2024.10.17
「市長はトップセールスマン」石垣市・中山義隆市長が話す、都会と自然のハイブリッドな環境の石垣島で暮らす魅力
- Kindai Picks編集部
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2010年に石垣市長に就任し、現在4期目を務める中山義隆市長。豊かな自然や石垣牛、パインアップル、マンゴーなどの特産品を通じて島の魅力を広めながら、近大OBとして大学との連携も深めています。生まれも育ちも石垣島の中山市長が学生時代に近大を始め、大阪で感じた文化の違いやこれまでに力を注いできたこと、今後の展望などについて伺いました。
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中山義隆(なかやま よしたか)石垣市長
沖縄県石垣市登野城出身。1991年商経学部経営学科(現経営学部)を卒業後、新卒で野村證券に入社。1996年家業を継ぐため帰郷。2004年に八重山青年会議所理事長に就任、2006年には日本青年会議所沖縄地区担当常任理事を務める。同年、石垣市議会議員に初当選。2010年の石垣市長選挙で初当選し、以降4期連続で市長として市政を牽引している。
幼少期に沖縄が日本に返還。1セントを握り締め、駄菓子屋へ通う
ーー中山市長は石垣島の生まれなんですね。
中山市長:はい。生まれも育ちも石垣島ですね。沖縄県は米軍統治下だったので子どものころはよく1セントの小銭を握りしめて、駄菓子屋でお菓子を買っていました。5歳になった1972年に沖縄が日本に返還されて、初めて「円」を使い始めたのをよく覚えています。石垣市には高校までしか学校がないので、大学進学を目指す人は沖縄本島や東京、大阪など、みんな島から出ていくんですよ。私もその未来を見据えて学生生活を送っていました。
――どんな学生時代を過ごしていたのですか?
中山市長:石垣島にある沖縄県立八重山高等学校へ進学し、バレーボールに明け暮れていました。進路を考えたときに、いずれは実家の金物屋を継ごうと考えていたので、経営学部を目指すことにしました。東京の大学に進学することも考えたのですが、一浪した結果、近畿大学の経営学部(当時は商経学部)へ入学しました。
近大で経営を学び野村証券へ。青年会議所を経て市長の道を志す
――石垣島から大阪へ引っ越し、環境がかなり変わったのでは。
中山市長:それはもうカルチャーショックでしたよ。いたるところで耳慣れない関西弁が飛び交っていて、あちこちで口論か漫才をしているように感じましたね(笑)。当時は今のように文芸学部もなく男子学生ばかりのキャンパスでした。あと、応援団の学ランを着た学生が、下駄履きでキャンパスを歩いていたのも印象的だったことを覚えています。
―― 在学中、中山さんは何の活動に力を入れていたのですか?
中山市長:将来の役に立つと思い、会計学研究会に所属し、会計の知識を身に付けました。たくさんの書籍を読みながら会計学の研究をしたり、論文を書いたり。時には他大学の学生との討論会に参加したこともありました。あと麻雀もよくやっていましたね(笑)。先日、近大サミットに参加したときに、当時の部室を訪ねてみたら歴代の部員の名札のなかに、私の名前がまだ残っていてうれしく思いました。
――それは感慨深いですね……! 卒業後の進路はどのように決めたのですか?
