2019.05.14
「鶴麺」大西益央の型破り経営論!ボストンで平日は2時間限定・2600円のラーメンが売れる理由
- Kindai Picks編集部
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平日の営業時間は午後6時から8時まで。オープンから1000日のみの限定営業。ラーメン屋としては異質な営業スタイルでアメリカ・ボストンを賑わせている「TSURUMEN DAVIS」。そんなラーメン屋を切り盛りするのが、近大OBの大西益央さんです。近畿大学を卒業し、大阪随一の人気を誇る「鶴麺」を旗揚げ。その後、アメリカに渡り現在の成功を掴み取るまでのお話を聞いてきました。
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暖簾の間から、こんにちは。ライターのロマンです。
突然ですが、皆さん。
今、とあるラーメン屋がアメリカ・ボストンで話題になっているのをご存知でしょうか?
平日の営業は2時間のみ。1000日限定営業のラーメン屋……?!
コチラの「TSURUMEN DAVIS」は、最低気温が−10度にもなるアメリカ・ボストンで1時間待ちの行列は当たり前の大人気ラーメン店!
しかもコチラのお店、ボストンのグルメサイトで 「今、最も熱いレストラン」第1位を3ヶ月連続獲得。さらには、ボストン最大の部数を発行する日刊新聞「ボストン・グローブ」の1面を飾るなど、メディアからも注目されほどの人気っぷり。そんな話題が日本にも伝わり、あの『情熱大陸』にも密着されました。
平日の営業時間は午後6時から8時までのたった2時間のみ。販売するラーメンは一種類のみ。更には、オープンから1000日のみの限定営業で、5年後には店を閉めると決めているそうです。
で、そんな人気店のオーナーが、近畿大学OBで、大阪でも随一の人気を誇るラーメン屋「鶴麺」を営む、大西益央さん。
そんな、大西さんが大阪に一時帰国し「鶴麺」にいるとの情報を聞きつけて……
ランチタイムを外したのも関わらず、店頭にはまだ並んでいる人たちが……!
大西さんに会いに、来ちゃいました!!!!!
しかも今回は、特別にボストンで販売中のラーメンを食べさせていただけるとのこと!ワクワクが止まりません。
真剣な眼差しで、ラーメンづくりをする大西さん。めちゃくちゃカッコよくないですか?
扉を開くと、L字型のカウンターがお目見え。続いて、ダシのええ香りと茹で場の熱気がグワッと押し寄せます。
編集・カメラマン・ライターの3人前を一度に調理。まずは、味の礎となる、醤油ベースのかえしを入れた器に、鶏の旨味がギュッと詰まったスープを投入。
次に、プルっと艶やかで、ほんのり黄色みがかったたまご麺を、スープに投入。
最後に、松茸入りのワンタン・ネギ・チャーシュー・メンマなどのトッピングを乗せて……
完成です!!!!
コチラのラーメンは、ボストンの「TSURUMEN DAVIS」で販売している「フォーミュラー・ナインティーファイブ」です。スープのベースに乾燥松茸と鶏を使っていて、とにかく香りがスゴイ。もう、その香りだけで白飯が三杯は食べられるレベルです。
レンゲでスープを掬ってみると、濁りのないスープと鶏油のコントラストがまた美しい。口へ運ぶと、旨味と香りの二重奏。もう、めっちゃくちゃに、うんまい!!!!!
続いて麺を豪快にすすると……。ツルッとした喉越しのあとに、旨味が押し寄せます。
忘れちゃいけないのが、トッピングの松茸入りワンタン。
口の中で旨味の小宇宙が炸裂しました。ノックアウト寸前です。着丼から、およそ3分。あっという間に完食です。
大阪の「鶴麺」では、多加水もっちり太麺のつけ麺が有名ですが、ボストンで販売している「フォーミュラー・ナインティーファイブ」は、全くの別物。今までに口にしたことがない複雑な味わいで、噂にたがわぬクオリティでした。ちなみに、こちらのラーメンは、アメリカのボストンで23ドルで販売中。
ラーメンで23ドル(日本円換算するとおよそ2600円!)と聞くと、高いと思われる方も少なくないかもしれません。ただ、一度口にするとそんな思いはすっ飛んでしまいます。
ラーメン界のキーパーソン・大西益央さんのお話を聞く!!
