2022.11.07
アート×数学×武道の経験を料理で表現する!異色の経歴を持つミシュランシェフ米田 肇さん『HAJIME』
- Kindai Picks編集部
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高層ビルが立ち並ぶ大阪市西区の一角に店を構えるガストロノミーレストラン『HAJIME(ハジメ)』。2008年のオープンからわずか1年5ヶ月、ミシュラン史上最速で三つ星を獲得したことで話題となりました。オーナーシェフを務めるのは、米田 肇さん。“美しき地球と生命”を表現した料理の数々はどれも芸術品のような美しさで、多くの美食家を魅了しています。
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株式会社HAJIME&ARTISTES代表取締役。
平成8年近畿大学理工学部 電子工学科(現・電気電子通信工学科)卒業。
大学卒業後、コンピューター関連会社に就職しシステムエンジニアとして従事。退職後、関西のフランス料理店で修業を積み渡仏。フランス・ロワール地方の「ベルナール・ロバン」、ブロワの「オ・ランデヴー・デ・ペッシュー」で腕を磨く。日本に帰国後、北海道の「ミシェル・ブラス トーヤジャポン」の部門シェフを経て2008年に独立し「HAJIME」をオープン。
両親の影響を受け自然と料理の道へ
――まずは、米田さんがシェフを目指そうと思ったきっかけを教えてください。
両親の影響が大きいですね。母はとても料理上手だったんですよ。旬の食材を使った四季を感じられる母の手料理を毎日食べていたので、自然と食への関心が育まれていったのかなと思います。友達と遊んで家に帰るとテーブルにおいしいご飯が用意されている、そんな“ほっこりした日常”がとにかく好きだったんですよ。
あと、ヨーロッパ出張に行く機会が多かった父が、よくお土産でチョコレートを買ってきてくれたんです。毎回それが楽しみで、子どもながらに西洋文化への憧れのようなものを抱いていましたね。それもあって、日本以外の食文化に興味を持つようになったのかもしれません。
猛反対する両親を説得し調理師専門学校への入学を果たす
――大学を卒業して「HAJIME」をオープンするまでの経歴を教えてください。
近畿大学を卒業後、大手のコンピューター部品メーカーに新卒入社し、システムエンジニアとして電子機器の設計を行っていました。
就職先は最先端といわれていた会社でしたが、実際に入ってみるとイメージとは全然違い、「これは自分のやりたい仕事ではないな」と感じました。しかし、続けてみるとおもしろい仕事かもしれないと考え、とりあえず働きながら2年間で専門学校の学費600万円を貯めることにしました。 600万円を貯めた時に、エンジニアの仕事を続けるのか、夢であった料理人の仕事に挑戦するのかを決めようと思ったのです。
毎月20万円を貯金するために、1日300円くらいで過ごしていました。なんとか目標金額が貯まった時に、やはり料理人をやることに決めました。そして、猛反対する両親を説得して、辻調理師専門学校へ入学しました。これでやっと料理人としてのスタートラインに立てたと思いましたね。
――そして、飲食業界へキャリアチェンジされたのですね。
専門学校卒業後は、関西のフレンチレストランに就職しました。当時は、給料手取り10万円というすごく厳しい時代。朝6時に出勤し、片付けや仕込みが終わって家に帰れるのは夜中4時過ぎという怒涛の日々でした。飲食業界に入るときに父から「長時間労働で給料も決して良いとは言えない。それに、会社勤めに比べると休みも少ないぞ」と釘を刺されていたんです。実際に働いてみて、父親が言っていた通りでしたね。私が入ったお店は日本で1番忙しいといわれている有名店だったので、当然ですよね。
フレンチレストラン就職時の米田さん(写真右から2番目)
活躍している料理人の多くが口を揃えて「下積み時代は厳しい」と言っていた通り、本当に大変な世界なんだと痛感しましたが、ライバルと本気で競争し合える素晴らしい環境だったと思います。
HAJIMEは、“世界最高峰のレストランを作る”がコンセプト
「ベルナール・ロバン」で修業時の米田さん
神戸で2年ほど働いた後、本場のフランス料理を学ぶためにフランスへ渡り、フランス・ロワール地方の二つ星レストラン「ベルナール・ロバン」、ブロワの「オ・ランデヴー・デ・ペッシュー」で約3年間修業し、日本に帰国しました。
北海道にあるリゾートホテル内のフレンチで部門シェフを務めた後、2008年に独立しました。“世界最高峰のレストランを作る”をコンセプトに 「HAJIME(旧:HAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPAN)」をオープンしたのです。
北海道のリゾートホテル就職時の米田さん
ありがたいことにオープンから約1年5ヶ月でミシュラン三つ星をいただきました。三つ星を獲った後は、連日ランチ、ディナーともに満席の状態が続き、営業中ずっと電話が鳴り止まず、精神的にも肉体的にもスタッフ全員ボロボロでした。正直、私自身がもう辞めたいと思っていたほどです。さすがにこのままだとみんながダメになってしまうと思い、価格を上げてディナー1本に絞ることにしました。
フランス料理をやめたのもちょうどその頃ですね。それまではフランス料理をずっと勉強していたのですが、少しずつ海外からのお客さまも増えていて、せっかくなら、他では味わえない「HAJIME」ならではの料理を提供したいと思うようになりました。
フランス料理をやめたことで一時的にミシュランの評価は下がりましたが、2017年にはイノベーションという革新的な料理部門で再び三つ星をいただくことができました。
――ミシュラン三つ星を取るという目標は開業当時からあったのでしょうか?
