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2016.06.28

文学、法学、医学、留学…そしてピアノ少女はがん治療薬研究リーダーになった

Kindai Picks編集部

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がんになる細胞を遺伝子レベルで探り、副作用が少なく効果が高い薬を生み出すゲノム創薬。この先端分野で、注目を集める研究者のひとりが杉浦麗子教授だ。文学、法学、医学の3つの学部と大学院、そして英国留学。一体、なぜこのようなキャリアを選んだのか。新たな道への挑戦に年齢の壁はないのだろうか。

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【プロフィール】
杉浦麗子(すぎうら れいこ)
近畿大学薬学部創薬科学科長
1978年 慶応大学文学部仏文学科入学
1982年 慶応大学文学部仏文学科卒
     慶応大学法学部法律学科入学
1986年 慶応大学法学部法律学科卒
     神戸大学医学部入学
1992年 神戸大学医学部卒
     医師免許取得後、神戸大学医学部大学病院、大阪府済生会中津病院勤務を経て
1994年 神戸大学大学院 博士課程(薬理学)へ
2001年 英国王立がん研究所に文部科学省在外研究員
2004年 近畿大学薬学部分子医療薬科学研究室(現 分子医療・ゲノム創薬学研究室)教授
2012年より現職


全てはプロピアニストへの挑戦から始まった


──杉浦教授は、20代のほとんどを、それも文学部、法学部、医学部と異なる学部で大学生として学んでこられました。どうしてですか。いったい、なにがあったのでしょうか。

その理由を伝えるには、3歳のころの話から始めなくてはなりません。
3歳でピアノを始めたのです。
和歌山で精神科を開業していた父親が、ひとり娘にはピアノが弾け、音楽を楽しむよう育って欲しいと願ったからでした。
そんな平凡な理由から始めたピアノですが、本人や父親が想像していた以上に適性があったのですね。そのうちプロのピアニストを目指し本格的に練習を始めました。

──お嬢様の手習いで終らせず、上を目指したのですね。

父がスパルタで、女の子でもとことんやり切る努力をするという方針だったので、プロのピアニストを目指して練習しました。もちろん勉強もきちんとしました。
中学生で毎日音楽コンクール西日本トップに。高校生の時、同じコンクールで全国2位となり、東京藝術大学を受験したのです。


ピアノの初舞台で演奏をする幼少期の杉浦教授

──日本最難関、多くの受験生が合格まで多浪も厭わないという大学ですね。

現役では合格が叶わず、もう1年挑戦したのですがやはり叶わなかった。それで、慶應大学の文学部に進学し、学びながらプロのピアニストへの練習も続けたのです。文学部を卒業後、今度は法学部で学びながら、やはりプロのピアニストを目指しました。


ピアニストから医師へ。やり遂げたいことに夢中の日々


──日本ではほとんどの大学生が、18歳ないしは19歳で大学1年生となります。少数派の道を歩むことについてはどう思われましたか。

大学は、合格すれば何歳でも入学できますが、大多数が歩む規定ルートはあります。
「同質性」は日本を象徴するキーワード。日本人の多くは、周囲と同じでないと不安を感じます。歴史的にも鎖国していましたし、地理的にも島国ですし、言語も特殊です。
それでも海外に出ると、日本は均質で、横並びでいることに心理的調和、安定感を持つ社会であることわかります。

当時の私は、まだ留学経験はなかったのですが、日本人固有の同質性にはまったくの無頓着でした。むしろ、人と違うこと、つまり「オリジナリティー」を大事にしろ、という教育を受けました。また、自分がやり遂げたいことに夢中でしたから、他の人のことは気になりませんでした。

ちなみに文学部、法学部で学び続け教養を深めることは、音楽表現にプラスになりました。学ぶことは苦にならないし、好きだったので自然に続けられましたね。

──次に進学したのが、医学部です。ゲノム創薬研究者という現在の仕事に少し近くなりました。

医学部に進学したのは、ピアニストのプロへの道を断念したからです。3歳から続けてきたのですが、自分で決断して、ピアノ以外の道で生きていくことを考えました。そして、食べていくには手に職だ!だったら医者になろうと医学部を受験しました。
神戸大学の医学部で6年間学んで、医師免許をとって、病院で医師として勤務しました。開業医の父は、医師としての苦労を知り尽くしていましたので、私に医者にだけはなって欲しくないと願っていました。実は親不孝だったのです。

勤務医としての生活は、タフさが求められるような波瀾万丈な日々でしたが、充実していました。そんな時、ある教授に出会い、母校の神戸大学で研究をやってみなさいと勧められたのが、研究生活をスタートしたきっかけです。


阪神淡路大震災と恩師の言葉が研究者への道を開いた


──偶然なのですね。
 
研究生活を始めた当時、これはおもしろい。自分にあっている。そう感じ、気がついたら3カ月ほど研究室に泊まり込んでいました。土日も研究室に籠っていたのです。

そんな時に、阪神淡路大震災が起きたのです。地震の朝は、偶然、自宅にいて無事でしたが、研究室はぐちゃぐちゃに潰れてしまいました。
落ちて割れて、山積みになった研究室の片付けをはじめたら、地震の前に行なった実験の結果が出てきたのです。それが、あまりにキレイな結果が出ていたので、それを処分せず、実験を再開しました。
地震直後でまだ断水していたので、自衛隊が配っていた水を使って実験したことを覚えています。そこで出たカルシニューリンの結果は、今の研究につながっています。

