2016.05.27
世界No.1のダンスで日本を動かす。近大生ダンサーが切り拓く未来。
- Kindai Picks編集部
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ILL SKILL STYLERZは、2015年5月の「SDK ASIA」にてアジアチャンピオン。そして2015年7月にチェコでの世界大会「SDK EUROPE」にて世界チャンピオンに輝いた、いま最も熱いストリートダンスグループの一つ。そのメンバーの一人で、幼少のころからダンスに没頭している近畿大学・経済学科3年生、河村直緒さんにその魅力とダンスにかける想いを聞いた。
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【PROFILE】
河村直緒(近畿大学経済学部3年生)
大阪府出身。4歳の頃からダンスをはじめ、2008年より全国各地のダンスコンテストやバトルに出場し、2012年から海外進出。数あるダンスジャンルのなかでも「POP」の技術が特に高く、海外の大会で最年少記録を樹立するほどの実力を持つ。ストリートダンスグループILL SKILL STYLERZのメンバーとして、2015年7月、チェコで開催されたストリートダンスの世界大会「SDK EUROPE」にアジア代表として出場し、見事優勝。現在は大学に通いながら次の大会に向けた練習と後輩育成の日々を送っている。
▼SDK World Battle Tour 2015・河村直緖くん(右側)(YouTube)
ウルトラマンとV6。そこがダンスの世界への入り口だった
―約束の時間より早くダンススタジオ「STUDIO ODORIBA」に現れた河村さんは、“ダンサー”という世間一般的なイメージからほど遠く、ゆったりと柔らかな印象を持っていた。インタビューには慣れていないと、少し照れながら話す彼。しかし、今回の取材のキッカケとなった「SDK EUROPE」の話になると表情は引き締まり、真摯な眼差しで語りはじめた。
「今回参加した大会は10数年前から続いている大規模な大会で、ダンスの技術を争うバトルやコンテストだけでなく、ショーケースのようなパフォーマンス部分を披露するものも含め、世界中から3000~4000人近いダンサーが集まるんです。世界大会の前には各地で予選もあり、ダンス界のワールドカップのような存在。自分の中の目標で、20歳までにヨーロッパの大会に出場すると決めていたので、今回の優勝はすごくうれしいですね」
―4歳の頃からダンスを始めたという彼。ダンスを始めた理由を尋ねると、予想外の答えが返ってきた。小さな男の子なら誰もが一度は観るであろう「ウルトラマン」、それがダンスを始めるキッカケだったという。しかも、主題歌を担当していたアイドル・V6が歌とともにダンスをしているシーンを見て、「自分もこのダンスが踊れたら、ウルトラマンになれる!」と信じていたとか。当初は習い事の一環でしかなかったはずが、その楽しさに徐々にのめり込んでいくことに。
「もともと体を動かすことが好きで、人と同じことをするのが嫌。なので当時はまだ珍しかったダンス教室に通うことは自分にぴったりだったんですよね。最初は初歩的なダンスから始まったものの、技を覚えるたびにどんどん自分が成長した感覚を味わうことができる。シンプルだけど、それが嬉しくって今まで続けることができたのかなって。
こうやってダンスを続けることでV6さんにも会うことができましたし。ウルトラマンとV6さんがキッカケでダンスを始めたんですと、メンバーのみなさんに伝えることもできて。その時、実は当時、岡田准一さんのポジションを目指していたんですって、本人に伝えたら“そこは譲れない!”って言われちゃいましたね(笑)」
ダンスの世界でムーブメントを起こすため、大学進学を選択した
―大学3年生の河村さんは、毎日3~5時間の練習に加え、キッズダンスの指導もおこなっている。授業、練習、指導そして大会出場。ハードな日々をこなすには、両親の存在が欠かせない。
「小さな頃からやりたいことをやらせてもらっていて、本当に両親には感謝しています。本当に昔からダンスも練習も好きで好きで。むしろ練習という感覚がない。“衣・食・住・ダンス”っていうくらい、僕の生活の一部になっている。それだけに、両親からのサポートは心強いですね。
感謝している分だけ、勉強もおろそかにしない。ダンスと勉強を両立できるようにしています。」
―一方、華やかに見えるが決して恵まれているとは言えないダンスの世界。もちろん彼にとっても例外ではなく、周囲のサポートなしでは考えられないという。今回参加した世界大会でさえ、スポンサーやオーガナイザーなど招待制のイベントでない限り、費用はすべて自費負担となる。そのため、キッズダンスの講師や塾講師などアルバイトも欠かせず、費用のやりくりに苦戦することもある。