噂のラーメンを食べてお腹を満たされたところで……
こんなに美味しいラーメンを生み出し、アメリカで成功を収めた大西さんにお話を聞かせてもらいました!
1976年大阪生まれ、2000年近畿大学商経学部卒。2007年に大阪・鶴見区に『鶴麺』を開業。その、3年後には大阪・京橋エリアに2店舗目となる「らぁ麺Cliff」(現:Tsurumen 大阪城北詰点)をオープン。2018年には「TSURUMEN DAVIS」をアメリカ・ボストンにオープン。「ボストン・グローブ」の1面を飾ったり、『情熱大陸』への出演を果たすなど、業界のキーパーソンとしても注目を集めている。
ラーメン、めちゃくちゃ美味しかったです。今日はよろしくお願いします!
ありがとうございます。
今はラーメン業界のフロントマンとして活躍されている大西さんですが、もともとラーメン屋になろうと思っていらっしゃったんですか?
僕、憧れていた世界が二つあったんですよ。一つ目が映画の※『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。もう一つが映画の※『タンポポ』で。
※『バック・トゥ・ザ・フューチャー』……1985年公開のハリウッド映画。監督はロバート・ゼメキス。公開当時はアメリカで「フューチャー現象」と呼ばれるほどの大ブームを起こした。※『タンポポ』……1985年公開の日本映画。監督は伊丹十三。監督自身が「ラーメンウエスタン」と、称したコメディ映画。
つまり……。どういうことでしょうか……?
どちらもかなり小さい頃に見た映画なんですが、まず『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で映し出されたアメリカの世界観にグッときて、「いつかアメリカに住むぞ」と、決意したんですよ。
なるほど……。
『タンポポ』という映画は、夫に先立たれてしまったタンポポとトラック運転手のゴローが主人公なんです。その二人が、二人三脚で売れないラーメン屋を繁盛店にするという物語なんですが、子どもながらにすごく心を掴まれて。いつかラーメン屋になろうって。
やっと腑に落ちました……!
学生時代はアメリカ旅行の為に、バイト漬けの日々。
アメリカへの憧れと、ラーメン屋を開くという漠然とした夢があったので、大学時代はとにかくアメリカへ渡航するための資金を貯める日々を過ごしていました。
と、いうと……?
サークルに入ったりはせず、バイトをいくつか掛け持ちして、授業以外の時間はとにかくバイトをして。春休みや夏休みといった大きな休みがあるたびに渡米するという。
なるほど。アメリカを知るための旅行というイメージでしょうか?
そうですね。それ以外に大きな目的は無かったです。スケボー片手にバックパッカーをして、小さい頃に憧れた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の世界を探しに行っていた感じですかね。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って、確か1985年のアメリカが舞台でしたよね。大西さんが渡米していた時代が1995年頃だとすると、あの頃のあの風景にはなかなか出会えないですよね。
そうなんですよ。毎年アメリカに行っていたのにも関わらず、僕が見惚れた景色には出会えなかったんです。で、あっという間に4年生になってしまって。
就職はどうされたんですか?
アメリカを旅することにすべてをかけていたので、就活は全然していなかったんですよ。結果として父が営む制作会社で働くことになって、3年間ほど映像・舞台・イベントなどの企画を考えたり、ディレクションをしたりしていました。
飲食業には就かなかったんですね。
大学を卒業して飲食店でアルバイトという道も選べたはずなんですが、正社員として働かなければならないという思いもあって。就職を優先したんですよね。
友人の紹介で、飲食業界へ足を踏み入れる。
就職はしたものの、このまま父の会社で働いていても僕の夢からは遠ざかるばかり……。安定を捨てるのには勇気がいりましたが、3年目に辞めることを決意して。辞めてすぐに、知人に紹介してもらった飲食店で働くようになったんですよ。いわゆる、居酒屋的な業態のお店で。そこで、嬉しいことに居酒屋の立ち上げ店長を任されるというチャンスを与えてもらって。
飲食業のいろはを学んだわけですね。
そこで3年間飲食店を経営するノウハウを一通り学ばせてもらって「鶴麺」をオープンしました。
えっ!?ラーメン屋を開くのって、有名店で修行するとかそういう段階を踏むのかと。
大多数の方はそうですよね。僕の場合は考え方が少し違って。ベースが『タンポポ』なので、初めから完璧である必要なんてないって思っているんですよ。
というと……?
