左から小深田大翔選手、畠世周選手、藤井彰人ヘッドコーチ
1949年に創部した近畿大学硬式野球部は、関西学生野球連盟リーグ戦優勝50回(旧関六含む)、全日本大学野球選手権大会優勝4回、明治神宮野球大会優勝2回など輝かしい成績を残しています。
また、畠世周選手(2017年卒・阪神タイガース)、小深田大翔選手(2018年卒・東北楽天ゴールデンイーグルス)、佐藤輝明選手(2021年卒 ・阪神タイガース)をはじめ、これまでに70人のプロ野球選手を輩出。さらに昨年度、勝田成選手(2026年卒)は広島東洋カープからドラフト3位指名、阪上翔也選手(2026年卒)は東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受け、新たに2人のプロ野球選手が誕生しました。
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そんな硬式野球部の活動を支えてきたのが開明寮。練習拠点である「生駒総合グラウンド」のすぐそばにあり、部員たちの寝食の場として利用されてきました。下級生の大部屋、上級生の個室をはじめ、栄養バランスを考慮した食事を提供する食堂、疲れを癒す大浴場などを備え、鍛錬に集中できる環境を実現するための施設でした。
しかし、1981年に建設して以来、建物の老朽化が進み、ついに取り壊しと再建が決定。入居部員たちは2月から、近くにある別の寮に移っています。
今回は、近畿大学体育会硬式野球部出身で日本プロ野球(NPB)で活躍する畠世周選手、小深田大翔選手、藤井彰人ヘッドコーチが解体前の開明寮に凱旋。館内やグラウンドを巡り、ロッカールーム(旧トレーニングルーム)で座談会を行いました。
藤井 彰人(ふじい・あきひと)氏
広島東洋カープ一軍ヘッドコーチ。1998年商経学部(現在の経営学部)を卒業。ドラフト2位で近大から近鉄に入団。捕手として大阪近鉄バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、阪神タイガースの3球団で、17年間にわたりプレーした。阪神在籍時の2013年には初めてオールスターに出場。2015年の現役引退後は、阪神タイガースの球団職員等を経て、現在は広島東洋カープで指導に当たる。
畠 世周(はたけ・せいしゅう)氏
阪神タイガース投手。2017年経営学部卒業。2016年、読売ジャイアンツからドラフト2位指名を受け、翌年入団。長身から投げ下ろす150km超の速球と、安定した制球力が武器。ジャイアンツでは先発・救援の両方を経験し、2024年現役ドラフトで阪神タイガースに指名され加入した。
小深田 大翔(こぶかた・ひろと)氏
東北楽天ゴールデンイーグルス内野手。2018年経営学部卒業。大阪ガスを経て、現チームに2019年ドラフト1位で入団。最大の武器は俊足で、2023年に最多盗塁を獲得。2024年は二塁手としてゴールデングラブ賞、ベストナインに選出され、通算100盗塁も達成。学生時代からの愛称は「コブ」。
厳しい上下関係と練習の日々。生活そのものだった開明寮
——開明寮が解体されると聞いたときはどう感じましたか?
藤井
寂しいけど、時代やなと思いますね。僕らがいたときから、ちょっと古いなと思っていたので(笑)
畠
藤井さんの世代で、すでに古かったんですか! 自分が現役の時に「寮が建て変わるらしい」という噂はありました。そう考えたら10年前に聞いていたことが、ようやく、という感じもしますね。
小深田
僕の時もその噂はありました。懐かしい場所ですが、部屋も決して広くはなかったですからね。
近畿大学体育会硬式野球部「開明寮」の外観
小深田
はい。実をいうと高校の寮の方がきれいで……。
藤井
それじゃあ、入ったときは大変やったやろう〜(笑)僕はもともと大学に行く気はなかったんやけど、親父が背中を押してくれて。今では感謝してるけど、1年生のときはとにかく大変だった。
寮の玄関に掲示された寮訓。「部屋長とか懐かしい」と藤井ヘッドコーチ。
初代・開明寮(1957年当時)
——当時は、どのようなスケジュールで一日を過ごしていたのですか?
