
三浦 心暖 (みうら こはる)
近畿大学経営学部 4年生
近畿大学体育会 柔道部。女子78kg級
2004年、埼玉県生まれ 。21歳
兄の影響で小学2年から柔道を始め、小学4年で県大会優勝。小学6年で全国大会に出場し16強進出、中3の全国中学生大会で3位。埼玉栄高校から近畿大学経営学部へ進学。
今年(2026年)の近畿女子柔道選手権大会を勝ち上がり、皇后盃全日本女子柔道選手権大会に出場した。

オトゴンバヤル フスレン
近畿大学経営学部 4年生
近畿大学体育会 柔道部。女子78kg級
2004年、モンゴル生まれ。 21歳
13歳の頃にモンゴルで柔道を始める。
長野県・佐久長聖高校に留学。近畿大学経営学部に進んだ。
主な成績は、2022年グランドスラム・ウランバートル3位、2023年世界ジュニア選手権5位、2024年アジア選手権3位。
2024年パリオリンピック柔道女子78kg級出場。
柔道が好き。その気持ちだけで歩み続けてきた
——まずは柔道を始めたきっかけから教えてください。
三浦
小学校2年生の頃に、年子だった兄が柔道をやるようになって、カッコいいなと思ったのがきっかけです。私もすぐに、地元の柔道教室に通うようになりました。
フスレン
お爺ちゃんがモンゴル相撲をする人でした。兄妹の中では私が1番体が大きかったので、お母さんから「柔道やってみる?」と言われて、やるようになりました。13歳の頃です。
柔道を始めたのは小学2年生の頃。すぐに頭角を現した三浦さんは、小学3年生の時に出場した秩父神社奉納 埼玉県下武道大会(柔道の部)で優勝。その後の活躍につながっていきます。
13歳のジェニファーさん(フスレンのミドルネーム)は柔道を始めてわずか2日目に出場した「全モンゴルカデチャレンジ大会」というジュニア大会で優勝。写真は、その時の記念に撮影した1枚。
——小さい頃から活躍していたんですか?
三浦
埼玉で育ったのですが、小学4年生で県大会で優勝することができました。全国大会に出たのが小学6年生の時です。全国でベスト16に入りました。
フスレン
最初は本当に楽しくて、友達がいっぱいできて、毎日、練習に行くのがワクワクしていました。モンゴルは柔道が盛んなので、県大会だけでなく、いろんな大会がありました。全国大会につながる大会もあれば、そうではない普通の小さな大会もあるんです。最初は負けてばっかりでしたが、どんどん結果が出るようになってきました。大会で優勝できるようになってからは、さらに柔道が楽しくなりました。柔道を始めて1年ちょっとくらいで、日本の高校から声をかけてもらいました。お父さんと佐久長聖高校の部長さんが出会って、それで「日本の高校でやってみない?」という話をもらいました。
——まだ柔道を始めたばかりで、当時からすごい選手だったのですね。
フスレン
そんなにすごくはなかったです(笑)。ちょっと話が長くなるんですけど、自分のお母さんの従兄弟がモンゴル相撲でレベルの高い人で、日本で手術をしたこともあったり、(日本と)つながりがあったんです。その時に柔道界で活躍をしていた朝比奈沙羅さん(世界柔道金メダリスト)のお父さんが病院の先生で、母の従兄弟のお父さんが朝比奈さんのお父さんに手術をしてもらい、従兄弟が朝比奈さんのお父さんに私のことを紹介し、柔道ができる高校を紹介してもらいました。自分が佐久長聖高校で初めての留学生でした。
——三浦さんは埼玉栄高校出身ですね。柔道で上を目指したくて進学を決めたのですか?
三浦
埼玉栄は中学もあるのですが、やはり私立は学費も高いので簡単に通える環境ではありませんでした。中学は地元の公立に通いながら、埼玉栄の高校生と一緒に練習ができるようにしてもらっていました。だからといって、埼玉栄高校の柔道部には簡単に入れるわけではなくて、大会で結果を残さないと推薦入学の条件を満たせなかったんです。その条件が全国大会で3位以上だったので、中学3年の頃は必死に練習に取り組んでいました。最後の全国中学生大会で全国3位に入ることができて、埼玉栄高校に入学をさせてもらいました。高校には実家から通っていました。高校の頃は1年はコロナ禍で試合がなくて、2年では結果を残せませんでした。3年になって県大会で優勝して、インターハイで3位に入っています。
——ジェニファーさん(フスレンのミドルネーム)も高校時代は、日本の環境に慣れるのに大変でしたか?
