2016.01.12
真実はフィールドにあり。――文化功労者 野本寛一近畿大学名誉教授が切り開いた新境地への想い
- Kindai Picks編集部
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2015年11月に野本寛一名誉教授が平成27年度文化功労者として顕彰されたことを記念して、特別記念講演会が近畿大学で実施された。内容は野本名誉教授が切り開いてきた「環境民俗学」について。会場となった文芸学部の教室には、学部生はもちろん、野本名誉教授と同僚であった教授陣など関係者を含む約200人が集まった。講演後に野本名誉教授へ取材を行い文化功労者の顕彰についてなど貴重な話を伺った。
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PROFILE
野本寛一(近畿大学 名誉教授)
民俗学者
1937年2月14日生まれ。静岡県出身。高校教諭を経て、近畿大学文芸学部文化学科教授に就任。「環境民俗学」を提唱し、徹底的なフィールドワーク、自らの足で稼いだ膨大な資料に基づき、理論、体系を構築する。「石の民俗」をはじめ、「生態民俗学序説」「焼畑民俗文化論」など多数の著作を発表。2007年に近畿大学を退任し、名誉教授に。2015年度、文化功労者として顕彰される。
「環境民俗学」とは?
庶民の生活文化を研究する民俗学の一分野で、主として人と自然環境との関わりに注目。例えば「大潮・小潮によって漁師の生活がどのように変化するのか」といった、生活文化が自然環境からどのような影響を受けてどのように変容するのかを研究する。
一次資料への執念が新しい学問分野を切り開いた。
――改めて、文化功労者の顕彰おめでとうございます。
どうもありがとうございます。
――文化功労者の顕彰を授かるということを知らされた当日、ご自身はどういった状況にありましたか?
自宅におりました。私は全く予期していませんでしたので大変驚きました。
――顕彰が認定されたのはいつ頃でしょうか。
文部科学省の記者発表が10/23かな。それから、10/30の午前11時30分にはテレビ、新聞の夕刊にも発表され、10/23~30の間に各新聞社や放送局などから取材がございました。その後、文部科学省の主催で、11/4にホテルオークラにて顕彰式がありました。
――文化功労者顕彰の話を聞いて、ご家族の反応はいかがでしたか?
私同様大変驚いておりました。
――文化功労者に対する認識はどんなものでしたか? 民俗学の分野でいえば、柳田國男先生。近大でいえば同じ学部で谷川健一先生などが顕彰を受けておられます。
大変大きな顕彰だと承知しておりました。文部科学省が各報道機関に知らせた文書というものがございまして、その中にあった受賞理由では「民俗学、ならびに地域文化振興」でした。環境民俗学を拓いたということにウェイトがかかっていたのでしょう。自然と人間の関係を見つめ続けてきたと。ただ見つめてきただけでなく、“民俗学的に”という視点がこめられていたことを評価していただいたのだと思います。
――受賞のきっかけとなった、具体的な研究とはどういったものだとお考えでしょうか。
顕彰が決まってから、多くの新聞やテレビ関係者などから取材を受けるなかで、何がキッカケだったのかを考えると、『焼畑民俗文化論』『生態民俗学序説』などは、先行研究がほとんどないものだったのです。従って、自分が切り開いていかなきゃいかん。一次資料を求めていつも歩き続けてきたのです。
僕はあまり好きな言葉ではないけれど「モチベーション」という言葉をみなさんよく使いますよね? 「どうしてそう次から次に歩いていけるんだ」と言われるのですが、それはやっぱり先行研究がないし、自分が一次資料を集積しなければ、立論も体系化もできないからですよ。それに毎回発見と感動がある。一次資料の集積という点において、やっぱり私は一番力をかけたかなと思いますね。
こんな顕彰をいただくことは恐れ多いことですが、そういった一次資料の集積から理論を組み立てていくという方法と、その一次資料の量においては、若干の貢献ができたのかも知れないと考えています。ただ、自分が生きているうちにこのように認められるかどうかは、正直無理だろうと思っていましたね。
一次資料への執念が新しい学問分野を切り開いた。
――「環境民俗学」を提唱するということ。資料を集める際にあたって、先生のポリシーである「フィールドワーク」、自らの足で稼ぐというのはやはり欠かせないことですか。
そうです。自分の目でしか見ることのできないこと、自分の耳でしか聞けないこと、現地でしか知ることのできないことがたくさんありますからね。
――それは野本先生が民俗学に興味を持たれた時から、欠かさず行ってきたことなんでしょうか。
そうじゃないですね。いわゆる民俗学ならここまではこなかったでしょうね。「焼畑」というもの、その文化の体系が把握されていないと知って、「焼畑」の研究をやるうちに自然環境と人間の関係に気付いた。「焼畑民俗文化論(84年著)」のみならず「庶民列伝-民俗の心をもとめて-(80年著)」や「大井川 その風土と文化(79年著)」などの書物にもあるのですが、その3冊にかかわる調査をすすめる間に、「環境民俗学」というものの必要性や資料の集積の必要性に気付いていったのですね。
――話は戻りますが、文化功労者の顕彰式はいかがでしたか? 先生と同じような研究者から文化人など10数名。錚々たる著名人の方たちが集まっておられたと思います。
やっぱり厳粛なものがありましたね。ああいう場で顕彰していただくと、まだ発表していないものを発表するなどこれからも頑張ってやらなければいけないなと思いましたね。
――顕彰そのものの喜びより、今後の励みになりますか。
なりますね。わたくしの場合は講演会でも話したことですが、私の質問に対応してくれる伝承者の方たち、語り手の方たちのお蔭であるということは終始一貫して感じることですね。そういう方たちに背中を押されているのですよ。
――伝承者や語り手の方たちの協力あってこその環境民俗学ですね。先生は講演会では、学生たちとフィールドワークを行うこと、現場に足を運んで資料を集めることを研究ではなく「勉強」とおっしゃられていましたよね。
そう、常に勉強です。学生と一緒に分担して、ひとつの報告書をまとめていく。これからの社会でもきちんと通用するものを学生のうちからやっていました。
――今回の顕彰をキッカケに、世間に発表していきたい研究がまだまだたくさんあるということですが。
たくさんありますよ。わたくし個人でいうと、たとえば2016年に新しく『季節の民俗誌』という本を出しますが、これも環境民俗学の一本の柱になるわけです。1人1人の伝承者の方々から教えていただいたことをしっかりと消化して、これからも進みます。「環境民俗学」を評価して顕彰していただいたので、概論まではいかなくても、これを見れば「環境民俗学」がどういうものか大体のことはわかる、というものを残していかないといけません。
私のところには膨大な数の取材ノートがありますから、それをあの世に持って行っては伝承者の方たちに申し訳ない。まだ発表していないものは、これからまとめていくつもりです。究極は、日本人の生き方とか日本人の幸せ、自然観を学ぶものです。どういう風な見方をすれば心豊かになれるのか。「環境民俗学」というのは、そういう日本人のあり方を求める学問ですからね。
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