当初は精神科医としての臨床の傍ら研究もしていたのですが、研究一本にしました。世界的に有名な分子生物学者の柳田充弘教授が、「君、研究に向いているわ、研究をやりなさい」と言ってくださったのがきっかけでした。


杉浦教授は、カルシニューリンとMAPキナーゼの拮抗的な関係を発見し、それを利用した分子遺伝学的スクリーニングを考案した。これが現在のゲノム創薬スクリーニングに結び付いている(EMBO(エンボ)ジャーナル1998)


効率でなく集中。好きなこと、したいことに深く関わる


──研究者のキャリアをスタートするまで、ずいぶん回り道をしましたね。

横道、回り道にも価値があります。
たとえば薬学部、医学部は国家資格というライセンスをとる場ですが、それだけでいいのでしょうか。効率よくラインセンスをとることが、人として最良の選択でしょうか。いいえ、違います。
忙しいから自分の得になることだけ、役に立つことだけをすることは、可能性を捨てているようなものです。

スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学でのスピーチで、“Connecting the dots”(点と点をつなげる)と語りました。そのスピーチでジョブズは、大学で芸術的な文字の世界について学び、それが後にアップルの多様なフォントや文字調整の機能につながったというのです。





──世界中の人が視聴したという有名な講演ですね。

ジョブズがスピーチで語った、目の前にあることが何の役に立つのか、その時はわからなかったけれど、後になって点がつながる。そういう体験を、私自身もしています。小さな頃からやってきたことが、私の中で融合されているのです。

ピアノ演奏というのは、本番1回勝負。フィギュアスケートもそうですね。限られた時間に最高のパフォーマンスを再現するものです。
プレゼンテーションも同じで、研究のプレゼンではピアノの舞台に立つような感覚を覚えます。ですので本番で最高のパフォーマンスを発揮することに慣れていると思います。

また、ピアノで磨いた絶対音感は、語学学習にも役立っています。聞いたことを再現できる能力を身に付けると、語学の習得も早くなります。先日、中国に行ったのですが、学会発表は英語のプレゼンテーションでしたが、1ページだけ中国語のスライドを作って中国語で話したら、会場中に喜びの声が湧き上がりました。
その時その時に、私が情熱を注いできたことは、無駄になっていないのです。




研究者としての世界への挑戦。そして次のステージへ


──どんな研究生活でしたか。

研究のスタート時に、素晴らしい先生と出会えたことは幸運でした。柳田先生は「世界中の人が読んでくださる雑誌に出す、世界を舞台に戦っていくのだ」という指導で、研究生活初期の段階から、ネイチャーと欧州の分子生物学専門誌EMBO(エンボ)ジャーナルに論文を出しました。
論文は何度も追加の実験や修正を求められたのですが、実験を繰り返し、長いものは1年かけて追加の実験を行ないました。

このように勤務医から、研究者として大学に戻り、神戸大学の薬理学研究室の助手から講師、助教授とポストを得、イギリスの国立がん研究所に文部科学省の在外研究員として派遣され、留学もしました。

色々ありましたが、私が研究者となったことを父が喜んでくれたことが、とても嬉しかったです。父自身、若い時に研究を究めたい気持ちがあったものの、開業の道に進まざるを得なかった経験があり、複雑な思いがあったのだと思います。それで私が医者になることには反対だったのです。
今は好きなことに突き進んで、父にも喜んでもらえ、満足しています。
 
そして2004年に近畿大学に移りました。

──近畿大学はどのような大学ですか。

女性研究者はまだまだ少数です。近畿大学には、ジェンダーにとらわれない気風を感じました。変化を受け入れ、進化していく大学です。

10月に「第12回プロテインホスファターゼ国際カンファレンス&革新がんゲノム国際シンポジウム」という国際学会を主催します。
私は、文部科学省の私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「増殖シグナルを標的とした革新的がん治療法開発」のリーダーを務めていますが、今回の国際学会は、近畿大学薬学部と医学部によるこのプロジェクトの事業も兼ねています。

本学が会場なので、国内外から招いた研究者だけでなく、近大生にも英語で発表する機会を設けます。私の研究室では、学部生、大学院生も国際学会に参加し、英語でのプレゼンテーションを積極的に行っていますので、みんな近大で開催される国際学会を心待ちにしています。さらにそのアクティビティを公開し、高校生も参加できるよう計画しています。研究というものに、大人がこれだけ必死になっていることを高校生に見せることで、サイエンスへの興味を喚起していきたい。

私自身が実験をする時間は以前のようには取れなくなりましたが、このようなプロジェクトの運営や、学生の研究の質を高めることを通して、研究社会へ貢献する。それこそが、研究者、そして教員でもある私がいま、最も情熱を注いでいることです。

聞き手・構成:教育ジャーナリスト 水崎真智子 撮影:村田一豊


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