大きなサインが印象的な「古着屋JAM 堀江オレンジストリート店」。同フロアには、レディースアイテムを取り扱う「ADÉL VINTAGE by JAM」も入る
インポート古着の専門店「古着屋JAM」などを展開する株式会社JAM TRADINGは、創業当初からネットでの古着のBtoC販売に力を入れ、業界としてはいち早く自社の通販サイトをオープンするなど、古着のEC販売のパイオニアとして知られています。現在は6つの店舗ブランドを抱え、2025年の売上予測は40億円。ヴィンテージマニアと古着初心者の両方から支持される、日本最大級のインポート古着専門店の地位を築いています。
また古着の知識が豊富な店舗スタッフたちによる親しみやすい接客も人気の秘密。「日本一ファンが多い古着屋」を目標に掲げる同社は、経営手腕のみならず人材育成分野でも熱い視線を集める存在です。
そんなJAM TRADINGを率いるのが、近畿大学出身の福嶋社長。学生時代に古着と出合い、大学卒業後、就職やワーキングホリデーを経て、未経験のままお店を立ち上げました。当時の古着店としては珍しかったネット通販にも挑戦するなど、柔軟な発想でビジネスを広げ、今や業界を牽引する企業にまで成長させてきました。
今回は経済学部 国際経済学科3年生の表 雅太(おもて まさひろ)さんが、旗艦店のひとつ「古着屋JAM 堀江オレンジストリート店」を訪問。ファッションを愛し、学生生活を送る傍らブランド運営やモデル活動もこなす表さんが、福嶋社長の軌跡に迫ります。
「古着屋をやりたい」という憧れから始まった
お店の前で愛車と。実はこの日着用していたベージュのパンツは、表さんが働く古着店で購入したもの
福嶋 政憲(ふくしま まさのり) 株式会社JAM TRADING 代表取締役社長
1996年近畿大学経済学部卒業後、繊維系商社に入社し営業職に就く。1999年に退職したのち、ワーキングホリデー制度を利用し約1年間オーストラリアに滞在。帰国した2002年、原点となる古着店をアメリカ村でオープン。その後、実店舗だけでなくネットオークションやネット通販での取引を経験し、2007年にJAM TRADINGを設立。古着業界としてはいち早くネット販売に力を入れ、国内最大規模の海外仕入れの古着屋に。スタッフや顧客から愛される店づくりに情熱を注いでいる。
表雅太
本日はよろしくお願いします! 僕も古着が好きで、JAMで買い物をすることもあるのですが、JAM TRADINGはいろんなタイプの店舗を出していますよね。
福嶋社長
そうですね、海外買付の古着としては日本一の規模じゃないかな。今年6月には新たに、デザイナーズ古着を中心にそろえた「FAY by JAM(ファイバイジャム)」を立ち上げました。
表雅太
また新しいお店が! 現在は全体で何店舗を経営されているんですか?
福嶋社長
10月、11月にも新店オープンが控えています。複数のブランドを併設している店舗もありますが、屋号ベースで数えると延べ44店舗になる予定です。仕入網が強いぶん、古着をいろんな人に気軽に手に取って楽しんでほしいんです。
表雅太
その中でも古着屋JAMはバンドTシャツなどが充実していて、店内に入ると気分が上がります! 福嶋さんご自身が、最初に古着に心をつかまれたのはいつごろでしたか?
福嶋社長
ファッションに目覚めたのは中学時代でした。当時流行っていたDCブランド※が好きでしたね。古着にハマったのは大学生のころ。近畿大学附属高等学校から進学したので、受験勉強はほとんどせずにバイトばかりしてたんですが……働いてた居酒屋に古着好きのバイト仲間がいたのがきっかけ。バイトで稼いだお金は全部服につぎ込んでいましたね。
※DCブランド:1980年代に日本国内で流行した、コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケなどを代表する日本発の高級ファッションブランドの総称
表雅太
僕もそうです! 学生のころはどのあたりで服を買っていたんですか?
