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2022.11.07

近大フェンシング部をゼロから立ち上げた経験が原点。旭日双光章受章という偉業を果たした張西 厚志さんにインタビュー

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飲食やスポーツ業界などさまざまな分野で多くの近畿大学卒業生が活躍しています。 株式会社エヌジーシーの代表取締役会長を務める張西 厚志さんもそのひとり。張西さんは在学中に体育会フェンシング部の立ち上げに尽力され、卒業後も監督を務められました。平成30年(2018年)、フェンシング界だけでなく、スポーツ界全体の普及・発展に貢献してきた功績が高く評価され、旭日双光章を受章されました。令和3年(2021年)には国際フェンシング連盟(FIE)の殿堂入りをされています。今回は、張西 厚志さんに学生時代の話を伺いました。

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張西 厚志(はりにし あつし)
昭和42年(1967年)近畿大学商経学部(現・経済学部)経済学科卒業。体育会フェンシング部OBで、卒業後に監督も務めた。株式会社エヌジーシー代表取締役会長。旭日双光章受章・国際フェンシング連盟殿堂入り。
公益社団法人日本フェンシング協会 顧問、専務理事・副会長、北京・ロンドンオリンピック強化委員長を歴任。国際フェンシング連盟では2000年~2021年の20年以上にわたりSEMI 委員会委員を務め、令和3年(2021年)に殿堂入り表彰。アジアフェンシング連合では理事・東アジア局長を務めた。


旭日双光章受章はフェンシング人生のご褒美




平成31年(2019年)3月に開催された旭日双光章受章記念祝賀会の様子

――まずは、旭日双光章の受章おめでとうございます。

張西:ありがとうございます。これまで何十年もフェンシング競技に携わってこれたのは、支えてくださったみなさまのおかげです。70年以上続くフェンシング協会の歴史のなかで、オリンピックで1個も取れなかったメダルを、獲得できたことへのご褒美だと思っています。旭日双光章は社会への多大な功績がないと、いただけないものなんですよ。



近畿大学校友会西村会長からも長年の功績をたたえ表彰状が授与された

“何がなんでも絶対フェンシング部を作ったる”






――張西さんは長年にわたりフェンシングに携わっていらっしゃいますが、大学ではどのような活動をされていましたか?

張西:そうですね。私が近畿大学(以下、近大)に入学したのは60年以上前になります。フェンシングは高校からはじめましたが、当時は、近大にフェンシング部も体育館もなかったんですよ。正直、「このまま大学卒業してどうすんねん」って思いました。そこで、フェンシングをしないまま卒業するわけにはいかないと思い、体育会本部にフェンシング部の立ち上げを申請したんです。

――無事に申請は通ったのでしょうか?



学生時代の張西さん(前列右)

張西:最初は上級生たちから話を聞いてすらもらえず、それはそれは大変でしたよ。毎日体育会本部のもとへ行っては、お昼ご飯を買いに行ったり飲み物を用意したり使いっ走りのようなことをしていました(笑)。「何がなんでもフェンシング部を作ったる!」という一心でしたね。毎日続けていたら少しずつ先輩たちとの距離が縮まってゆき、「いいか、部活はそんな簡単に作れないぞ。まずは同好会から作れ」といろいろ教えてもらえるようになったんです。

そもそも、同好会を作るには20名以上の会員が必要だったので、同級生に声を掛けて20名集めました。

体育館がなかったので外で練習をしてると、体育会本部が様子を見に来るわけです。ちゃんと活動しているということが認められなかった場合、同好会の許可も下りないんですよ。しばらく熱心に練習を続けていると、ちゃんとやってるなと体育会本部から認められて、ついに練習場の使用許可が下りました。1階建ての掘っ建て小屋のようなところでしたが、室内で練習ができるようになりました。部としての活動が認められた瞬間は、本当に嬉しかったです。

フェンシング競技の普及・発展に尽力




――“フェンシング部を作ること”にこだわったのはなぜですか?

