2026.10.03
怪我を乗り越え、全日本2冠。近大から世界へ挑むプロテニス選手の現在地

- Kindai Picks編集部
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テニスで2023年にプロ転向した田口涼太郎選手は、世界への挑戦を続けています。怪我に苦しんだ2025年シーズンは、復帰後に「第100回全日本テニス選手権」に出場し、シングルスとダブルスの両方を制する「ダブルクラウン」を達成。世界の壁に直面した葛藤と、それでも失われることのない夢、近大での学生生活まで、素直な胸の内を聞きました。
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2000年6月30日、長崎県生まれ。
近畿大学経営学部卒業後の2023年にプロ転向(所属:Team REC)
主な戦績として、2023年 全日本テニス選手権 ダブルス準優勝、2024年 全日本テニス選手権 シングルスベスト4、2025年 第100回全日本テニス選手権 シングルス・ダブルス優勝(ダブルクラウン)。
長崎県でテニススクールを運営する父のもとで競技を始め、大分舞鶴高校から近畿大学へ進学。在学中は全日本学生室内テニス選手権などで活躍し、大学4年時には実業団への内定を辞退してプロ転向を決断。
世界各国を転戦しながら世界ランキング上位を目指して挑戦を続けている。2025年には右足首の大けがで長期離脱を経験したものの、復帰後の第100回全日本テニス選手権でシングルス・ダブルスの2冠を達成。大会史に残る快挙を成し遂げ、国内トップ選手として存在感を示した。現在はグランドスラム出場を目標に世界を舞台に戦い続けるとともに、「応援してくれる人への恩返し」を胸に、さらなる飛躍を目指している。
「プロになろう」と思っていなかった大学4年生。添田豪プロとの一戦が人生を変えた
——プロテニス選手になったきっかけを教えてください。もともと、僕はプロになりたいと思っていなかったんです。大学4年生の10月末にあった全日本選手権が、最後の大会になるかなと思っていました。その大会の2回戦で、テニス界のレジェンドとも呼ばれている添田豪プロ(四大大会に複数回出場)と対戦したことがきっかけでした。その試合が添田プロの引退試合でした。勝てはしなかったけど、僕が小さい頃から知っているプロ選手といい試合ができた。すごく楽しくて、ここで辞めるのはもったいない。プロになるのもいいな、という気持ちが芽生えていました。九州電力さんから内定をもらっていて、それから1ヶ月ほどは本当に悩みました。12月に入ってからプロになることを決めて、内定をお断りしました。
大学4年生時、全日本選手権の2回戦で添田豪プロと対戦。写真は対戦前の1枚。「試合前は緊張しました。ボコボコにやられるだろうなと思いながら試合に臨みましたが、徐々に緊張もほぐれ、良い試合ができたと思います」と田口選手。——背中を押してくれた人はいましたか?
寺前(知)監督(現総監督)、田頭(健斗)ヘッドコーチは、プロ経験があるので相談をさせてもらっていました。「スポンサーが見つかるのなら、プロになったほうがいい」。そう言われていて(スポンサーを)探そうか、と考えたことはありました。
今思えば、プロに行って良かったと思います。あの時に社会人として就職をしても、おそらく続けることはできなかったでしょうね。どこかで、まだテニスがしたかったという後悔が残っていたんじゃないか。今はプロになって4年目ですが、内定をお断りをした九州電力さんに恩返しがしたいと思いながら、結果を出したいと考えています。
「早稲田を倒したい」。近大での出会いとコロナ禍がプロへの土台をつくった

