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2023.03.23

回転寿司は東大阪発祥だった!元祖「元禄寿司」白石社長の"余計なものは回さない"哲学【突撃!近大人社長】

Kindai Picks編集部

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オリジナル記事
OB・OG
廻る元禄寿司
白石博志
社長訪問
突撃近大人社長

1958年に「廻る元禄寿司 1号店」を東大阪市に開店し、今や世界的な人気を誇る回転寿司をこの世に生み出した「元禄産業株式会社」。1970年の万博出店時の裏話や先代社長・現社長の意外な経歴など、​​同社の歴史に迫ります。「突撃!近大人社長」第15回は元禄産業株式会社の白石博志社長に、経営学部経営学科3年生の村松 亮太さんがインタビューしました。

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大阪府東大阪市にある元禄産業株式会社。一階は「廻る元禄寿司 本店」。

日本を代表する食文化のひとつであり、今や世界的な人気を誇る「回転寿司」は、東大阪市で誕生したのをご存知でしょうか?

有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが、最初に寿司を回転させた「元祖」は、布施駅前に本店を構える「廻る元禄寿司」なんです。


ビール工場のベルトコンベアから着想を得て開発された「コンベア旋回式食事台」。

また、養殖業界におけるパイオニアである「近畿大学」があるのも東大阪市。近大マグロだけでなく、マダイやシマアジやヒラメなど寿司ネタになる魚を安定供給する仕組みを作り、養殖産業の発展に貢献し続けています。


回転寿司発祥の地の石碑。

そう、回転寿司業界の発展は「東大阪のおかげ」と言っても過言ではありません。

新型コロナウイルスの感染拡大により外食産業は大きなダメージを受けましたが、その中でも回転寿司市場は急激な落ち込みを回避し、7400億円を超える市場へ発展しています。


※参考:回転すし業界動向調査
「帝国データバンク」の調査※によると、2021年度の国内回転寿司市場は、10年前の4636億円(2011年度)から1.6倍に規模を拡大し、7400億円を超える市場へ発展しました。


回転寿司を生み出した「廻る元禄寿司」を運営する、元禄産業株式会社の現社長・白石 博志さんは、近畿大学商経学部(現:経営学部)の卒業生。

「遊ぶ暇もないくらい、学生のころから家族総出で店の手伝いをしていた」という白石社長に、大学時代の思い出や、半世紀以上続く元禄寿司の人気の秘訣、回転寿司業界の未来について、お話を伺いました。


アイデアマンの先代が現社長に託した「人生哲学」と「回転寿司」




白石 博志(しらいし ひろし)
1949年7月26日生まれ。1973年に近畿大学 商経学部 経営学科(現:経営学部)卒業。大学卒業後は海外に渡り、食文化を学び帰国。北浜の高級料亭「花外楼(かがいろう)」にて修行後、「元禄産業株式会社」に入社。「廻る元禄寿司 道頓堀店」の店長や専務取締役などを経て、1997年に代表取締役に就任。



村松亮太

本日はよろしくお願いします! 僕は元禄寿司が大好きで、多いときは月に2回食べに行ってます。





白石社長

ありがとうございます。1958年に1号店をオープンして以来、おかげさまで半世紀以上もお客様にご愛顧いただいております。





村松亮太

どうやって「回転寿司」が誕生したのか、元禄寿司の歴史を教えてください。




近大マスクをつけてインタビューさせていただきました。


白石社長

日本食の板前だった先代の父親が割烹料理店としてオープンしたのが「元禄」のはじまり。当時、寿司は高級食でしたが「東大阪の町工場で働く人たちや、学生さんにたくさん食べてもらいたい」という先代の思いから、一皿20円の立ち食い寿司屋に転身したんです。





村松亮太

当時のお寿司の相場がわからないんですが、相当安かったってことですよね。





白石社長

そうですね。ただ、安いだけでなく、明朗会計でわかりやすいことで人気が出ました。「値段がわからなくて入りにくい」というイメージがあった寿司屋を、誰でも入りやすい店にしたんです。





村松亮太

そこからなぜ寿司を回転させようと……?