フスレン
高校に入って日本に来るまでは、全く日本語はしゃべれませんでした。こっちに来てから日本語を勉強して、いろんな人から教えてもらいました。最初はとっても大変でしたね。全然知らない場所に来て、全然知らない人ばかり。毎日、1人で泣いていました。やっと1年生の終わりくらいに、少し(日本語を)しゃべれるようになりました。高校2年で県大会で優勝したけど全国大会では負けちゃいました。3年の時に団体メンバーで全国3位になりました。
——高校生の頃はお互いのことを知っていたんですか?
三浦
高校3年のインターハイの団体戦で、ジェニファーが大将で出ているのを見ていました。強いっていう噂は聞いていたので、意識をする存在でした。
フスレン
彼女が個人戦で3位になっていたので、他の人から「強い子がいるよ」って聞いていたんです。私はその大会で個人戦には出ていなかったです。
同じ階級、同じ夢。最高のライバルとの出会い
——2人とも同じ大学に入学をして、巡り会うことになるんですね。近大はどんな印象でしたか?
三浦
同じ階級だったので楽しみだなあって思っていました。近畿大学にはスポーツ生を支援してくれる方がたくさんいるので、いい環境があると思っていました。もう1つ(他大学から)話はあったのですが、もう近畿大学に行くと決めていました。埼玉栄の先輩も入っていて、環境がすごくいいのは知っていましたし、4年間、ちゃんと柔道と向き合えるから入学することに迷いはなかったです。入ってみてからも、本当にその通りだなと感じています。
フスレン
モンゴルではスポーツマネジメントはまだあまり知られていなくて、それを学ぶことができるのが近畿大学を選んだ大きな理由の1つでした。モンゴルに戻った時に、スポーツマネジメントを自分がたくさんの人に広げたい。女子柔道部に自分たちの学年は9人いますが、全員が仲良しです。辛いこともたくさんありますが、楽しいことのほうが多いです。
——どんな学生生活を送っていますか?
三浦
全員寮生なのですが、寮生活はとても充実しています。全体練習は午前8時半から11時半までで、その後に個人でトレーニングをします。授業は7限まであるので午後9時過ぎまで学校にいることもあって、寮に帰ってご飯を食べてすぐ寝ています。自分は勉強が苦手なんですけど、監督からは「苦手でも分からないことを分からないままにしないことを心がけなさい」と言われているので、勉強はするようにしています。基本的に日曜日が休みですが、休みでも朝は8時には絶対に起きています。特に遊びに行くこともなく、友達とご飯を食べに行くくらいですね。
フスレン
自分は休みの日はいっぱい寝たり、ご飯を食べに行ったりしています。時間があれば遊びにも出かけています。日本にいる生活は残り長くはないので、できるだけいろんなものを見に行きたいなあって思っているんです。勉強の面で心がけているのは文武両道。自分は日本人じゃないから、これまでも日本語を精一杯やらないと付いていけなかった。高校と大学の授業では日本語のレベルが違うので、ちゃんと授業に集中しないと分からないことが多くなってしまう。分からないことがあればすぐに調べて、友達に「この言葉はどういう意味なの?」とか聞いています。
——最近の大会の結果はいかがですか?
