2022.09.14
座るだけじゃない!?公園や駅にある「公共ベンチ」の役割を環境行動学から考える
- Kindai Picks編集部
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公共空間にはいろんなベンチがあります。「座りにくいベンチ」が議論になったり、駅のホームのベンチを横向きにする動きが話題になったり。「みんなのもの」だからこその難しさがある中で、これからのベンチや公共空間に大切な視点って一体なんだろう?専門の先生と一緒に探ります。
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が、休憩しにきたわけではありません。ここは、近畿大学 東大阪キャンパス。私は今日、「ベンチ」と「公共空間」の取材に来ています。
公共空間に置かれているベンチには、いろんな形がありますよね。背もたれのあるベンチ、ないベンチ。肘掛のあるベンチ、ないベンチ。このへんは馴染みがありますね。
私はベンチを、バスが来るまでの時間に使ったり、「まだ話し足りないな〜」と思った友人と缶コーヒーを飲んだり、テイクアウトしたご飯を食べるスペースとして、よく使ってます。
でも最近は、横になったり長時間休むには向かないような、使いにくいベンチも見かける……。
そもそもベンチって何のためにあって、どんな人が、どんな理由で使ってるんだろう? 「座る」以外に、どんな役割を担ってるんだろう? そしてこの先、どんなベンチが生まれていくんだろう? これからの公共空間は、どうなっていくんだろう……??
ということで。今日はその疑問を、一緒に考えてくださる先生と待ち合わせをしています。
なお、この記事における「公共空間」は、公園に代表される公的に整備された場所に加え、学校、駅、病院、図書館など多くの人が行き交う場所にある、人が集まる空間を想定しています。
あっ、あの人かな……? こんにちは!
こんにちは〜。
ご紹介します。鈴木毅先生です。
鈴木 毅(すずき たけし)
近畿大学 建築学部 建築学科・総合理工学研究科 博士(工学)
建築計画、特に人の行動や場所との関係を扱う環境行動研究を専門とする。人がある場所にどう居られるか、その体験の豊かさという視点から、建物や公共空間の価値を考え、成熟社会を迎えた日本の都市や地域にどのような施設・場所が必要かを研究する。
ベンチや公共空間について、色々聞かせてください。
僕の専門分野である「建築計画学」の視点からお話しできたらと思います。
日常的な人の「居方」に、新しい言葉と脚本をつくる
まず、先生が専門とされている「建築計画」とは、どういうものなんですか?
脚本づくりです。
きゃくほん?!!
建築の世界には、いろんな専門家がいます。耐震だったりデザインだったり。その中で「建築計画」は、人間の生活、行動や心理に対応した建物を計画すること。建築家が具体的にデザインする前に、ここがどんな場所かを調べ、どんな建物や空間があったらいいかを考えた上で、シナリオを書く係です。
ふむふむ……!
たとえば、新しくまちをつくる際の計画として、かつては「まず住宅、次に病院、そして学校や幼稚園、大きな商業施設……」という定番の流れがありました。でも今なら、出勤前に子どもを預ける施設が駅の近くにあったら便利です。あるいは、自宅やコワーキングスペースで働くことも十分ありうる。また住宅地に公募型のマルシェがあれば、出店してみたい人もいるでしょう。このように、今の時代にふさわしい、新しい脚本が必要だと思っています。
新しい脚本……! 私、何か計画を立てるときにセリフから考えるのが大好きなんです。そこにどんな会話や間合いが生まれるのかな、とか。だから今、めちゃくちゃハート掴まれてます。
いいですね。間合いも、僕の研究分野です。会話がなくても、そこには言葉があって……たとえば「佇む」とか「居合わせる」とか「思い思いに」とか……僕はこの世界に、「人が居る状態を表す言葉」を増やしたいんですよ。
うわあ……なんかもう、初っ端からすごい世界観の話だ……!
先生から飛び出す言葉が豊かすぎて、取材開始1分で涙目。
最近のまちづくりって、人が居る状態を表す言葉に「にぎわう」を使うことが多いでしょ?