白石社長

当時の日本は高度成長期の真っ只中で、どこも人手不足。職人さんを雇ってもすぐ辞めてしまい、人員不足に悩んだ父がたまたま立ち寄ったビール工場見学で流れるベルトコンベアを見て「これや!」と思いついたみたいです。






村松亮太

すごい発想ですよね。





白石社長

まあ、思いついてからが大変だったんです。直線のレーンの上に寿司皿を流すのは簡単ですが、コーナーを曲がらせるのにかなり苦戦したみたいです。他にも安全面を考慮したり、錆びない機械の素材を模索したりと、試行錯誤に約10年の時間をかけてやっと開発されたのが、現在では誰もが知っている「コンベア旋回式食事台」になります。




コンベアの板を扇形にすることを思いついて、皿が落下してしまう問題をクリアした。


村松亮太

10年もかかったんですね……!





白石社長

先ほどもお話しした通り、当時は戦後の高度成長期だったので、工場も人手不足でした。そこでうちの親父は、町工場の職人さんに「材料はこれで買って」と前金を渡していたそうです。親父の気前のよさのおかげで、たくさんの人の協力を得られたんじゃないかな。





村松亮太

当時、お客さんの反応はどうでしたか?




昭和33年4月、東大阪市に直営第1号店をオープン。前列左から4番目が10歳の白石社長。後ろにいるのが先代社長。


白石社長

お店の近くに小学校があって、「お寿司が回ってる!」と登下校で通りかかった子どもたちから広まったんです。オープン当時、私はまだ10歳だったので詳しくは覚えていませんが、当時の記録を見ると毎日行列が続いたみたいです。





村松亮太

今でも回転寿司は子どもたちに大人気ですからね。





白石社長

父は素晴らしいアイデアマンだったと思います。湯呑みをレバーに押し当ててお茶を入れる給茶装置も、元禄寿司が最初に導入したものなんですよ。





村松亮太

今ではどこの回転寿司屋でも見かけるあのレバーも、元禄寿司から広まったんですね……!




先代が石川県の石野製作所に「湯呑みがレーンで倒れる」と相談し、1973年に開発された「給茶装置」


白石社長

ちょうど私が海外に滞在していた1970年には、当時大阪で開催された大阪万博(日本万国博覧会)に出店し、連日大行列ができる繁盛ぶりだったそうです。おかげさまで元禄寿司は大阪府から、万博の「食品衛生優秀店」として表彰され、世界に知れ渡るきっかけとなりました。





村松亮太

大阪万博で一気にお店の名前が広まったんですね。





白石社長

多いときは全国で250くらい店舗があって、「元禄ができたら周りの寿司屋が潰れる」なんて言われていた時代もありましたね。






村松亮太

そんなに流行って、回転寿司のシステムが他社に盗まれたりはしなかったんですか?





白石社長

そら、日本全国いろんなところに真似されましたよ。





村松亮太

やっぱり、そうなりますよね(笑)





白石社長

コンベア旋回式食事台は特許権を取得していましたし、「廻る」「回転」などの名称も商標登録していました。無断で出店された類似店に対しては、東京と大阪にそれぞれ弁護士を雇ってストップをかけていましたが……きりがなかったですね。でも、1978年にコンベア旋回式食事台の特許が切れたあとは、商標も他社に開放したんです。「回転寿司」という名前まで使っていいなんて、我が父親ながら太っ腹な話ですよね。





村松亮太

えっ、それはどうしてですか?




