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近大人

2026.10.03

100年続く、強い会社へ。 固い絆で結ばれた兄弟が語る、 家族経営の根幹にあるもの

Kindai Picks編集部

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オリジナル記事
オオヨドコーポレーション
OB・OG
ゴルフ部

2026年に創業80周年を迎えた株式会社オオヨドコーポレーション。次の90年・100年を見据え、新たな体制づくりなどを進めています。2024年には、兄である淀雅和さんに代わって、弟の淀智哉さんが代表取締役社長に就任。雅和さんは代表取締役として経営陣に残り、現在も智哉さんの経営をサポートしています。「子どもの頃から同じような道を歩んできた」と語るお二人は、ともに近畿大学体育会ゴルフ部出身。大阪府大東市にあるオオヨドコーポレーション本社でインタビューを行い、近大に入学した理由や、お互いへの想い、経営者として大切にしていることなど、家族をテーマに、いろいろお聞きしました。

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株式会社オオヨドコーポレーション

1946年の創業から事業を拡大し続けてきた株式会社オオヨドコーポレーション。現在は、「⼈や社会、⾃然環境からもっと愛される都市づくりを。」という企業理念のもと、インフラストラクチャーを創造する「土木建設事業」を中核に、衛生的で安全な都市生活を支える「環境衛生管理」や、日常生活に活力を与える「ゴルフ場運営事業」などを展開。ハード・ソフトの両面から、人々のより良い暮らしを追求するとともに、サステナブルな社会の実現に貢献するため、環境問題をはじめ、社会課題の解決に向けた取り組みに力を入れている。 ホームページはこちら



淀 雅和(よど まさかず)
株式会社オオヨドコーポレーション 代表取締役
1973年、大阪府生まれ。1996年、近畿大学商経学部卒業。在学中は近畿大学体育会ゴルフ部に所属。1997年に旧淀建設工業(のちにオオヨドコーポレーションへ改名)に入社し、2004年に創業家3代目として代表取締役社長に就任。2024年に社長のポジションを弟の智哉氏に譲り、現職。


淀 智哉 (よど ともや)
株式会社オオヨドコーポレーション代表取締役社長
1982年、大阪府生まれ。2005年、近畿大学商経学部卒業。在学中は近畿大学体育会ゴルフ部に所属し、4年生時にキャプテンを務める。2008年にグループ会社の旧大淀化工(のちにオオヨドコーポレーションPテックス社へ改名)に入社し、2015年にオオヨドコーポレーションPテックス社の代表取締役社長に就任。2024年から創業家4代目として兄の雅和氏に代わり、現職。 また、2015年から近畿大学体育会ゴルフ部OB・OG会長を務め、今年(2026年)で11年目となる。


“ゴルフ”を通じて育まれた、近畿大学とのご縁



—— まずは、近畿大学に入学したきっかけを教えてください。

雅和
雅和
父親の影響が大きいですね。私たちの父は、近畿大学体育会ゴルフ部出身で、長年にわたってOB・OG会(近畿大学体育会ゴルフ部OB・OG会)の会長を務めていました。現在は、近大ゴルフ部の相談役に就いています。近大ゴルフ部やOB・OG会の話をよく聞いていたので、子どもの頃からゴルフを身近に感じていました。本格的に始めたのは、小学3、4年生の頃だったと思います。しかし、父からは、ゴルフの指導を受けたことは1度もありませんし、「近大ゴルフ部に行け」と言われたこともありません。ただ、父親の背中を見て育ちましたから、近大を選ぶというよりは、「近大以外は考えたことがない」が正直な答えですね。

智哉
智哉
私もまったく一緒です。ここ(オオヨドコーポレーション本社)は大阪府大東市にあって、車で5分ぐらいのところに大阪桐蔭高等学校があります。兄も私もそこのゴルフ部出身です。通いやすくてゴルフができる高校として大阪桐蔭を選びましたが、大学は子どもの頃から「近畿大学に行く」と決めていました。似たような環境で育った2人ですから、同じような道を歩んできました。

雅和
雅和
ゴルフを始めたのは、弟のほうが早かったですね。1・2歳のレベルじゃないかな。哺乳瓶の次にはプラスチックのゴルフクラブを握っていましたから(笑)。プレーをするかは別にして、ゴルフに関わっている年月だけで言えばめちゃくちゃ長いですよ。

