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2026.07.03

コロナパンデミック、銃撃患者……米国で命の最前線に立った医師 近大病院で描く救急医療の「未来」

Kindai Picks編集部

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インタビュー
近大病院
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救命救急

鳴り響くサイレンの中、患者が救命救急センターへと搬送されてくる。そこは、時に生死の境が秒単位で揺れ動く、「医療の最前線」です。
2023年、体制の強化が必要となっていた近畿大学病院救命救急センターの立て直しを引き受けた、近畿大学医学部救急医学講座 主任教授 篠崎広一郎。米国ペンシルベニア大学などで10年近く臨床と研究の研鑽を積み、ニューヨークのコロナパンデミック最前線で救急医として命をつなぎ止めてきた経験を持ちます。
なぜ篠崎は、米国でゼロから積み上げてきたキャリアを手放して、近畿大学での挑戦を選んだのか。日米の救急医療の現場を知る彼がみつめる救急医療の現状、そして近畿大学病院から始まる救急医療改革に迫ります。

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篠崎 広一郎(しのざき こういちろう)の写真
篠崎 広一郎(しのざき こういちろう)

近畿大学医学部 救急医学講座 主任教授

神奈川県鎌倉市出身。2002年に千葉大学医学部を卒業後、同大学医学部附属病院救急科・集中治療部に所属。千葉市立青葉病院救急集中治療科部長を経て2013年から名門アイビーリーグのひとつ、米国のペンシルべニア大学に留学。2015年ニューヨークのファインスタイン医学研究所に移籍。米国救急専門医として認定され、アシスタントプロフェッサーとして、臨床と研究を兼務。2023年に45歳の若さで現職に就任。

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テレビドラマと誇らしげな父の言葉に背中を押され、救急医の道へ

――まずは、医師、そして救急医という道を選ばれた原点についてお聞かせください。

篠崎
救急医を目指したきっかけは、テレビドラマの影響です。私の学生時代、『救命病棟24時』というテレビドラマが全盛期。俳優の江口洋介さんが演じる進藤先生が、絶望的な状況でも冷静に、必死に目の前の命を救おうとする姿に、憧れていました。当時、ドラマを監修されていた先生方はもちろん大先輩ですが、今は同じ仕事をする仲間というのは不思議な感覚ですね。
ただ、振り返るともっと前、父からの「刷り込み」もあったかもしれません。精神科医の父は、厚生労働省健康政策局の課長として「救急救命士法(1991年施行)」の骨格を作った一人でした。父は晩年まで「あの法律策定に携わったことが、人生で一番の仕事だった」と自慢げに話していました。家では仕事について多くを語らない父でしたが、仕事への誇りは子供心に伝わっていました。人の命を救うための「システム」を必死に整備した父の背中を見ていたことが、医師という職業を選んだことに影響したのだと今は思います。


インタビューを受ける篠崎先生の写真

――学生時代に抱いた「憧れ」と現実とのギャップを感じる瞬間はなかったでしょうか。

篠崎
もちろんありました。救命救急センターという場所は、搬送されてきた患者の約3割が亡くなる場所でもあります。感情を極限まで押し殺し、呼吸の乱れや意識の状態といった命に直結する「サイン」を確認して迅速に次の一手を打っても、その数字を半分にはできない。無力感を感じる瞬間もあります。専門科と違い、十分な予測、準備ができないまま患者を受け入れるので、20年にわたって経験を積んでも「こんな症例があるのか……」と驚かされることが未だにあります。
また、メンタルコントロールも、最初は難しかった記憶があります。「死の瞬間」に直面する機会は、おそらく他の職業の方よりずっと多いですが、プロとして、その状況に動じるようでは仕事にならない。それでも、人間として感じる「痛み」には鈍感になりたくない。仕事を離れ、プライベートな時間の中で不測の事態に遭遇すると私も動揺します。この矛盾する感覚を、20年のキャリアの中で何度も行き来しながら、ようやく今の自分があるのだと感じています。チームの仲間とたわいもない話をして気持ちを落ち着け、仕事を離れて、家族と笑顔で過ごす時間も大切にしたいと思っています。


お子さんと一緒に写る篠崎先生の写真

アメリカでの挑戦。戦場のようなコロナパンデミックを乗り越えて

――医学部卒業から救急医として国内で10年間勤務された後、蘇生分野での論文が評価され、ペンシルベニア大学のリサーチフェロー(研究員)として渡米されました。その後、ニューヨークに移り、研究と並行して臨床現場にも復帰されています。
日本で医師国家試験に合格する人は年間約9,500人。一方、日本から米国医師国家試験(USMLE)に挑む人は、申請者ベースでも年間約80人で、割合にして1%未満。USMLE合格者とは、日本の医師の中でも極めて限られた、国際基準の壁を越えた存在ですよね。


