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自分らしく生き切るために~小林麻央さんの死から考える

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Kindai Picks編集部

2017.06.23

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オリジナル記事
医療
コラム

乳がんで闘病中であったフリーアナウンサーの小林麻央さん。2016年9月からスタートした小林麻央さんのブログKOKORO. の一読者として、彼女の闘病を応援していた身としては、この数日ブログの更新がないことを案じてはいたが、小林麻央さんの訃報を耳にしても、どこか信じられない気持ちでいる。

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【プロフィール】

塩﨑麻里子(しおざきまりこ)
近畿大学 総合社会学部 心理系専攻/准教授

2009年近畿大学国際人文科学研究所・助教、2010年近畿大学総合社会学部・講師、2016年同・准教授に。家族心理学、特にがん患者とその家族が直面する問題を心理学的な側面から理解し、支援方法を提案する「サイコオンコロジー」を専門としている。


はじめに

小林麻央さんのブログは社会的にも大きなインパクトがあった。ブログの影響で、乳がんに関心をもち検診に足を運んだり、乳がんの闘病中で勇気や笑顔をもらったりした人は数えきれないであろう。誰にでも100%の確率で平等に訪れる死。彼女のブログの更新はなくとも、自分らしく生き抜いた小林麻央さんから、私たちは何を学ぶべきか。


人生の最終段階における医療に関する意識調査

ホスピスで何千もの看取りを見送ってきた柏木哲夫氏の言葉に「人は生きてきたように死んでいく」というものがある。「しっかり生きてきた人は、しっかり亡くなっていかれます。べたべたと生きてきた人は、べたべたと死にます。周りに不平ばっかり言って生きてきた人は、不平ばっかり言って亡くなります。」と。

大切な人生の総決算をどのように迎えることが自分らしいのか? (厚生労働省の終末期医療に関する意識調査等検討会が平成26年にまとめた報告書)では、人生の最終段階の様々な状況を想定し、その時に過ごしたい場所、および具体的な治療についての希望がまとめられている。

医療従事者を除く一般市民において、“末期がんであるが食事は良くとれ、痛みもなく、意識や判断力は健康な時”は、71.7%が居宅で最期を迎えたいと回答している。また、“末期がんであり、食事や呼吸が不自由であり、意識や判断力は健康な時”では、その割合は減り37.4%となる。また、回復が見込めない状態での抗がん剤や放射線による治療を望むかを問う質問において、望む28.6%、望まない47.5%、わからない20.3%という回答であった。

最期まで治療を続けて病と闘い続けるか、ある程度のところで治療を中止するか、最期をどこで迎えるか、何をどのタイミングでどのように選ぶのかに正解はない。自分らしい人生の締めくくりを考える上では、個人の死生観、価値観、また経済的状況や家族構成など、考慮すべきことが沢山あり、さらに考慮すべき条件はトレードオフになる場合も多く、決めること自体が大きな負担となる。

終末期の定義や延命治療の不開始、中止等の判断基準については、医療の側面からのみではなく、倫理的側面、法的側面等踏まえ、国の方針としても議論がなされ続けているというのが現状である。



私たちは何を選べば良いのか?

では、個人の人生や幸せを考えた時に、判断が難しい人生の最終段階の選択において、私たちは何をどのように選べば、自分らしい人生を生き切ることができるのか。この難しい問題を考えるにあたり、興味深い研究結果がある。

日本のがん患者と家族への予後告知(病状や残された時間についての情報と伝えること)の実態を調査した研究で、患者を看取った後の遺族はそのあと、予後告知についてどのように感じているのかを明らかにしたものがある(Yoshida et al., 2011)。その研究によると、予後告知をするかしないかには、それぞれメリット・デメリットがあり、どちらを選択した遺族の中にも、これで良かったと思える遺族と、そうでない遺族がいて、何を選択したかや、選択した結果がどうであったかだけでなく、十分に検討できたか、選択できたかが、その後の遺族の評価においては重要ということが強調されている。

また筆者が行った終末期の治療の中止における意思決定に対する遺族の後悔を調査した研究においても、同様の結果が得られている(塩﨑他,査読中)。治療をやめて良い時間が過ごせた(結果が良い)から「良かった」と発言する遺族がいる一方、 中止後に良い時間が過ごせたから「もっと早く中止を決めればよかった」と後悔する遺族がいた。また、治療をやめてすぐ亡くなってしまった(結果が悪い)から「治療をやめなければ良かった」と後悔する遺族がいる一方、すぐに亡くなってしまったけど「最善のことを限界までできたからこれで良かった」と発言する遺族がいたのである。

人生の終末期の選択においては、何がその人にとって“正しい選択”であるかがそもそも不明確である場合が多い。しかも、死別後に残される家族にとっては、選択した内容や結果そのものよりも、むしろそれをどのように捉えることができるか、どのように意味づけできるかが重要な要素となる。大切なのは、「何を選択するか」ではなく「何のための選択か」という視点といえよう。

人は生まれてきたからには、死ぬことからは逃れられない。自分らしい人生を生き切るとは、「何のための選択か」をぶらすことなく、自分の人生を全うすることではないか。「何のための選択か」において、人は歳を重ねるうちに、自分だけのための人生から、他者のためも含めた自分の人生となり、そして最期は、大切な他者に何を遺せるのかという人生に、その焦点が移行していくように思う。



おわりに

小林麻央さんの最期は、自宅で愛する家族に見守られてであったという。彼女のブログには、本当にたくさんの笑顔、たくさんの感謝の言葉、子どもたちへの溢れる愛が綴られている。彼女が、どのような想いでブログを始め、どのように生きてきたのかを想像すると強い決意と共に、周囲への暖かい気持ちを感じる。

小林麻央さんがブログをはじめた日(2016年9月1日)のページに、“私は、力強く人生を歩んだ女性でありたいから、子どもたちにとって強い母でありたいから”という言葉がある。私には、自分らしい人生をどう生き切るかについての彼女の強い決意を表したように感じられる。この言葉の通り、彼女は生き切ったのだと思う。

あなたは自分らしく生きるためにどのような選択をしますか?

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