智哉
智哉
当社がゴルフ場を所有・運営していることも影響の一因だと思います。ゴルフ場の運営を始めたのは、今から54年前の1972年です。コースは三重県松阪市にあり、30年以上前から近大ゴルフ部の合宿所として提供しています。

雅和
雅和
少し補足すると、ゴルフ場をつくったのは創業者である祖父です。新規事業として、当時ブームだった、ボーリング場を開設したいと考えていたようです。同じタイミングで、我々の父が近畿大学に入学し、ゴルフ部に入部しました。それをきっかけに方向転換し、現在の場所にゴルフ場を建設したのが始まりです。近畿大学と当社の事業には、こういうところにもご縁があります。


オオヨドコーポレーションが運営するゴルフ場「西日本セブンスリーゴルフクラブ」(三重県松阪市)で、ゴルフを一緒に楽しむ、当時11歳の雅和さんと2歳の智哉さん。

—— お二人とも“近畿大学一択”だったのですね。実際に入学して良かったと思うことは何ですか?

雅和
雅和
特に今思うのは、近畿大学がどんどん良くなっていること。私が学生だった頃も良かったことに変わりはないのですが、当時は“THE・男”という硬派なイメージ。バンカラな気風もあって、今の現代的な雰囲気とはまったく違いました。女性の学生さんも増えましたし、大学自体も全国的に有名になっている。会話の中で出身大学の話になったとき、私が「近畿大学です」と言うと「えー、近大なんですね!」と好感を持ってもらえることが多いです。そういう反応をいただくたびに、近畿大学に入って良かったなあと思いますね。もちろん、今でもつながっているたくさんの仲間に出会えたことはかけがえのない財産ですよ。



智哉
智哉
私も兄もゴルフ部でしたから、そこで出会えた仲間は特別だと思います。ゴルフに打ち込む大学生活の中で、切磋琢磨し合える仲間たちと苦楽をともにすれば自然と絆は強くなります。今週もゴルフ部の後輩と会いますし、来週は先輩と食事に行く予定です。



—— 智哉さんはOB・OG会長もされているとお聞きしましたが。

智哉
智哉
そうですね。これは余談ですが、実は先週(取材時は6月下旬)、近大ゴルフ部女子が全国女子大学ゴルフ対抗戦という大会で優勝しました。28年ぶりの日本一でしたから、OB・OG会としても喜んでいたところなんです。

雅和
雅和
父が元々OB・OG会長でしたから、今は同じことを、歴代会長のなかに入り、現会長として、近大ゴルフ部の発展に携わっています。

智哉
智哉
2015年からやっているので、かれこれ11年目になります。ゴルフは個人スポーツですが、近大ゴルフ部のOB・OG会のつながりは非常に強いです。年1回の総会には毎年全国から120人ぐらいが集まります。活動の中心は、現役部員への競技活動支援や将来のための就活支援ですね。卒業生の全員がプロゴルファーになれるわけではないので、就職の斡旋やインターンの受け入れなど、卒業後の進路をサポートしてあげることも大事な役目だと思っています。

雅和
雅和
当社の営業にも近大ゴルフ部出身が5名いますよ。

智哉
智哉
オオヨドグループでは約400名の社員が在籍しているのですが、30名以上が近大卒で、そのうち7名が近大ゴルフ部出身です。近畿大学には本当に感謝しています。

—— 合宿所の無償提供を含め、近大ゴルフ部を熱心にサポートされています。その理由は何でしょうか?

智哉
智哉
私が学生の頃に同じことをOB・OG会の方々がしてくれたからです。もちろん、兄もその一人ですし、「なぜそこまでしてくれるんだろう」と当時に感じていたことを、数珠つなぎではないですけど、恩返ししているだけです。それが近大らしさであり、近大ゴルフ部の絆だと思っています。


近畿大学体育会ゴルフ部OB・OG会総会の集合写真。OB・OG会長を務める智哉さんは「毎年100名を超える参加者で開催し、現役学生の活動支援や就職支援など積極的に取り組んでいます」と語ります。

お互いの存在を認め合う、二人の関係性




—— お二人は、お互いにとってどのような存在でしょうか?

雅和
雅和
大切な弟。かけがえのない存在。ありがたいですね。私は1973年生まれで、弟は1982年です。当然ですが、同じ親から生まれた智哉は、私にとって世界で一人の弟です。9歳も年齢が離れていますから、幼少期の頃の成長を見てきました。赤ちゃんだったときの可愛い顔もはっきりと憶えています。しかも、彼は、近畿大学で言えば、私の9歳下の後輩ですからね(笑)。そんな人間がこの世の中のどこに存在しますか?