『タンポポ』では、夫が営んでいたラーメン屋を見よう見まねで継いだ未亡人のタンポポとタンクローリーの運転手だったゴローが二人三脚でお店を繁盛させるために努力をするんです。つまり、スタートした時点では、全然完璧じゃない。
なるほど。
だから、初めから100点のラーメンを出すのではなくて、まずは自分のお店を始めるということに重きを置いたんです。もちろん、お客様にラーメンを提供するので、その時点から美味しいモノを提供していたとは思います。オープンしてから、毎日美味しくするためにどんどん改良を重ねたんですよ。
同じ味を提供するのも大変ですけど、美味しさを向上させ続ける方が大変ですよね。
目標は、2年間で行列のできるラーメン屋にすることでした。ただ、いきなり上手くいくわけがなくて、オープン当初は全然お客さんが来ない日があったり、2ヶ月無休で働くこともあったりして……本当に大変でした。でも、努力をすれば成長するんですよね。次第に口コミが広がって、お店が賑わいだして。結果、2年目で行列ができるまでに成長しました。
すごい!
で、目標を達成したら、次のフェーズに行かなければならないですよね。だから「鶴麺」という冠を付さずに全く新しいお店をオープンしました。ブランドが無い、商品も別物、コンセプトも違う。それでも成功を掴んで自信をつけたかったんです。ちなみに、2店舗目の目標は1年で行列店にすることでした。
ストイックすぎる……。
無謀な挑戦に思われるかもしれませんが、無事に1年で行列店にするという目標を達成して。今の自分ならアメリカでも通用するんじゃないか、と。
夢のアメリカへ歩を進めたわけですね。
満を持して、アメリカへ。初めは失敗の連続だった。
2店舗とも上手くいっていて貯金もある程度貯まっていたので、1500万円を持ってハワイに行ったんです。
ハワイ?!てっきり本土に行かれたのかと……。
当時はまだ迷いがあったんですかね。ハワイなら日本人観光客も多いし、立地的にもアメリカ本土より近い。大阪とハワイの2拠点生活ができるんじゃないかって。
実際はどうだったんですか?
もう、悲惨でしたよ。まず、アメリカは自由の国じゃなくて、ルールの国だったという壁にぶつかって。
……ルールの国?
まず、日本でいう衛生管理士の資格がすごく難しい。そして、酒類を販売するためにはリカーライセンスが必要で。さらには、時間に対してもゆったりなので、スタッフは遅刻をする。で、店をオープンするまでに1年以上もかかってしまって。
どひゃー。
当然お金もかかりますし、1500万という資金もあっという間になくなってしまって。追い打ちをかけるように、僕がいなくなった大阪の店も売り上げが下がりだしてきて……。
地獄だ……。
なんとかお店をオープンしたんですが、僕自身が疲弊しきっていて心の込めた店舗運営ができなくて、結局ハワイ店を畳むことになったんです。
手を差し伸べてくれたのは、人気チェーン店のオーナー?!
地獄のような洗礼を受けて、その後はどうされたんですか?
ありがたいことに、ハワイのお店に通ってくれていた方に「雅」というアメリカで流行っている鉄板焼き屋さんのオーナーがいて。その方から「うちで君のラーメンを出してくれないか?」と、オファーを頂いて。
捨てる神あれば、拾う神ありですね。
僕自身、大阪で2店舗を経営するオーナーだったので、悩んだんですが「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というか……。やってみようって思えたんですよね。で、ノースキャロライナ州に雇われ店長として行くことに。
一度成功してから雇われるというのは、気持ち的にも大変だったのでは……?
