2016.01.25
竹本住大夫×西村松次×世耕弘成 「人間国宝と上場企業社長に共通する飛躍の鍵とは」
- Kindai picks編集部
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人形浄瑠璃文楽の人間国宝と技術系出身の上場企業社長、全く異なる分野でそれぞれ成果を出してきた2名が考える「仕事で結果を出すための鍵」とは?
<KINDAIサミット2015第2部「KINDAIリーダーアワード」より>
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スピーカー
西村松次(にしむらまつじ)
株式会社九電工 代表取締役社長
1971年に近畿大学理工学部を卒業、同年株式会社九電工に就職し、2013年には九電工初となる技術系の生え抜き社長に。翌年には売上高3,159億円・経常利益181億円と、共に過去最高の業績を記録。今後はさらなる業績向上を見込んでいる。
竹本住大夫(たけもとすみたゆう)
人形浄瑠璃文楽「竹本住大夫」7代目(本名 岸本欣一)
1944年、近畿大学の前身である大阪専門学校を卒業。1946年に人形浄瑠璃文楽(以下、文楽)の世界に入門し、1985年には「竹本住大夫」7代目を襲名。1989年の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定、2014年の文化勲章受章をはじめ、数多くの受賞歴を持つ。2015年、近畿大学名誉博士学位を授与される。著書に「人間、やっぱり情でんなぁ(文藝春秋)」など。
モデレーター
世耕弘成(せこうひろしげ)
1962年大阪府大阪市天王寺区生まれ。1986年日本電信電話(NTT)に入社。在職中にボストン大学コミュニケーション学部大学院へ留学。1998年11月参議院議員に。2011年には近畿大学の第4代理事長に就任。現在は、近畿大学校友会名誉会長、内閣官房副長官、参議院議員。
上手くいくには好きになれ。好きになるには必死に打ち込み続けろ。
世耕:竹本さんは1944年、つまり戦時中に近大の前身である大阪専門学校を卒業されたということですが、当時のことで何か印象に残っていることはありますか?
竹本:当時は軍事教練と言って兵隊になるための訓練が多くて、あとは野球ばっかりしていましたね。古いグラウンドとボロボロのボールで練習していたのですが、関西地区の予選で甲子園に行ったことがあるんです。二回戦で負けてしまいましたが…。でも、文楽の世界で甲子園の土を踏んだことがあるのは私一人で、これは自慢なんです(笑)
世耕:卒業後は?
竹本:卒業後はすぐに戦地に行きました。そして上海と蘇州で13カ月間兵隊をやった後に戻ってきて、文楽の世界に入門したんです。文楽の世界は子供の頃から修行している人ばかりなので、新聞に「初めて大学出身者が文楽の世界へ」といった感じで取り上げられたのですが、それまで可愛がっていてくれた周りの人からは「大学出たような奴に文楽ができるか!」と言われましたね。でも、親の反対を押し切ってこの道に入ったのだから、やめたら笑われる、何があっても続けようと決心していました。
世耕:親には反対されていたのですか?
