2020.12.01
当事者が考える「障がい者」ひらがな表記問題。一ノ瀬メイ×岸田ひろ実「障害の本質」対談
- Kindai Picks編集部
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みなさんは「障害」と聞いて、どんなイメージを持つでしょうか。また「障害者」と「障がい者」、どっちの書き方が適切だと思いますか? 考えてもなかなか答えの出ない疑問を、パラリンピック競泳選手で生まれつき片腕が短い一ノ瀬メイさんと、ダウン症の息子を持ち、自身も車いす生活を送る岸田ひろ実さんに聞きました。お二人の対談から「障害って何なのか?」を考えます。
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一ノ瀬 メイ(いちのせ めい)
1997年京都府生まれ。2019年3月近畿大学卒。現在は職員として近畿大学に所属。先天性右前腕欠損。1歳半から水泳人生をスタート。バレエやタップダンス、陸上にも取り組む活発な少女だった。13歳で当時史上最年少で日本代表に選出され銀メダルを獲得。その後国内外で数々のメダルを獲得している。16年リオ大会では、8種目に出場。現在は5つの日本記録を保持する。
岸田 ひろ実(きしだ ひろみ)
株式会社ミライロ 講師、日本ユニバーサルマナー協会 理事。1968年大阪市生まれ。知的障害のある長男の出産、夫の突然死を経験した後、自身も大動脈解離で倒れ、手術の後遺症により下半身麻痺となる。リハビリ生活を経て、2011年、株式会社ミライロに入社。「ユニバーサルマナー」の指導を中心に、障害のある子どもの子育てについての講演等。「TEDx」の登壇後、数々のメディアで取り上げられ、特集記事はSNSでシェア5万件を越える。著書に「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」。テレビ朝日「報道ステーション」にコメンテーターとして出演。
「歩けない自分が悪い」と思っていた
心臓手術の後遺症により、2008年から車いす生活を送っている岸田さんと、娘の奈美さん。
ーーお二人は「障害」があることで、普段の生活にどんな不自由を感じますか?
岸田ひろ実:40歳で車いす生活になって、初めて外出したときに思ったのは「誰かに助けてもらう度にこんなにも頭を下げて、すみませんって言わないといけないんだ」ということです。今まで普通に行けていた店にも少しの段差があるだけで入れなくなって、「私のせいなんだ。私が歩けないばっかりに」とすごく落ち込みました。
一ノ瀬メイ:私は片腕が短いだけなので、髪も自分で結べるし、できないことはあまりないんです。でも、外を歩いてたらじろじろ見られることがすっごく多い。普段は腕のことを忘れてるから「あれ、今日そんなにかわいいかなー?」とか思っちゃうんですけど(笑)、隣を歩いてる友達に「右腕めっちゃ見られてたな」と言われて「あ、腕か!」って。
ーー外からの反応で「自分には障害がある」と意識させられるんですね。
一ノ瀬メイ:それを最初に感じたのは小学生のときで、近所のスイミングスクールに入ろうとしたら断られたんです。同年代の子と同じぐらい泳げるのに「腕が短いからできないだろう」と判断されて。それまで自分を障害者と思ったことがなかったから、「これが社会に障害を持たされるってことか」と思いました。
一ノ瀬メイさん、小学校2年生の頃に出場した水泳大会での写真。
岸田ひろ実:実は、私も最初に壁を感じたのは息子のスイミングスクールなんですよ。
一ノ瀬メイ:えー! 一緒ですね!
岸田ひろ実:今メイさんの話を聞いていて驚きました(笑)。ダウン症で知的障害がある息子は、同年代の子よりできないことが多い中、水泳は上手だったんです。得意なことを伸ばしてあげたくてスクールに問い合わせたら「障害者はだめです」と。
「息子は言うことも聞くし、人に暴力をふるったりもしません」って説明したんですけど、「うちは一般のスクールなので入会できません」と言われてすっごく悲しかった。3件問い合わせて、ようやく通えるところが見つかりました。
そのときに初めて「障害ってこういうことなんだ」と思ったんです。人と一緒のことができても、障害があると知った瞬間に「あ、無理」と言われるんだなって。
障害は社会が生み出している
ーー岸田さんは「歩けない自分が悪い」と思っていたところから、どう意識が変わっていったんですか?