福嶋社長
やっぱりアメ村ですね。当時は古着ブームだったんです。
大学時代のアルバイト先、居酒屋の休憩中にバイト仲間と撮影された一枚。福嶋さんが中央で、その後ろに立っているのが古着を教えてくれた友人
表雅太
当時のアメ村って、どんな雰囲気でしたか? ちょっと怖そうなイメージがあります。
福嶋社長
怖いというか、古着屋の店員さんを含め、雰囲気のある人が多かったですね。別の友だちとアメ村を歩いていると、古着屋のお姉さんが「マサノリくん」と声をかけてくれて、「えっ、知り合いなん?」と驚く友人に優越感を抱いたこともありました(笑)。あのころから、古着屋さんってカッコいい存在だったんです。
表雅太
優越感はちょっと分かるかも(笑)。近大にはどんな思い出がありますか?
福嶋社長
僕は近大附属高校から進学したから、表くんとは少し環境が違いますね。当時は、近高から上がった「内部生」と、大学から近大に入った「外部生」の間にちょっと距離があった気がします。実はあまり勉強した記憶はないんだけど……近大の周りのごはん屋さんとかはよく覚えていますよ。お好み焼きの「てらまえ」にはよく行きましたね。
表雅太
てらまえは僕たちも行きます! 先輩方の間でも定番だったんですね。
福嶋社長
最近はOBとして近大に呼んでもらうことが増えましたが、施設の充実度がすごいですよね。経営者の先輩としてアドバイスを求められる機会もあって、学生が興味のあることに打ち込めるよう応援している雰囲気がある。ハコだけじゃなくて、先生方や職員のみなさん、そして学生の熱が高くて感動しますね。
1社目は2年足らずで退職。「鳥貴族」での出会いから、自分の夢に向き合った
表雅太
僕は3年生なのですが、進路について考えることが増えてきました。近大を出てからどうやって古着の道に進まれたのか、すごく気になります。
福嶋社長
卒業後の進路は何も考えていなかったんですよ。実は4年生のギリギリまで就活をせず、8月ごろに近大の就職支援窓口に駆け込んで、まだ募集している会社を教えてもらいました。ファッションに近い業界で働きたいという思いから、繊維系の商社を受けたら合格できたんです。
福嶋社長
面接してくれた会社の社長さんが近大にゆかりのある方で、面接で盛り上がったのが良かったのかも(笑)
表雅太
そんな偶然があったんですね! そこではどんなお仕事を?
福嶋社長
アパレルメーカーに素材を提案する営業職でした。受注が決まったら、工場に連絡して生地を生産してもらう、という流れです。せっかくなら東京に行きたいと思い、上司にも伝えたところ、翌年転勤が決まり原宿界隈の営業担当になりました。
表雅太
90年代の原宿……すごく刺激がありそうですね。
福嶋社長
そのころは、裏原ブームど真ん中。藤原ヒロシ、NIGO、高橋盾といった今や国境を超えて活躍するデザイナーたちが表舞台に現れた時期です。人気店には長蛇の列ができ、僕も買い物しました。初めての一人暮らしも楽しかったのですが、「本当にこのままでいいのかな?」というモヤモヤ感が日に日に強くなっていったんですよ。公園で自己啓発本を読んでサボったりもしました(笑)
福嶋社長
あのころは、ヴィレッジヴァンガードとかにオシャレな啓発本が並んでいたんですよ。それで、結局東京に来て8カ月で会社を辞め、社会人2年目で大阪に戻りました。
福嶋社長
いえ、何も決めていませんでした(笑)。実家に帰って、昼まで寝ていたら母親に起こされて。「あんた、どないすんの? とりあえず働きや」と言われ、求人雑誌で見つけたビールの会社で派遣社員として働きました。今思えば、すぐに古着屋さんに行って働かせてもらうこともできたはずなんですけどね。その会社では、居酒屋さんを回るルート営業だったのですが、それにもすぐに慣れて時間ができ、夜は「鳥貴族」でバイトをするようになりました。
福嶋社長
鳥貴族での出会いも転機になったんですよ。当時19歳の中村くんという年下のバイト仲間がいたのですが、英語を勉強しながらカナダに行くためにお金を貯めていると。しばらくして、彼に会いにカナダに行きました。そのときにニューヨークや、友人が古着屋として働いていたロサンゼルスにも行って、僕も古着屋がやりたかったと再認識しました。刺激たっぷりの1カ月を経て、自分もワーホリでオーストラリアへ行くことを決めたんです。
表雅太
オーストラリアを選んだのはどうしてですか?