元禄産業株式会社に飾られる、故・白石義明先代社長の写真


白石社長

第二次世界大戦時に中国でいろんな経験をしたことが、父の人格につながっているんです。父は20代後半で中国・大連に渡って天ぷら屋を営んでいましたが、お店で使う油を近所の方々に気前よく分け与えて、いつも感謝されていたそうです。大変な時代を生き抜いてきた父は、よく私に「どんな人がどんな場面で自分を助けてくれるかわからないから、自分の利益ばかり考えるな。いろんな人のお世話をしながら生きなさい」と伝えてくれました。父の教えがあったからこそ、私も今まで元禄寿司を存続させることができたんだと思います。





海外を横断したあとは、北浜の高級料亭で修行の日々。白石社長が歩んだ青年期





村松亮太

白石社長は大学生時代、どんな生活を送られていたんですか?





白石社長

私は近畿大学に入学してすぐ、大学の同級生と共にアメリカのサンフランシスコに渡りました。





村松亮太

それは大学を介しての留学ですか?





白石社長

いえ、独自で行きました。社会に出ると、なかなかまとまった時間をとって海外で暮らすのは難しいので、学生のうちに海外生活をしてみたかったんです。




万博に出店時の元禄寿司の様子。職人が一貫ずつ握る寿司が人気を博した。


白石社長

先ほどもお話ししましたが、ちょうどそのとき、日本で大阪万博(日本万国博覧会)が開催されていて。サンフランシスコの日本航空の営業所で日本の新聞を読んでいたら、万博での元禄寿司の人気ぶりが紹介されていて「えらいことになったなぁ」と思っていました……。





村松亮太

そんな裏話が(笑)。海外で暮らして、なにか得たものはありましたか?





白石社長

アメリカのレストランや外食産業の勉強もできましたし、日本にはない風景をたくさん見れたことも貴重な経験でした。都会には高層ビルがたくさんあるけど、田舎の方に行くと西部劇映画のような景色が広がっていました。砂漠地帯もあって、日本とはまったくちがう広大なアメリカの風景を見ていると、世界にはいろんな可能性があることを感じ取れるようで、なんでもできる気がしましたね。





村松亮太

いいなあ。僕は海外に行ったことがないので、そういうお話を聞くとめっちゃ憧れます。近大を卒業されたあとは、すぐに元禄産業に入社されたんですか?






白石社長

いや、卒業してすぐにまた海外に行きました。横浜から船に乗って、まずはソ連(現在のロシア)のウラジオストクに渡って、汽車や飛行機で横断してヨーロッパへ行きました。あとは、学生時代にアメリカで出会った友達が結婚するというので、アメリカで結婚式に出たり、メキシコに行ったり……世界一周みたいな旅をしてました。





村松亮太

なぜ、また海外に渡られたのでしょうか?






白石社長

海外の食文化を学びたかったのも、理由のひとつです。帰国後、親父に「そろそろ働きに出ろ」と言われたので、北浜の「花外楼(かがいろう)」という高級料亭で料理の修行をしました。





村松亮太

元禄寿司以外で働かれていたご経験もあるんですね。「料亭で修行」と聞くと、すごく大変そうです……。





白石社長

それはもう大変でしたよ。現在も営業されている老舗の料亭ですが、あの松下 幸之助さんが青年時代に「一度は訪れたい」と憧れていた格式高いお店で、職人さんの料理に対する情熱もすごかった。お店で結婚披露宴が行われる日なんかは、朝の3時から仕込みをスタートしても間に合わないほどの激務でした。





村松亮太

朝の3時!? 起きられる自信がないです……。そちらの料亭では、何年くらい修行されたんですか?





白石社長

元禄寿司の方が人手不足になったので、料亭で2年ほど修行したのち、元禄寿司で働きはじめました。道頓堀店のスタッフとして入社して、1年ぐらい経ったときに店長が急に辞めてしまったので、そのまま私が店長に就任してお店を切り盛りしました。




個性的な店が立ち並ぶ道頓堀の街中でも、ひときわ目を引く「廻る元禄寿司 道頓堀店」の外観


村松亮太

看板が迫力ありますよね。





白石社長

道頓堀店は1960年に開店した店舗です。当時の道頓堀は老舗のお寿司屋さんも多く「寿司が回る店なんて流行るわけがない」と冷ややかな意見も多かったですが、ありがたいことにもう50年以上、営業を続けています。あの飛び出す看板は、社員の皆さんが考えてくださったんですよ。





村松亮太

そんなに長い歴史があるんですね!





