2022.04.06
純喫茶がエモい!昭和レトロだけでは語れない「生きた建築」の魅力を専門家と解き明かす
- Kindai Picks編集部
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若者の間で「エモい」と人気の純喫茶。しかし、みなさんはなぜ純喫茶がエモいと感じられるのかについて、考えたことはありますか?今回はそんな純喫茶の再流行に注目。その歴史や特徴的な要素を整理して、漠然としたエモさの正体について考えてみたいと思います!
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こんにちは! 経営学部4年生の後藤愛弥です。
「インスタ映え」という言葉が定着してずいぶんになりますが、ここ最近は「写ルンです」で撮影したような、少しレトロな写真が人気を呼んでいると感じませんか? 実際にInstagramで検索してみると「#写ルンです」のハッシュタグ投稿件数は約109万件(2022年3月現在)。
さらに「#昭和レトロ」は約142万件、そして「#純喫茶」は約48万件です(いずれも2022年3月現在)。
これらを見てみると、写真加工アプリのフィルターを使い、意図的にレトロな演出をしているケースも多く、すでに過去のものとなっているはずの文化や技術に、若い世代がある種のエモさを見出している印象。その流れのなかにあるのが、今回取り上げる「純喫茶」です。
私も純喫茶が好きでエモさを感じている一人ですが、何がエモさの要因になっているのか、なぜブームになっているのかは、あまり意識したことがありませんでした。
しかし、いまどきのカフェで撮影されたパンケーキやタピオカなどがもてはやされていた時期とは、少し状況が違うような気がします。それに、ただコーヒーを飲みたいとか、休憩したいだけならスターバックスやドトールといったチェーン店でも間に合います。店舗数も多く、個人店にありがちな「入りにくさ」もありません。にもかかわらず、なぜ若者は純喫茶に行くのでしょう?
外観やメニュー、インテリアなど随所に現代にはない個性が見られ、そこにエモさを感じている気がしますが、これらは創業当時の流行の表れなのでしょうか?
そして、若い世代がリアルタイムで経験していない過去のものに懐かしさのような、心動かされるなにかを感じるのはどうして?
そんな疑問を解消しようと、昭和の建築物に詳しく、純喫茶に関する著書もある建築学部の高岡伸一先生にお話を聞きました。
高度経済成長期が純喫茶という文化を定着させた
高岡 伸一(たかおか・しんいち)
近畿大学 建築学部 建築学科 建築デザイン専攻 准教授
専門:建築設計・近現代建築史・まちづくり
大阪を主な対象に、近代から高度経済成長期に建てられた建築の再評価と利活用について、歴史と設計の両面から探求するとともに、建築の価値を活かした都市再生や地域活性化にも取り組む。1950年代から70年代にかけてのビルを愛するグループ・BMC(ビルマニアカフェ)のメンバーで、同グループからは『喫茶とインテリア WEST』(大福書林)などの著書も。「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」の事務局長も務める。
本日はよろしくお願いします! そもそもなのですが、いま再ブームが起こっている純喫茶はいつから始まり、どのように展開していったのでしょうか?
いまでいう喫茶店やカフェ、つまりコーヒーを提供する店の始まりは、明治末期の東京・銀座といわれています。大阪でもほぼ同時期に「カッフェー・キサラギ」というカフェが西区の川口にできました。
カッフェー・キサラギがあったのは、現在の大阪市立本田小学校付近。すぐ向かいに川口基督教会があることからも、一帯の繁栄がうかがえる。
そんなに古いんですね。でも、なぜ川口だったんでしょうか?
あの辺りはもともと、港に向かって開けた外国人居留地だったので、西洋の文化がいち早く入ってきたんですね。当時はどちらかというと庶民が入れる雰囲気ではなく、文化人や文学者が集まって議論をするサロンのようなイメージでした。ところで、なぜ「純」喫茶と呼ぶか知っていますか?