福嶋社長
サーフィンが好きだったので、サーファーの聖地・オーストラリアに行ってみたいという理由と、将来的にインポート古着を取り扱うことを考えると、英語圏での暮らしを経験しておきたいと思ったんです。
オーストラリアで働きながら開業準備。最初の商品は、留学先で集めた50箱の古着
表雅太
オーストラリアでの暮らしぶりも気になります。滞在中も古着のことを考えていたんですか?
福嶋社長
日本食のレストランなどで働き、給料で生活費をまかないながら、リサイクルショップやフリーマーケットを巡って売れそうなものを集めていました。日本の書店もあったので、関西のファッション誌『カジカジ』などを読んで売れ筋の研究もしましたね。シェアしていた家には、日に日に服が詰まった段ボール箱が増えていき廊下が通れない状態に。最終的に、帰国するときは段ボールは50箱になっていました。
表雅太
仕入れ級の物量! 古着屋をやる決意は固まっていたんですね。
福嶋社長
そうですね。ワーホリ前に貯めたお金は開店資金にすると決めていたので、オーストラリアでも使いませんでした。商品もたっぷり買い込めたのでようやく準備が整い、帰国後、アメ村に「クロウズネスト」というお店を出しました。店名はオーストラリアの地名が由来。カラスの巣という意味もあり、カラスがガラクタを集める習性が、自分の好きなものを集めた店のイメージと重なるとも思ったんです。
クロウズネスト開店準備の様子
福嶋社長
雑居ビルの一室の、狭い店舗でしたけどね。店頭だけでは十分な売上がなかったので、閉店後の時間を使って「Yahoo!オークション」にも出品していました。のちに一緒にJAMを立ち上げる上古殿(じょうこでん)雄介(現・JAM TRADING取締役兼バイヤー)とは、そのころ出会いました。最初はお客さんだったのですが、彼も古着屋を始めて同業者になり、一緒にパキスタンに買い付けに行ったりしました。
福嶋社長
アメリカの買い付けは、当時の自分たちには金銭的な負担が大きい。それで、次の仕入れ先として話題になったのがタイ。そこからさらにさかのぼると、パキスタンに集まった古着が、タイを含む世界中に送り出されていたんです。当時、イスラム諸国は危ないイメージがありましたが、「一発逆転するならここしかない」と決心。実際に安くていいものがたくさん見つかりました。
表雅太
海外に行ったことがない僕にとっては、別世界の話に聞こえます……!
ネット販売で経営が軌道に乗ったのに、ビル火災で「やり直し」
表雅太
その後、お二人でJAMをつくるまでにはどのような道のりだったんでしょうか?
福嶋社長
相変わらずヤフオクにも出品していたのですが、閲覧の多い時間に終了時刻を設定するのが高く売るコツだったんです。そうやって出していると、自分と同じような動きをしているアカウントがあって。しかも商品もバッティングしていて、ライバルがいるなぁ、やりにくいなぁと思ってたら……それがまさかの上古殿でした。
福嶋社長
偶然ね(笑)。オークションだから、入札が分散すると落札価格が上がらない。足の引っ張り合いにもなってしまっていたので、上手く交通整理できるように「一緒にやってみないか?」と話し共同体制がスタート。上古殿は海外仕入れに専念し、僕が店舗運営と出品を担当する形になりました。
福嶋社長
当時僕の店があったビルに在庫用の部屋も借りたのですが、ある日、ビルが火災になってしまったんです。無事に避難できたのですが、消火活動で店も在庫も水浸しになってしまいました。
表雅太
大切な古着が……ショックではなかったですか?