はい、ミシュラン三つ星を狙っていました。東京都内でミシュラン三つ星を獲得しているほぼ全てのお店に足を運んでは、どうすれば世界評価に値する料理を作れるかを日々研究し、食材の厚さや温度などをメモしておいて、誰が作っても同じ料理を提供できるよう徹底していましたね。
“食”を追求していくと、AIや宇宙、医療などさまざまな分野と親和性があることに気づきました。最近では、医療分野と食の関係性に大学病院や研究所が興味を持たれ始め、病院における食の研究を始めています。最後の晩餐という言葉がありますが、本当に希望通り食べられた人はいない。しかし、最後の最後まで食を大切にしていくためには、最後の晩餐を提供することは、料理人の使命だと感じています。
卒業生だからわかる近大の魅力とは
――近大に入って良かったと感じるのはどのような瞬間ですか?
幅広い業界・職種で活躍している卒業生が多いのは純粋に嬉しいですよね。今は近大っていうと「近大なんですね!」「人気の大学ですよね」といわれることが多く、近大卒業生として誇りに思います。
うちの店にいらっしゃるお客様のなかにも「実は私も近大の卒業生なんです」っていう方もいらっしゃるんですよ。最近は起業家の育成にも力を入れていますし、時代のニーズに合わせてどんどん進化していて素晴らしいなと思います。
学生時代の米田さん
あとは、学生時代に習っていた空手の経験が料理の仕事にも活きていると感じます。調理に集中するあまり、お客様への気遣いが疎かになったり、スタッフとの連携が取れなくなったりするケースはよくあるもの。空手の経験を通じて、素早く状況を把握し的確な判断ができるようになりましたね。以前働いていたレストランはシェフと私の二人だけだったので、シェフの動きを先読みするという力がさらに鍛えられた気がします。
――ありがとうございます。それでは最後に、今後の展望を教えてください。
今後の展望として考えていることは、食を通して社会をよりよくできないかと考えています。経済合理性が進む社会の中で、世の中は豊かになりましたが、格差や分断が生まれ、人の心は豊かになるどころか不安になっていっています。現在の社会システムができた根本には食が深く関係していますので、未来の社会システムを構築する上で食が鍵になり、人と人との心をつなぐようにできないかと考えています。
また、人類は誕生してから地球に長年住んでいますが、ひょっとすると宇宙で過ごす時間の方が長くなるかもしれない。そう考えると宇宙における食の分野の重要度はとても高く、第一次産業からレストランまでのスペースガストロノミーを構築したいと思っています。こんな話をしていると、よく「料理人ではないみたいですね」と言われますが、実際に食はとても他の分野との関係性が高いのです。多くの人が気づいていないその点と点をつなぎ合わせるのが私の強みだとも思っています。
2022年5月12日に「HAJIME」は14周年を迎えました。これまで「HAJIME」を応援してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、世の中は大きく変化しました。こんな時代だからこそ、おいしいものを食べて少しでも楽しく過ごしていただきたい。食の根源にあるメッセージは希望です。HAJIMEはその最高峰として、常に感動と希望を届け続けたいと思います。
私は今年で50歳です。60歳を迎える残りの10年間で色々と自分のやりたいことにチャレンジしたいと思っています。
――食の力で社会問題の解決につなげていくということですね。本日のお話を聞いて米田さんは料理人という枠を超えて、社会起業家のように感じました。貴重なお時間をいただきありがとうございました!
取材・文:笑屋株式会社
写真:井原完祐
企画・編集:近畿大学校友会
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