2018.07.04
「劣等感が私を強くした」休学を経て近大に帰ってきた学生起業家の思い
- Kindai Picks編集部
9753 View
女性の学生起業家がいると聞き、今回取材したのは近畿大学薬学部8年の西井 香織さん。8年? なぜ……? そう、西井さんは最近、2年間の休学を経て復学したばかりなのです。
幼少期のいじめによって芽生えた反骨精神、休学と起業を決意した理由、そして復学した現在のお話までたっぷりと伺ってきました。
この記事をシェア
近畿大学薬学部8年/NEWRON株式会社代表取締役CEO
1992年大阪生まれ。2011年近畿大学に入学。音楽系のイベントを開催する「NoName.」、メンズファッションに特化した「BFC」といった2つの学生団体を立ち上げ、事業化のため6年生で休学。今年5月に復学し、現在は授業や国家試験に向けた勉強のかたわら会社経営にも力を注ぐ忙しい毎日を送っている。
友だちがほしかったから、学生団体を立ち上げてみた
――まずは、西井さんが近畿大学を選んだ理由を教えてください。
昔から喘息やアトピーなどで病院通いをしていて、薬に助けられる機会も多かったんです。治療を受ける中で薬をつくる過程に興味が湧き、実家のある堺市から通える近畿大学を選びました。
――入学当初のキャンパスライフはいかがでしたか?
うまく友だちをつくることができませんでしたね。なぜかというと私、子どものころいじめられていたんです。学校のクラスにひとりはいじめられっ子がいませんでしたか? それが私です。竹馬で殴られておでこにハリー・ポッターみたいな傷ができたりしたんですよ。だから、人との関わり方がわからず、大学生になっても心を開くことのできる友だちがなかなか見つかりませんでした。
――学生起業家と聞いて、ポジティブで、人付き合いが得意で……という人物を想像していました。友だちができないと、大学生活が辛くなってしまいそうですよね。
居場所を見つけたいと思ってサークルを8つ掛け持ちしましたが、やっぱり人に対してどこか壁を作ってしまっていましたね。でも、サークルに馴染めなかった後も諦めず「自分で主催したらどうか」と、2年生の夏に学生団体「NoName.」を立ち上げました。いじめの経験があって、ずっと「いつか見返してやる」と思って生きてきたから、劣等感が行動力に繋がったんだと思います。
――学生団体ではどんな活動をしていたのですか?
関西圏のいろんな大学からメンバーを募り、主に音楽関係のイベントを主催していました。開催2回目にして約1000人の観客動員に成功し、その後もイベントを定期的に開きました。 ほかのサークル活動は続かなかった私にとって、これが初めての成功体験になりました。友だち0人から始めて1年半後には30人以上の仲間ができ、引退時には仲間から「この団体のおかげで仲間ができた」と言ってもらい、新しい繋がりをつくっていく喜びを感じました。
――引退後、学生団体をもうひとつ立ち上げていますね。
「NoName.」を後輩に引き継いだ後は、メンズファッションに特化した団体「BFC
をスタートさせました。異性からのいじめの原因となった自分の見た目にコンプレックスがあったから、外見で勝負するファッションの世界にも挑戦してみたくなったんです。
ファッションショーの開催やメンズモデルの派遣などに取り組んだ
――人と深く関わるのが苦手と感じつつ、自分から人との出会いを広げていっていたんですね。
たぶん、まだ会ったことのない人には「わかり合えるかも」という希望を持っていたんだと思います。それに、自分には人と人を繋ぐことが向いているというか、唯一できることというか。自分に自信がないから「私と話すよりほかの人を紹介します」って思ってしまうんですよね(笑)
休学と起業を決意させた「死ぬかと思った」ヒッチハイク
――休学と起業の経緯を教えてください。