中山市長:金融に携わりたくて最初は銀行を希望しました。ただ、「一人前の銀行員になるまでに10年はかかるよ」と面接官から言われ、できるだけ早めに実業を継ぎたかった私は「10年か、長いなあ……」と感じました。たまたま話を聞いた証券会社の説明会で、3年あれば一人前になれると聞いて、「同じ金融関係なら」と方針転換し最終的に野村證券に入社することになりました。
――新卒で野村證券に入社したんですね。在職中の経験や学んだことを教えてください。
中山市長:野村證券では、大阪上本町支店と北九州支店で、合わせて5年間勤務しましたね。バブル崩壊後の、厳しい金融ビジネスの世界をひと通り経験しましたが、お金に対する考え方や営業の経験は非常に勉強になりました。その後、28歳で石垣に戻り、10年間ほど家業を手伝っていました。戻った当初は石垣島で携帯電話のサービスが始まったばかりで、家業が代理店の権利を持っており営業の経験を生かして携帯電話を売っていた時期もありましたね。
――家業を経て、市長への道を進むわけですが、どんな分岐点があったのでしょうか。
中山市長:地元の青年会議所に入ったのが転機ですね。石垣の街づくりや、地域おこしに取り組んでいました。特に印象に残っているのは、新石垣空港の建設を実現したことです。当時私は青年会議所の理事長を務めていましたが、国の事業計画は決定していたものの、建設予算がなかなか承認されない状況でした。市民の間では新空港がいつ開港するのかという不安が広がっていました。
そこで、青年会議所が中心となって1万人以上の市民に署名を集め、新聞に意見広告を出したんです。それを持って国土交通省や財務省に掛け合って、ようやく予算が承認されました。この経験で、一丸となって動くことで大きなことが成し遂げられるというおもしろさを知りました。
ーー石垣市議会議員に当選され、その後市長になったと。
中山市長:そうですね。市議会議員としてさまざまな意見を出していきましたが、当時の市長と考え方の方向性が異なり、政策が実現されることは少なかったんです。それならば自分が市長になろうと決意して出馬しました。そして、2010年に石垣市長に初当選したんです。
名産は石垣牛にマンゴー。自然に囲まれ都会的な暮らしもできる
――中山市長が感じる、石垣島の魅力を教えてください。
中山市長:石垣島は沖縄本島から南西に約400km離れたところにある、人口約5万人の離島です。八重山諸島へは石垣港から船で移動でき、中心的な役割を持つ島ですね。病院や商業施設、飲食店など、生活に必要なものはほぼそろっているので、都会的な暮らしもできます。
一方、海や緑などの豊かな自然に囲まれた暮らしができる点も魅力的です。そういう意味では、都会と自然のハイブリッドな生活が楽しめる場所だと思います。名産品にはブランド牛として日本中に根付いた石垣牛、パインアップル、マンゴーがあります。本州はもちろん、本州より距離の近い台湾からもクルーズ船で観光客が多く訪れます。今後は石垣と台湾の間に定期航路を開設し、ビジネスを通じて交流をより増やしていければと考えています。
川平湾はエメラルドグリーンの美しい海が広がるスポット。グラスボートに乗船して熱帯魚やサンゴ礁が楽しめます。運が良ければウミガメに会えるかも?
ーー大阪府富田林市の吉村市長も近大出身です。吉村市長を石垣島に招待するなら、どこへ案内したいですか?
中山市長:石垣は自然あふれる島なので、海も山も楽しんでもらいたいです。あとは、釣りですね。石垣近海ではクロマグロやメバチマグロ、キハダマグロがよく釣れるんです。船をチャーターするので、吉村市長と一緒にマグロ釣りに行きたいです。
目指すのは国際観光都市。近大との連携もより強化していきたい
――中山さんにとって、市長とはどんな仕事だと思いますか? また、石垣市長を務めていてうれしい瞬間、今後の展望について教えてください。
中山市長:市長とは、トップセールスマンを目指してどんなことにも飛び込んでいくようなやりがいのある仕事だと思っています。市長をしていてうれしいと感じるのは、街中で市民の方と出会ったときに「この前実現してくれた政策、助かっているよ。ありがとう!」というように、直接感謝の言葉を伝えられたときでしょうか。
今後目指しているのは、観光産業を中心に、第一次産業にまで波及する「質の高い」収益性のある経済構造を構築することです。近年は国際観光都市を目指し、欧米でもプロモーションを展開しています。石垣島全体が経済的に豊かになれば、その収益で市民の福祉向上を実現できます。
――近畿大学OBとして、卒業生や保護者へのメッセージをお願いします。
中山市長:今でも近大との関係は大切にしています。近大サミットに参加したり、まだ実現はしていませんが、近大マグロを石垣島近海で養殖する相談を受けたり……。今後はそういった連携も積極的に進めつつ、いつか石垣市に近大の研究所も設立できたらいいな、と考えています。大阪からは直行便だと140分ほどで到着しますので、長期休暇の際には石垣島へ遊びにきてくださいね。
取材:トミモトリエ
文:波多野友子
写真:新嵩用兵衛
編集:人間編集部/プレスラボ
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