2024.10.19
信念を貫き、26歳で市議に。富田林市・吉村善美市長の人生を変えた、近大OB政治家とのつながり
- Kindai Picks編集部
4958 View
2019年4月に行われた富田林市長選挙で初当選し、2023年に2期目を迎えた吉村善美市長は、「近大OBの政治家同士、党の垣根を越えたつながりが自分の人生に影響を与えた」と話します。吉村市長の富田林市に対する思いや、同市の魅力について、お話を伺いました。
この記事をシェア
吉村 善美 (よしむら よしみ)富田林市長
大阪府富田林市出身。1987年近畿大学法学部経営法学科(現法律学科)を卒業。高校時代はラグビー部に所属。1991年に26歳で富田林市議会議員に初当選し、3期12年務める。その後、大阪府議会議員を経て、2019年に富田林市長選挙にて富田林市長に就任し、市長として市政に尽力している。
「あなたも近大か!」同じ学び舎出身のつながりが人生の転機に
——吉村市長はどんな学生時代を過ごしていましたか?
吉村市長:私はそんなに勉強熱心な学生ではなかったんですが、日本国憲法の授業はとても印象に残っています。日本は法治国家であるため、憲法や法律に基づいて国が運営されなければならない。自分も法治国家にあるべき生き方をしなければと強く思うきっかけになりました。
——振り返ってみて、近大を卒業することで得られたものは何でしたか?
吉村市長:近大OBの政治家のみなさんと、政党の垣根を越えたつながりができたことです。
中でも、近大のOBである多田利喜前富田林市長(以下、多田前市長)の影響は大きかったですね。市議会議員時代、会議や研修が終わったあと、よく2人で食事に行ったものです。そのときはいつも多田前市長と富田林市の将来について話をしましたね。
私が市長になったのも、多田前市長から「次の市長選に立候補しないか」と声をかけられたことがきっかけです。
近大通りを通って大学の門をくぐるあの風景、洋食店「キッチンカロリー」(2020年8月閉店)のガチャ鉄板焼きがおいしかったこと。近大OBの政治家と話すとき、みんな同じ情景を思い浮かべるんです。他にも「あなたも近大か!」ということで、政治家の先輩や後輩を中心に色んなつながりができました。
「政治は人の幸せのためにある」信念を貫き26歳で市議会議員に初当選
——学生時代、将来はどんな仕事に就きたいと思っていましたか?
吉村市長:実は、当時はあまり就きたい職業のイメージを持っていませんでした。ただ「人の役に立ちたい」という思いは強く、中学・高校時代は生徒会長を務め、その後も地域の自治体活動に熱心に取り組んでいました。
というのも、私の実家は八百屋で、昔から地域の人たちの井戸端会議の場所になっていたんですよね。みんなお店に来てよもやま話や相談ごとをする。それを聞いた両親が、「そんなに困ってるんやったら市役所に話してあげようか?」と助け船を出す。それを見て育ったので、人の役に立つことが自然と染みついたんだと思います。
——そこから政治家になるまでの経緯を教えてください。
吉村市長:自治会活動に取り組んでいた25歳のときに町会長さんから「市議会議員選挙に出ないか?」と声をかけられたのがきっかけです。
幼少の頃から困っている人を目の当たりにしてきて、市民全員が安心して暮らせる街にしたい気持ちがありましたし、近大の地方自治法の授業で「地方自治体は市民の幸福のためにある」と学んだことが心に残っていて、議員として頑張ってみようと考えたんです。
政党の後ろ盾も地盤もなかったのですが、同級生や友人が協力してくれて、当時(1991年)大阪府下最年少の26歳で富田林市会議員に初当選しました。
——その後、大阪府議会議員を経て、富田林市長になりました。