——近畿大学に入学したことが、プロ選手としての基盤になったのですね。
高校3年の頃、最初は近大からは声がかかっていなかったんです。もともとは早稲田を受験していました。大学テニスは早稲田か慶應が強くて、特に早稲田は日本一を10連覇以上していた時期でした。当初は僕も行きたかったのですが、早稲田を受験して落ちてしまったんです。どうしようか悩んでいた時に、すぐに連絡が来たのが寺前監督からでした。とても熱いお誘いを受けて、「近大でテニスをやるのもいいなあ」と思って、逆に「早稲田を倒したい!」という気持ちが芽生えました。「近大に来たら早稲田を倒せるじゃないか」ー。寺前監督にそう言われたことで、「それなら行きます!」となりました。
——学生時代を振り返って、成長につながったことはありますか?
やっぱり、モチベーションになっていたのが「早稲田を倒したい」という思いが1番でした。テニス以外でもいろんなことに取り組んで、その1つが近大でやっていた「速読」です。2年の時にはメンタルコーチの四宮(真)さんに出会って、技術面以外でも成長することができたと思います。
僕たちの世代はコロナもあって、部活動が中止になっていました。その時に大阪では練習ができなかったので、実家のある長崎に帰って練習をしていました。父がコーチとしてテニススクールを運営しているので、その時期に基礎からやることができました。約1ヶ月ほどでしたが、一気に技術が上がって、コロナ明けから勝てるようになったんです。 大学生って、やっぱり遊びたい時期もあるじゃないですか。コロナで何もできなかったからこそ、練習に打ち込むことができたんです。あの時間がなければ、結果を残すことができなかったと思いますし、テニスがうまくなる感覚をつかむことなく、普通に就職をしていました。
——いろんな「運」があって、今があるんですね。
そうですね。僕の同期にも慶應を落ちて、近大に来た子がいたんです。僕らが入学した時の4年生は強かった。1つ上には、松田龍樹プロがいます。強い先輩がたくさんいて、そういう人に勝ちたいというモチベーションがあったのも良かったです。そういう意味では、たくさんの「運」が重なってプロになれている。僕が自分からプロになりたいというよりは、導かれてプロになった。
2022年全日本大学対抗テニス王座決定試合で3位に入賞した近畿大学体育会硬式庭球部。その時の記念に撮影した集合写真。(最前列中央が田口選手) 世界を転戦するプロ生活。怪我でどん底を味わい、全日本2冠で再び前へ
——ご家族からはどんなことを言われていましたか?内定を頂いていた「九州電力」は、九州の人たちからすれば1つのブランドなんです。お婆ちゃんは「孫が九電に入ったんだよ」と言いたかったようです。両親も九電に行って欲しくて、決して「プロ推し」ではありませんでした。
テニスを始めたのは6歳。写真は、試合でプレーする10歳の田口選手。——思い描いていたプロと、今のご自身の現在地はどうですか?
めちゃくちゃ充実しています。何で最初はプロになろうとしなかったかというと、どうせテニスのプロは稼げないと考えていたからなんです。スポンサーが付いてくれても、海外遠征に行けば活動費で消えてマイナスになってしまう。不安定な生活になることは分かっていました。九州電力さんのような大企業に行ったほうがいいと思っていました。 でも実際、プロになってみると、お金以上に得るものがあります。海外でいろんな文化に触れて、食事や人間関係を含め、プロテニス選手はおもしろい。自分を成長させてくれている実感がありますし、テニスがあるだけで幸せです。

——具体的にはどんな生活を送っていますか?
テニスは世界各地、毎週どこかで試合が行われています。年間を通じて練習をして、次の遠征先に向かって、試合をすることの繰り返しです。楽しめることもあれば、ずっと勝てずに負けが続いていくと、メンタル的にもめちゃくちゃ大変になることもあります。
海外の遠征先に行っても、飛行機代やホテル代など高いお金を払っているのに、強い相手だと1時間で試合が終わってしまうこともある。
「何でこんなに(練習を)やっているのに負けるんだ?」
すごく自分がみじめになることもあります。正直なところ、楽しいことなんて一瞬しかありません。頑張らないといけないことの繰り返しですけど、勝った試合では言葉には表せないほど嬉しい。小さい成長の積み重ねと、勝った時のその瞬間があるからこそ、もう1度、立ち上がることができるんだと思います。
「何でこんなことやってんねん」と、そう考えてしまうこともあります。
人間味が出ているなあ、と感じるからこそ、また頑張ろうという気持ちになっています。
——特に苦しんだ時期もありましたか?
これまでは大きな怪我をすることがほとんどなかったのですが、昨年(2025年)はめちゃくちゃ大変な時期がありました。自身のキャリアハイを更新して、世界ランクで500位に近づいてきて、もう1つ上の世界が見えてきた頃でした。
世界ランク500位以内になると、ITF大会から、ATPチャレンジャーツアーという次のステージ(上の大会)に出ることができます。そんな時に右足首の靱帯を切ってしまい、3ヶ月くらい遠征に行けなくなってしまいました。3月後半に怪我をして、6月に復帰してからも、全く勝てなくなっていました。
「この先、自分はどうなるんだろう」
怪我をする前までの「勝てる感覚」を失ってしまって、振り出しに戻ってしまった感じでした。
「どうやったら勝てるのか?」
探り探りやり続けていた中で、本当は全日本選手権にも出るつもりはなかったんです。
やっぱり負けるのは嫌ですし、全日本選手権で日本人を相手にも勝てないと、さらに自信がなくなってしまう。だから、出ないつもりでした。
そんな中でコーチと相談して、「逆に自信をつけようや!」と言ってもらいました。これが、ある意味でターニングポイントになりました。
——2025年10月の全日本選手権はシングルス、ダブルスで優勝。2冠は2005年岩渕聡さんが達成して以来、20年ぶりの快挙でした。こうやってお話を伺っていると、田口選手は「人に恵まれている」と感じることができます。分岐点になるタイミングで、支えてくれる人、背中を押してくれる人がいるのですね。
確かに、そうだと思います。小さい頃から、僕は人に恵まれています。
ずっと世界を転戦していますが、今年はほぼ勝てていないんです。この半年間はほんまに苦しい。今は(取材時は6月中旬)負けが続いているので、少しでも長く練習をしようとやっています。
日本のテニス界は、今シーズン限りでの引退を表明した錦織圭選手の後は、次の選手が出てこないと言われている。世界で勝つことはめちゃくちゃ難しいですが、(錦織選手は)日本人として世界4位までなっている。それが、どれだけすごいことなのかが分かります。
怪我からの復帰後、自信を取り戻すために出場した2025年の全日本選手権でシングルス・ダブルスの2冠(ダブルクラウン)を達成。「5年で勝負する」。グランドスラムを目指し、世界ランキング再浮上へ
——そのような状況の今、大切にしていることはありますか。負けた時には「ほんまにもうテニスは辞めたろ」ってなることもあります。でも、すぐに切り替えて「よっしゃ、また頑張ろう」ってなるところ、人よりもテニスに向き合えることが自分の強みだと思っています。最近は栄養士にお願いをして、生活習慣から見直すようにしています。普通のことですけれど、睡眠時間を多くとる、もっとトレーニングや、体のケアに多くの時間を費やす。そこに真剣に目を向けるようになったことが、前よりも成長したところです。
もともとプロになる時に、5年で勝負しようと考えていました。それ(タイムリミット)が来年までです。長い時間をかけて上に行こうとすれば、たぶん、そこ(目的地)まで行けない。
早稲田の出身でプロで活躍している島袋(将)プロは、プロ転向後4年でグランドスラムに入っています。僕は、世界ランキングは落ちてしまっているのですが、たぶんいける。感覚はいいので、(世界ランク)200から300位までにはいけると思っているので、より集中して取り組んでいます。
グランドスラムというゴールが見える位置までやり続けようというのが今の目標です。
プロ転向前の写真。自分のゴールを確かめるため、全豪オープンへ。写真の風景は、決勝が行われるロッド・レーバー・アリーナ。田口選手は「この舞台でプレーがしたい。その夢に向かってこれからも努力します」と語ります。近大で学んだ自立と感謝。「応援してくれる人のために結果を出したい」