一同:(笑)

雅和
雅和
智哉が生まれたときから“自分のもん”やと思っていました(笑)。結婚したときに初めて“俺の智哉”ではなかったのかと気づきましたが(笑)。

智哉
智哉
子どもの頃からなんとなく近いものは感じていましたね(笑)。


一同:(笑)

智哉
智哉
まあ、年齢差は大きいですよ。私の人生・生き方において、影響を受けていることは間違いありません。兄が社長に就いた頃は、今よりさらに大変な時代でした。そこをくぐり抜けてきたディフェンス力や、経験に裏打ちされた直感力は、勉強になりますし、今も近くにいてくれて本当にありがたいと思っています。兄は特に「家族主義」を大切にしていて、家族と社員の幸せをつねに考えています。昔から勤勉で一生懸命に働いている姿も見てきました。私にとっては「すげえなあ」の一言ですね。


高校1年生の雅和さんと小学1年生の智哉さん。今でも仲が良いのは、兄弟の「年齢差」も大きな理由の一つとなっているそうです。

「家族主義」の徹底。 見つめているのは「家族と社員」全員の幸せ


—— お話に出てきた「家族主義」とは、オオヨドコーポレーションにとって、どのような意味合いがあるのでしょうか?

雅和
雅和
当社は家族経営です。ですから、「家族仲良くやっていこう」というのがみんな強いんです。

智哉
智哉
仲はいいですが、イヤなところはいっぱいありますよ(笑)。

雅和
雅和
あるある。家族だからね(笑)。ただ、「家族のような会社」と言っておきながら、実際の家族が不仲だったら、説得力も何もありません。まずは、自分の家族が平和でなければ家族経営はできないと考えています。我々兄弟も、親戚も、みんな仲良くしていますからシンプルな話ですよ。私には3人の子どもがいまして、26歳になる長男はこの会社(オオヨドコーポレーション)で働いています。智哉のことをプライベートでは“にいに”と呼んですごく慕っているんです。

智哉
智哉
その長男は、私にとって甥っ子ですが、家族のような存在だと思っています。私が兄の家に居候し、一緒に住んでいた時期もありましたから。

雅和
雅和
私が社長になった頃は、日経平均株価が7000円台に落ち込むなど、日本経済は低迷していました。とにかく忙しかった。小さかった子どもたちには、父親らしいことはできず、智哉が代わりにすべてをやってくれました。一緒に遊んであげるのも、お風呂に入れてあげるのも、授業参観や懇談会などの学校行事にまで参加してくれていたのです。私に言えないことも、智哉には相談しているようです。

智哉
智哉
兄が社長を継いだのは、私がまだ大学生だったときです。長く続いた不況の時代は、本当に大変そうでした。

雅和
雅和
家族とは疎遠ではないですけど、心の距離が少しできてしまった。その間を埋めてくれたのが智哉だったんです。子どもたちは、私より遥かに智哉のことを父親だと思っていますよ(笑)。

智哉
智哉
大袈裟ですけどね(笑)。そういう家族と社員のために一生懸命に働いている姿を見ていたので、「自分にできることがあれば一緒に働きたい」という気持ちが芽生えたのだと思います。

左から雅和さん、智哉さん、雅和さんの長男・祐一郎さん。祐一郎さんは、オオヨドコーポレーションの社員でもあります。


祐一郎さんは、叔父である智哉さんのことをプライベートでは“にいに”と呼んで慕っています。




—— お二人の絆の強さが伝わってきました。会社についてもお聞きしていいですか? 弟である智哉さんがオオヨドコーポレーションの社長に就任した経緯を教えてください。

雅和
雅和
弟が代表取締役社長に就任したのは2024年です。それまでの20年間は、私が社長を務めました。当社には、創業以来、淀家の長男が「30歳」になると社長を継ぐという文化があります。父も私も30歳で社長になりました。私の長男は現在26歳です。智哉は、本来であれば社長に就く必要はないのですが、経営のバックアップ体制を強化するために、長男が30歳になるまでの間、社長をやってほしいと私のほうから頼みました。そして、長男が就任した後は、多方面でサポートをしてあげてほしいとお願いしたのです。社長業というものは、その会社の社長を経験した人間にしか分かりません。当時の弟はグループ会社の社長をしていましたが、オオヨドグループ全体が強くなるために、智哉に本体のマネジメントを任せることで、経験値を積んでほしかったのです。