竹本:文楽の世界は修行が厳しいですし、芸が難しく、お金も儲からない、息子にはそんな苦労はさせられないということで、養父の六代目竹本住大夫から学校に行けと言われて学校に通っていたんです。でも、結局は軍事教練ばかりの毎日、本当にすごい時代でしたね。今日、近大のこのホールを見てびっくりしましたよ。すごく立派なホールを建てられて…。ぜひここでも文楽の講演をしたいですね。
世耕:それはもう、ぜひお願いします。(会場拍手)
入門された後は厳しいことも言われたということですが、それでも続けてきたからこそ、人間国宝の認定や文化勲章の受章にも繋がったわけですね。
竹本:何事も上手くなるためには好きにならないと。どんな仕事でも「嫌だなぁ」と思っていたら良い成果は出せませんからね。嫌々やっていたらその仕事がもっと嫌いになりますが、必死に打ち込んでいればだんだん好きになってくるものです。
世耕:「好きなことじゃないと上手くいかない」…これは若者にとって、非常にありがたいアドバイスですね。
竹本:嫌いだと思ってやっていたら覚えも悪いですよ。続けていればどんなことでも好きになります。
私はこれから先の日本が心配です。ゆとり教育というのがありますが、文楽の世界にはゆとり教育なんてありませんからね。私はいつも「ばか!どあほ!」と怒鳴り散らしていますよ(笑)皇太子様が、私が後輩の指導をしている様子をテレビでご覧になっていたそうで、お会いさせていただいた際に「随分ときついトレーニングをされているのですね」と仰っていました。私が「そうなんです、つい大きな声で叱ってしまいます」と言ったら雅子様は笑っておられましたが(笑)
不器用で物覚えも悪かったものですから、私も厳しい稽古の中でたくさん叱られてきました。でも、いろんな賞を頂くたびに「叱られて良かった」と思っていましたよ。人間、叱られていないとダメなんですね。もちろんそれだけではなく、たくさん頂いてきた賞も励みにしてきました。
世耕:苦労も賞賛も、すべてが糧になっていると。
竹本:今、私は91歳ですが、これまでに皇族から一般の方々までいろんな人にめぐり逢い、たくさんのことを経験してきました。いろいろな支えがあって今日までやってこられて、今思うのは「喜び」「感謝」「敬い」…もうこれに尽きますね。これからの余生ではこれを肝に銘じて、命の続く限り後継者の育成に貢献していくつもりです。文楽は、元々は大衆芸能。みなさんにもぜひ一度は足を運んでいただきたいと思っております。
信念を持って積極的に挑戦し、結果を出せる人材になって欲しい
世耕:西村さんは、学生時代いかがでしたか?
西村:正直に言いますと、よく遊んでましたね。でもたくさんの友だちができましたし、今でもいろんな形で助けてもらっています。
世耕:九電工に新入社員で入られた時から、社長になることを目指していたのですか?
西村:いえいえ、最初はそんなことは全然頭にありませんでした。ただ、仕事がすごく好きで、入社して45年が経ちますが、遊ぶ時以外はずっと仕事のことばかり話していましたね。
世耕:先程の竹本さんのお話にもありましたが、やはり「好きじゃないとダメ」ということなんですね。嫌々やっていたらこのような素晴らしい結果は残せないと。
ところで、九電工は電力業界が非常に厳しい状況の中で上場以来初の売上3,000億円超えを成し遂げるなど、本当に素晴らしい業績を残されてきました。数字だけ聞くとピンとこないかもしれませんが、電力業界が大変厳しい中で他分野にも苦労しながら進出していった結果、過去最高の業績を残していらっしゃる。そんな中、今後の見通しについては?
西村:先日、全社員を対象に「20年後どんな会社にしたいか」というのを聞いてみたんです。それは「社員一人ひとりが働きがいを持てる、夢のある会社にしたい」といった意見でした。そうなるためには、頑張った人が公正公平に評価されて、さらに社員も家族も大切にする会社でないといけないと思っています。
その前提としては、いかなる状況であっても成果を挙げ、利益を出せる営業力や技術力が欠かせません。常に競争に勝てる会社でありたいですね。それが社員の想いに応えることにも繋がりますから。
世耕:競争で勝つために大事なこととは?
西村:何事にも積極的に挑戦する企業文化でしょうね。これから社会人になる学生さんも、ぜひ果敢に挑戦する積極性を身につけていただきたいと思います。
世耕:他に若者に求めることはありますか?
西村:誰が相手であっても自分の意見をきちんと言えること、社会人としての規律を身につけること、そして自分の行動に責任を持つということです。もちろん高い目標に向って取り組むことも重要です。
言葉で言うのは簡単ですが、実行には信念が必要です。ぜひ信念を持ってこれらを実行し、結果を出せる人材になっていただきたいですね。そして、自分が勤めていた会社を辞める時、「この会社にいて良かった」と思えるよう頑張ってください。
▼西村松次×竹本住大夫 「KINDAIリーダーアワード授賞式&セッション」 (YouTube)
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