2016.03.15
ヒト、モノ、カネ。限りある資源の活用が強い地方をつくる【前編】
- Kindai Picks編集部
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樋渡啓祐×西本博嗣×田中誠太×宮野由美子×中山義隆
自然災害や少子高齢化など、日本は様々な課題に直面している。そんな中、地方から日本を元気にしようと奮闘するリーダーたちにその想いを聞いた。
<KINDAIサミット2015第4部分科会D「ローカル・クールジャパン!! ~近大発の“地方力”~」より>
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スピーカー
田中誠太(たなかせいた)
八尾市長、大阪府市長会会長、近畿大学校友会副会長
1956年生まれ。1979年近畿大学商経学部経営学科卒業。1983年に26歳で八尾市議会議員に初当選、1999年に大阪府議会議員に当選、2007年に大阪府の八尾市長に当選。2015年大阪府市長会会長に就任。
宮野由美子(みやのゆみこ)
磐城実業株式会社 代表取締役
1966年生まれ。1988年に近畿大学商経学部経営学科を卒業し、1991年磐城実業株式会社入社。2010年に同社代表取締役に就任。東日本大震災を経て、2013年茨城県那珂市と災害協定を締結。「人に優しいお風呂」をテーマに、大型滞在型温浴施設を経営している。
中山義隆(なかやまよしたか)
沖縄県石垣市 市長
1967年生まれ。1991年に近畿大学商経学部を卒業し、同年、野村証券株式会社に入社。1996年、株式会社木田商会入社。2004年八重山青年会議所理事長に就任。2006年に日本青年会議所沖縄地区会長に就任、さらに石垣市議会議員に初当選した。2010年石垣市長当選。
西本博嗣(にしもとひろつぐ)
ノーリツ鋼機株式会社 代表取締役社長CEO
1970年生まれ。1993年近畿大学商経学部卒業。同年、ノーリツ鋼機株式会社に入社。創業者・西本貫一氏の秘書などを務め、一旦退社した後、2009年に同社改革のために復帰。2010年に代表取締役社長に就任した。
モデレーター
樋渡啓祐(ひわたしけいすけ)
樋渡社中株式会社 代表取締役、元佐賀県武雄市 市長
1969年生まれ。1993年に東京大学経済学部を卒業し、同年、総務庁(現総務省)へ。内閣中央省庁等改革推進本部事務局、高槻市市長公室長などを経て、2004年総務省を退職。2005年には当時全国最年少36歳で武雄市長に就任。2015年樋渡社中株式会社を設立し、代表取締役に就任。日経BP「日本を立て直す100人」等に選出。
首都なのか地方なのか、そんな議論に意味はない。
樋渡:日本ではヒト・モノ・カネが東京に一極集中していると思うのですが、八尾市の強みとしてはどのようなことがありますか?
田中:八尾市はものづくりが有名で、人口は大阪府の中で9番目ですが、製造出荷額は大阪市、堺市に続いて3番目なんです。ですから、八尾市の経営者は能力が高いと、金融機関からもよく言われています。八尾市ではいろいろなプラットフォームを作っていまして、例えば、金属加工の会社が多いので、バリを少なくするためのバリテク研究会や、ロボット関係のマテック八尾という研究会があります。
田中:そういった八尾ブランドを作っていく一方で、八尾だけでやるのは弱いとも思っていて、大阪全体で力を合わせるものづくりができれば、もっと大阪が輝くのではないでしょうか。
樋渡:続いて西本さん、ノーリツは元々ベンチャー企業として和歌山で写真の現像システムを作るところからスタートして、今は食や医療など、非常に幅広い分野を手掛けていらっしゃるかと思います。そういった中で、地方の強みについてお考えになっていることはありますか?