岸田ひろ実:きっかけは、車いす生活になって3年後に、ユニバーサルデザイン※を専門とする株式会社ミライロに入社したことです。
※ユニバーサルデザイン:文化や言語、国籍、年齢、性別の差異、障害や能力に関わらず、誰もが利用しやすい、施設、製品、情報のデザインのこと。(ミライロ公式サイトより)
当時、スタッフたちと外食する機会が多かったんですが、私はやっぱり「迷惑かけるかも」って遠慮しちゃうんですよ。「あのラーメン屋に行きたいって言ってるけど、階段あるしやめとこうかな」とか。でも、みんなが「行ったらいいやん」「何とかなるって」と連れて行ってくれる。そこにすっごい階段があっても、男性スタッフがひょいっと抱えて「行くでー!」って。
岸田ひろ実さんが車いす生活になった当時の心境を語った「TEDxKobe」のスピーチ。
岸田ひろ実:ミライロは「障害は、個人ではなく社会にある。だから私たちは社会の方を変えていかなきゃいけないんだ」と発信していて、「そうか、自分じゃなくて社会に障害があるんだ」と思うようになったんです。まわりにバリアフリーな環境や、誰かが助けてくれる状況さえあれば、障害はなくすことができる。そう気づけたことで一気に選択肢が広がって、未来に希望が持てるようになりました。
ーー「障害の社会モデル※」の考え方ですね。一ノ瀬さんは高校生のとき、その「社会モデル」をテーマに英語スピーチコンテストに出場し、全国優勝されています。
※障害の社会モデル:障害とは個人の心身機能にあるのではなく、社会の作りや仕組みにあるという考え方。反対に「個人に障害がある」という考え方は個人モデル(医学モデル)と呼ぶ。
一ノ瀬メイ:コンテストに出ようと思ったのは、全国で優勝しないと私の考えは聞いてもらえないと思ったからです。でも最初に出たとき、自分の経験を交えて「こういう風に社会を変えたい」と話したら、全然響かなかった。審査員にも「それはあなた個人の問題」と言われてすごく悔しかったんです。
どうやったら「みんなで変えていくべき社会全体の問題」と考えてもらえるか、悩んで母に相談しました。母は私が生まれた後、イギリスの大学院で障害学を学んでいます。アドバイスをもらい、2回目の出場で障害の個人モデルと社会モデルをスピーチに盛り込んだところ、優勝することができました。
全英連「第8回 全国高等学校英語スピーチコンテスト」での一ノ瀬メイさん(当時高校3年生)
一ノ瀬メイ:その中で例えとして、「もし目の悪い人がメガネのない社会に住んだら、障害を持たされることになる」「言葉が通じない国に行ったら、誰もが能力的な障害を持つことになる」と話しました。多くの人が経験しているエピソードを入れ、自分事として捉えてもらえるよう工夫したんです。
岸田ひろ実:そう考えると、今のコロナ禍の社会は障害の疑似体験になっていますね。自分は何も変わってないのに、コロナで社会の方が変わってしまった。満員電車に乗れなくなったり、行きたい場所に自由に行けなくなったり。
でもそれって、障害のある私たちがもともと持っていた制限なんですよね。社会の不自由さを感じる人が増えた結果、オフィスや大学のリモート化が進みました。今まで障害のある人たちが何十年と訴えても変わらなかったものが、この半年で一気に動いた。社会を変えるには、多くの人が「私たちみんなに関わる問題」として考えることが重要なんだと、改めて思いました。
海外で感じた特別扱いされない心地よさ
オーストラリアの水泳チーム「USC Spartans」練習風景。手前が一ノ瀬メイさん。
ーー一ノ瀬さんは現在、オーストラリアを練習拠点にしています。日本とどのような違いがありますか?