学生団体の活動に力を入れていた一方で、この先は普通に大学を出て、就職して……と何となく考えていました。でも5年生の時、それまで第一志望だった製薬会社のインターンシップに参加して、イメージとのギャップを感じてしまって。そのうえ、学生のうちに起業することって、デメリットはなくてもメリットが多い。時間もあるし、万一失敗しても軌道修正してまた違う道にチャレンジできるんです。それで、就活や国家試験で忙しくなる前に休学して、東京に拠点を移した上で団体の事業化を目指すことにしました。
――休学も起業も、学生にとって大きな決断ですよね。
さすがに少し迷いました。決心がついたきっかけはヒッチハイクです。そのころ、学生のうちに経験したいことのひとつとして何度か挑戦していたんですよ。車に乗せてくれた同年代の人と将来の話をしたり、Tシャツの背中に夢を書いてもらったり。明日どこにいるかわからないけど、自分の足で進むしかないところが人生と似てるなと、ヒッチハイクからたくさんのことを学びました。
はじめは仲間と一緒に、最後にはひとりで、何度もヒッチハイクを経験
――「ヒッチハイクをやってみよう!」とすぐにチャレンジしてみるのも、さすがの行動力ですね。
でも、楽しいことばかりでは終わらなかった。協力してくれた男性に襲われかけて本当に「死ぬかも」という体験をしたんです。それまではずっと劣等感を糧に頑張ってきました。でも「人はいつ死ぬかわからないんだ」と実感すると同時に、毎日をそれだけのために費やすのはもったいないことにも気づかされたんです。マイナスの原動力は大きなパワーを生むけれど、幸せにしてはくれないんですよね。「もっと心からワクワクできることに力を注ごう」と決心がついて、休学に踏み切りました。
「0から1を生み出す場所をつくり続けたい」
――どんな会社を立ち上げたんですか?
「新しい繋がり」を生み出すことを目指した「NEWRON株式会社」を立ち上げました。例えば、企業が新しいサービスや商品を開発する時はマーケティングを行いますよね。ターゲットが若者であれば、その年代からの多角的な意見を必要とします。そこで当社では、私が培ってきた企画力や集客力を活かし学生を中心としたグループインタビューを開催するなど、企業に向けたマーケティングの場を提供します。
――やりたいことが見つかって、軌道にも乗ってきた。「このまま大学を辞めようかな」とは思いませんでしたか?
それは考えませんでしたね。大学の卒業、薬剤師の国家試験合格は両親との約束だったんです。最初は学生団体を立ち上げることすら「学業に専念しろ」と反対されていたんですよ。だから今は、朝から晩まである国家試験対策授業の合間をぬって、東京にいる仲間と事業を進めています。反対していた母が今では経理を手伝ってくれているんですよ(笑)
――現在はビジネスコンテストやKINDAI student サミットなど、学内でも精力的に活動していますね。
得るものが多いですね。多学部を備えたマンモス校だから、様々な専門分野の職員の方に相談できます。学生や職員の方との繋がりが広がっていくと「近大で良かった」と心底感じますね。今、密かに掲げている目標は「卒業までに近大生の三分の一の人と友だちになること」なんです(笑)
――今後の展望を教えてください。
まだ社会経験のない学生の力では、社会の枠組みの中でアイデアを実現させるのは難しいんです。一方で、学生ならではの若い感覚を求める企業は少なくありません。私たちの会社が架け橋となって両者を繋げられたらと、オープンイノベーションのリーディングカンパニーを目指して頑張っています。また、せっかく学んだ薬学の知識を活かしたヘルスケア領域にも挑戦したり、関西にも拠点を立ち上げたりと、今手がけている事業にとどまらず、大阪で学生をしているからこそできることにも目を向けていきたいです。
――ありがとうございました。
「劣等感が原動力だった」と繰り返し語った西井さん。幼いころ芽生えたそれは今、学業にも、事業にも努力を惜しまない大きな力に成長した印象でした。今後も、新しい世界に挑戦し続ける西井さんから目が離せません。
▼参考リンク
NEWRON株式会社
(終わり)
取材・文:山森 佳奈子
写真:黒川 直樹
編集:人間編集部
この記事をシェア