西本:フィルムを現像して焼き付けるシステムでは世界を取りましたが、その後、デジタルカメラが普及し、携帯電話にもカメラが搭載されるようになってきました。その中で、写真の技術を守りながらも新しい分野に進出しようということで、分野やこれまでの経験は問わず、場所も和歌山県だけにこだわらず、世の中のこと、未来のことを考えて役に立つ事業をするという想いでやってきました。
ビジネス上の都合で2015年に東京に移転しましたが、私自身は会社がどこにあるのかは関係ないと思っています。海外から見れば東京も和歌山も同じ都市の一つでしかありませんから。これからは、日本の中で首都なのか地方なのかという議論は意味がなくなっていくと思います。
被災者の涙が、復興への力になった。
樋渡:宮野さんは、福島県いわき市と茨城県那珂市で温泉施設を経営されていて、ご自身は温泉ソムリエなんですよね。女性の社会進出の促進にも力を入れているそうですが、女性の強みを経営にも活かしているということでしょうか?
宮野:先代の社長である私の父が突然亡くなったことで私が社長に就任することになり、まず自分には何ができるのだろうと考えました。母親が子育てをする時は、子供の話をよく聞いてあげますよね。私は女性ならではの経営というのはこれに尽きると思い、社員がどんなことに困っていて、どんなビジョンを持っているのかを聞いて、母親のように接してきました。私が社員を大切にすることによって、社員がお客様を大切にするようになり、取引先も含めてみんなが幸せになれるスパイラルを作ることを心掛けています。
樋渡:東日本大震災の時はどちらにいらっしゃったのですか?全部倒壊したと思うのですが、心は折れませんでしたか?
宮野:いわき市の健康センターにいました。心は折れませんでした。いわき市では震災から10日後に再開したのですが、たった10日間でもお風呂に入れないと、髪がベタベタになるし、汗臭くなるし、本当に気持ちまですさんでいきます。そんな中、お風呂に入られた方はみなさんほっとした笑顔になっていき、湯船の中で涙が出たという方もいらっしゃいました。その時に、ここで頑張っていくしかないと思いました。
樋渡:温泉だと相手の顔が見えるのが良いですね。一方、西本さんのように大きな会社になると顧客の気持ちというのは伝わってくるのでしょうか?
西本:間接的なものづくりやサービスをしていると、なかなか直接的にはわからないのですが、だからこそ社員にはお客様がどう思っているのか、現場から声を拾うよう伝えていますし、何かあればすぐに対応させています。二十数カ国に世界展開していて、国ごとに宗教などによる考え方の違いもありますので、そういうところは意識しないと上手くいきませんので。
樋渡:逆に世界のどこに行っても共通していることはありますか?
西本:私たちは医療や環境や食に関する事業を展開していますが、どの国に行っても「長生きしたい」「楽しくありたい」「豊かになりたい」といった想いは一緒ですね。
樋渡:続いて沖縄県石垣市長の中山さん。石垣市は最近空港が新しくなりましたし、だいぶ盛り上がってきていますね。
中山:石垣は、自然環境が豊かで、きれいな海があるというイメージだと思います。その強みを活かしてどう売り出していくのかが課題だったのですが、幸い、夏川りみさん、BEGINの3人、具志堅用高さんなどが石垣島出身ですので、そういった方々に観光大使になってもらって、ブランドイメージを高めていっています。
樋渡:元々「離島」というのは弱みなのですが、石垣島は上手くいっていますよね。
中山:最初は航空運賃が高いから那覇までしか行けないという方が多かったですね。でも、空港ができたのと同時にピーチ航空やスカイマークが入ってきて、だいぶ値段が下がりました。それを見越して開港の2〜3年前からプロモーションを始めていたんですよ。
樋渡:開港前から石垣空港長かと思うくらい、空港のことをよく宣伝していましたよね(笑)
中山:日本だけでなく、台湾や韓国など、来てくれそうなところは全部プロモーションに行きました。石垣空港は元々は国内専用なんですが、国際線も作ってもらうようにいろいろと動いて、国際線も飛ぶようになりましたし、おかげ様で国際線のターミナルは1年目から過密状態なので今度また予算を取って増築することになっているんです。
後編では、地方で実際に進んでいる改革の具体的な中身に迫ります。
<→TSUTAYA図書館に続け。地方発 ヒト、モノ、サービス改革【後編】に進む>
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