篠崎
米国医師国家試験では、医療英語を用いた患者面接試験もありました。言葉の壁にはかなり苦しみましたね。生活はもちろん、研究環境を整えるにもすべて英語で的確に要求を伝えなければなりません。研究のプレゼンテーション、給料やポジションの交渉など、全てにおいて高い英語力が必要です。
現地の医師免許を取得し、臨床現場に出てからも、スタッフや患者とのやりとりはわかりやすさをとにかく意識していました。母国語でない言語でのコミュニケーションは非常に難しい。患者の容態を素早く把握しながら要望を伺い、今後の方針など確実にご理解いただかないと、訴訟沙汰になることさえあります。何度も復唱して確認することを心がけました。


現地のスタッフと一緒に写る篠崎先生の写真

——救急医としてアメリカの医療現場に立ち、日本との違いで驚くことはありましたか。

篠崎
アメリカでは日本の2倍の給料を稼ぎながら、病院にいる時間は日本の半分。待遇としてはおよそ4倍です。その分、時間あたり日本の4倍の患者を診察しているということなんです。ものすごいスピード感で現場は判断し、走り続けていますが、絶え間なく来る患者に対応するための医療システムが整っていて、医師もシステムを使いこなすトレーニングを積んでいます。一例一例に時間と力をそそぐ、日本の医療とは大きく違います。


――アメリカでは、すべての来院患者を受け入れる「断らない救急」が法律によって義務付けられているそうですね。
なかには、銃撃された患者を診ることもあったとお聞きしました。


篠崎
ニューヨークの研修先の病院では、日本ではまずない症例で担ぎ込まれる患者もありました。ちょっとした口論の延長で後頭部を銃で撃ち抜かれた方もいましたし、銃が誤ってポケット内で暴発したという方は、パニックにもならず苦笑いでやってきて、ある意味記憶に残っていますね。それくらい、日常的なのかと。
覚せい剤など薬物の過剰摂取での搬送も多くありました。日本でも急性アルコール中毒や、一般用医薬品のオーバードーズで運ばれてくる方がいらっしゃいます。覚せい剤が別のものに置き換わっただけで、根本の問題は同じです。病気やケガだけでなく、このような理由で搬送される方が減ってくれることを、医師としては願うばかりです。


現地のスタッフと一緒に写る篠崎先生の写真

――先生が救急医としてアメリカで臨床現場に立たれている間に、世界中をコロナパンデミックが襲いました。ニューヨークでは、医療現場がパンク状態だとニュースで伝えられていた記憶があります。

篠崎
2020年から始まったコロナパンデミックの対応も、忘れがたいものです。2020年3月から6月のいわゆるfirst wave、第一波で、私が所属していた病院は約2,500名のコロナ患者を受け入れています。結果的に、全米で最も多くのコロナ患者を受け入れました。第一波のコロナ患者のうち、おおむね30%の患者が人工呼吸器を必要としました。これに対応するため、病院は即座にICU(集中治療室)を26床から92床に増床。我々、救急医もICU勤務を命じられました。4月の第一週には60名が死亡、そのうち18名は来院当日に死亡しています。プロとして平静でいなければなりませんが、さすがに動揺もありました。同僚も続々と感染してしまいましたし、院内でご遺体の山とともに処置にあたっていた記憶があります。
勤務していた病院を運営する医療グループ「Northwel Health」が、4月下旬に速報としてJAMA(Journal of the American Medical Association、米国医師会が発行する総合医学雑誌)に公開した論文のデータによれば、論文執筆時点で人工呼吸器を要した患者で生き延びたのは3%。すでに25%が死亡し、残りの72%はいまだに人工呼吸器管理を受け苦しんでいるというセンセーショナルな内容でした。ER(救急外来)/ICUで働いていた私の現場感を反映する、絶望的な数値でした。


院内のコロナ患者の状況を示すデータのスクリーンショット
院内のコロナ患者の状況を示すデータ

――しかも、その最中にお父様が他界されたとお聞きしました。

篠崎
父が余命わずかだと知らされたのは、ニューヨークがパンデミックに飲み込まれ始めた2020年3月でした。自分も激務の中にあり、帰国すれば仕事に穴を開けてしまう。葛藤する私に、米国の上司は「今すぐ日本へ帰れ。自分たちがなんとかする」と。ただ、日本からアメリカに戻ってきても14日間隔離生活を送る必要があり、その間は「無給」と。自由で合理的な国です。
日本で、父と最期の時間を過ごしてニューヨークに戻ると、「広一郎、熱ある? ないなら、今すぐシフトに入ってくれ」と言われました。本来であれば必要な隔離期間をとらず、帰国の翌日からすぐに現場に戻ることになりました。アメリカには「法(ルール)は人がつくったものであり、人のためになるはずのもの」という考え方があります。隔離ルールはもちろん大切ですが、目の前の患者を見捨てることになるなら、ルールの方を曲げてもいい。私も、そう思います。今も、チームをリードする上で「ルールは大切だが、臨機応変に判断できるように」と伝えています。


