2021.11.16
「全米ラーメン王に俺はなる!」常に人生を楽しみ続ける大西さんのライフスタイルとは
- Kindai Picks編集部
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「近大に帰ろう!ホームカミングデー2019」KINDAI FOOD FESにも出店し、多くの来場者から好評だった鶴麺のラーメン。そのオーナーである大西さんに、今回はボストンでオープンした「Tsurumen Davis」について、現地からオンライン取材にご協力いただきました。情熱大陸にも出演された大西さんの大学時代を振り返り、そして今後の野望について語ってもらいました。
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大西 益央 (おおにし ますお) 平成12年 商経学部(現・経済学部)経済学科卒業
1,000日間だけなら他の好きなものを断ち、本気で頑張れると思った。
――Tsurumen Davisさんのご紹介をお願いいたします。
「Tsurumen Davis」は2018年にオープンし、オープンから1,000日限定営業をうたったラーメン店です。1,000日までのカウンターをお店に設置していて750日を過ぎたところです。(7月28日取材)自分は大阪出身で地元でラーメン屋をしていたのですが、8年前にアメリカに移住し、最初はハワイに2年、次にノースカロライナ、ニューヨーク、4年前にボストンにやってきました。
なぜ1,000日限定になったかというと、ハワイ、ノースカロライナと事業的には失敗しまして、3度目の正直と言いますか、死ぬ気の本気はどうしたらいいのかと自問自答した結果、終わりが見えていないとできないなと思いました。好きなサーフィン、ゴルフを絶ち、ラーメン一筋に1,000日間だけならできるだろうと始めたのがきっかけです。マーケティング的に『100日後に死ぬワニ』みたく、期間限定を売りにして「1,000日だけだから早く来てよ!」というのではなく、1,000日というのは自己都合で本気になるための仕組みづくりの意味なんです。だからカウンティングしていくと、「その1日を本気で挑まんとどうすんねん!」って気持ちで毎日仕事ができている感じですね。
コロナ前は週6日ある営業日のうち、3日は営業時間を午後6時から8時で営業していたのですが、アメリカはロックダウンがほぼ100日間あったので店内営業はできず、日本の自粛要請とは違って営業禁止なのでお店を絶対閉めないといけませんでした。デリバリーとテイクアウトなら営業可能ということで、ラーメンはテイクアウトと相性が悪い食品なので、「ラーメングラブアンドロール」っていうラーメンブリトー(かじるラーメン)を開発して、2時間営業からもう少し長く営業するようになりました。今はワクチン接種も進んで、コロナ前の人出が戻ってきていると感じています。
――ボストンという街に決めた理由は何でしょうか?
ボストンに来たきっかけというのがラーメン店「夢を語れ」の店主がいたのが大きいですね。日本にいた時からの知り合いで、ラーメン店起業15年の同期なんです。そして同じくらいのタイミングで自分はハワイへ、彼はボストンでお店を始めて、自分がハワイで失敗してノースカロライナにいる時ボストンのお店を訪ね、この街に惚れてこの街に住みたいと思いました。
ボストンは学生街であり、ニューヨークのような古都というか、60年代ぐらいのアメリカが残っている町並みに魅了されたんです。マーケティング的にはラーメン屋がない場所というので、ノースカロライナでお店を出したのですが、商売をしていたらどこかでどうしてもうまくいかなくなることがあるんですよね。その時にノースカロライナに住みたかったかな? と思ってくじけてしまったんです。今度チャレンジする時は、自分が住みたい場所でやろうという観点から選んだのがボストンでした。都会のニューヨークは楽しいけど疲れるし、ボストンはほどよい都会で、リスやウサギがいたりと自然も豊富で、住んでいてすごく脳内幸福物質が出ることが多いですね。
学生時代の一人旅の経験が、アメリカでの挑戦につながった。
――どのような学生時代を過ごしていましたか?
近大附属高校・近大出身なのですが、高校生の時はインターハイ・選抜に出場するテニス部で、朝練から夜9時まで本気でテニスばかりしていました。大学はさすがにちょっと、ということでテニスサークルだけ入っていました。商経学部なのですが、将来海外に行きたいという想いがあって経済学科国際経済コースという英語を多く使うところで学んでいました。早朝のアルバイトをして、大学は2限目から出て、夕方は塾の講師や家庭教師をするという生活をしていました。貯まったお金でバックパッカーをするといった結構ハードな学生生活をしていましたね。
――学生時代の経験が今でも活きていることはありますか?