張西:部になると学校から予算が出るので、予算があれば大会の出場費用や設備投資に充てられるようになります。だから、絶対にフェンシング部を作りたかったんです。
フェンシング同好会ができて翌年に初めて出場した関西学生連盟の3部リーグで優勝し、部に昇格。その翌年には2部リーグで優勝。さらに1部入れ替え戦でも勝利し、史上最短で1部リーグ入りを果たしました。

――……すごい!

張西: 大学側はみんなびっくりしてましたよね。まさか、近大で立ち上げたばかりの部が優勝するとは誰も思っていないわけですから。

最初は当たりが強かった先輩たちも、「お前ようやるな」ってめちゃくちゃ可愛がってくれて。本当にたくさんフォローしてくださって、最終的にはフェンシング部の部長にもなってくれた方もいます。大変なこともありましたが、あの時諦めずに頑張って良かったと思います。
近大卒業後は、近畿大学フェンシング部の監督も務めさせていただき、部の設立から4年目と5年目には、全日本選手権大会のフルーレ団体戦で2連勝しました。



大会優勝時の集合写真(前列一番右が張西さん)

――張西さんが監督を務めた10年間で、団体・個人を含めて十数回優勝されていらっしゃいますよね。

全日本選手権で優勝できたというのは、選手時代とは違った喜びがありましたよ。近大を卒業してから33歳までの約10年間、近畿大学フェンシング部の監督として充実した日々を送らせていただきました。

33歳になった頃、両親から「いつまで学生気分でいるんだ」と言われてハッとしましたね。色々なご縁とタイミングが重なり、妻が体育教員をしていた大阪府の学校を辞めたことをきっかけに、体操教室を運営することになったんです。

――そちらが現在、代表取締役会長を務めていらっしゃいます株式会社エヌジーシーの体操教室でしょうか?




はい、株式会社エヌジーシーです。昭和53年(1978年)の創業以来、1歳半の子どもから大人まで幅広い世代の方にご利用いただいている、歴史の長い体操教室です。その後、フェンシング界に復帰して日本フェンシング協会の理事や国際フェンシング連盟の役員なども務めさせていただきました。

「なんば体操クラブ」には年齢や経験に合わせたコースがあり、体操経験が豊富な指導員が丁寧に指導するため、小さなお子さまでも安心してご参加いただけます。すべてのコースに運動の基礎となる器械体操を取り入れており、バランスの取れた体作りに重点を置いているのが特徴です。



マットや跳び箱、平均台などを使い、転がる、飛ぶ、ぶら下がるなどの動作が入ることで全身の筋肉が鍛えられ、運動能力向上が期待できます。体を動かすことは精神的にも良い影響を与えてくれるので、たくさんの方に体操の魅力を感じていただきたいですね。




張西:また、体操クラブ運営のほかに、体操器具の開発設計および製造販売も行なっています。体操競技用ゆかや体操競技用着地マットなどは特許を取得しています。当社で手がけている体操器具の多くが数々の世界大会に使用されているんですよ。

目標設定は高く、突き進むのみ





――張西さんはこれまで、フェンシング競技の普及・発展に尽力され多大な功績を残されたと思うのですが、常日頃に意識していることは何でしょうか。

張西:目標を高く設定し、クリアできるように必死に取り組むこと。これに尽きますね。
学生時代の3部優勝や2部優勝、全日本選手権優勝というのも、めちゃくちゃ高い目標設定だったと思います。

――目標は高いほど、達成感や喜びもひとしおですよね。それでは最後に、卒業生へ向けてメッセージをお願いします。

張西:自分が立てた目標を達成するまでに、悔しい思いをしたり挫折しそうになったりさまざまな思いを経験すると思います。辛いことがあっても逃げず、自分が立てた目標は絶対にクリアするという気持ちを持って突き進んでほしいですね。

――意志を貫くというのは何事においても大事なことだと思います。本日は貴重なお時間をいただきありがとうございました!





取材・文:笑屋株式会社
写真:井原 完祐
企画・編集:近畿大学校友会

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