一部が水浸しになってしまった当時の倉庫の様子。
福嶋社長
こうなったら仕方がない、一からやり直し、と次のことを考えていましたね。濡れた商品は家に持ち帰って、毎日風呂で洗い直しましたよ。母親も「何よ、この荷物!」と怒りながら手伝ってくれました(笑)
表雅太
切り替えが早い! 立ち止まらなかったんですね。
福嶋社長
しばらくは店頭での販売は諦め、ネット販売一本になりました。そのころに「楽天市場」にも出店しましたが、思うようには売れなくて。あるとき、楽天のコンサルタント担当者から「こんなに在庫があるなら、騙されたと思って楽天に全て出品してみてください」と提案されて、実際にそうすると売れるようになりました。店舗としての露出が増え、購入につながったんです。
表雅太
古着って一点ものだから商品の出品も大変ですよね。
福嶋社長
そうですね。だからこそ、当時はヤフオク以外での古着のネット販売は珍しくて、たくさん売れました。さらに「ドクターマーチン」のブーツに特化していたので「マーチンといえばうち」というくらい人気で、楽天の売上だけで月商3,000万円に。今思えば、一点集中から顧客を獲得するランチェスター戦略を実践できていました。
JAMの店内にも、丁寧に手入れされたドクターマーチンのブーツが並ぶ
表雅太
すごい! そこからまた実店舗を始められたのは、どうしてですか?
福嶋社長
ネットだけの時期が2年ほど続きましたが、やはり店をやりたいという思いを二人とも持っていました。実は途中で店舗を出したこともあったのですが失敗して……次の店舗の在り方を考えるうち、ネットの在庫を倉庫に眠らせるのではなく、実店舗にも商品として並べる「見せる在庫」の形を考えたんです。現在は、店舗とEC在庫を切り離していますが、この時期の影響はかなり大きかったですね。新しい店の名前をどうするか相談して、上古殿と僕の名前のイニシャルを取り、J and MでJAMとなりました。
「好き」は最高のスタート地点。次なる興味の矛先は、田植え!?
表雅太
現在たくさんの店舗ブランドを展開されていますが、そこにはどんな狙いがあるのですか?
福嶋社長
ビジネス的な戦略はもちろんあるのですが、最近もっと大切なことに気付かされた出来事があって……。
福嶋社長
あるレディースブランドを立ち上げたとき、ブランドリーダーに任命された社員が店舗づくり、世界観づくりをすごく頑張ってくれて。「彼女がやりたかったことは、これだったのか」とよく分かりました。いろんな形の店舗をつくることは、スタッフさんの夢を叶える手段にもなるんですよ。そのブランドの開店時は、行列ができる人気ぶり。情熱の力を再認識しました。
表雅太
素敵なエピソードですね。JAMの店員さんと接していると、カッコいいのに親しみやすくて「この人も古着が好きなんだな」と感じます。そんな中で、無人のお店も出されているのは意外でした。
福嶋社長
「無人古着屋 STOPY」は2023年に立ち上げました。当社は輸入の古着屋として日本一の規模感がありますが、古着のマーケットを広げていく役割もあると感じています。無人店もその一つで、アメ村や堀江、東京では下北沢のような、古着のお店が集まるエリアから抜け出すことが必要。出店エリアは、コンビニや大型ディスカウント店のように、地域属性や交通量などを分析し、敷居の低い古着屋として出店しています。
2025年7月にオープンした24時間営業無人古着屋「STOPY 外環東大阪店」
表雅太
気軽に入れるお店が増えたら、選択肢も広がりますね! ところで、福嶋さんご自身は古着のどんなところがお好きなんですか?
