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Kindai Picks トップ『ショムニ』や『あさが来た』でお馴染みの名俳優”升毅”のルーツに迫る

『ショムニ』や『あさが来た』でお馴染みの名俳優”升毅”のルーツに迫る

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Kindai Picks編集部

2017.12.01

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オリジナル記事
OB・OG・在学生
文化・芸能

多くの大学生は企業への就職を目標にキャンパスライフを行っているのではないでしょうか。でも、プロスポーツ・芸能・起業など、多様な進路を目指す学生もたくさんいるはず。”就職”ではなく何かのプロフェッショナルを目指してそれを成し遂げた人ってどんな大学生活を送っていたのか、気になりますよね。
そこで今回は近畿大学の卒業し、俳優として活躍する「升毅」さんに直撃し、どんな大学時代を過ごしてきたのか、余すとこなく聞いてきました!

升 毅 (ます たけし)
1955年生まれ、近畿大学商経学部卒(現・経営学部)
在学中の1975年にNHK大阪放送劇団付属研究所に入所し、同年にNHKドラマ「紬の星」にてドラマデビュー。1985年には立原啓裕、牧野エミらと共に、「売名行為」を結成。以後数々のドラマ・映画・舞台に活躍する。また、料理が好きで「タモリ倶楽部」等のバラエティ料理企画にも度々登場する多彩な一面も。


大学へ入学した経緯とそれから




――20歳の頃には劇団の研究所に入所し、その3年後にはTVドラマデビューと華々しい経歴ゆえに、近畿大学卒業生という点にまずは驚きましたが、そもそも役者を志した時期はいつ頃だったんですか?

物心ついた頃から、父がTV関係の仕事をしていたということもあって、役者さんという存在が身近だったんです。本格的役者になりたい!と、考え始めたのは高校三年生の頃くらいからですかね。そこから、大学へは進まず役者になりたいと両親に相談するわけですけど「かまわないが、現役で大学に入学して、4年で卒業しなさい」と、条件を出されました。それから猛勉強して、近畿大学に入学しました。

――なるほど、そういう経緯での入学だったんですね。役者になりたいながらに大学生活を送るのは、辛かったのでは?

楽しかったですよ。大学に入ったからにはエンジョイしなくちゃな〜ってな感じで。1年生の頃は、いわゆる大学ライフを楽しんでいましたね。2年生になる頃に、役者になると宣言した事を思い出し、劇団に入ろうと一念発起しNHK大阪放送劇団付属研究所に入所しました。


デビュー当時の升さん。爽やかな笑顔が素敵!


学生と役者の二足のわらじを履き、大変を楽しむ



升さんが通っていた当時の大学通り。

――大学に通いながら、ダブルスクールで劇団に通う二重生活となれば、かなりハードだったのでは?

「役者になりたい」って、気持ちが強かったから大変でも苦になることは全くなくて。大学にも友人が居たので、学校へ行くことも楽しかったですよ。劇団のレッスンがない日なんかは、近大通りで麻雀したり、みんなでミナミに行って飲み明かしたりもしましたね。あとは、僕自身が飽き性で継続することが苦手で、改善したいって気持ちもあって。せめて、大学4年間くらいは全うしなくちゃって意地もありましたね。

――飽き性改善のための大学生活って斬新ですね!ちなみに、大学時代の一番の思い出や、エピソードは?

今でこそ近畿大学もこんなに立派でお洒落ですけど、当時はまだまだ小さい大学だったし、校舎の数も少なかったし、学食の数もこんなに多くなかったんです。ただ学食には、かなりお世話になりました。サービス定食が100円でしかも美味かった。今もあるのかなーってたまに思い出すこともあります。


定食が今では考えらられないほど安かったという「学園食堂」での一コマ。

――大学に通っていて良かったと思うことはありますか?

やっぱり役者として多くの役を演じる上で、大学まで卒業していることは強みにはなりますよね。言葉を知れたり、専門的な知識を学べますから。特に年齢と共に役柄が社長だったり専務だったりと偉くなるにつれて、商経学部で学んだマーケティングや経営の知識は活かせているいるなーって思います。あとは、就職活動の時期に周りの友人が内定をもらっている中、自分は役者一本という綱渡り状態だったので、彼らに負けないくらい頑張らなきゃいけないなって発破をかけられた面もありました。あとは、今の大相撲高砂親方、朝潮の長岡君が同級生だったこともあって卒業式に報道陣が詰め掛けていて。自分もそのくらいのスターにならなあかんって思ったこともいい思い出でした。


卒業後に出会う、学生の実力に驚愕



演劇の話になると、自然と笑顔が溢れる。

――升さんの学生時代やそれ以後は、学生演劇ブームでもありましたよね。いわゆる学生劇団に対してはどんなイメージをお持ちでしたか?