確かに。「にぎわい創出事業」とか「にぎわい広場」とか、よく聞くかも。
もちろん、イベントやお祭りなどの非日常で、盛り上がることも必要です。でも、にぎわいからは、個人が消えてしまうことがしばしばあります。日常生活において、個人と個人が関係をもてる環境があることも、豊かさではないかと思うんです。
たとえば、散歩途中でベンチに腰かける。そこに他人がやってきて、場所と時間を共有する。歩く人同士がすれ違っていくときよりも、お互いの存在が影響し合う……
こうした、他人同士が直接会話をするわけではないけど、「居合わせる」時に生まれるゆるい関係性・認識にもうちょっと光をあてたいんです。
ですから僕は、建築計画学の中でも特に「居方(いかた)」を研究しています。これは簡単に言うと「人がその場所にどう居られるか」「その時、周囲にどういう関係が生まれるか」ということです。
「居方」っていう言葉、はじめて聞きました。
建築計画学では、主に住宅の「住まい方」や、建物の「使われ方」が研究されてきました。私は、何をしているとはっきりいえない居間の団らんや、一人で公園に「ただ居る」ことにも意味があると考えました。そして、「人が居る様子や風景と、それが生活に与える影響の関係」を「居方」と定義して、研究しようと思ったんです。
「居方」も先生が生み出した言葉ってこと?! すごい……! きっかけは何だったんですか?
「日本の都市空間に居場所が少ないと感じたこと」と、「人の居る情景の豊かさを、既存の言葉では表現しきれないと感じたこと」ですね。その中で、今日しまださんとお話しする「ベンチ」は、とても重要な存在なんです。
背もたれの有無、設置位置……座る人の様子から受ける影響
「ベンチ」といっても、いろいろな形がありますよね。どんな形だと生活にいい影響が生まれやすいんでしょうか? というのも、今日先生とお話する前に、こんな画像をつくって「どのベンチがいいと感じるか」をSNSで聞いてみたんです。そしたら、いろんな意見が集まりまして……。
自分自身や、自分の大切にしたい人・ものごとにとって、どの形がいいかを聞きました。
「いいな」と感じたベンチと、選んだ理由
・1番。僕は体が大きいので、フラットなタイプだと嬉しいです。
・2番。仕切りがない方が開かれた印象です。あと、のんびりしたいので背もたれはアリで!
・3番か4番。ベンチで少しこわい思いをしたことがあるので、パーソナルスペースがはっきりしているものだと安心です。もし先客がいても、座りやすいです。
・4番か5番です。子どもが2人いるんですが、肘掛や背もたれがあると、しっかり掴まって座っててくれるので、その間に下の子の面倒を見たりします。
・6番。自分の住んでいるまちにもありますが、いろんな人がいろんな方向を見て座っている様子が楽しいです。
・車椅子ユーザーですが、1番が使いやすいです。でも、車椅子からの移り方や座り方、身体的特徴によって、どれが使いやすいかは異なると思います。
他にも、仕事の種類、荷物量、使用する時間帯など、どんな場所のベンチをどんな目的で利用するのかによって、見事に意見が分かれました。ちなみに、先生はどれがいいですか?
シンプルな2番ですかね……。僕は、「背もたれは大事だ」と思ってるんです。この写真を見てください。おしゃれな形のベンチなんですが、背もたれがないとこうなりがちで。
……ん? みんな前かがみになる、ということですか?
そうなんです。もちろん、背もたれがないメリットもありますよ。座る向きが選べたり、見通しがよかったり。ただ、「居方」の視点でいうと、座る人の佇まいが、人々やまちにいい影響を与えるかどうかが大切で。
たとえばこれ、僕の一番好きなベンチなんですけども……。
パリのサンシュルピス広場です。このベンチの背もたれは、板というよりバーになっているんです。そして奥側にも手前側にも、座ることができます。
おお、なるほど。このデザインなら、もたれることができるし、見る景色が選べるし、見通しもいいんですね。
その「居方」を目にした人々の想像が広がるのも興味深いところです。しまださん、これはパレ・ロワイヤルにあるベンチの写真です。この2人はどういう関係だと思いますか?
