで勉強しなかったと思うんですね。税務大学校で1年間法律の面白さを学んで、もっと知識を深めたいという目的があったからこそ、仕事をしながら近大で卒業まで走り切れた。近大で学んだ法律の知識も、睡眠時間を削りつつがんばった経験も、今の自分にとって非常に大切な糧になっています。


お金や安定よりも、人とのつながりを大切にしたいと退職を決意




――卒業後はどのような歩みをなさったのですか。

茶谷:大阪国税局で約22年間勤務した後、2010年に地元である金沢国税局七尾税務署に転属となりました。その4年前に父が亡くなり、母が病気を患ったので、実家のある七尾市に配属していただいたんですね。この帰郷が一つの転機で、その後、人生が凄まじく変わっていきました。当初は金沢国税局で退職まで勤めるつもりだったのですが、結局3年後に退職し税理士として働き始めました。

――国税局を退職されたのはなぜですか?

茶谷:国税局に勤務していると、人とのつながりをなかなか持てないためです。先ほども少しお話ししましたが、国家公務員は倫理規程に基づいて利害関係者との付き合いが制限されています。私は税務職員でしたので、納税者すべてが利害関係者になってしまうんですよね。例えば高校の同級生で会社の社長がいるのですが、その友人と飲食して割り勘で支払っても、第三者からは「税務職員が企業の社長と飲んでいた」というふうに見られてしまう場合もあります。すると、やましいことが無くても国家公務員としての「信用失墜行為」に当たると、処分される恐れがあるのです。

つまり、故郷に帰ってきても、昔の同級生やお世話になっている方との飲食や贈答などが、強く制限されてしまいます。地域の方たちとのつながりも持ちにくい状況でした。
そうした中、知人の高齢の税理士さんから「事務所を継いでもらえないか」というお話をいただいたんです。それでせっかく郷里に戻ってきたことですし、地域の方々や昔の仲間、いわゆる一般の方たちとのつながりをもっと持ちたいと思い、税理士に転職しました。

――退職後、七尾市長に就任するまでのいきさつをお話しいただけますか。

茶谷:国税局退職後は、本当にたくさんの方とのお付き合いを楽しめるようになりました。ロータリークラブをはじめ、さまざまな団体にも入会させていただき、多くの方と親しくなりました。その中で地域活性化などの活動にも参加するようになったんです。

きっかけは七尾市には豊かな歴史や文化、自然や食があるのに、人口減少や過疎化が目に見えて進んでいて、このままだと町から人がいなくなってしまう、という危機感でした。私は高校卒業まで七尾市に住んでいましたが、当時は地元の良さをほとんどわかっていませんでした。ただ、郷里を離れて都市部に住んだ後に地元に戻ってくると、七尾市にはたくさんの魅力があることにあらためて気づいたんです。


七尾市で開催される青柏祭(せいはくさい)の写真。能登で最も盛大な祭礼で、ユネスコ無形文化遺産にも認定されている。

――故郷を離れて初めて良さがわかるとは、よく言いますよね。

茶谷:本当にそうですね。私が生まれ育った町は「七尾市魚町」で、名前の通り毎日魚ばかり食べていて、正直子どもの頃は魚が嫌いでした(笑)。でも大阪で働くようになり、仲間と少し良いお店でお造りを食べたときに、「意外と魚って美味しかったんだな」と思ったんです。ところが地元に帰ってきたら、もっと新鮮で安くて美味しい魚ばかりなんですよね。

他にも七尾市には、ユネスコ無形文化遺産に登録されている、何百年も続く祭りがありますが、子どもの頃はごく当たり前に参加していました。今振り返ると、とても貴重な経験だったと思います。歴史的な面でも興味深いことが数多くあるんですよ。

市長を志したのは、こうした豊かな歴史や文化、食を次の世代にしっかりとつないでいかなければならない、という思いからでした。周りの方々にも後押しやご支援をいただきまして、自分が市長になって町の賑わいを取り戻したいと覚悟を決め、2020年の市長選に出馬しました。


政治経験なく市長に就任。最初は戸惑うことが多かった




――政治家という立場になって、大変だと感じることはありますか。

茶谷:市長になって一番戸惑ったのは、議会への対応です。私は特に政治家を目指していたわけでもなく、議員の経験もありません。そのため、最初のうちはどのように立ち振る舞えば良いかさえ、わかりませんでした。また議員さんとの接し方に悩むこともありました。国税局時代に議員さんからご要望をいただくなど、お会いする機会はときどきありましたが、現在は立場が異なりますので、どのように関係性を築けば良いのか難しさを感じるときもあります。