白石社長

当時、道頓堀には中座があった影響で、片岡仁左衛門さんや大村崑さんなど、各界の大スターにもご来店いただいたそうです。梅田店には若手時代のドリフターズにご来店いただき、お店でネタ合わせをしていたなんて話も聞いたことがあります。




※中座(なかざ):1661年に開業したとされる劇場。戦後は松竹新喜劇の本拠地として、上方芸能を支えたが1999年に閉館。


仕入れから店内調理まで、自分の目の届く範囲で営業を行う。「元禄寿司」の美味しさの秘訣とは?



取材後は「廻る元禄寿司 本店」にて、お寿司をいただきました。


村松亮太

元禄寿司のこだわりを教えてください。





白石社長

ずばり「味」ですね。先代に「一人のお客様にまずいと思われたら、口コミで10人にまずいという情報が伝わる」と厳しく教えられてきたので、仕入れから店内調理までしっかりこだわっています。魚の質が一番いい産地を見つけるために、世界中を飛び回りました。シャリも国産米のみを使用し、独自にブレンドした酢を使って、ほどよい酸味と甘みが混ざり合う味わいに仕上げています。





村松亮太

特に人気のネタはなんですか?





白石社長

「トロサーモン」はお子様から大人まで、幅広い世代に人気です。かなり脂がのっている部分を独自に仕入れているんですよ。





村松亮太

元禄寿司のサーモン、美味しいですよね! 僕は「たたきマグロ」が大好きで、お店にきたら5皿は食べちゃいます。





白石社長

ありがとうございます。うちは仕入れに妥協がないですから。私もやってましたが、仕入れ担当者はこの道一本の仕入れのプロです。同じ魚でも、仕入れ先や仕入れ担当の目利きで差が出ます。





村松亮太

お寿司の美味しさにも納得です。他に、こだわりはありますか?





白石社長

大阪には「つかみ寿司」と呼ばれる握らない寿司があるように、寿司のシャリは柔らかさが命です。口の中に入れたらほろっと米がほどける、この絶妙な柔らかさは職人にしか作れないものです。






村松亮太

近畿大学水産研究所では長年、養殖魚の研究を行っていますが、白石社長は近大ブランドの魚をご存知ですか?





白石社長

もちろん存じ上げております。「近大マグロ」が特に有名ですよね。一般的に「養殖魚の生育環境は病気などが発生しやすい」と言われている中で、近大さんはすごく頑張って研究されてますよね。他にも餌の配合が難しかったりと、魚の養殖はなかなかうまくいかないものなんですよ。



国内養殖生産割合


出典:マダイは農林水産省「海面漁業生産統計調査(平成30年)」、クロマグロは国立研究開発法人水産研究・教育機構「かつお・まぐろ類に関する国際情勢について」から大西洋クロマグロ(暫定値)、大西洋クロマグロの漁獲量の合計を算出。
国内のマダイは約80%を養殖が占め、クロマグロの養殖生産量は年々増加している。



村松亮太

マグロの養殖だけでなく、マダイやシマアジの稚魚も近大が圧倒的なシェアを誇っているんですよね。マダイに関しては、養殖の稚魚を辿っていくとほぼ100%近大産らしい……。最近では、近大が開発したブリとヒラマサのハイブリッド種「ブリヒラ」が大ブレイクしました。




関連記事:人類の「タンパク質枯渇危機」を解決!?ゲノム編集で実現した近大の肉厚マダイ



白石社長

近大さんにはぜひ今後も、研究成果をあげていただきたいです。







村松亮太

最近、食品偽装や過剰な広告表現などが話題になりがちですが、白石社長は諸問題についてどうお考えですか?