うーん、「年の離れた同僚」かな? 入社時期は一緒だけど、左の女性は明日で退職するの。それで2人は、最後の休憩時間を、職場前の公園で一緒に過ごしてる。
ははは。面白いですね。僕はねえ、「親子」かな。でもね、きっとこれは、過去に色々あったので、娘に強く出られない母親。
あはは、確かに。座る位置とか、足の感じとかね。
本当は2人は赤の他人かもしれない。けれど、こうして想像できるのも「公共空間の楽しさ」だな、と。
公共空間といえば、「転落防止」を目的として、関西から広がった取り組みで駅ホームのベンチの向きが変わりました。今までは線路に対して向かい合うように置かれていたものが、90度回転させて置かれるようになりました。
線路に対して「並行」に置かれていたものを、90度回転させて「垂直」に置かれた駅ホームのベンチ。
このベンチも「居方」という視点で捉えると……ベンチの向きが変わったことにより、座っている人が線路の先を眺めているようにも見えます。もちろん、観察者である私の勝手読みなんですけどね。「この人は今、線路の先に違うまちがあることを意識しているんじゃないか」という「広がり」の印象を受けることがあります。
いいなあ。ベンチを見る視点に、新しい豊かさが生まれますね。
ベンチに座る人と、そこから他者が受ける影響、両方含めて人の「居方」なんです。じゃあ具体的にどういう影響があるのか。ここからは、学校の中を歩きながら考えてみましょうか。
座ることで、はじめてベンチに見えるベンチの仕掛け
先生、ベンチらしきものを発見しました! 端っこにあるんだし、背もたれがあってもよさそうだけど、どうしてないんだろう?
「背もたれがあるとベンチに見えちゃう」からじゃないですかね。
えっ。これ、ベンチじゃないんですか?
ベンチですよ。でも、もし誰も座ってなかったら、何に見えますか?
うーん、キューブ型のオブジェとか、この建物のデザインの一部みたいに見える……かも?
ここはランチタイムになると、座る場所が足りなくなるくらいに人で溢れます。でも授業中となると、人はとても少なくなります。コロナ禍になってからはオンライン授業もありますから、特に静かになるんです。
そこで大切なのは、人が座っていなくても、空間がさみしくならないこと。さみしい様子というのは、人の感情や動作にも影響を与えますから。座ろうと思うと、オブジェが椅子やベンチに見えてくることを「アフォーダンス※」と言います。
※アフォーダンス:環境のさまざまな要素が人間や動物に影響を与え、感情や動作が生まれること。アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンによる理論。
学校に来て「なんかさみしい」ってなると、学ぶ意欲も少し、下がりそうだもんな。
そう。だから「使われないときにはベンチに見えないベンチ」は、大事な仕掛けのひとつなんです。
自分の動きで、このキューブの役目が変わるのか。場をつくる一員みたいな気持ちになるから、ちょっとワクワクするかも。あのキューブは今、ベンチ。あのキューブは今、ベッド。きみは今、テーブルだよ。よろしくね。
横並び、真正面、L字……コミュニケーション時の視点
私今日、先生に「ベンチで待ち合わせしたい」ってご連絡したじゃないですか。実は私、机を隔てて真正面っていう構図でのインタビューだと、少し緊張しちゃうんですよね。
確かに、インタビューといえば、研究室や教室で机をはさんで行うことが多いですよね。今はいかがですか、緊張されてますか?