アルコールを出さない「純粋な喫茶店」だという話を聞いたことはあるんですが……。
それもあるんだけど、昭和に入ったころから大阪を中心にカフェのあり方が変化してきたという背景もあって。もともとコーヒーを出すだけだったのが、例えば北新地のクラブのようなお店が増えてきたんです。ウエイトレスの女性が横に座って、お酒のお酌をするような。それに対して、純粋にコーヒーを提供する場であることをアピールするために、「純」の字を冠する店が現れたんです。「純喫茶」という言葉が本格的に使われるようになったのは、戦後に入ってからのことですね。
店側が差別化を図ったんですね!
高岡先生が関わった書籍。いわゆる近代建築のような文化財的な価値が認められた建物以外にも目を向けている。
高度経済成長期に入っていた1960年代以降に純喫茶は爆発的に増えて、だんだんと大衆化していきます。当初は家庭で手軽にコーヒーが飲める状況になかったので、街に出ていく必要があった。ちょっとしたお出かけの感覚もあったでしょうね。
なるほど。この時期にオープンした純喫茶といえば、千日前の「純喫茶アメリカン」などでしょうか? 私も行ったことがあるのですが。
千日前の「純喫茶アメリカン」(大阪・千日前)。商店街の一角にあるきらびやかな外観が目を引く。
現在の「純喫茶アメリカン」は、まさに1963年の建築。個人的にもすごく好きな店です。その後、1970年には梅田の大阪駅前第一ビルに「マヅラ」が移転オープン※しました。
※純喫茶アメリカンは1946年に「花月」として創業。1963年に千日前商店街に移転し現在の名前になった。
※マヅラは1947年に名曲喫茶として創業。1970年、大阪駅前第一ビルのオープンと同時に移転した。
どちらも内装がすごく豪華な店ですよね。でも、どうしてあんなに個性的な空間が形づくられたんでしょうか?
結論からいうと、オーナーの店にかける思いが強い。いまなら事前に市場調査をして、客のニーズに合わせた店をつくることもあるかもしれませんが、個人の熱意が先に立った形ですね。
「こういう店がウケるだろう」という他人軸ではないんだ。1970年開催の大阪万博の影響もあるんでしょうか?
マヅラは大阪万博の年の建築だけあって、万博の空気感やデザインの影響が顕著に出ていますね。円形のソファや切り欠きの入ったパーティション、月のクレーターを思わせる天井など、どこを取っても個性的です。台湾出身のオーナー・劉盛森さんによると、インテリアのコンセプトはずばり「宇宙」。1960〜70年代は宇宙開発競争時代で、宇宙をモチーフにしたり近未来をイメージした「スペースエイジ」と呼ばれるインテリアが多くつくられていました。
昔の人がイメージした近未来なんですね……。
「レトロフューチャー」という言葉があるくらいです。
専門家ではないからこその脈絡のなさ、過剰さがエモさにつながった!?
ゴージャスなシャンデリアと、男女をかたどったレリーフ(純喫茶アメリカン)。
ただ、建築学の立場から見ればマヅラやアメリカンの内装は脈絡がない部分が多いんです。
統一感や整合性がないってことでしょうか?
アメリカンは改装するたびに新たなアイデアが盛り込まれるから、店内でも場所によってデザインのテイストが変わっています。創業者の娘さんに聞くと、創業者の方はインテリアに詳しいわけではなかったそうですが、非常に商売熱心な方で、利益が上がるごとに改装を繰り返していたそうですよ。
壁面にはマホガニーなどの高級木材を使用し、オーナーの世界観を表現(純喫茶アメリカン)。
すごい熱意ですね!
専門教育を受けた設計者に任せたら、絶対にああいうデザインにはならないですね。実際の設計を担うのは工務店や内装業者ですが、提示された設計案の最終的な決定権を持つのはオーナー。だからこそ、純喫茶特有のエモさが宿るんじゃないかと。統一感はないかもしれないけど、いわゆる文化財的な建築物とは違う魅力があると思います。
当時といまの大きな違いって何ですか?