——大学時代のお話を少し聞かせて下さい。近大ではどんな学生生活を過ごしていましたか。
近鉄の長瀬駅と弥刀駅の中間くらいにあるアパートに住んでいました。(テニス部の)寺前監督からは、自分自身をマネジメントするために必要なこととして、寮ではなくて1人暮らしをしたほうがいいということを勧められていました。自炊もしましたが、よく同期の仲間とご飯を食べに行きましたね。
僕はうどんが大好きなので、テニス部のみんなとよく行ったのが「讃岐うどん 島八」です。お昼になると、ほぼ毎日のように通っていました。
——テニスと勉強の両立は大変でしたか?
高校時代(大分舞鶴高校)にめちゃくちゃ勉強させられていたんです。高校は下宿生活で、ラグビー部やバスケ部、カヌー部と一緒にテニス部の部員も入っていました。ラグビーも強かったので、県外からも選手が来ていたんです。その頃に勉強をする習慣がついていたので、大学に入ってからもテスト前はめっちゃ勉強をしました。1つも単位は落としていないです。割と1人で(勉強を)することが多くて、テスト前には大学の図書館にこもって、ずっとしていました。
——こうやってお話を聞いていると、田口選手は「諦めない心」が強いように感じます。
大学4年生の時にプロになるかどうかで迷っていた時、たくさんの人に意見を聞いたんです。みんな考え方はバラバラでした。両親やおじいちゃん、おばあちゃん、九州の人はやっぱり九州電力に就職をしたほうがいいと言っていました。友達や関西にいる人は「プロになったほうがいい」と。
でも、僕の人生ですから。最後は自分で結論を出しました。
「テニスがなくなるのは嫌だった」
それが答えでした。
ただ、今は自分のためにやっているというよりは、育ててくれた両親や、関わってくれた近大の人たち、就職の内定を断ってしまった九州電力の人たち、みんなに恩返しをしたいという気持ちでやっています。親がやっているテニスクラブに行くと、可愛いジュニアの選手たちがキラキラした目で真剣にやっているんです。それを見ると、「もう1回頑張ろう!」という思いになります。僕のためにお金を出してくださっているスポンサーさんもいる。応援してくれる人がたくさんいるから、そういう人たちのためにやっています。必ず、結果を出さないといけないです。

——近大にはスポーツだけでなく、あらゆる分野で挑戦する人材が育っています。学生たちへメッセージをお願いします。
今、こうやって世界の選手と戦っていると、勝つためには技術だけでなく、環境に慣れることも大切だと感じています。海外の生活に順応するのはもちろんですし、外国人選手はフィジカルが日本人とは全然違う。世界で勝つのは大変です。自分が頑張っているだけでは、世界にはより頑張っている人や、強い人がたくさんいる。
大学のスポーツは日本人との戦いなので、それほど体格に差はないと思うんです。意識を変えるだけで戦える。人よりもちょっと多く練習をする、食事や睡眠に気を配る。集中するだけで、「今までよりも勝てるようになるんだよ」ということは伝えたいです。

取材:西尾彰彦
文:益子浩一(株式会社SUN LOGUE)
写真:栗山朋久
編集:株式会社アド・ダイセン
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