藤井
僕の時代は、今みたいに、後ろにトンボを付けた車はなかったから、1年生全員が6時に起きて、グラウンド全面に手作業でトンボかけてましたね。。しかも朝食までに終わらせないといけないので……ホンマたまらんかった。
小深田
僕のときは、朝のトンボかけは外野の部分だけでした。そう思うと、かなり負担が違いますね。
1年生総出のトンボかけですが、寝坊する部員もいてその分カバーするのが大変だったそうです
畠
自分はお茶当番だったので、グラウンドの整備は免れてたけど、それでも大変でした。基本的に午前中は野球部の練習があって、午後は東大阪のキャンパスに移動して大学の講義。夜、寮に戻るのも大変でしたね。
小深田
そうですね。午後10時半に寮で点呼があるのですが、大学から寮に戻るのに1時間くらいかかるので、7限目の講義が終わるのが大体9時半くらいなので、夏場は汗だくで帰ってました。
藤井
夜は夜で、電話番が大変やったなぁ。固定電話が小部屋と食堂に置いてあって、その応対をするのも1年生の仕事。当時は携帯電話もなくて、いろんな電話を先輩や監督・コーチにつなぐ役目も1年生の仕事だった。
畠
僕らはスマホを持ってましたが……それじゃあ、例えば先輩の彼女からかかってきた電話も受けたりされたんですか?
藤井
そう!「〇〇さん、彼女からお電話です!」って。電話番のマニュアルがあって、まずは名前を聞き取らないといけない。取り継ぐときに、誰からの電話か聞かれて「分かりません」は絶対ダメ。あるとき電話の向こうで「ワシやけど」と言われて、何回も「失礼ですが、どちら様でしょうか?」と聞き返したこともあったよ。
藤井
まさかの総監督。後で知ってびっくりした(笑)
畠
マニュアルは絶対だから、そう応えるしかないですもんね……!
藤井
とにかく連絡をつなぐのが下級生の大事な仕事。これは同級生の話やけど、先輩から寮にタクシーを呼んでと頼まれた時に「タク呼べ」と言われたのを「“タクさん”を呼ばなあかん」と勘違いして、上級生の”タクさん”を寮中探し回って……結局タクさんなんて人はおらんし、タクシーも来てないし、先輩にこっぴどく怒られたっていう。何十年経っても、同窓会のネタになる話もあったな(笑)
小深田
入部したてのころなんて、部内に“タクさん”という人がいるかどうかも知らないですもんね(笑)
ルール違反には厳しい罰則が。うまくかわすコツも学生時代に体得?
畠
そういえば、このロッカールームって僕の時代はバリカンの“執行場所”だったんですよね。
小深田
ありましたね。寮や部のルールを破ると、連帯責任で同学年全員が坊主頭。外出禁止とセットでした。
トレーニングルーム時代の面影を残すプレートをひっくり返すと……
「シビアの泉」の文字が。“執行”時には、この表示に切り替わったそうです。
藤井
僕のときですら、罰で坊主はなかったで! 二人の時代の方が、そこに関してはよっぽど厳しかったんちゃう?
畠
今なら絶対アウトですよね(笑)1年生がやらかしすぎると、下級生への監督責任を問われて2年生が全員ボウズに……なんてケースもときどきありました。
——10年ほど前といっても、時代の変化を感じますね。部屋割りはどのようになっていたのですか?
藤井
先輩と後輩がセットでしたね。1年生と3年生、2年生と4年生といった感じで。だから、気が休まる暇なんてなかったですよ。特定の先輩の付き人のような感じで、先輩の指名で後輩の「部屋子」が決まる感じで。先輩の分も洗濯をしたり、朝起こしたりと、生活面の世話も後輩がするもの、という時代でした。
藤井コーチの学生時代(大学ジャパンとしても活躍)。
小深田
僕のときは、途中から同級生で同室になりました。少しずつだけど、上下関係からフラットにしようとしていた時代でしたね。
「ドアをそーっと開けて……」と実演する畠選手。
畠
でも、先輩を起こすのは「起床当番」として残っていましたね。ドアを開ける時にガチャっと音を立ててはいけないとか、先輩の体に触れてはダメとか、起こすだけでも細かいルールがあって大変でした。起こしに行ったのに「うるさい!」と怒られたり……そんな理不尽な! って(笑)
小深田
特にはしごの壊れた2段ベッドは、音を立てず上り下りするのにコツが要りましたね(笑)昔ながらの上下関係は残ってて、先輩のおつかいもありましたよね?