一ノ瀬メイ:オーストラリアでは、腕が短いからって特別な目で見られることはないですね。他の人との違いで、型にはめられること自体が少ないかも。スポーツに関しても、障害のあるなしに関わらず、小さいときからみんな同じ試合に出場できます。
パラリンピック選手は、色んな人たちが集まっていることから「マルチクラスアスリート」と言われていて、「障害者」とひとくくりに呼ばれることはありません。車いすの人、腕が短い人、弱視の人など、個人として違いがあるのに同じカテゴリーで考えるのって不自然だから。オリンピックとパラリンピックのメディアの取り上げ方も同じぐらいです。
一ノ瀬メイ:反対に日本は、パラリンピックとオリンピックの差がすごく大きいと思う。健常と言われる人が出る大会に私は出場できないし、できたとしても、バタフライで両手タッチするルールが私は守れないので失格になります。だから試合はいつも別で、メディアの取り上げ方にも差が出ています。
大学を探していたときも、私はインターカレッジ(全日本学生選手権)に出られないから、スポーツ推薦で受け入れてくれる学校がなかなか見つからなかった。そんな中で、近畿大学の山本貴司監督が「一緒にやろう」と言ってくれたんです。監督は現役時代、カナダでパラリンピック選手と同じチームで練習していたことがあったそうです。パラリンピック東京開催が決まってからも、そういう日本の状況はあまり変わってないと思います。
ーー岸田さんは、日本と海外の違いを感じたことはありますか。
岸田ひろ実:私が車いすで初めて行った国は、ハワイなんですよ。まず、知らない人が普通に挨拶してくれることに驚きました。日本では「大丈夫ですか」とか「お手伝いしましょうか」と声をかけていただくことが多いですが、ハワイでは普通に「こんにちは」とか「いい天気だね~」って挨拶されて。
お店でも、日本だと店員さんがわざわざレジの外に出てきて、ひざまずいてお釣りを渡してくださる。ありがたいというか、私は何だか申し訳ない気持ちになるんですね。ハワイではレジの上から普通に「Thank you」って渡されて、その普通さがすごく嬉しかった。
ハワイにて、ダイヤモンドヘッドと記念撮影をする岸田ひろ実さん。乗っているのはビーチ用の車いす。
岸田ひろ実:アメリカには、1990年に制定されたADA法(障害を持つアメリカ人法)という法律があります。公の施設はバリアフリー化が義務付けられているので、一人でも出かけやすい。それに加え、みんなが車いすに乗っている私を「個人」として見てくれてるなと、心のバリアフリーも感じました。
仕事で行ったシェラトン ワイキキホテルでも、スタッフはみなさん「困ってることない?」「助けが必要ならいつでも言ってね」とフレンドリーでした。そこで「何か特別な研修を受けてるんですか?」と聞いたら、「何それ?」と返ってきたんですよ。
「そんなこと考えなくても、困ってそうな人がいれば声をかけたらいいし、相手が誰でもできることを精一杯やるだけ」と。つまり、「障害者だからこう対応しなければいけない」とは思ってないんです。私も常に困っているわけではないから、「誰であっても困ってるなら助けるよ」という感覚がとても心地よかったです。
障害はがんばって乗り越えるもの?
トレーニング用の義手を付けて筋トレを行う一ノ瀬メイさん。義手を使って練習するパラリンピック水泳選手は、日本では彼女がはじめて。(動画)
ーー日本では個人にスポットを当てるより、「目標に向かってがんばっている障害者」というフィルターを通して報道されることが多いですよね。
一ノ瀬メイ:今、障害者と呼ばれる人たちのメディア露出が、ほとんどパラリンピック選手になっていることは危険だなって思います。「この人は障害を乗り越えてこんなにがんばっている」という単一のストーリーしか伝わらないのってすごく危ない。
私がメディアに取り上げてもらうようになってから、母にずっと言われてることがあるんです。「自分がパラリンピック日本代表だからって、絶対に障害者を代表した気になって発言してはいけない。みんながみんな、何かひとつのことに夢中になって成功するわけじゃないし、がんばらなきゃいけないわけでもない。常に色んな人がいることを頭に置いて発言しなさい」と。
私も、片腕の短いお子さんがいる人に「この子もメイちゃんみたいにがんばれるんだ、がんばらなきゃいけないんだ」とは思ってほしくないから、発言には気をつけています。インタビューでは、「私という人間はここに存在しているだけで価値があるし、じゅうぶん幸せだけど、今は水泳がしたいからやっているだけ」と伝えるようにしています。
岸田ひろ実:私は息子がまだ小さかったときに、神戸のスターバックスでダウン症の方が働いてるのを見たんですよ。息子がどう成長していくか不安な時期だったから、「スタバで働ける方もいるんだ」と知り、ものすごく勇気がわきました。
岸田ひろ実さんと息子の良太さん。娘・奈美さんの著書「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」刊行イベントへ向かう新幹線で撮影。
岸田ひろ実:今、実際に息子がスタバで働けているわけではないけれど、その夢を見られたことで気持ちが楽になったんです。片腕が短いお子さんがいる人の中には、メイさんを見て「こんな将来もあるんだ」と救われる人もいるはず。そんな風に希望を与えらえる存在ってすごく大事ですよ。みんながメイさんみたいになれないことは、育てていく上で分かります。でも、希望を持ちながら子育てできることに意味があるんだと思います。
「障がい者」と書くのは誰への気遣い?