三浦
5月に尼崎市で開催された関西学生女子柔道優勝大会は、団体戦としては学生最後の大会でした。たくさんの方々が応援に来てくださり、自分たちが大学に入学してから、これだけ大勢の人たちに支えられて競技をしてきたということを改めて感じることができました。すごく印象に残った大会です。試合の直前にもOGの方々がわざわざ練習にまで来て下さって「応援しているからね」と背中を押してくれました。会場には男子相撲部のみんなも応援をしてくれていました。優勝を目指して戦いましたが、結果は3位でした。優勝をした龍谷大学に準決勝で負けてしまいました。自分は大学3年から団体戦のメンバーに入れて頂いて、昨年も3位でした。1年間、優勝を目指してやってきたのに、それでも勝ちきれなかったことがすごく悔しかった。たくさん練習をして、今年こそ勝てると自信を持っていました。それだけに悔しさが残る大会でした。
フスレン
自分は8月に個人戦があるので、今回の団体戦は応援組でした。精一杯、みんなの応援をして、3位だったけどいい試合が出来ていたと思います。
夢だった五輪。すぐ側で見つけた新しい目標
——五輪を目指すようになったきっかけを教えてください。
フスレン
オリンピックはすぐに出れるものではないんですよ。大学1年の時から頑張って、大学からもサポートをしてもらったおかげで出れるようになりました。モンゴルの全国大会で結果を残して、世界選手権の出場権をつかんで、そこでオリンピックのポイントを稼がないといけない。モンゴル国内で勝てても、世界大会でも活躍しないと出れないのがオリンピックでした。2022年のモンゴル・ウランバートルグランドスラムで3位に入ることができました。そこからいい結果が出ない時でも諦めずにやってきました。次の年に中国であったアジア競技大会で5位になって、やっとでした。それまでの苦しい道のりは、自分にしか分からないから。やっとオリンピックの切符をもらえたなあ、と思いました。
——いつも一緒に練習をしていた選手が五輪の舞台に立っている。どういう思いで見ていましたか?
三浦
すごく嬉しかったです。すごいなあ、という気持ちと同時に「じゃあ、ジェニファーを倒せば自分もオリンピックに立てる選手になれるんだ」って、そう意識するようになりました。
——初めて立つ五輪で、どんな景色が見えていましたか?
フスレン
ここ(五輪)の畳に立つことを目指してきましたから。ここが私の生きる道だと感じました。まずは1回戦の相手に勝つことだけを意識していました。オリンピックは4年に1度しかない大会で、全員がここまでのベストの状態に仕上げてきます。1回戦はバネッサ・チェラ選手(エクアドル)に勝つことができましたが、2回戦でインバル・ラニル選手(イスラエル)に負けました。今まで見た景色とは全く違う景色でした。
——ジェニファーさんが五輪に出場したことでチームに変化はありましたか?
三浦
同学年で、しかも同じ階級ですから。オリンピックに出た選手が身近にいるということは、とてもいい環境だと思うんです。自分は大学に入ってから結果が出ずに悩んでいました。山下まゆみ監督(2000年シドニー五輪銅メダリスト)に指摘されたことと向き合いながら、柔道を真剣に取り組んでいます。無差別級の「皇后盃全日本女子柔道選手権大会」は目指してきた大会の1つなので、今年の春にそこに出ることができたことで少しは強くなったという自信がつきました。ジェニファーの存在は本当に大きいです。
フスレン
自分も同じ学年で、同じ階級にいいライバルがいる。努力をたくさんして、実力もある選手なので、そんな強い選手と4年間、毎日一緒に練習ができているのはとてもいいこと。練習からバチバチで、いろんな話を聞いてもらったり、アドバイスをもらうこともあります。柔道を真剣にやっているうちは後悔のないように、引退した後に「もうちょっとやれば良かった」などとは思わないように、今をしっかりやっています。
互いを高め合える存在が、日々の成長の糧
——近大女子柔道部はどんな雰囲気ですか?