まず材料や建築技術がまったく違います。高度経済成長期はまだまだ手作業の範囲が大きいから、いびつさや手作り感が残る。パソコンがないから看板の文字も手書きで、いま見ると明らかにバランスがおかしいものも多いんです。でも手作業ゆえに、その店にしかない唯一無二の書体が生まれる。既製のフォントで看板がつくれる現代だと、なかなかそうはいきません。アクリル製の看板にしても、当時は糸のこで切り出してつくってましたからね。
ミツビキ(大阪・新町)。テントと看板で若干書体が異なる。
喫茶ロア(大阪・なんば)。丸みを帯びたロゴが曲線的なテントにマッチしている。
そうか、オーナーの思いや手作り感が個性になって、エモさを感じているのかも。
『喫茶とインテリア WEST』の表紙を飾る「喫茶みさ」(大阪・四天王寺)。六角形のパターンを繰り返すことで、壁面にリズムが出てくる。
素材についても無垢材や石材など、高価なものが使われることが多々あった。建材のバリエーションが少なく、「本物」を使わざるをえない部分もあるんですけど、コスト度外視で使いたい素材を使い、つくりたいようにつくるから、過剰なまでの熱量が表現されるんだと思いますね。
いまだったら、どうしてもコストの話は避けて通れないですもんね。
カレーが名物の「麓鳴館」(大阪・心斎橋)。大きくカーブを描くカウンターは、船大工が手がけたそう。
高度経済成長期という時代背景もあったでしょうね。コストや耐久性、メンテナンス性よりも、自己表現が優先される。オーダーメイドで「自分の城」をつくっていると考えれば、それもうなずけます。純喫茶ではありませんが、千日前の「味園ユニバース」もすごいですよ。何より驚かされるのは自前の工房を持っていること。家具や照明器具はそこで修理していて、創業者の熱意が受け継がれている形ですね。
そこまでいくと、本当に過剰ですね。
味園ユニバース(大阪・千日前)の内観。贅を尽くした空間はさまざまなイベントに使われている。
本来は照明器具や椅子といった什器は、既製品から選ぶことが多いです。ただ、既製品といっても流行は色濃く表れます。その組み合わせにオーナーの好みが反映されるから、最終的に濃密な空間が形成されてくる。
でも、既製品だと個性的な空間はできない気がするのですが……。
当時はインターネットがなかった。既製品を選ぶ作業自体、相当な手間がかかったはずですよ。やるからには什器のセレクトも徹底的にこだわったと考えても不自然ではないですよね。工業化の流れと手仕事が、ちょうどいいバランスで共存しているんです。
「喫茶タンポポ」(大阪・住吉)。コロンとした椅子が時代の流行を反映している。
いわれてみれば、コロンとした丸い椅子が多い気がします。新世界の「喫茶ドレミ」とか……。
そのへんはまさにレトロフューチャーな志向が出ている部分ですね。椅子だけなく、棚や窓、天井にも曲線的なデザインを施した店は多いです。
椅子やテーブルだけでなく、天井にもアールが施された「喫茶バンカ」(大阪・針中野)。
数が増えるごとに似たテイストの店も出てくるかと思うのですが、建築学的にジャンル分けって可能なんでしょうか?
アメリカンなんかは純喫茶の先駆けで、教科書にあたるものがなかった。独特の世界観があるのは間違いないです。ただ、1970年代以降にオープンした店は、先にできた純喫茶の影響を受けていると思います。オーソドックスな建築学の研究対象からは外れるので、明確な分類が確立されているわけではないですが、傾向としてはミッドセンチュリー風、バンガロー風、南欧風、少し和風なものなどもありますね。
「珈琲専門店MUC」(大阪・堺)。同名の店舗は大阪府内に複数軒見られ、インテリアも共通している。「のれん分けのような感覚では」と高岡先生。
ミッドセンチュリーでいえば、先ほどから話に出ている「マヅラ」ですね。その姉妹店の「King of Kings」も、本店に似たスペースエイジな雰囲気を感じさせます。福島の「バイパス」はアメリカのウエスタン調。阿倍野の「純喫茶スワン」は、同時代の純喫茶と比べてみてもよくあるイメージですね。池田市の「珈廊」は南欧風で、ジブリ映画に出てきそうな雰囲気が素敵ですよ。
壁面に敷き詰められたモザイク状のガラスがエモい「King of Kings」(大阪・梅田)。店内ではピアノの生演奏が聴ける。