ーー日本では「害」の字にネガティブな印象があるとの理由で、「障がい者」や「障碍者」と書き換えている自治体や団体があります。この表記問題についてどう思いますか。
一ノ瀬メイ:正直、「問題はそこじゃないやん!」って思います。
岸田ひろ実:そう、そこじゃないですよね。
一ノ瀬メイ:何だか、表面ばかりよく見せようとしてるのかなって。「他にもっとできることがあるんじゃない?」と思う。
個人的には、「害」をひらがなに変えることは、私たちが社会に持たされている害を勝手になくされることだと思うんです。気遣って「ひらがなに変えてあげようよ」というのは、私たちの側に障害があると思っている意識の現れなんじゃないかと。
表記を変えることより、「障害者=障害を持たされている人」という解釈が広まることの方が大切だと思います。
岸田ひろ実:私が働くミライロでも、「害は人ではなく社会に存在するもの」という考えのもと、あえて漢字表記にしています。また「障がい者」と書くと、視覚障害のある方が利用するスクリーン・リーダー(コンピュータの画面読み上げソフト)で「さわりがいしゃ」と読み上げられてしまうこともあるので。
ミライロのWebサイト最下部にある「障害」表記に関するポリシー。
岸田ひろ実:他の企業や自治体にもミライロのスタンスを説明していますが、「うちでは害を使えない」と言われることもあります。でも理由を聞くと「何となく失礼な感じがするから」と、ふわっとしているんですね。「害」がなぜ漢字表記になっているのか、ひらがな表記にすることで誰がどんな風に受け止めるのか、理解した上で発信できるのが理想かなと思います。
一ノ瀬メイ:誰かに「何で漢字表記なの?」と聞かれたとき、「障害は社会の側にあると思っているから」と説明できれば、社会モデルが広がるきっかけにもなりますね。
私は今まで、社会モデルを障害のない人に知ってもらわなくちゃと思ってました。でもさっき、ひろ実さんが「歩けない自分が悪いと思ってたけど、ミライロに入ってそうじゃないと気づいた」と話してるのを聞いて、障害がある人やその家族に対しても伝えなきゃいけないんだなって!
「社会にある害を変えていけば、みんなが生きやすくなれるよ」と言い続けることで、例えば腕の短いお子さんの両親が「この子に害があるわけじゃないんだ」と気づくきっかけにもなると思うし、すごく勉強になりました。
ゴールは「障害者」という言葉がなくなること
ーー最後に、これから社会がどう変わってほしいと思いますか。
岸田ひろ実:昔と比べて、障害がある人に対するハードルは下がっていると思います。学校でも関連する授業が増えていますし、内閣府が発表している「バリアフリー・ユニバーサルデザインに関する意識調査」の結果を見ても、「ユニバーサルデザイン」という言葉の認知度が若い人の方が高いことが分かります。
障害者だけが対象とされている「バリアフリー」に比べ、国籍や性別を問わず誰もが使いやすいものを指しているのが「ユニバーサルデザイン」という言葉なので、さっきメイさんが言っていた「障害者とひとくくりにされる」ことがなくなっていく表れだと感じています。
あなたはバリアフリーという言葉とその意味を知っていますか?
あなたはユニバーサルデザインという言葉とその意味を知っていますか?