いえ、とてもよい感じです! あと、同じベンチでも、さっきのベンチより、今の方が話しやすいです。なんだろう、真横に並ぶよりカジュアルな気分。
そういうのは、あると思います。コミュニケーションっていうと対面を思い浮かべますけれど、L字だったり、同じ方向を見る座り方もいいですよね。
そういえば、私、前の職場が公共の就労支援施設だったんです。カウンセリングのサービスもあったんですけど、対面に座って話せる壁際のスペースもあれば、L字型に座って話すオープンなスペース、木箱のような椅子を自由に動かして座るスペースもあって。相談の内容や人々の個性に合わせて、座る場所を選べるようになってました。
「配置」も大事ですよね。ベンチって、壁際だったり端っこだったり、後ろに何かガードするものがあるところに置くことが多いんです。人は後ろが守られた状態に安心する傾向があるので。
確かに! 私がベンチのアンケートを取ったときも、「形より、背後に何があるかを気にします」という人がいたなあ。
あります! すごすぎて「ここが大学……?!」って思いましたよ。キラキラでピカピカで、素晴らしい施設でした。
マンガ図書館?それともくつろぎの空間?アメリカ人から見た近大アカデミックシアター
そうですよね、キラキラでピカピカ。で、対称的にご案内したいのがこちらです。建築学部33号館と薬学部39号館の間にある、ちょっと影になったスペースなんですけども……。
うわー!! ここいいなあ。 なんか、ホッとする。
僕も、こういうピカピカすぎない場所がちょっとでもあると嬉しいです。このスペースを設計したのは、建築学部の設計演習の非常勤講師も務めているNTTファシリティーズの畠山文聡さんです。しっくりくる形は人それぞれです。畠山さんは、キャンパスのハレの場的なアカデミックシアターとは別に、「このような落ち着ける場も必要だろう」と考えて設計したと聞いています。実際、昼時は学生グループがよく利用していますよ。
じゃあ、ここが先生の、近畿大学内で一番お気に入りの座れるスペースですか?
ここも好きですが、一番は「洗心の庭」という名前がついた場所です。行ってみましょうか。
これからのベンチや公共空間にとって、大切な視点は?
あれ、先生! ベンチが見当たりません!
ここは、自分の好きな場所にこの椅子を持っていって、座れるようになっているんですよ。ちょっと、やってみましょう。
あー! これはまた、いいなあ。位置関係も、角度も、見たい景色も選べるし。フルカスタマイズできる。……でも、これをベンチって言っちゃうのって、アリなの?
確かに、「ベンチ」を辞書で調べると「数人が同時に座ることのできる横長の共同椅子」とあります。けれど、この先、僕はこういった形……つまり、好きな場所に椅子を動かして座るという、自分で選ぶ流れが広がっていくんじゃないかな、と思っています。その最たる例が「チェアリング※」ですね。
※チェアリング:持ち運び用に軽量化された椅子を、まちなかなどの野外の好きな場所に設置し、そこに腰掛けて主に飲酒などをしながら過ごす行為を指すスズキナオさん、パリッコさんによる造語。
ベンチの世界にそんな流れが……!
他に、これからの公共空間で大切な視点って、どんなものがあるんですか?
僕は、そこに「主(あるじ)」がいるかどうかに注目しています。
あるじ?? それは、管理人さんや警備員さんってことですか?
うーん、そういう立場の人が「主」を担っている場合もありますが、ニュアンスとしては、そこを利用する人々の心地よい「居方」を守り、よりよくしていく人々です。
たとえば、館長さんや司書さんが「主」となっている図書館は、ディスプレイを丁寧に工夫したり、利用する人の相談にのってくれたり、何かあったときに気が付いてくれたり、ちょっとしたイベントが行われたり。いないところは、ただ本が並んでいるだけ、という場合もあります。
この「洗心の庭」に、主はいますか?
影の主といえるのは、ここに椅子を持ってきて座る仕組みを取り入れた建築デザイン会社E-DESIGNの忽那 裕樹さんでしょうね。
E-DESIGNのWebサイトにはこう書かれています。「学生たちがさまざまなスタイルで活動し、その姿が魅力的に見えることを大切にしたい」。そのために「多様な座り方と集い方を提供している」、「歩く人を眺めながら座る場所としても学生たちに利用されている」と。
ずっとここに居て見守りをしているわけではないけれど、そういった想いを持っている「主」がいるかどうかでは、この場所の活き方が違うと思います。
なるほど……! でも公共空間って、主がいない場合の方が多い気がします。
そうなんです。公共空間の課題は「主が曖昧である」というところ。公共空間はある意味、みんなが主ですからね。それはいいところでもあるんですが、同時に弱みでもあるんです。
どうすればいいのでしょうか。
「こういうものがほしい」と思った当事者が主となり、自分たちでつくれるようになっていくことが重要だと思います。今までは、国や専門家が「あなたたちがほしいのはこれですよね」と調べてつくるのが公共空間でした。でも今後は、足りないものに気づいた人それぞれが必要なものや場所をつくり出せる時代になればいいな、と。
うん、うん……!