すごい、次々に出てきますね。行きたい店がどんどん増えていく……。
他にも、湊町の「珈琲艇キャビン」もおもしろいですね。その名の通り、本物の船舶用の丸窓を使っていて、ロケーションも川沿いで。神戸の新開地にある「喫茶エデン」もそうですが、これらはいわば「船大工系」といったところですかね。
ポパイにそっくりなキャラクターを含め、コンセプトが一貫している「珈琲艇キャビン」(大阪・湊町)。
跡継ぎがいない……いつかなくなってしまうエモさも
「コーヒーショップ ダイヤ」(大阪・福島)。分厚いホットケーキが名物だったが、高架下の再開発に伴い閉店。入居する建物自体が老朽化し、存続の道を絶たれるケースも多い。
ただ、残念なことに近年は跡継ぎがおらず、やむなく店をたたんでしまうところも多いんです。年齢が80代から90代に差し掛かろうという経営者が増えてきましたからね。V字回復とまではいかなくても、盛り返してほしいところです。
それは悲しい……。
時代の流れという意味では、禁煙の店も増えましたね。もともと純喫茶はサラリーマンの憩いの場という性格が強かった。タバコ片手にスポーツ新聞を広げていたおじさんたちが、どこに行ってしまったのかは心配ですね。
若い女子からすれば入りやすくなっているんだろうけど、純喫茶が置かれる状況も変化しているんですね。
「コーヒーハウス ケニア」(大阪・花園町)。役目を終えたゲームテーブルが、かつてのにぎわいを伝えている。
別なところだと、意図的に「昭和レトロ」を押し出した新店が目立つようになったと思います。ただ、その時代の建材や技術でなければ、完全な再現は不可能。消防法が改正を重ねたことで、設計上の制約も増えた。そうなると当然、かつての自由な表現は困難になる。昭和レトロ風は、どうしてもイミテーションの域を出ないんです。それって、後藤さんのいうエモさとはまた違った感覚じゃないのかな。
確かに!
僕もそうだけど、リアルタイムで当時を生きていないと、その時代の空気感は分からないんですよ。だから本来、僕たちが「懐かしい」という感覚を持つのは当てはまらない。でも、実際は「昭和レトロ=懐かしい」という理解が定着しているからね。昭和レトロを謳う店は、どうもその文脈上にある気がします。
そうなると、オリジナルを残す以外にあのエモさを伝えていく手段がないのでは? いつまであるか分からないはかなさも、エモいといえばエモいですけど……。
確かに純喫茶は減少しつつある。ただ、オーナーの引退に合わせて、居抜きで世代交代をするのはひとつの手だと思いますよ。いちから店をつくるよりも楽だし。息子さんが継いだ例だけど、京都の「珈琲の店 雲仙」のように代替わりに成功している店もあります。客の側が利用するのは絶対条件だけど、現代的なカフェも純喫茶もちゃんと共存していて、選択肢がある状態が都市文化にとって理想的な状況だと思いますね。いくら好きでも、毎日純喫茶に行くのはしんどいでしょ(笑)
そうですね……!
エモさを生み、伝えていくのは人の力
「喫茶タンポポ」の外観。暴風でテントが破れるも、以前のものと同じ書体で新調した。
人が考え、人がつくって、人が運営する。その空間にかけるオーナーの思いやこだわりが、長い歴史の中で過剰なまでに蓄積されていく。先生に話をうかがうなかで、純喫茶におけるエモさの源泉はそこにあるように感じました。
アンバランスさもあるけど、それを上回る熱意が込められているからこそ、いまでいうところのエモさが形づくられていることがよく分かりました。
これから大切になるのは、私たちが客として純喫茶を利用し続けること。いつかなくなってしまうというはかなさも、エモさの構成要素かもしれませんが、利益がないことには運営がままならないのは当然です。そう考えれば、純喫茶の魅力が再評価されているいまの時代は、チャンスととらえられるのかもしれません。人の熱意が詰まった空間を残していく力は、やはり人にあると思いました。
この記事を書いた人
後藤 愛弥(ごとう・あや)
2000年生まれ。近畿大学 経営学部 経営学科4年。広報室でインターン中。最近は小さい子の動画を見ることにハマっている。今年の目標は月1で1人映画に行くこと。
取材・写真:関根デッカオ
喫茶店写真:トミモトリエ
企画・編集:人間編集部
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