吉村市長:私は富田林市議会議員選挙に立候補したときから一貫して「政治は人の幸せのためにある」「誰ひとり不安にさせない」「地域みんなで助け合う社会」を信念としています。この信念を貫こうとしたら、「市町村」の先にある「府」からも支援が必要だと考えたんです。
そこで、大阪府議会議員に出馬することを決めました。府議会議員としては4期にわたって富田林市をサポートし、その後多田前市長が勇退されたことから、富田林市長選に立候補したんです。
富田林は新旧が織りなす街。歴史ある「寺内町」の散策で街並みや文化に触れるのがおすすめ
——吉村市長が感じる、富田林市の魅力を教えてください。
吉村市長:富田林市は2つの顔を持つ街です。富田林市の東部には旧の街並みがあって、自然が豊かで農業が盛ん。国の重要伝統的建造物群保存地区「寺内町(じないまち)」があり、地域のつながりや歴史・文化が色濃く残っています。一方、市の西部は開発が進んだ新しい街並みが広がっているんです。
富田林市は大阪府内でも農業が盛んな地域なんですよ。なすときゅうりは大阪府下で生産高第1位です※1。京都の料亭などで使われる希少な「海老芋(えびいも)」の産地としても有名で、地域ブランドを表す地理的表示(GI)保護制度※2を取得しています。
こうした2つの面の重なり合いが、富田林市の魅力ですね。
※1 出典:令和2~3年近畿農林水産統計年報 農作物の部
※2 地理的表示保護制度:特定地域の自然・文化に根差した品質や評判を持つ産品の名称を知的財産として保護する制度
富田林の特産品、海老芋。通常の里芋より高値で取引されている。
戦国時代に誕生し、数々の古き良き日本家屋が今も残る寺内町の街並み
——ちなみに、同じく近大出身の沖縄県石垣市の中山市長を富田林市に招待するなら、どこへ案内したいですか?
吉村市長:寺内町を案内したいですね。夏は富田林寺内町燈路、冬は初鍋めぐりと四季に合わせたイベントを開催しているので、期間中にお越しいただいて、街並みや文化に触れてもらいたいです。また、「海老芋」を味わってもらいたいですね。ほくほく感となめらかな舌触りは絶品です。
命ある限り、政治家として富田林に恩返しがしたい
——市長として、今後の展望を聞かせてください。
吉村市長:私の理想は、「親切ていねいな富田林市役所」にすること。そして、市民と行政がそれぞれ一方通行になるのではなく、互いに手を取り合って一緒に街を作っていくことです。そのために政策として実行していきたいのが、こどもまんなか社会や富田林若者会議の取り組みです。バトンを受け継ぐ次の世代を応援したいですね。
実は、私はこれまで人生で2度の大病を患い、手術を経験しています。1回目は小学4年生のとき、脳腫瘍で12時間に及ぶ大手術でしたね。2回目は28歳のとき、皮膚がんの手術を受けました。
皮膚がんの手術後、治療を受けていた近大病院の屋上から「負けたらあかん。負けたらあかん」と思いながら市内を一望していました。このとき「命ある限り政治家でいよう」と腹が据わりました。人として、政治家として富田林市に恩返ししたい。そのために現市長としての職務をまっとうしたいですね。
――近畿大学OBとして、卒業生や保護者へのメッセージをお願いします。
吉村市長:みなさんには、「つながり」を大切にしてもらいたいです。「つながり」というと、家族や友人を思い浮かべるかもしれませんが、近畿大学という共通の学び舎で築いた「つながり」もあることを忘れないでください。
このつながりは、共に学んだ学友だけではなく、未だ出会っていない先輩や後輩ともすでに築かれています。私自身、社会に出て「近大のつながり」に何度も支えられ、助けられました。
近畿大学の卒業生は全国各地にいます。近畿大学で学んだことを誇りに、社会で大いに活躍してください。近畿大学OB市長としてみなさんの活躍を応援します。
取材:南野義哉(プレスラボ)
文:宮原智子
写真:前田和泉
編集:人間編集部/プレスラボ
この記事をシェア