福嶋社長
まず、何年たってもカッコいいと思えるところですね。特にアメカジはベーシックだから。
表雅太
そのデニムジャケットも、昔のものとは思えないです。
福嶋社長
かといって、めちゃくちゃヴィンテージ好きというわけでもないんですよ。古着にも流行りがあって、そういうものも好きなんですよね。学生時代からファッション観はあまり変わっていないかも。表くんは、どうやって古着を選んでるの?
表雅太
僕自身はグランジが好きで、その反骨精神に惹かれて服を選んだりします。同世代では、マンガの作品の世界観をファッションに落とし込んだりする人もいます。アメカジなどの分類は今も健在ですが、選び方が広がっているイメージがあります。
福嶋社長
マンガと服がリンクするのは、僕らの世代と違いますね。でもこうやって学生さんと同じアイテムを見ながら「これがいいよね」って言い合えることはなかなかないから、それも古着の貴重なところですよね。
表雅太
今まさに、すごくレアな体験をさせていただいています……。最近も古着ブームと言われますが、福嶋さんはどう感じていらっしゃいますか?
近年の人気アイテムとして福嶋さんがセレクトしたのは、ゆったりとしたシルエットが特徴のリーバイス「SILVER TAB™(シルバータブ)」のデニムパンツ
福嶋社長
どう感じるか……実は売れ筋商品は、何年も前から大きくは変わっていないんです。ただ、今はトレンドの移り変わりが早いと思います。メンズはまだそうでもないけど、レディースはサイズ感や肌見せなど流れが速い。それに対してリメイクや着こなし提案で対応して、今の気分に合わせられるのも、古着の面白さかもしれません。
福嶋社長
もともと僕の趣味で、コロナ禍の前から農家さんに出向いてお手伝いしていたんですよ。 今年初めに、社内のスタッフにも声をかけてみると、意外と「やりたい」という人が集まってくれて。 組織内の親睦を深められる体験になるし、その地域の方々も助かるということで、社会貢献にもつながるのでは? と考えています。 会社としては、いつ来ても新鮮に感じてもらえる魅力あるお店づくりに今後ますます力を入れていきます!
兵庫県多可町での農業体験の様子
表雅太
最後に、学生に向けてメッセージをお願いします。
福嶋社長
これは当社のスタッフさんにも伝えているのですが、好きなことをやった方がいいですよ。同年代の仲間と集まると「福嶋は好きなことをやっていて、いいな」「学生のころからやりたいって言ってたことを続けてて、すごいよな」と言われるんです。初めはそんなつもりはなかったのですが、「好き」というのは最高のスタート地点なんだなと分かりました。言い換えると、仕事を条件で選ばない、ということかな。そして、その好きなことを続ける権利もみんな持っています。全員が仕事として成立させるのは難しいかもしれませんが、そのことは覚えていてほしいと思います。
表雅太
今日は大好きな古着に囲まれてインタビューできてうれしかったです。貴重な時間をありがとうございました!
対談を終えた表さんの感想は?
ここに至るまでいろんなハプニングがあったにもかかわらず、福嶋さんは常に前向き。次を見据えてアクションし続ける行動力、判断力に圧倒されました。
僕自身は、就活や進路について自問自答したり、「目立った実績を出してこれなかったから、思い切った判断ができないんじゃないか」と自分に対する怒りがあったりと、いろいろ考えてきました。
しかし、流れに身を任せてマイペースに生きてきた福嶋さんの話を聞いて、直感に従って行動してみてもいいかもしれないな、と思えました。自分の「好き」に向き合って、目の前のことに打ち込んでいきたいです。
取材:トミモトリエ
取材・執筆:山瀬龍一
撮影:北川暁
企画・編集:
人間編集舎