実はね、インドネシアには、その仕組みが文化になっている「私有だけどパブリック」なベンチ、「バレバレ」というものがあるんですよ。こちらなんですけども。
インドネシアのラエラエ島にある「バレバレ(Bale Bale)」。島中に置かれている。
もともと各家庭の下に置いていた「バレバレ」なんですが、それがちょっとずつ変化して、自宅近くの好きなところに置くようになったそうです。用途は主に、休憩、会話、昼寝、食事、作業……。置くのは家族のためなんだけど、誰が使ってもいい。近所の人はもちろん、僕らのような外から来た人も使ってOKなんですよ。
へえ〜! 面白い! 厳密な境目のない、まさに私有と公共の間。私物から派生したからこそ引き継がれた、用途の幅広さなのかな。それにみんな、すごくくつろいでる。写ってる人たちの表情から、本当にみんなのものなんだなあってのがわかる。とてもいいなあ。
地域活動って、どうしても声の大きい人が前に出てくるもの。だけど本来は、声が小さい人でも誰でも、公共づくりをできることが理想。これからはそういう視点と、実現できる仕組みづくりが大切だ、と思っています。
バレバレが「遠い国の特別な事例」ではなくて、「元祖!」って言われる日が来るといいですね。先生、今日は本当にありがとうございました!
本当に学びが多かった。先生が使う言葉の豊かさも相まって、終始涙目だった……(笑)
おわりに
先生とバイバイしたあと、近畿大学をあとにし、近所の公園まで散歩しました。その公園にはベンチが3つあって、どれも違う形をしてました。
これはどうして、こういう形なんだろう。どんな影響があるんだろう。そんなことを考えながら、ベンチに座ってきょろきょろ。すると、公園で遊んでいた子どもたちが「何してんの」と、遠目から声をかけてきたので、挨拶をして、ベンチの話をしました。
「みんなは、この公園の中やったら、どのベンチが好き?」
「おれは、あの奥のやつ」
「ふーん、どうして?」
「隣にでっかい木があるやろ、あれがええねん」
「わたしは右のん! トライくんかわいいから!」
「トライくん? あ、あの肘掛のところについてる子か!」
「うん。おれらのまちの、ラグビーチームのキャラやで」
「へー!」
たぶん、普通に散歩してるだけだったら話さなかっただろうな。でも、ベンチがあって座ったから、心地よい空間と時間を共有できたから、子どもたちと喋れたんだろうな。ベンチは座るもの、休憩するだけのものじゃないということを、早速実感。
子どもたちが大人になる頃には、この公園の改修があるかもしれない。そのときには、「でっかい木があるやろ、あれがええねん」「トライくんかわいい」のような気持ちも、ベンチづくりに反映されると嬉しいな。
いやはや、奥深い「ベンチ」と「公共空間」。今回は「居方」の視点だったけど、他にもいろんな視点が、まだまだあるはず。本もたくさん読んで、勉強しようと思います。でもその前に、鈴木先生から借りパクしちゃってる本がある……ので、まずは先生と、またベンチで、待ち合わせしようと思います。
おしまい!
この記事を書いた人
しまだあや
HELLOlifeでソーシャルデザインに取り組んだのち、独立。文筆の他、企画から司会まで、なんでもやりたがる。感受性が爆発しすぎて、取材時にすぐ泣く。家の94%を開放するという変わった暮らし方をしている。得意技は愛すること。
写真:大越はじめ
編集:人間編集部
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