畠
飲み物を「センスで買ってきて」と言われたりね。「アルギニンV」みたいなエナジードリンクを買っておけばだいたい喜んでもらえると分かってからは、だいぶ楽になりました(笑)でも、「⚪︎分以内にマクド買ってこい」はキツかった。駅を超えた反対側まで行って、大急ぎで戻ってこないといけないですからね。今だから言えますけど、途中から自転車が導入されて、寮に戻るまでにかなりの余裕ができましたね。
藤井
当然のように僕のころは後輩といえばパシリで、何をするにもダッシュ。近所に食堂があって、「何か買ってこい!」という指令もあった。大学の講義に行く前に言われると「電車に間に合わんくなるって」と思いながら必死にダッシュしてました。
小深田
開明寮の前は急な坂だから、特に帰りの上り坂がしんどいんですよね。ただ、畠さんは先輩に怒られてるイメージも、後輩に怒ってるイメージもなかったですけど。
畠
確かに、大学時代に怒ったことはなかったかも。先輩にあまり叱られなかったのは、仲良くするよう心がけていたからかな。とはいえ、1年生のころは寮にいる間はリラックスの「リ」の字もなかったですけど。
藤井
先輩と仲良くした方がうまくいくのは、どの時代も変わらんなぁ。共通して、とにかく1年生の拘束が厳しい。でも、そこで社会のルールや、大人との接し方も学ばせてもらいましたね。その分、2年生になった瞬間は天国のようで(笑)。1年生は雑魚(じゃこ)2年生は雑魚頭(じゃこがしら)みたいに“出世”を表現する言葉があったんやけど、もう残ってない?
——寮生活で食堂にまつわる思い出はありますか?
藤井
大会で優勝したとき、成人した上級生で集まって食堂でビールかけをさせてもらったのは、よく覚えています。ビールかけといっても、小規模なもんやけど。調子に乗ってソースもかけたり……ちょっと無茶させてもらってたな。
小深田
これもまた時代を感じるエピソードですね。僕は、食といえば体重ノルマですかね。月ごとに目標が決められていて、それをクリアするのが大変だったんですよね。
小深田選手の学生時代(小深田選手の20歳の誕生日を同級生がサプライズでお祝い)。
「料理は自分たちで取る形式だった?」と思い出を語り合います。
畠
そう、達成できなかったら、それこそ坊主。今だから言えますけど、同期の部員には、5キロ太るために測定直前に水を5リットル飲んだやつもいました。
畠
「坊主よりマシや!」とだいぶ無理して飲んで。結局、練習前にめっちゃ吐いてましたけどね(笑)それは極端なパターンですが、太るための努力……というか、食べることに関しては僕も積極的でした。食材の利用に割と寛容な時期だったので、夕食後に厨房へ入ってキムチチャーハンを作ったりしていましたね。
藤井
え! 俺の時代は「勝手に冷蔵庫を開けるやつがおるから」って、冷蔵庫にもチェーンみたいな鍵がかかってたんやけど(笑)
ご飯のお供や牛乳などが入った冷蔵庫。右の冷蔵庫は畠選手がプロになって寄贈したもの。
近大野球部がなかったら、プロになっていなかった。
——特に印象に残っている練習メニューなどはありますか?
小深田
僕は、コーチから命じられた「特守」ですね。全体練習が始まる前の朝と、練習後に受けたノックはキツかったですね。寮にいたとき、いきなりコーチから電話がかかってきて「お前何しとん? 練習しろ!」って。
小深田
最初は無理やりやらされている感覚でしたが、いつの間にか習慣になっていましたね。むしろ「やらないと気持ち悪い」レベルに。練習との向き合い方は、この経験が糧になりました。僕の伸びしろを見て発破をかけてもらったんだな、と今では思っています。実はどこかで「大学を出て、社会人野球までが自分の舞台かな」と、考えていたのを見抜かれていたのかもしれません。
藤井
今の活躍ぶりから考えると信じられんけど、最初はそういう考えだったんや。ただ、僕も最初はプロを目指すのは諦めてて。
藤井
当時は特にプロになるための規定が厳しくて、身長170センチ以上が必須条件だった。「お前には無理や」といろんな人にいわれてきたからね。でも、負けず嫌いで。ちょうどそのころは、部としても改革のタイミングで「自分たちで考えること」を大事にしていて、チームと個人の両方の立場で「どうすれば強くなれる?」と考えて、自分たちで練習メニューを組んでた。考える習慣が身についたことは、プロになって以降も役に立ったね。
畠
藤井さんの論理的な思考と指導は、大学時代にルーツがあったんですね!