智哉
智哉
当社は今年で創業80周年を迎えました。次の90年・100年と続くように、会社をもっと強くしたいというのは同じ考えです。ですから、兄の提案を引き受けました。

雅和
雅和
経営もスポーツも似ているんです。練習ばかりしていてもプロになれないのと同じで、試合に出ないことにはプロにはなれません。特にゴルフは失敗のスポーツ。その失敗から学び、どう立て直すかというリカバー力を身につけることが大事です。経営も失敗するんですよ。だから長男には若いときに挑戦して失敗からいろいろ学んでほしい。我々兄弟が年をとって力がなくなってきたときに、一人前になってくれていればそれでいいんです。自分の息子を依怙贔屓しているわけではありません。会社さえ強靭になれば家族も社員も全員が幸せになれる。だから、長男だけでなく、若い社員の皆さんがチャレンジできる、活躍できる会社にしたいのです。

智哉
智哉
兄の名刺を見ていただきたいのですが、そこに「CHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)」という役職が記されています。「これって何ですか」と聞いたら「社員の幸せを願い続ける」と真剣に話をされたんです。「家族主義」も「社員は家族」という考え方も一貫していますので、兄にはやっぱり勝てないなあと感じますね。

創業100周年に向けた次の一歩。 変えてゆくもの、変わらないもの



—— 最後に、オオヨドコーポレーションの「ありたい姿」や、今後の展望についてお聞かせください。

智哉
智哉
先ほどもお伝えしましたが、当社は今年で創業80周年を迎えました。強い100年企業へと成長していくためには、社員の活躍が欠かせません。社内には優秀な若手や中堅がたくさんいます。その能力やエネルギーをもっと出せれば、会社は必ず強くなれるはずです。そのためには「自分たちで会社を動かしている」という当事者意識が必要になります。浸透を図っているのは「合議主義」です。以前は、カリスマ的な方々が組織を牽引するようなスタイルでしたが、今は、ミーティングなどを含め、みんなが意見やアイデアを出し合うことで“自分たちの会社のことは自分たちで決める”という新たな風土が根付き始めています。我々兄弟や親族がいることで、「自分たちの声は通らない」と社員がそんな風に思ってしまう会社にはしたくありません。経営への参画意識と仕事へのモチベーションを高めるための体制づくり・仕組みづくりにこれからも力を入れていく考えです。

雅和
雅和
オオヨドコーポレーションは智哉で4代目です。0から1を生み出した祖父は「創業」という功績を残しました。2代目の父は「守成」と言って、会社を守り抜いた。私は、3代目を継いだとき、自分には何ができるのだろうと考えた結果、出てきた答えが「感謝」だったのです。まずは、淀家に生まれたことに感謝しよう。公私ともに、あらゆるご縁にひたすら感謝しようと決めたのです。免疫力が下がれば風邪をひきますよね。感謝力も免疫力も一緒です。感謝力が高ければ仕事も人間関係も良好になります。「家族主義」と「感謝」。シンプルにこの2つを大事にする会社であり続けたいですね。

智哉
智哉
兄弟で言えば「次世代に積み残しなく」をキーワードにしています。次の社長候補に兄の長男がいますから、彼が社長になったときに「こんなことは先にやっといてくれよ」とならないよう、今のうちに解決できる課題については改善を進めています。

雅和
雅和
この部屋(社長室)に来ていただいた方ならすぐにお気づきかと思いますが、それは80年前につくられた祖父のお父さん、我々にとっては、ひいおじいさんの銅像です。曾祖父は会社には一切関わっていません。祖父が、自分の父を敬い、モニュメントとして建立したのです。ゴルフ場には、曾祖父と曾祖母の肖像画が飾られています。淀家とオオヨドコーポレーションには“家族を大切にする”というDNAのようなものがあり、連綿と受け継がれているのだと思います。

社長室で曾祖父の銅像と。


家族写真。 左から、智哉さん、父の髙和さん、祐一郎さん、雅和さん。「近畿大学ゴルフ部のご縁を通じて、家族でゴルフを楽しむなど、家族団欒の機会にも恵まれています」と雅和さん。



取材・文:西尾彰彦
写真:栗山朋久
編集:株式会社アド・ダイセン

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