「ダンサーをしながら大学の道に進んだのは、もっともっとダンスの世界に大きなムーブメントを作りたいと思ったから。正直、今の日本ではダンス1本で活動を続けるのは難しいのが現状で、いくら経歴のあるダンサーでも、ダンス教室の講師やセミナーを受け持つことで生活をしているんです。
いくら頑張っても、それではあまりにも夢がない。そこを脱するためにも、僕らの世代がもっともっと大きなムーブメントを作らないといけない。そのために自分は動くべきなのかということを考えて、大学への進学を決めました。」
「高校先生に『好きなことを続けたいなら、文武両道で頑張りなさい』と教えていただいて。勉強をしていて損はない、勉強はいろんなことを教えてくれる。好きなこと以外も頑張らないといけないんだっていうことを教えてもらったんです。その時には、ウルトラマンもアイドルにもなれないってわかっていましたし(笑)」
実はダンス先進国である日本。しかし、すべてが無難な日本のダンスでは世界に勝てない
―徐々に世界の舞台で頭角を現してきている河村さんの世代の日本人ダンサーたち。この流れを加速させるためには、日本人独特の考え方から変える必要がある。河村さんの考えはこうだ。
「日本のダンスシーンの素晴らしさは“基盤”がしっかりしていること。カルチャーとして徐々に根付いてきたこともあって、その知識量の豊富さから“伝える”ということに熱心ですが、世界から見ると“無難”に映ります。背景には“弱点は克服するもの”と考え方があると思います。
海外のダンサーたちは“自分の個性をより強める”手法を取るんです。自分の強みがわかる人ほど、ひたすらカッコよさを前面に出したダンスをすることで、弱さは見えなくなり、オリジナリティすら感じさせる。そういうスタイルの作り方もあるんだということを日本のダンサーにも知ってほしいですね。」
― 一方、ダンスが小学校の必須科目に入るなど、徐々に一般に認知されてきているのも事実。しかし、河村さんのように世界で戦えるダンサーが輩出するには、育成方法にも課題があるという。
「実は今の日本は、世界トップ5に入るほどレベルの高いものになりつつあるんです。特にキッズダンスにもなると、日本は段違いにレベルが高い。そのレベルに達するほど、技術や情報を共有できる文化にもなったし、社会を活性化できる文化だという認識も広まりつつある。
でも、それだけではまだ厳しい。小学校の授業もそう。先生だって急にダンスを教えろと言われても無理じゃないですか(笑)。先生たちを指導するシステムの構築など、まだまだこれからだと思いますね。」
自らでダンスの未来を切り拓いていく。自分自身との葛藤を続けられるダンサーへ
―自身が世界で戦うことで日本のダンスシーンを牽引し、そのために誰よりも練習こなす河村さん。最後に、今後の目標について聞いた。
「とにかく、ダンスで生活がしたいですね。今は理想の世界をより色濃く描けるように、色々と試行錯誤中です。自分で言うのもなんですが、そこそこの成績を僕は持っている。そんな僕ですらダンスで生活ができないとなると、次の世代のダンサーたちは希望が持てないと思うんです。まずは自分が前へ進んで、僕の歩く後ろに道が広がっていけるようになればいいですね。
そしてダンサーとしては、世界中を回り続けていたいです。現状で満足していたくない、ずっと変わり続けたいんです。満足できない状態でいることは嫌いじゃない。いつまでも自分自身と葛藤を続けられるダンサーでありたいですね」
―取材中に交わす言葉は終始丁寧で真面目そのもの。礼儀正しく、ブレのない河村さんの姿勢に、取材陣の“ダンサー”に抱いていたイメージは一変した。昨今のアイドルやダンスユニットの活躍でイメージは変わりつつもある。
「ダンサー=だらしないというようなイメージを持たれたくないので、人として礼儀面は人の倍以上は心がけていけたらいいなって。人と接するときに気をつけているのは、あまり人のことは否定しないこと。というのも、相手を否定しちゃうと自分の視野も狭くなってしまう。なるべく最後まで相手の話を聞いてから、自分の話をするように心がけています。あとは、おはようございます、ありがとうございました、といった挨拶はしっかりとするように心がけていますね」
恩師・HORIKAWA氏からのコメント
「昔からとにかく努力を惜しまない、真面目なんですよね。本当にダンスだ好きだっていうのが滲み出てくるんです。POPスタイルの独創性の高さも魅力だし、どこまで進んでいくのか期待しています」
後輩ダンサーたちからのコメント
「先輩はダンスに対してとにかくストイック。めちゃくちゃかっこいいダンスをするのに、練習や指導してくれる時はすごい優しくて。憧れの存在です」
▼練習風景(YouTube)
撮影場所:スタジオオドリ場 大阪本校
http://www.odoriba-dance.com/
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