感染症対策のフェイスシールド、ゴーグル、ガウンなどを身につけた篠崎先生とスタッフの写真

篠崎
人工呼吸器をつけたコロナ重症患者のうち、病院から初めての退院者を見送れたときは心底うれしかったです。医療従事者がずらりと並んで花道をつくり、拍手でお送りしました。戦場の中で、ようやく光が見えたような気がした瞬間でした。救急医は、無事に生還、退院された患者さんから「また、先生に診てもらいたい」とお言葉をいただくことがありますが、冗談半分、本気半分で「私たちは『死神』ですから。二度と会わないのがいいんです」とお返事します。緊急搬送されるような事態にならないことを、心から祈っています。


コロナ患者が退院した際の花道の写真
コロナ患者が退院した際の花道

患者から贈られた感謝のメッセージの写真
患者から贈られた感謝のメッセージ

アメリカの医療、日本の医療のハイブリッド型を目指す

――日米両方の救急現場を最前線で経験されて、最も「違う」と感じるのはどのような点ですか。

篠崎
アメリカは「徹底したシステムの国」、日本は「個の献身の国」だと感じます。アメリカのER(救急外来)は、驚くほど画一的で効率的です。膨大な数の患者を、安全かつ迅速に捌くための「判断支援ツール」が整備されています。例えば「頭部打撲でこの条件に当てはまればCTを撮る。そうでなければ帰宅させる」という判断が医師の主観に依らずシステマティックにできます。これは、医療を一つの効率的な「システム」として捉える資本主義的な考え方に基づいています。


――対して、日本の医療はどのように映りますか。

篠崎
日本はアメリカとは対局に、誰もが安価に、平等に、世界トップクラスの高度な医療を受けられる奇跡的な国です。しかし、それを支えているのは、アメリカのような洗練されたシステムではなく、現場の医師や看護師たちの「助けたいという強い想い」「職人魂」といった「一種の自己犠牲」なんです。
「何か見落としがあってはいけない」と夜中まで検査結果に向き合う医師、丁寧な診察、丁寧な看護を使命感を持って行う医師や看護師。こういった「個」の粘り強さが、日本の医療を支えているのは事実です。
千葉大学医学部附属病院救急部・集中治療部に所属していた頃の恩師である平澤博之先生は、「個」の献身でしか救えない命があるということを教えてくださいました。それは、医道の根幹である「命を救う」という教えでもありました。
しかし、「個の献身」だけに頼り続けて何の変革もしなければ、いずれ医療現場が崩壊してしまいます。
ただ、日本がダメで、アメリカの医療システムが完璧かといえば、全くそうではない。大量の患者をある意味「捌く」ということは、個々の事例に本気で寄り添うことは難しくなります。一人当たりに割ける時間も少なく、どこかドライな印象もあります。さらに、資本主義に根差したシステムは、医療行為も「お金儲けの対象」になります。同様の効果であっても、高額な治療を勧めるケースは少なくありませんし、そもそもお金がない人は治療を諦めざるをえません。
これからの日本の救急医療に必要なのは、アメリカ流の「合理的なシステム」を取り入れつつ、日本が培ってきた「患者に寄り添う細やかなケア」を捨てないハイブリッドな形だと確信しています。そのバランスこそが、これからの救急医療の鍵になると確信しています。