20歳の頃にアメリカに一人旅に行った時と今の気持ちはあまり変わっていなくて、できることが増えただけで当時は携帯なんかもなく、地球の歩き方っていう本を一冊買って持っていき、簡易宿泊所で旅の仲間と本を交換して次の旅をする。ユースホステルで本の情報だけを頼りに次の旅を考えるっていう経験は、今の自分に活きていると思いますね。アメリカを楽しむことができるようになると、アメリカで起業するっていう次のハードルに挑戦する状態になり、毎回、渡米する時は一人なので、20歳の頃の最初の1歩をいつも思い出して、1つ1つ壁を越えていってやろうという気持ちになりますね。
――学生時代に思い描いた将来と、現在の大西様はいかがでしょうか?
大学を出て3年間くらいはサラリーマンでしたが、夜に飲食店を手伝うことになって、そっちに興味を持つようになり、レストランをやってみないかと任され店長となりました。2、3店お店を立ち上げさせていただいて、その時はお酒と食べ物を出すお店の形式だったんです。もし自分が起業するならお酒を出さずに飲食店をやりたいなと29歳の時に思いました。自分が好きなものを思い返すと「ラーメン好きやな」と思い、生い立ちを振り返ると、初めての外食はラーメンだったんですよね。また中学生の頃、塾の帰りに自分の小遣いで初めて外食したのもラーメンでした。その思い出のラーメンを再現したいという自分のルーツもあって、飲食業をするならラーメン屋にしようと選びました。
思い描いた将来とのギャップはあまりないですね。ある意味アメリカでバックパッカーした経験はすごく役立っていますし、自由に生きれているし、ずっとサラリーマンでいるとは思っていなかったので。学生の時からいつか自分で何か起業するだろうなと経営や簿記も学んでいたし、いつか海外に住もうと思っていたので、今が夢の延長にあるなと思っています。
ボストンでもつながる近大ネットワーク!
近畿大学ホームカミングデー2019 KINDAI FOOD FESに出店時の様子
――卒業生としての近畿大学の魅力、近大を卒業してよかったと思うことはありますか?
まず大学を卒業させてくれた両親に感謝していて、附属高校から推薦のような形であまり勉強もせず大学に行き、夏はバックパッカーをしていたので、ゼミもまともに受けれていなかったので卒業するのに5年かかったんです。
有名な企業にも勤めたりしなかったので近大の恩恵は全然感じなかったのですが、8年前のビザを取る時に最終学歴がすごく影響しました。自分は経営者で、大学で経営を学び、卒業をしているというステータスがあったのでビザが取れたんです。その時近大にとても感謝しました。それから会計と簿記は何の役に立つんだろうと学生時代は思っていましたが、学んでいてよかったと思うようになりました。
あとは先輩、後輩に出会う確率がめちゃくちゃ高いと思います。ボストンにも近大の先輩がいたりするんですよ。そういう人にはひいきにしてもらえたりするので。他にも業者さんの中に、近大アメフト部出身の方が多い日本の鰹節屋さんがあったりとか、とても取引がやりやすいと感じますね。後輩とも繋がれるのが魅力でもありますね。フードフェスなどのボランティアで現役の大学生が手伝いに来てくれたりとか、卒業してもつながりを持てるイベントが多いと思います。
――今後の展望についてお伺いしたいです。
「全米ラーメン王に俺はなる!」ってずっと言っているのですが、これも僕のライフスタイルで、夢って目的ではなくて人生を楽しむための手段だと思っています。目的は今を楽しむこと。その目的を達成する手段として夢を持つことが大切なんです。目的は達成されているんですよ、今が楽しいので。ラーメン王になれようがなれまいが、実はどっちでもよくて、たとえ叶わなくてもそれに手を伸ばす生き方をしているので、だから全米ラーメン王になります。
取材・文:笑屋株式会社
企画・編集:近畿大学校友会
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