三浦
1年生の頃から先輩、後輩の仲がとても良かったです。今年の代もチームワークが良くて壁がないので、お互いに相談がしやすく、刺激をし合える仲間がいます。最初は上下関係があるのかなあと思って入学したのですが、全然違いました。みんな優しいです。
フスレン
自分も同じで先輩、後輩の壁がないと感じています。最初は大学は上下関係がヤバいんだろうなあと思っていたんですけれど、なかったです。チームには私の他にもう2人、モンゴルからの留学生がいて、最初に「頑張るゾー」という日本語を覚えて、みんな活躍しています。
2026年5月に開催された関西学生女子柔道優勝大会の前日に撮影した集合写真。山下監督から一人ひとりに贈られたお守りが、全員の気持ちを一つにし、結束力をさらに高めました。
——普段の食生活でのこだわりがあれば教えてください。
三浦
入学した頃は78キロ級なのに、72キロしかなかったんです。もっと体重を増やさないといけなかったので、栄養士の方に月1回、指導をしてもらっていました。練習の後にすぐ栄養補給をする、間食を増やす、何を食べたかを栄養士の方に送るようにして79キロまで増やしました。間食はおにぎりと鉄分入りのヨーグルト、食べやすいようにプリン。プリンにはタンパク質が入っているので、プロテインのような栄養が取れるんです。でも生クリーム入りはダメで、焼きプリンならOK。通常の食事では1食でお米を2合は食べます。苦痛にならないように工夫をしながら増量していきました。
フスレン
自分はもともと食べてしまうタイプで、逆に減量をしないといけないんです。ご飯の量を注意しながら、試合前になると食べる量を減らす。練習をたくさんやって、汗をかくようにしています。エアロバイクを1回で30~40分こぐようにしています。
一緒に目指すゴール、いつか両親へ恩返しを
——それでは最後に、今までの柔道人生で最も辛かったこと、そして、今後の夢があれば聞かせてください。
三浦
大学に入ってから2年生の近畿ジュニアに出場した時のことです。勝たなきゃいけない大会で1回戦負けをしてしまいました。その時に初めて親に連絡をして「もう柔道は辞めたい」と伝えました。自信を失ってしまい、大会に出ても勝てなくて。試合になると勝てないかもしれないという不安な気持ちが出ていました。そんな時期に周りの方や、山下監督が向き合ってくれて、たくさん叱られたこともありました。監督から言われたのは、「生活面から適当なことをしていると勝てないよ」という事でした。朝ごはんを食べずに練習に来たり、アスリートとしてやってはいけないことをしていました。うまくいかないと「どうせ無理だ」と投げ出してしまうことも多かったです。昨年の全日本学生でも個人戦で1回戦負けをしました。その時も山下監督から「このままではダメだ」と言って頂き、自分もこのままでは後悔をすると気づきました。その大会は両親も見に来てくれていたんです。大学4年間で柔道は辞めようと思っていましたが、両親は大学卒業後も実業団でも柔道を続けて欲しいと考えていたようです。恩返しをしないといけないと思ったのは、その時でした。その後に実業団から声をかけてもらって、こんな自分でもまだ柔道ができるんだ、それなら精一杯やろうと考えています。
フスレン
高校の頃にケガもあって、もう故郷に帰ろうと思ったことがあります。長めにモンゴルに戻って、両親には柔道も、日本の学校も辞めたいと伝えました。親は「自分が決めたのなら、それでいい」と言ってくれましたが、少し時間が過ぎた頃、お父さんが「まず高校を卒業するまでは頑張ってみろ」と言葉をかけてくれて、それで日本に戻ることになりました。それから日本の友達が仲良くしてくれて、支えてくれたんです。柔道を続けることができたのは、それがあったからです。
大学でもオリンピックが終わってから肩を手術しました。大学3年では1年間ほとんど試合に出ていないですし、練習もできなかった。やっと復帰してからも、前と感覚が全然違っていました。その時は「キツイなあ」と思いました。
でも、夢があるんです。またオリンピックに出たいし、3位以内に入りたい。それが今の目標です。できれば、オリンピックで優勝がしたいです。
三浦
ジェニファーがオリンピックに出たことは、自分の目標を具体的に持つきっかけになりました。明日から柔道を辞めるとなった時、「本当に辞められるの?」って思うんです。結局、辞められない。自分は柔道が好きなんです。両親には恩返しをしなきゃいけないと思っています。
~監督 山下まゆみの言葉~
もっともっと成績が残せる選手だということは、常日頃から本人に伝えています。
日常生活で当たり前のことを当たり前にできない選手なら、日本一になるための努力はできない。
いい加減なことをしていたら、競った試合の時に出てしまうのです。
私生活と柔道は繋がっているので、それは選手にいつも伝えています。
取材:西尾彰彦
文:益子浩一(株式会社SUN LOGUE)
写真:栗山朋久
編集:株式会社アド・ダイセン