恩師の救急医・平澤博之さんと篠崎先生が向かい合って座り食事をしている写真
ニューヨークを訪れた恩師の救急医・平澤博之さん(右)と篠崎。

南大阪の基幹病院として。近畿大学病院での変革のために

――2023年4月、先生は近畿大学病院の救命救急センター主任教授に就任されました。なぜ、米国でのキャリアを手放し、近大というフィールドを選ばれたのでしょうか。

篠崎
研究も軌道に乗り、次のステップとしてハーバード大学への移籍を考えている頃、母校の先輩から「ある大学が、救命救急の医師を探している」と連絡をくれたんです。「帰国は考えていないから」とお返事した1年後、「まだ人が見つかっていないらしい。一度話を聴いてみないか」という連絡がありました。それが、近畿大学とのご縁の始まりでした。
一時帰国して、近大医学部の中澤学先生とお会いし、「近大病院の救命救急は、人材不足で運営が非常に厳しい。何とか立て直してほしい」という切実なお話を伺いました。かつて、救命救急は病院の花形であり、やりがいのある職務であることは今も変わりない。ただ、拘束時間の長さ、精神的な負荷によって若手医師から敬遠されているだろうことは理解できました。
アメリカの医療システムに揉まれてきた自分に、できることがあるかもしれない。そう感じたとき、中澤先生をはじめ病院の執行部の方々が「火中の栗を拾ってもらうような話で、申し訳ない。篠崎先生流で、頑張ってほしい」と仰った。私はその「火中の栗」という言葉を聞いて、逆にワクワクしてしまったんです。10年ぶりに、日本で挑戦してみようと決意しました。子どもたちの学校、住まいなどもとんとん拍子に決まり、今では赤い糸があったのかなと感じています。
亡くなった父は私がアメリカにいた頃、「あいつは、日本の救命救急の力になれるはず。早く帰国すればいいのに」とよく話していたそうです。父が制定に携わり、生涯誇った「救命救急システム」を現場で活かし、進化させるための決断を喜んでくれているかな……そんなことを考えたりもします。


近畿大学病院 救命救急センターのメンバーと一緒に写る篠崎先生の写真
近畿大学病院 救命救急センターのメンバー

――近畿大学病院 救命救急センターの変革についてお聞かせください。

篠崎
まず取り組んだのは、アメリカ流のシステムを活用した「働き方改革」です。勤務時間管理、給与体系などのベースを整えていきました。今の業務量であれば、あと1、2名の医師が確保できればより安定してシフトを回すことができると考えています。
働き方改革で「働く時にしっかり働く」「休む時には休む」というメリハリを大切にした結果、現場にも変化がありました。2022年に年間5,000件だった近大病院の救急搬送数は今や年間8,000件に増えていて、救急外来だけで年間12,000人の患者が来院します。救命救急科が直接担う重症患者の入院件数も、年間500件から650件に増えていますが、現場の技術も向上し、効率性と専門性を生かした救急医療を展開できていると感じています。
救急医のスキルは、施設内の他の診療科との連携や人的リソースを駆使して、どれだけ患者さんの時間的余裕を長く持たせられるかというところにあります。一施設を任せられる救急医となるには、10年単位の時間がかかります。学内でしっかりと人材を育成することも必要ですし、研究費を引き出せるような、実績のある医師をリクルーティングすることも必要になると思います。


――今後の変革の展望についてはいかがですか?

篠崎
変革のテーマは「フィジシャン・サイエンティスト」の育成と、そのための環境整備です。フィジシャン・サイエンティストとは、患者を診察しながら研究も行う医師のことです。日本の救急医は、激務の中で空いた時間で研究をするという「根性論」の中にいます。研究は、10年後の患者を救うための重要な「仕事」です。しかし、この瞬間稼げる仕事ではないことから、研究に力を入れる医師はどこか引け目を感じてしまうことがあります。そこで、「研究専念時間(protected time)」を導入します。臨床で目の前の命を救い、研究で未来の何万という命を救う。この両輪を回せる部門(システム)の構築を目標としています。


今後の展望について語る篠崎先生の写真

――2025年11月に新病院へと移転しましたが、どのような拠点を目指されていますか。

篠崎
救急医療は一刻を争うため、現場から近い病院に搬送される。地域のインフラになるべき存在です。災害拠点としての機能ももちろんですが、一方でがん治療など特定の分野で日本のトップを走る工藤先生(工藤正俊消化器内科主任教授/医学部・病院統括副学長)や西尾先生(西尾和人医学部長)、林先生(林秀敏教授)のような存在もいて、近大病院の医療を求めて遠くから通う患者さんもいらっしゃいます。こうした強みを生かして、救命救急のみならず他部署とも連携し、病院全体が「最強のセーフティネット」でありたいです。移転後の新病院はコンパクトで効率的な動線になり、スタッフのスキルも劇的に成熟しました。「近大病院でいい」ではなく「近大病院がいい」と選ばれるくらい質の高い医療を提供することを、大学病院全体で目指していきたいと思います。



この記事を書いた人
岡島 梓(おかじま あずさ)
2024年末、東京から大阪に拠点を移したインタビュアー・ライター。取材を受けてくださった方、文章に触れてくださった方にとって、何かの「はじまり」が生まれる表現を模索します。


取材・執筆:岡島 梓
編集:アール・プランニング


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