僕が在学している時代の近大にも劇団はあったと思うんです。でも「自分はプロの役者やから」と、ちょっとバカにしていた部分もありました。ただ、30歳になった頃「劇団そとばこまち」等の学生劇団と出会って意識が一変しましたね。たつみつくろうさん(現・辰巳琢郎)が座長の時代で、関西では、彼らの劇を見てないとモグリだって言われるほどに有名でした。


――関西を拠点に活動する勢いのある劇団との出会いは、升さんにも変化をもたらしたんですか?

役者人生において、転機とも呼べる出会いだったと思いますよ。自分の劇団に槍魔栗 三助さん(現・生瀬勝久)をゲストとして呼び、共演して、自由奔放に演技を楽しむ彼を見て「なんて、いい演技するんや」って驚いたのを今でも覚えています。それから、『現代用語の基礎体力』『ムイミダス』『未確認飛行ぶっとい』『怒涛のくるくるシアター』等のバラエティ番組で、彼をはじめ古田新太さんや羽野晶紀さんらとも共演しました。近しい世代の役者との切磋琢磨があったおかげで、役者としての幅が広がっていき、本格的に東京進出する足がかりにもなったんやないかと思います。


――進出前ももちろんですが、今まで数え切れないほどのドラマや映画や舞台に出演されていますよね。つまりその数、役柄があるわけで。その辺りは、どのように演じ分けていますか?

基本的にはまず、役についての勉強ですよね。医者なら医学、サラリーマンなら経済学や経営学みたいに。例えば医者といっても、20代で演じた医者と50代で演じる医者は役職が全然変わりますよね。それゆえ、同じ職種を演じることがあっても「また、医者か〜」とか「また、サラリーマンか〜」みたいに思うことは全くないんです。自身が年を重ねるごとに、役柄も成長していく感覚がむしろおもしろくて。やっぱり続けることは大切だなと実感しました。大学の研究なんかもそうで、マグロの完全養殖だって継続と努力の成果ですよね。


――長い間役者生活をされてこられた升さんですが、意外にも2017年公開の『八重子のハミング』が映画での初主演。かなり難しい役柄で主演でしたが、プレッシャーはありましたか?

4度のがん治療を経て妻のアルツハイマー介護に取り組む夫の役柄と聞くと、難しい役柄に思われることが多いんですよね。もちろんそうなんですが、演じる上での気負いや不安よりも、この役を演じきることが役者としての糧になるというワクワク感の方が勝っていました。監督を務めた佐々部清さんとの出会えたことも僕の役者人生にとっては大きなプラスで。監督のおかげで映画っておもろいなーって改めて思いました。有り難い事に現段階でもいくつか映画のお仕事をいただいているので、楽しい一年になりそうです。



「実は近大に来たのは卒業後初なんです。ほんまに立派になりましたよね」と、升さん。

――来年、楽しみにしてます! ちなみに、卒業後に近畿大学との関わりはありましたか?

新聞やニュースで近畿大学の話題を見るくらいのもんで、直接的にはほとんど交わることはなかったかな。でも実を言うと息子と姪っ子が近畿大学卒なんですよ。僕が「近大ええで!」と、勧めたわけではないんですけど(笑)我が家と近畿大学にはしっかりご縁がありますね。

――最後に升さんから夢を追いかける学生にメッセージをお願いします!

勉強でも、サークルでも、バイトでもいいんです。とにかくやりたいことを無理やりにでも探してみることが大切。あかんかったら辞めたらいいし、おもろかったら続ければいい。どこかに繫がるドアやと思って、しかも自由に開け閉めできるんや!っていう感覚で、挑戦してみることは大切だと思います。なんにせよ、一生懸命取り組むことで道は開けますからね。

――升さん、ありがとうございました。

何事にも前向きに取り組み、挑戦を辞めない。そういう姿勢を崩さず、全力投球をし続けることこそが、大切なのかもしれません。そして、無理やったら逃げて、また始めればいいという言葉も身に沁みました。2018年の1月より始まる関西テレビの連続ドラマ『FINAL CUT』や、6月公開の『空飛ぶタイヤ』等、今後も多くのTVや映画への出演も控える升毅さんから、目が離せない!


(おわり)


ライタープロフィール
ロマン
京都生まれ、高円寺育ち。大学在学中より月刊誌『TOKYO GRAFFITI』編集部に所属。『KINDAI GRAFFITI』の二代目編集担当などを経て独立。現在はライター兼カメラマンとして、関西を中心に活動中。



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