藤井
この人はなんで足が速いんや? どうしてこんなに球が飛ぶんや? と何でもクエスチョンを付けて、思考して練習に活かす。こういう習慣は、キャッチャーというポジションにも合っていたのかも。畠は最初からプロになろうとしてた?
畠
いえ、実は僕も二人と同じで、途中からプロを意識し始めたタイプです。3年生のころ150キロ台を投げられるようになって、「もしかしたらチャンスがあるかも」と思うようになりました。それくらいのタイミングから、あらゆる練習メニューで限界を迎えてからさらにもう一回、もう一本を意識して取り組んでいました。
藤井
近大は野球以外にもスポーツで活躍している人が多くて、刺激が得られる環境も良かったと思ってるよ。
畠
オリンピックのメダリストとメンタルコントロールについて話をさせていただいたことがあります。自分が伸び悩んでいたタイミングだったので、一流選手と意見交換できたことはとても貴重な経験でした。
畠選手の学生時代(大学4年時にプロ志望届にサインしマネージャーと記念撮影)。
寮が変わっても、仲間を大切にする心はそのままで。
藤井ヘッドコーチによる「点呼」の再現。これは世代間でギャップがあったようです。
藤井
寮の中を改めて見て回ると、確かに古くはなってるけど広さは十分で、ええ場所やったなと。僕からしたらまだまだ綺麗やし、建て替えんでええかも? とも思ってしまった(笑)
畠
大浴場も懐かしいですよね! 「入浴規則」の掲示はほとんど見ることがなかったけど、ごくまれに「ここに書いてあるやろ」って先輩の背中を洗わされたなぁ。
小深田
年末の大掃除も大変でしたよね。お風呂だけで丸2日かけてやってました。
藤井
風呂といえば、脱衣所の横にあった謎の部屋は、昔はサウナだったらしいね。
椅子の積み方も、長年受け継がれた伝統なのだそう。
畠
寮では大変なことは多かったけど、その分濃い思い出がある場所なんですよね。大学生という、いわば大人になり始める年齢でありながら、毎日同じメンバーと暮らす経験は一人暮らしとは違う楽しさもありました。親のありがたさもよく分かったし。
小深田
僕は高校寮から大学寮にという流れでしたが、あの歳でもう一度厳しい環境に身を置くことを選んでよかったです。高校の監督に勧められて、当時は何も分からないまま入った近大でしたが、何段階も成長できた。何かに打ち込める期間って、人生の中でもそう長くはないじゃないですか。
畠
そうそう。野球に没頭することも、勉強することも、遊ぶことだって社会人になると難しくなるもの。学生たちには「思う存分やり切れ!」って言いたいね。
藤井
うん。あとやっぱり圧倒的に大きかったのは、仲間の存在よな。今でも仲の良い友だちがいるし、これは近大と開明寮がなかったら得られなかった。今の子たちも、そして寮が移っても、寮が建て替わっても仲間を大切にする気持ちはそのまま受け継いでいってほしいね。
——みなさん、今日は貴重な時間と貴重なお話ありがとうございました!
近畿大学体育会硬式野球部学生寮の「開明寮」は、2026年3月から解体工事が進んでいます。
新たな寮は2027年度中に完成を予定しており、全室個室となる予定です。
2027年度完成予定の開明寮イメージ図
特別企画!阪神タイガース佐藤輝明選手が解体目前の近畿大学硬式野球部開明寮を訪問
取材・文:山瀬龍一
写真:松本いづみ
編集:納谷ロマン
動画:株式会社シープラス