かなり追い詰められていたので、むしろ気持ちは楽でしたよ。働きながら語学や風土を学べましたし、アメリカで商売をするいろはも学べましたから。ただ、やはり商売なので「安いラーメンを、たくさん売ろう」と、努力しなければいけなくて。それに対する疑問が浮かびだしたんです。
なるほど。
「このままでいいんだろうか?」と、自問自答しているときに父が他界したんです。運良く最後を看取れたんですが、そのとき父がいろんな後悔を吐露していて。僕は、父のその姿を見て絶対に後悔はしてはいけないって思ったんです。すぐに、お店を辞めさせてもらって、僕が求めていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の景色を探しに出たんですよね。
で、出会った街がボストンだったというわけですね。
心で作る、本気のラーメン屋「TSURUMEN DAVIS」が誕生。
ハワイとノースキャロライナでの経験のおかげで、店を出すまでのノウハウはしっかり頭に入っていました。ただ、頭で何かをしたとしても人の心は動かせないって思っていたんです。だから、人が本気を出せる限界に挑むしかないなって。
本気の限界……?
まずは、お店の経営に期限を設けました。1000日しかやらない、と。しかも、平日は2時間だけの営業という。
1000日限定?
文字通り1000日しかやらない、だから、うちの店に1001日目はありません。どれだけ流行っていても。更に、その1000日を5つに分割して、シーズンを決めました。200日という1シーズンで一杯のラーメンを改良し続ける。そして、そのラーメンは201日目には捨てる……と。
かっこいい……。
冒頭にも登場した「フォーミュラー・ナインティファイブ」は、2シーズン目の本気の一杯。
ちなみに、今日食べていただいた「フォーミュラー・ナインティファイブ」は出し始めて35日目の味です。つまり、あと165日もの間成長し続けるラーメンなんですよ。
すでに、めちゃくちゃに美味かったやつが、更に美味くなる……と。
約束します。そのめちゃくちゃを超えますから。本気で毎日改良を重ねると、「次はどんな味なんだろう」とか「また食べたい」って思ってもらえるはずなんですよね。
確かに。このラーメンが更に美味くなるなんて聞いたら、行列に並んででも食べたくなります。
本気の改良はもちろんですが、食材選びも同様です。例えば今回のラーメンは乾燥松茸を使っていて。
乾燥松茸って聞いたことが無かったです。
日本には出回らないんですよ。だって、日本では供給量が少ない高級食材ですから。でも、アメリカではどうかというと、松茸は食材として人気が低い。だから、収穫時期に大量に採った松茸を乾燥させるんです。これが、アメリカでは大量に流通している。ゆえに安い。
松茸って日本のモノだと思い込んでいました……。
乾燥松茸と鶏をベースにしたスープ。ひとたび火にかければ、店中が松茸のイイ香りに包まれる。
今回の松茸はメイン州産のものを使っています。マサチューセッツ州産のモノもよく使っていて。こういう食材の盲点なんかも、本気を出せば見つかるんですよね。
大西さんの本気。ひしひしと伝わってきます。ちなみに、5年後はなにをされるんですか?
全く考えてないですね。だって、今の一杯に本気で向き合っていますから。先のことなんて考えたら、死ぬ気の本気は出せませんよ。もしかすると、ラーメン屋じゃなくなっている可能性すらあるかもしれませんね。ただ、何をするとしても、死ぬ気の本気を出せば必ず成功できると思います。だから、これから社会に出る人にも、その準備をしている人にも、何か挑戦してみたいことがあったら後先なんて考えずに本気でやってみてほしいです。
大西さん、やっぱりかっこいいです!今日は、ありがとうございました!
死ぬ気の本気に、魅せられて……「TSURUMEN DAVIS」には今日も行列が。
厨房に立つ姿、インタビュー中に見せる仕草や言動、その全てに大西さんは本気でした。彼が言うように、自分が命をかけて取り組むことにアツすぎるほどの熱意を注ぐことが、成功への近道なのかもしれません。
確実に言えるのは、日本から遠く離れたボストンにある「TSURUMEN DAVIS」の行列は、一人の日本人の努力が生んだ賜物だということ。そして、大西さんの余りある情熱を注いだ一杯のラーメン。彼が作るそれは、『タンポポ』でゴローとタンポポが作った”中華そば”に匹敵するほどの一杯であること、その二つです。
「TSURUMEN DAVIS」が営業している1000日の間に、進化しづつけるラーメンをすすってみたい!絶対にボストンへ行ってやるぞ〜!
(終わり)
取材・文:ロマン
写真:岡本佳樹
企画・編集:人間編集部
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