白石社長

きちんとした商売をしないと、絶対にどこかで綻びが生じます。いい行いも悪い行いも、お天道様は見ているんですよ。私は休みの日にはよく神社仏閣を訪れて、神様に日頃の感謝を伝えています。世の中には人智を超えた不思議な出来事があふれていますが、愚直に徹して努力している姿も、神様は必ず見てくださっています。そういう風に信じていれば「嘘でお客様を騙そう」なんて考えは、絶対に浮かびませんよ。





村松亮太

最近は都心部にも同業他社の回転寿司店が増えていますが、元禄寿司では今後、店舗数を拡大したり、新しい取り組みをする予定はありますか?





白石社長

サービスや商品の質を保つには、広げすぎてもいかんなって。元禄寿司らしい「回転寿司」のスタイルで、味とサービスを守り続けたいと思ってます。





村松亮太

他社は寿司以外にもいろんなもの回ってたりしますが……。





白石社長

大手さんは何でもありですね(笑)。ラーメンとかケーキとか……面白いと思いますよ。でも、うちは寿司屋ですから。「元祖回転寿司」としてのプライドもあります。料亭で修行していた時代も含め、私は現場から上がって現場で教えてきた人間なので、働く人たちの管理も目の届く範囲でやっていきたいんです。仕入れも限られていますし、そんなに大きく広げられないんです。






村松亮太

なるほど……。2022年10月から、東大阪を舞台にしたNHK連続テレビ小説が放送されていますね。東大阪は盛り上がっていますか?





白石社長

東大阪の魅力を発信するためのPRプロジェクトが企画されたり、ドラマの中で出てくる「五島列島」の特産物を布施商店街で発売するフェアが開催されたり、盛り上がりを見せていますよ。東大阪市長も「朝ドラを見ている2000万人が東大阪のことを知ってくださる」と嬉しそうに話していました。元禄寿司も、本店の店長がNHKさんに取材していただきました。





村松亮太

東大阪が全国に注目されるのは、白石社長も嬉しいですか?





白石社長

もちろんです。元禄寿司が生まれたのも、東大阪の町工場の皆さんのおかげですから。先ほど「コンベア旋回式食事台は、東大阪の町工場の方々と共に開発した」とお話ししましたが、事の発端は経営者同士の親睦会で、親父が町工場の社長と意気投合したことだったんです。親父はかなりの大酒飲みだったから、お酒の席でいろんな人と仲良くなったんじゃないかな。





村松亮太

そうだったんですね! 人情の街・東大阪らしいエピソードです。





白石社長

回転寿司も含め、東大阪の技術力が日本中に広まると嬉しいですね。





村松亮太

最後に、大学生や若い世代に向けてメッセージをお願いします。





白石社長

私は先代に「思い立ったらすぐ動け」「今度やろうは、やらへんのと一緒や」と何度も何度もしつこく教えられてきました。その教えのおかげで、大学入学後も躊躇なく海外に渡れたのだと思います。人生は、長いようであっという間。特に、働き始めると自分の時間がなかなか確保できません。やりたいことは、「今やらんとアカン。次はない!」とつねに考えて、何でもすぐに決断できるチャレンジ精神で、限りある青春時代を駆け抜けてください。





村松亮太

白石社長、ありがとうございました!





対談を終えた村松さんの感想は?




今回の対談を通して、白石社長の学生時代のお話が特に印象に残りました。「思い立ったらすぐ行動」という先代の教えの通り、たとえ海外でも躊躇うことなく、自分のしたいことや行きたい場所に飛び込んでいく白石社長のお話から、学生時代の時間の使い方の大切さを学ぶことができました。

僕も白石社長のように「やりたい!」と思ったことはすぐ実行に移して、多くの経験を積める悔いのない大学生活を送りたいです。現在も精力的に活動されるお姿からも、将来の指針を授けていただいたような気がしました!


取材・文:トミモトリエ/渡辺あや
写真:西島本元
編集:人間編集部

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