その他、市政運営に関しては議会で予算が通ってはじめて事が進んでいくので、スピード感を持って動けない部分は少しもどかしさを感じます。民間企業であれば、社長の判断で即実行に移せますが、議会政治では順序立てて進めていく必要があるので、素早い対応を取れないところが大変です。

――昨今、国民の政治への関心が薄れてる印象があります。政治に興味を持てない方に何を伝えたいですか。

茶谷:政治や議員、選挙などは堅苦しく、ハードルが高いイメージがありますよね。一方で政治には興味がなくても「自分の住む地域を元気にしたい、賑わいを取り戻したい」と、積極的に活動されている方が増えている印象です。そうした行いの延長線上で、政治を捉えれば良いのでは、と思います。

活動の方法はいくつもありますが、例えば自ら議員や市長、町長となり、国や県、市の予算を使って行政や自治体を動かしていく選択肢もあります。政治家というと敷居が高く感じられるかもしれません。ただ、「これから地域を盛り上げていきたい、町の困りごとを解決したい」という思いがあるのなら、周りの人や行政と関わりながら、日常生活で手の届く範囲から始めてみれば良いのではないでしょうか。

その意味でも私が行政を行う中で一番大切にしているのは、人とのつながりです。一個人で何かを変えようとしても、やはり難しいんですよね。市長だからといって、一人で何かができるわけではありません。私は国税局を退職してからたくさんの人脈に恵まれました。この町を元気にしていくために、人とのご縁を大いに活かして、経験や知識のある方、七尾市民の皆さまにお願いして力を借りながら市政を行っています。


七尾市にはお金に変えられない豊かさがある



七尾市で味わえる豊かな海産物。

――七尾市の魅力を教えてください。

茶谷:七尾市は自然環境に恵まれ、食や歴史・文化の面でも豊かな地域です。例えば、七尾市や能登には年間を通してたくさんのお祭りがあります。ちょうど先日、七尾市で「塩津かがり火恋祭り」という、歴史あるお祭りが行われたんですよ。山の男神と海の女神が年に一度、海の上で逢瀬を楽しむ、ロマンティックなお祭りなんですね。これまでずっと見たいと思っていて、今年初めて観覧できました。神輿と松明を乗せた二艘の船が夜の波に滑り出して、周りを蓮の葉でできた何千もの燈明が流れていき、とても幻想的でした。

こんなに素晴らしいお祭りなのに、最近は若者が減って神輿の担ぎ手がいなくなりつつあります。地域外の方も希望すれば神輿や松明を担げますので、ぜひ一緒に盛り上げてもらえればうれしいですね。


七尾市では仲代達矢氏が主宰する無名塾の公演も数多く開かれている。

――観光客もお祭りに参加できるのは楽しいですね。

茶谷:はい。また歴史という観点では、能登自体は1300年を超えるストーリーを持つ地域です。七尾市にはかつて七尾城や小丸山城など、歴史的建造物がありました。七尾城は戦国時代中頃に畠山氏という大名が築城したものです。上杉謙信が攻め落とすのに1年もかかった、難攻不落の城だったんですよ。謙信の後は前田利家が城主になるなど、歴史的な名将が支配した城です。こんなふうに、七尾市の歩みを紐解いていくと非常に興味深いものがあります。また、七尾城山展望台からは、七尾市街や能登の山々、七尾湾を一望でき、とても景色が良いです。頂上まで1時間ほどで着きますので、お越しの際にはぜひご覧ください。


七尾城山展望台からの眺め。

茶谷:それから七尾市の食、特に新鮮で美味しい海の幸はぜひ味わっていただきたいですね。以前、埼玉県から能登に移って来られた女性に移住の理由をお聞きしたら、「自然が豊かで、食べ物も美味しくて、人も優しいです。こうしたものはお金で買えないんですよね」と言っておられたのが印象的でした。

また、最近面白いものとしては、七尾市を舞台した「君は放課後インソムニア」という人気漫画があります。今年、アニメと実写映画も同時に封切られました。地元の人たちが利用するバス停や、何気ない街角が漫画の場面にちりばめられていて話題を集めています。

先ほどお話ししました七尾城山展望台も撮影されました。ありがたい機会ですので、七尾の町に市外・県外、さらには海外からもたくさんの人に訪れてもらえるよう、しっかりとコラボレーションしていきたいと考えています。



――最後に今後の展望をお伺いできますでしょうか。

茶谷:七尾市は本当に小さな町なので、行政と市民、経済界が同じ方向を向いて進んでいけたら、と思っています。七尾市や能登のたくさんの魅力を国内外の方に知っていただき、足を運んでもらい喜んでいただけるような町を目指して、皆でがんばっているところです。地域を元気にして、この町の文化をしっかり後世につなげていきたいと考えています。

取材・文・写真:笑屋株式会社
企画・編集:近畿大学校友会

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