「令和元年度 バリアフリー・ユニバーサルデザインに関する意識調査(内閣府)」より参照。(全国の男女2,500人を対象に調査)
岸田ひろ実:ただ、身近にいつも車いすユーザーや見えない人、話せない人などがいるかというと、そうではない。知識だけではなく、当たり前に障害のある子どもたちと一緒に学べる場所があればいいですよね。そうすれば、大人になっても頭の中に「障害者」というカテゴリーを持たなくなるだろうし、「障害者はこうあるべき」とも思わなくなるでしょう。
私たち当事者だけが「障害は社会にあるんだよ」と訴えても、なかなか広がりません。でも多くの人が関心を持てば、きっと社会を変えていけるはず。なのでまずは知ってもらいたいです。
一ノ瀬メイ:よく「愛の反対は無関心」って言いますよね。どう接していいか分からなくても、相手を知る姿勢があって、興味を持つこと自体が愛だと思う。それがもっともっと伝わってほしい。
人に対して差別や偏見を持ったり、優しさを持って接することができないときって、自分に対しても同じことをやってると思うんです。自分を愛せてないのに、他人を愛することはできない。私も競技生活に満足してないときは、他の選手の応援ができなかったから。
他人との違いを、まず自分自身が認めて受け入れて、初めてまわりに対しても同じ態度が取れるんじゃないかな。私はこれからも、「自分の中に愛がなければ相手にあげることはできないよ」と伝え続けて、みんなが愛を持って触れ合える社会に変えていきたいと思います。
岸田ひろ実:私もセラピーやコーチングの仕事を通して、人々の自己肯定感を高め、社会を優しくしていきたいと思っています。環境が変わったり、思いもよらない事態が起きたりするのは仕方のないこと。そこで悩みを抱えても、変わらず自分を信じていられれば、乗り越えられることはたくさんある。
私もくよくよすることが多いけど、「みんなと違うからこその、気づきや楽しみもあるんだよ」と発信して、悩んでいる人の勇気や希望になれたらいいなと思います。
一ノ瀬メイ:将来的には「障害者」という言葉自体、なくなってほしい! テレビをつけたら義足の人がお天気キャスターだったり、ドラマの主人公の友達がダウン症だったり、そういうのが当たり前になればいいな。今は、障害がある人は「パラリンピック選手」とか「何かをがんばっている人」という枠の中でしかメディアに登場しないから。
ただ、私も発信するとき分かりやすくするために「障害者」という言葉を使うことがあって。「言葉やカテゴライズをなくしたい」と言いながら、自分から「障害者・健常者」と線引きしていることにすごくジレンマを感じます。だから、今後は言葉を使わない表現手段として、モデルの仕事もやっていきたい。片腕の短い私がやったらインパクトあるし、語らずとも伝えられることがあるんじゃないかなって。
「GO Journal」2号(日本財団パラリンピックサポートセンター発刊)に掲載された、蜷川実花氏による一ノ瀬メイさんの撮り下ろし写真。
岸田ひろ実:わー、素敵! 私も、講師を務める「ユニバーサルマナー」の研修が必要なくなることがゴールだと思っています。「障害者への接し方」を学ばなくても、困っている人がいれば誰であっても手を差し伸べる社会になってほしい。
一ノ瀬メイ:障害があるから特別扱いしてほしいとかでは決してなく、誰でも社会に障害を感じたり、年を取って不便なことが増えたりしていく中で、「みんなが生きやすい世の中に変えていこう」という流れになればいいですよね。
岸田ひろ実:本当にそうですね。今日お話して、若いメイさんが発信することで同世代の人たちにも考えが届き、社会を変える力になっていくんだろうと強く思いました。
最後に
対談にもあったように、コロナ禍の制限はまさに「世界中に障害がある状態」と言えます。2020年は多くの人が不自由を訴えることで、障害を取り除く方法が次々と生まれました。きっと、その延長線上に「誰もが生きやすい社会」があるはずです。
この対談を読む前と後で、あなたの「障害」に対するイメージは変わったでしょうか。ちなみに、12月3日は国連が定めた「国際障害者デー」です。障害のある人も、平等に社会参加できる世の中を目指して制定されました。
優しい社会を作る一歩として、まずは自分に優しくなること。そして、社会にある障害について興味を持つこと。この2つを、今日から始めてみてほしいです。
取材・文:ヒトミ・クバーナ
企画・編集:人間編集部
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